第10話 友達なんだから

ザワザワと広葉樹の木々が揺れていて、野鳥の声がそこかしこから聞こえてくる。森の奥へ行けば行くほど斜面はきつくなってきて、少しずつ頂上へ近づいているのが分かる。


「はあッ!」


一神の勇ましい声と同時に鮮血が舞った。角を生やした狼型の獣は首元を斬り裂かれ力無く転がった。

ふう、と一神は余裕な顔で額の汗を拭う。

正に実力の差と言うやつをたった今見せつけられていた。一神は華麗な剣さばきで魔物を次から次へと斬り捨て、着実にレベルを上げていた。使用している剣は俺と同じ、訓練の際にベルザムに貰ったものだ。しかしこうも簡単に敵を切り刻んでいる姿を見ると、俺より良い剣を使っているんじゃと思ってしまう。この片手剣は俺にとっては結構な重量で、あんな小枝みたいにブンブン振り回せる様な代物では無い。ここでもステータスの差がものを言うのだろうか。

鈍い音が聞こえて隣を見た。

近くで狩りをしていたのは桐山だ。両腕に着けたガントレットから血を滴らせ、凶悪な目付きで狼の身体を拳ひとつで吹っ飛ばしている。俺にはまるで動物虐待の絵面にしか見えない。

今度は別の方向から破裂音が響いた。多分星野と成村の魔法だろう。彼女たちも凄かった。接近戦を得意としない彼女たちは、遠距離から魔法での攻撃で敵を倒している。こういうと簡単そうに聞こえるが、すばしっこく動く的に瞬時に魔法を形成し命中させるというのは物凄く難しく魔力も消耗する。現状魔力の少ない俺では真似し難い戦法だ。

だからと言って近接戦闘は危険、まずは俺も魔法で攻撃を仕掛けてみよう。

茂み奥から喉を鳴らしこちらを睨みつけている狼型の魔物と目が合った。

ゆっくりと後ろに距離を取りつつ様子を伺う。

次の瞬間、奴は真っ直ぐにこちらへ向かって走り出す。

すぐに右手を構え、魔力を練る。

成村に教わった風魔法。


「刃の形……!」


魔力はイメージ通りに形を成し圧縮された空気の塊は刃へと変わり発射された。

直線上へ鋭い音を立て飛んでゆく。

しかし狼はあっさりとそれを横に飛び避けて、牙を剥き出し飛び掛ってきた。


「やばっ――」


まずいと思ったその瞬間、目の前に現れた半透明に輝く障壁がその牙を遮り、続けざまに水の刃がその体を一刀両断した。


「大丈夫ですか?!」


駆け寄ってきたアリスに心配された。障壁を築いたのはアリスの魔法だ。彼女の持つ〈障壁〉スキルは強力で、物理及び魔法のあらゆる攻撃を防ぐことが出来る。初めて見たが流石聖女と言ったところ。彼女も並外れている。


「危ないとこだったよ、ありがとアリス」

「い、いえ……当然です。その、ユウは仲間ですから」


俺が笑って礼を言うと、何故かアリスは照れくさそうにしている。女の子に守られて、照れくさいのはこっちなのに。


「ユウ君!大丈夫?」


成村も駆け寄ってきた。


「うん、アリスが助けてくれたから」

「そっか、なら良かった」


成村は胸を撫で下ろした顔だ。常に俺を気遣ってくれているのは彼女も同じようだ。


「それより千代、魔法使ってみたんだけど避けられちゃった」

「うーん、少し魔法を飛ばす速度が遅いんじゃないかな?もう少し魔力を込めて高速で飛ばすイメージでやってみたら?」

「なるほど」


成村はいつも俺に魔法のコツを教えてくれている。魔法に関していえば、彼女はベルザム達よりも優れている。地球での科学知識も持っているためだろうか、そもそものセンスが違う。

