第11話 地獄/決断

落ちて行く。

真っ赤な大地に吸い込まれていく。近づくに連れて熱風が皮膚を焦がし、体内に入り込んだ毒ガスが全身を痺れさせた。

そしてついに、俺の身体は灼熱のマグマへと飲み込まれた。

熱いとか、痛いとか、苦しいとか、そんなんじゃない。そんな言葉で言い表せる程、この地獄は生ぬるくない。だがこの感覚を表す言葉がこの世に存在しないために、自ずとそれらの言葉が脳内を支配する。

まず、視界を失った。眼球が溶けたのか、蒸発したのか。とにかく一瞬で、あれ程眩しかった世界は暗闇に包まれた。

視界を奪われると同時、最初に消え失せたのは皮膚である。これも溶ける、もしくは蒸発するかたちでその姿を消し去った。

皮膚が消えれば次は剥き出しの筋肉が溶かされる。筋から筋繊維の一本一本まで余すことなく溶かされ、その奥に隠された骨と内蔵を焼かれる。

そうして地獄の痛みを味わって死ぬ。

その直前で、全ての細胞が迷惑なほど綺麗さっぱり元通りとなり、消滅しかけた意識が現実世界へと引き戻される。

苦しくて、苦しくて、苦しくて、せめて息をしたくて。


「――――ぷはっ」


口を開ければ舌を焼かれ、喉を焼かれ、流れ込んできた物体が内蔵を溶かして、体内の水分を爆発さた。

息は出来ない。ここに酸素は存在しない。代わりにあるのは全身の細胞を破壊する猛毒ガスだけ。

そしてまた皮膚を溶かされ、筋肉を溶かされ、骨と内蔵を焼かれた。

そして死の直前――再び俺の身体は痛覚が最も正常に働く状態にまで戻される。

そしてまた繰り返される。

だが精神が狂うことは無い。記憶が飛ぶこともない。脳が破壊されることもない。なぜなら俺の身体は、常に健康な状態にまで回復するのだから。

終わらない残酷なループに何度も考えた。

なんで死なない。どうして死ねない。

死にたい。

死にたい。

死にたい。

死にたい。

こんなの嘘だ。もうたくさんだ。俺が何をした。ここまでの仕打ちを受けるほど、俺は悪いことをしたのか。今まで人を騙してきた罰が当たったのか。

いつしか呪文のようにただ死を望む言葉だけが脳内で繰り返され、無限にも等しい時間を感じ続けた。ただそれだけの存在となった。

どれだけ経ったのだろう。何度繰り返したのだろう。この地獄を。一体いつ終わってくれるのだろう。

何十回、何百回、何千回、何万回。

終わらない終わらない終わらない終わらない終わらないのだ。


この地獄は、終わらない。


――――――――――――――――――――




――――――――――――――――――――


時は、少し前に遡る。


「ゆ、ユウくんが……ユウくんが…………」


冷たい地面にヘタリ込み、成村は身体を震わせながら呟く。自分を庇ったことで致命傷を負い、森の奥深くへあっという間に消えていった友人。それを見た。その現実が未だ彼女の脳内で整理が及んでいないのだ。

故に、彼女は今自分が何をすべきなのか理解できず、考えることを放棄し、受け入れ難い事実にただ放心するしかなかった。


「た、助けに行こう!今ならまだ大丈夫なはずだ!」

一神の声が森の中で響いた。

その声に成村は顔をハッと上げる。自分のやるべき事を今ようやく理解したのだ。

まだ間に合う。その言葉を胸に、彼女は涙を拭いて立ち上がる。

そして、


「ダメだ」


冷水を浴びせられた気分だ。

今これから、大切な友人を救い出して、そうして感動の再開を迎えるはずだった。そんな彼女の熱い想いを、冷たい言葉が一気に冷ます。


「な、何で……?どうして!?早くユウを助けないと!」


アリスは声を荒らげた。

それは「ダメだ」と言ったベルザムの声から、その冷たい目から、彼が冗談で言っているのでは無いと分かったからだろう。

 

「雨宮のことは残念だが、今は撤退する。異論は認めない」


鋭い目をさらに鋭くさせ、ベルザムは全員を睨みつける。これまで彼と接してきた時間は一ヶ月程度だが、それでも成村達にはわかる。彼は仲間に対してこんな目を向ける男ではない。しかし今は、その目で仲間を脅さなければならない理由があるのだろう。

