第12話 誓い
この地獄に落ちて、一体どれ程の時間が経っただろうか。一瞬で溶かされ一瞬で治りまた一瞬で溶かされる。まるで無限にも思われたこの地獄にようやく終わりが訪れた。
幾百、幾千、破壊と治癒を繰り返し続けた身体は、いつしか灼熱に対する耐性を得ていた。勿論全ての熱を防ぎきることは叶わない。しかし身体に伝わる熱の進行速度が著しく低下したことにより、熱が身体の内部に到達するより先に皮膚が修復されるようになった。
熱による影響が皮膚を溶かすまでにとどまっているということは、筋肉や骨へのダメージは無いということ。つまり、今は体が動かせる。
「……………………うっ」
下から突き上げるように流動するマグマの波に身を任せ、ついに辿り着いた先で高温に熱された岩を爛れた腕で掴む。
息の出来ない苦しみと皮膚が死滅する痛みに耐えながら、掴んだ腕に力を入れて無様にみっともなく崖をよじ登って行く。
ようやく終わる。
天から降り注ぐ光を目にして涙が滲む。その光を目指して這い上がる。
そしてついに――
「――――――っ」
火山の頂から見えた先には、どこまでも澄み渡る青い空と風に揺れる鮮やかな緑が立ち並んでいた。
別に、なんてことのない景色。この程度なら日本でだって見られるかもしれない。だけれど何故だか、俺にはその景色が嫌なほど美しく見えて、何か大切なもののように思えて、涙が溢れて止まらなかった。
力なく、地面に膝を付く。
「ははっ……」
泣きながら、笑いが零れた。
先程まであれだけ死にたがっていたと言うのに、今では生きていることにどうしようもなく安堵している。そんな自分への呆れ。
そして――
「あ゙ぁああ゙あああああ――――ッ!!」
怒号と共に地面を殴り付けた。底から湧き上がってくるこの真黒な感情を、ただ力任せに叩きつけた。叩きつけた先から亀裂が走り、大地がめくれ、轟音と共に砂塵が宙を舞う。
「くそがぁあ゙ああぁ――――ッ!!」
嫌いだった奴ら、仲間だと思っていた奴ら、俺を地獄に突き落とした奴ら。そいつらの顔が頭の中を埋めつくして、腹の底がぐちゃぐちゃになって、もういっそ全部をぶっ壊してやりたくて、力一杯その拳を叩きつける。
「はぁっ……はぁっ…………」
肩で息をしながら傷一つ無い拳を固く握りしめ、胸に抱き寄せた。
「これで……終わりにしよう…………」
誓った。
「俺はもう……誰も…………」
元々無いに等しかった奴らへの信用は、奈落の底へと失墜したのだった。
*
現在が一体何日の何時なのか、俺は知らない。マグマの中に落とされてからかなりの時間が経過したはずだ。体感では確実に数日はたっているはずだが、地獄のような苦しみだったために長く感じていただけという可能性も捨てきれない。マグマに落とされる前の太陽の位置から考えれば、確実に日はまたいでいる。
もしかしたら一神達が戻ってきて今も俺を探しているかもしれない。そんな甘い考えが一瞬頭に過りかけ、首を振ってそんなはずないとそれを否定した。あいつらは俺を見捨てたのだ。今更俺なんて探しに来るはずもない。
俺はあの時確かに見たのだ。水晶に映し出された馬車の中に、被害者ヅラした様な暗い顔で俺を置いていく一神達の姿を。「自分だって辛いんだ。でも仕方ないんだ」そんな奴らの言い訳が表情から滲み出ていた。
結局はあいつらも薄汚い人間共と同じだ。自分達が危険となれば、仲間だの友達だの関係なく裏切り見捨てるんだ。
思い返しただけで腸が煮えくり返る。
もうあいつらのことは忘れなければ。俺はもう誰も信用しない。たとえ一人でもこの世界で生きていくのだ。
「まずは服が必要だな」
現状俺は素っ裸だ。当然だがマグマで俺の衣服は跡形もなく消し炭にされ、ボックスリングもどこかへ行ってしまった。無一文どころか服さえない。これは問題だ。
唯一幸いだったのが、燃えて無くなった髪の毛が元の長さまで再生されていた事だ。
髪の毛は人体の器官の一つで、外部からの衝撃や紫外線、気温の変化から頭部を守る役割を持っていると聞いたことがある。どうやら〈超回復〉のスキルに、髪の毛がないのは健康な状態ではないと判断されたようだ。
「とにかく森を抜けよう」
俺は裸のまま素足で山を下る。ある程度歩くと森を抜けて平坦な道に出た。この辺りに俺達の乗ってきた馬車は止まっていた。しかしその馬車は何処にも見当たらない。