しかしもう少し魔力を込めると言っても、俺にはその魔力が不足している。現状だと十分な殺傷能力を持った魔法は二発が限界だ。今日はあと一発撃てるかどうかだな。


「おーい!」


少し離れた場所から一神が手を振っていた。隣に桐山とベルザムもいる。そろそろ馬車の近くへ戻って食事をする頃だろう。

全員が集合し、馬車へ向かって歩き出す。


「それにしても皆さん本当に成長が早いですね、ねえベルザム?」

「ええ、正直ここまでとは驚きました」


アリスの問いにベルザムも感心した様子で答える。

今日で勇者達の力がどれ程強力なものなのかがわかった。逆に俺との差も。だがそんなことは最早どうだっていいのだ。

俺はすぐ隣で談笑する仲間たちをチラリと見た。

例え俺が弱かろうと役立たずだろうと、そんなこと彼らは気にしない。例え危険が迫ろうと、彼らとなら大丈夫だ。きっと俺を助けてくれる。

何故なら俺達は――


「なんだっ!?」


ベルザムの声がした。

そいつは唐突に訪れた。

胸の奥に響くような身の毛もよだつ咆哮がどこからか響いて、俺達の頭上から巨大な何かが降り落ちてきた。

巨大なそれが地面に落下した瞬間に、地響きと砂煙が周囲を包み込んだ。


「けほっ、何なんだ……」


突然の事で混乱したが直ぐに前を向いた。やがて砂煙が晴れ、視界が開けた際に真っ先にそれは目に飛び込んできた。

全長十五メートルはありそうな体躯に金色の|鬣(たてがみ)を携え、見た者の心をすり減らす様な眼光、金色の獅子がそこにいた。

神々しいその見た目とは裏腹、感じる取れるのは圧倒的なまでの恐怖のみ。目を離してはいけない。その瞬間に自分というちっぽけな存在など、ものの一瞬で裂き殺される。

身体が冷たい。恐怖で震える全身から嫌な汗が吹き出してくる。周囲の者も皆動けないのだ。絶対的強者を前に、指ひとつとして動かせぬ。

そんな状況で動いたのは金色の獅子の方だった。奴はゆっくりとその巨大な口を開きくと無数の歯を剥き出しにし、俺の目の前で尻餅をついてただ身を震わせるだけの成村にその牙を牙を向けた。


「に、逃げろぉおおお――ッ!」


ベルザムが叫んでいる。

しかし情けも容赦もなく無慈悲に、その牙は一人の少女に振るわれた。

肉が裂けて骨が砕ける、実に嫌な音がした。真赤な血がボタボタと大量に地面に落ちて広がっていく。


「あ、あぁ……」


背後で成村の声が聞こえた。


「だ、大丈夫か……ちよ……」

「ユウ、くん……」


血を流していたのは、俺だった。

あの一瞬で、俺は獅子と成村の間に割って入ったのだ。俺自身もよく覚えていないが、とにかく身体が勝手に動いたとしか言いようがない。

横目で成村に怪我が無いことを確認し、少し安堵する。


「ユウくん、それ、腕が……」


成村がまともに喋れないのも無理はない。俺の右腕には獅子の凶悪な牙がいくつも突き刺さり、がっちりとホールドされていた。今になって信じられない激痛が襲ってくるが、やつの牙は一本一本が細く鋭く無数にあり俺の力では振りほどくことが出来ない。

獅子が顎に力を入れ、無数の牙がより深く突き刺さる。


「があ゙あっ、いってぇええ――ッ!!離せ……クソがっ!!」


咄嗟に腰に差していた剣を左手で抜き、逆手に持って奴の目玉に突き立てた。

目玉を潰された獅子は鼓膜が破けるほどの叫び声を上げ、その勢いのまま突然山の斜面を登り始た。その影響で奴の口に繋がったままの俺の体は引っ張られて宙に浮く。串刺し状態の右腕に全体重が掛かり、奴が地面を蹴る度に激痛が走った。

先いた場所は見るまに遠ざかり、成村達の姿は森の木々で見えなくなってしまった。しかしそんなことはお構い無しに獅子は森の中を突き進む。


「ぐあああっ、いっでええええ!!くそっ離せこのっ!死ねっ――!」


ぶら下がりながら獅子の首元に蹴りを入れるがビクともしない。

痛みで滲み出た涙が置き去りにされるほど猛スピードで突き進む。

獅子が走る度に宙ぶらりんの俺の体は木々にぶつかり、トラックに跳ねられた様に死にかける。ただ次の瞬間には〈超回復〉で即座に全身が回復されていた。ただ噛み付かれたままの腕だけはいつまでも回復しない。

獅子は斜面を駆け上がり、俺は激痛に耐えて数分後だ。獅子は突如走るのをやめ急ブレーキを掛け、ようやく噛み付いた俺の腕を離して吐き捨てるように地面へと放り投げた。


「うがっ」


地面をみっともなく転がったあと起き上がって見ると、腕の傷諸共全ての傷が塞がっていた。あの深い傷が骨まで即完治している。超回復の効果がこれ程までとは流石に思ってもいなかった。しかし今は感心している場合ではない。

俺は目の前に悠々と佇む金色の獅子を睨みつけた。

突然現れ成村を殺そうとしたと思えば、今度は俺をこんな場所にまで連れてきたように思う。一体何を考えているか全く読めない。そもそも魔物に考えなんてものがあるのか分からないが。