だがやはり、彼ら彼女らが納得するはずもない。


「な、何故ですか……理由を教えてください!」


大声を上げる一神。

そんな彼に、


「……では問おう。行って何が出来る?」

「え……」

「今のお前達では、あの魔物は倒せない。絶対にだ。まさか死体を増やすために行くなどと言うのではあるまい」


彼は王国第一騎士団団長。その名に恥じぬ実力と経験を兼ね備えてる。彼が勝てないというのなら、おそらく勝てないのだろう。


「で、でも……」

「いいか……今この世界のために出来ることは、勇者であるお前と聖女であるアリス様を生かすことだけだ。勇者としての使命も責務も、世界中の者達の未来さえも投げ捨てて、友人を救うために死ぬことを選ぶのか……?」

「――っ」

「勇者イチガミ……再び問おう。お前は、どっちだ……?」

「ぼ、僕は……」


緊迫した空気が漂う。

友か世界か。その二択を迫られて、一神は言葉を詰まらせる。その様子を星野は心配そうに見つめ、アリスは拳を握りしめて、桐山は目を瞑って俯き何も言わない。

だが、


「せ、世界とか……勇者とか……魔王とか…………そ、そんなの全部、どうでもいい……。私は、私はユウくんの友達だもん!!」


先に答えを出したのは成村だった。

引っ込み思案の彼女が、そんな質を忘れて大声を張り上げる。使命も責務も、世界中の者達の未来さえも投げ捨てて、大切な友を助ける決断をとった。自分は間違っていない。そう信じてやまなかった。


「そうだよ……。僕は勇者である前に、優の友達なんだ。友達一人助けられないのに、世界なんて救えない。僕は助けに行きます、ベルザムさん!」


成村の言葉に背中を押され、一神も決意を固める。


「そうよ!私たちは雨宮くんの友達なんだからね!」


星野も笑顔でそう言って、


「けっ、さっさとあのバカを助けに行くぞ」


桐山も頭を掻きながら、


「皆さん……行きましょう!早くユウを助けに」


アリスは涙目で言う。


「はぁ……仕方ありませんね……」


そしてベルザムも――


「全員動くなっ!!」


空気を両断する、そんな声が響いて、再びその場は静寂に包まれた。

ベルザムは星野の背後から首元に腕を回し、鈍く光る直剣をその首に突き付けていた。


「愛風!?」

「愛風ちゃん!?」

「安心しろ……気を失っているだけだ」


ベルザムに支えられる星野は目を閉じて、その体をぐったりと脱力させていた。どうやら本当に気を失っているだけのようだ。


「どういうつもり!?答えなさいベルザム!」


混乱した様子でアリスは声を張る。そんな彼女にベルザムは、


「申し訳ございません。しかし、こうでもしなければあなた達は死んでしまう。それだけは避けなければならないのです」

「――っ、離しなさい!今すぐに!これは命令です!」

「それは出来ません。そして、命令をするのはこちらです。…………馬車へ向かえ、そして王都まで戻るんだ」


命令であった。冷徹であり冷酷、そんな命令をベルザムは容赦なく下した。


「ま、待ってください……何もそこまで――」

「そこまでしなければならないのだ!!世界のために、必要ならば勇者の仲間でさえも殺さなければならないのだ!誰がこんなことをしたい?共に高めあってきた仲間を、この手で殺すことに、私が何のためらいも無いと思うか!?誰かが……誰かがやらねばならないのだ……」


そこには、涙の枯れた男がいた。例え騎士の誇りを捨てようとも、仲間を殺し、誰に恨まれようとも、非情にならなければならない時がある。彼はそれをこれまでにも経験しているのだろう。辛くないはずがない。悲しくないはずがない。少ない時間とはいえ、共に過ごした仲間を殺す選択をしているのだから。それでも涙ひとつ流さずに心を押し殺している彼を、一体誰が責められるのか。


「頼む……馬車に乗ってくれ…………」


いつも強く逞しかった彼が、この時ばかりは小さく見える。

そして、


「――頼む」


情けない声が、静かに聞こえた。




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