分かっていたことだ。何もショックなことなんてない。
そんなことより、まずは何としても服を調達しなければならない。そうこう考えていると、丁度いいところに馬車がこちらへ走ってくるのが見えた。俺達が乗っていたものに比べれば高級感はないくが、大きさは結構ある木造馬車だ。おそらく物資か何かを運んでいるのかもしれない。
よし、脅して服を奪おう。そして近くの村や街まで運ばせてやる。
俺は直ぐに近くの茂みに隠れ、その馬車が近づくのを待った。無防備にカタカタと近づいてくる。そしてその距離はおよそ50メートルというところで、
「止まれぇえ!!」
野太い声が響いた。俺が叫んだのではない。
声の主は突然茂みから現れた数人の男達だった。数は五人、剣やナイフを片手にヘンテコな格好をした男達が馬車の眼前に飛び出したのだ。そしてその内の一人が、躊躇なく熱魔法の火球を打ち出した。
火球が地面で弾け、驚いた馬が悲鳴をあげて緊急停止した。
「な、何だお前達は!?」
「見てわかるだろ?俺たちは山賊だ。死にたくなければ荷物を全部置いていけ」
馬車を操縦していた御者の男に対して、熱魔法を使っていた大柄の男は下卑た笑を浮かべながら要求を突きつけた。何となく、この男が親玉だろう。
「ふ、ふざけるな!これは家の商売道具だぞ!」
「ほう、嫌ならいいんだぜ?そのかわり殺して奪うだけだがな」
「――くっ」
馬鹿なやつだ。戦力差を考えてものを言え。積荷を渡す以外に選択肢は無いだろうに。
「お頭、積荷を確認してたら……こんな奴がいやしたぜ!」
「嫌っ、離して……!」
「――ミーナ!!」
一人の部下が馬車の荷台から一人の少女を引っ張り出してきた。少女は俺より少し年下くらいだろうか。茶色い髪で一般的な目線で見れば可愛い部類に入る顔立ちをしている。御者の男の娘か何かだろうか。
「ほお、まだガキだがかなりの上玉だ。よし、このガキも頂いていく」
「やめろ!娘を離せ!」
父親の男は大声を張り上げるが、
「面倒だ、父親は殺せ」
親玉が言うと、周りの部下たちはヘラヘラと笑いながら武器を構える。
そして一人が手に持つ剣を振り上げたその時。
「――ぎやぁああああ!!」
剣を握っていた男の腕が宙を舞った。
くそっ、外したか。
不意打ちで俺が放った風の刃が、男の腕を切断したのである。
「だ、誰だ!出て来やがれ!」
少し迷ったが、出ていくことに決めた。
これまでの経験から嫌という程自分のしぶとさを理解している。死なないのなら勝機はあるはずだ。
頭の中でシミュレートする。まずは飛び出しざまに手前の男を殴り飛ばしてナイフを奪う。そのあと隣の男の首にナイフを突き立て、その後は親玉を狙おう。仮に刺されたりしたら死んだフリして奇襲をかける。
大体のシミュレーションがイメージ出来たところで、覚悟を決めた。
俺は全力で茂みから飛び出そうと、力強くその一歩を踏み出す。
がしかし、
「うぉっ――!?」
踏み込みが強すぎて地面が割れ、一瞬で相手の目の前まで飛び出した。しかしもう止まることは出来ない。
俺はそのまま手前にいた男の顔面を渾身の右フックで殴り飛ばす。
瞬間ぐにゃりとした感覚が手に伝わったと思うと、男の下顎が千切れ、反動で体がくるくると回転して吹き飛んだ。
驚いたが、瞬間的に理解した。
――分かった、全力はまずい……。
「て、てめぇ!?」
声が聞こえた方にはナイフを持った男がこちらに刃を向けていた。
軽く、軽く、そう念じながら男の腹部に前蹴りを入れる。
「ぐぶっ!」
血を吐きながら男は数メートルの距離を転がった。
今ので大体の加減が分かった。
すぐにターゲットを変える。
狙いは失った腕を抱えてのたうち回っている男。
ステップで踏み込み、腹に拳をめり込ませる。
「がはっ!?」
体が宙に浮き、その後膝から崩れ落ちる。
続いて、
「ひ、ひぃっ……!」
俺が視線を向けると、少女を捕まえていた男が悲鳴を上げた。酷く怯え目が泳いでいる。
「く、来るなぁっ!」
俺が一歩を踏み出すと、その男は少女から手を離し後ずさりしながら武器を構える。少女を盾にしていれば、少しは時間が稼げたろうに。
腕を前に突き出して、魔力を込める。
属性は風、形状は刃、狙うは脇腹。
――切り裂け。