「お、連れて来たみたいだな。しかしおい、お前他の連中殺そうとしただろ」


声が聞こえた。男の声だ。


「ダメだぞ〜?勝手に食ったら」


獅子の後ろから突然現れたのは、ローブを身にまとった金髪の男だった。どうやら俺ではなくこの獅子に話しかけているようだ。ということは、この獅子を操っていたのはこいつということか。


「お前はもう帰ってろ」


男がそう言うと、獅子は金色の光の粒となって一瞬にして消えてしまった。


「あ、あんた一体……」

「ん?ああ俺か?俺はルーナス、ルーナス・マテグリィ。フェルマニア王国第二騎士団団長だ、よろしく」

「第二騎士団長……?!」


何故そんな奴がここにいるのだろう。それにさっきの怪物はどう見ても奴が操っていた。一体何が起きているというのか。

俺が混乱していると、ルーナスと名乗る男は懐から何やら水晶玉のようなものを取りだした。


「姫さん、最初はどーするんだっけ?」

『うーんそうね、どうしましょうか』


どういう原理かは分からないが、水晶からは女の声が聞こえてくる。


『決めたわ、まずは右腕にしましょう』

「はいよ」


男がそう言った瞬間、俺は右腕に意味不明な感覚を覚た。

理解が追い付くのに数秒の時間を要し、そして恐る恐る自身の右腕を見やった。


「あ……」


喉から変な声が出ると共に、猛烈な痛みが襲いかかってきた。


「ぐっあ゙ああああ――ッ!!」


右腕、いや右肩から下が無かった。正確には切り落とされていたのだ。

俺は痛みに耐えかねて身を捩りながら倒れ込んだ。しかし切り落とされた右腕はすぐに再生した。

驚いて手を凝視しながら握って開いてを繰り返す。痛みもない。

目の前を見るとルーナスはいつの間にかその手に細身の剣を握っていて、


「姫さん、次はどうする?」

『左腕よ』


それを聞いた瞬間に逃げ出した。間違いなく人生で一番の全力疾走。恐怖ですくみそうな身体を必死に抑え込み、全身全霊を込めて森の中を駆け抜けていく。

――死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!殺されるっ!


奴らの話から察するに、あれは確実に俺を痛めつけるつもりだ。拷問するつもりだ。冗談じゃない。腕を切られただけであの痛みだ。絶対に嫌だ。

感じているのは絶望的な恐怖だけ。


「うあっ」


左足に違和感を覚えすっ転んだ。

一瞬遅れで左足に激痛が走る。


「ぐあ゙あああああっ!!」


いつのまにか左足が切り落とされている。しかしまた一瞬にして足は再生した。

痛みもない、まだ走れる。そう思って走り出そうとしたその瞬間、


「逃がすかよ」

「あ゛ああああッ!!」


次は右脚が切り落とされた。

しかし再び再生する。


「おいおい、斬った側から生えてくるぞ。どうなってんだこりゃ?」


ルーナスは余裕綽々と歩いて来た。


「どうすんだ姫さん?」

『そうね、ならお腹を刺しなさい』

「ま、まって――」


水晶からそう聞こえると、ルーナスは躊躇いなく俺の腹に剣を突き立てた。

熱を帯びた激痛と異物感が腹に広がっていく。


「ぐ、はっ――」


剣が引き抜かれると腹部の傷は跡形もなく完治する。


『もっと痛めつけなさい』

「はいはい」

「や、やめ――」


俺の声も虚しく、ルーナスは気だるげな目のまま、その後幾度となく俺の腹に剣を突き刺した。

つまらなそうな目で内臓を掻き回し、引きずり出した。

悪魔だ。

そう思った。

内蔵をグチャグチャに弄ばれるた度に痛みで意識を失いそうになるが、〈超回復〉がそれを許さない。何度だって幾度だって、俺をこの非常な現実へと呼び戻す。


「ぐ、あ……」


口から血の塊が飛び出して、鼻腔に吐き気を催す鉄の臭いが充満している。


『もう飽きたわ、殺しなさい』


残酷な命令が聞こえた。

真上からルーナスが、まるで虫けらでも見ている様な顔で俺の身体を踏みつけて剣を振り上げる。

死という言葉が脳裏に浮かび、奴の剣は見事に俺の心臓を貫いた。


「ぐはっ」


だがしかし、地獄はこれで終わらない。


「おい、嘘だろ。死なねぇのかよ」


超回復は破壊された心臓すらも瞬時に回復させる。俺はまだ死ねないようだ。


「ならこれでどうだ」


ルーナスは再び剣を心臓に突き立てた。しかし剣は突き刺さったまま、引き抜かれることは無い。いくら回復能力に優れていようとも、剣が突立ったままでは回復の仕様がない。つまり治らない。


「ぐっ、あ……」


しかし俺は未だ生きている。

しぶとくも呼吸までしている。


「おいおい、まじか。……なるほど、自身の身体を常に最も健康な状態にする。つまり心臓が機能していなくても常に全身に酸素も栄養も行き届いている状態なわけだ。超回復、俺も欲しいな」


――そういうことか……しかし何でこいつが超回復のことを……いやそれより早く逃げないと……。


「よし決めた。頭を潰してみよう」


ルーナスの言葉にゾッとする。流石の超回復も、頭を破壊されればどうなるかは分からない。今度こそ死ぬかもしれない。ダメだ、それだけは。

俺を踏み付けるルーナスの足を掴み、必死に抵抗するがビクともしない。今度こそ殺される、そう思った時だった。


『待ちなさい、いいことを考えたわ』


冷えきった女の声が聞こえた。


――――――


――――


――


両腕両足には複数の小さな刃が骨まで砕いて突き刺さり、垂れ流れる血と激痛が止まらないでいる。このままでは両腕両足は使い物にならない。

そんな状態の俺をルーナスは軽々担ぎあげ、山道をずっと登り続けている。もう時期頂上に辿り着く頃だ。


「な、なあ助けてくれよ、頼むよ。お願い、お願いします……お願いだから、なあ……おい、聞いてんだろてめぇ!!」


俺は力任せに怒鳴り散らすが、ルーナスは騒ぎ立てるこちらには見向きもしないでただ淡々と歩みを進める。

あの女とルーナスの会話は聞いていた。この後何をされるのかも知っている。だからこそ必死でこの男に助けてくれと懇願していた。だが何を言っても聞く耳を持たぬどころか、相手にもして貰えない。

そして――


「よーしついたぞ、火山火口だ」


絶句した。

爀、そこから見える景色は爀一色。熱と赤い光が皮膚にぶつかる。大地が溶けて流動しているのが見える。理科の教科書でしか見たことのなかったそれは、想像通りの色と熱と光を放っていて、唯一想像と違うことはその迫力だった。

落ちれば終わり。触れれば終わり。問答無用で一切合切を焼き払い、融解させ、蒸発させるに足る圧倒的なまでの熱量。

これはダメだ。いくら何でも、ここに落とされる訳にはいかない。


「た、頼むよ……なぁ。そ、そうだ、ゆ、勇者!勇者イチガミと友達なんだ!一神だけじゃない、星野だって、成村だって、桐山だって!ア、アリス……あいつも!あいつも俺の友達なんだ!だから、あいつらに話を聞いてみてくれ……こ、これは何かの間違いで、お前らは俺を誰かと勘違いしてる……なぁ、だからさぁ………………なあっ!!」


必死の弁解は、ただ友達の名前をひたすら羅列しただけのもの。しかし、それで十分だろう。あいつらは勇者と、王女で。


――王女……?そう言えば、この男が水晶越しに呼んでいた、姫さん……この国に王女は三人。アリスを除けば実質二人。そして俺に恨みを持っている、となれば……。


頭の中で全てが繋がった。と同時に、俺はアリスの名前を出したことを後悔した。

早く弁明しなければとそう思って、


「ま、待ってくれ……い、一神、一神と話をしてくれ!あいつなら……あいつならきっと……!」


助けてくれる、そう言っていた。だからきっと助けてくれる。話さえ出来れば。

そうだよ、あいつは、友達なんだから。


『あっははははは――――っ!』


聞き覚えのある、嫌味な笑い声が聞こえてきた。やはりあの女、第一王女。


『勇者イチガミね。彼らならもうとっくにこの森を離れているわ』


――は?嘘つくな。


『来る時にあなたも乗っていたあの馬車で、今は王都に向かっている頃でしょうね』


――嘘つくな。


「みんな獅子の獣を恐れて――――あなたを見捨てたのよ」

「嘘つくなッ!!」


声が荒らげた。

そんなはずないと信じているからこそ。

信じている、彼らは今頃必死になって俺を探しているはずだ。

大丈夫。あいつらが裏切るわけない。あいつらが俺を見捨てるはずない。だってあいつらは普通の奴らとは違うんだから。あいつらは、友達なんだから――。


『――――――』


水晶に映し出された映像は、俺達が乗ってきた馬車が颯爽と走り去って行く姿だった。馬車の窓から思いつめた様な一神の顔が見えている。

こんなもの幾らでも偽造できる。こんな映像何の証拠にもならない。分かっている。分かっているのに、折れた。


「…………ぅ」


涙が熱風に飛ばされていき、久しく忘れていた感情を思い出す。

俺の身体が宙に投げ出された。

そして聞こえた。


『さようなら、アマミヤ・ユウさん』






――俺は、人間が嫌いだ。









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