圧縮された空気が刃の形に変形。勢いを与えられ、男の腹部を深く切り裂き鮮血を飛ばした。
「ごばっ」
――あ。
男は口から血を吐き出して、その場に倒れ込む。傷が深すぎたらしい。やはり精度が甘いようだ。この傷ではもう助からないかもしれない。
「…………て、てめぇ……何してくれてんだぁ!!」
その声に振り返れば、先程より大きな火球が宙に浮かんでいた。部下が全員やられ、ようやく動き出したらしい。
「死にやがれっ!!」
至近距離で放たれた直径三十センチ程の火球が迫り来る。
その瞬間俺の視覚が、敵の動き火球の動きをまるでスローモーションの如く捉えた。
こんなノロマな攻撃に当たるわけが無い。
俺は冷静に、そしてあっさりと左手でそれを払い除けた。
「なっ!?」
高熱に対して耐性が出来ていたのは直感で理解出来ていた。しかし微塵も熱さを感じない。むしろ、
「ぬるいな……」
そう呟いて、俺は男の顔面に拳を叩きつけた。大柄の男は背中から地面にダイブしてピクリともしない。死んではいないはずだ。
ただ最初に下顎を吹き飛ばしてしまった男と腹部を切り裂いた男はもう助からないかもしれない。腕を切断した男も、処置が遅れれば死ぬだう。
まあ、どうでもいいが。
人を殺したかもしれないと言うのに、心が酷く冷めた感覚だった。俺の知ったことじゃないとそう思う。人を殺して物を奪おうとしたのだ。返り討ちに会う覚悟くらい出来ていただろう。精々這い蹲って死ねばいい。
それよりも、こいつらから奪えるものは奪っておこう。まずは服だ。
俺は血がついてなくて一番汗臭くなさそうな男の服を引っペがして着る。
「うぅわ、ダサ、臭っ。まあいい少しの間我慢だ。他にも何か奪えるものは……」
物色すると、親玉の男の持ち物から小汚い麻袋が出てきた。中にはいくつかの種類のコインが入っていた。もしかして硬貨だろうか。これはありがたく頂戴しておく。他に使えそうなものはナイフくらいか。
「な、なぁあんた……助けてくれてありがとな」
「あ、ありがとう……」
俺がひとり盗賊たちの持ち物を物色していると、御者の男と少女が話しかけてきた。
そう言えば助けたんだった。
俺は当然馬車を操縦出来ないし道もわからない。盗賊たちが馬車を乗りこなせるかは分からないし、俺の脅しに従わなかったかもしれない。だからこの男を助ける選択をとったのだ。
「あぁ、いいよ。その代わり近くの村か街まで運んでくれないか?」
「あ、ああ。そんなことでいいならお安い御用だ」
俺は早速馬車の荷台に乗り込む。
「それじゃあ、出発するぞ」
そう言って男は馬を走らせた。
しかし荷台には大きな木箱や樽なんかが沢山積んであって思った以上に狭い。確か御者の男は商売道具と言っていた。
「窮屈ですまないな。それはウチの商品なんだ。ポーデの村で作られる酒が評判良くてな、わざわざ出向いて大量仕入れしちまったんだ。だがそのエールの味は格別だぞ」
「酒屋か」
「ああ、宿と酒場の兼営だ」
宿と聞いて、今後の寝床はどうしようかと考えた。
「ねえ、お兄さんウチに泊まっていきなよ!勿論タダで!ねーお父さんいいでしょ?」
少女は元気な声で提案する。
「そうだな、あんたが良いならウチに泊まってくれてかまわない。金も要らねぇ。命の恩人から金なんかとったら、カミさんに怒られちまう」
盗賊から奪った金もいくらあるか分からないがそんなに多くはないはずだし、ありがたい申し出だ。しかしその肝心な宿とやらは何処にあるのだろう。
「そう言えば、今どこに向かっているんだ?」
「ああ、王都だ」
げっ、まさかの王都行きか。
王都なんて彷徨っていて見つかりでもしたら、また狙われかねなない。いいや、流石に第一王女達も俺は死んだと思っているはず。上から見ただけだが王都はかなり広かった。人も多い。それに俺の顔を知っているのは貴族の連中と城内の一部の人間だけだ。城にさえ近づかなければ見つかる可能性も低いと言える。だが俺は異世界人、日本人顔に黒髪黒目だ。目立つんじゃなかろうか。
「なあ、ひとつ聞きたい。俺のこの黒髪は珍しいか?」
「ん?黒髪なんて別に珍しくもねぇと思うが」
「私のお母さんも黒に近い茶髪だよ?」
なるほど、黒髪が珍しいということはないらしい。なら顔さえ隠せばバレる危険性もない。
いやまて。
「なあ、何で俺を泊めてくれる?それも無償で。丁度行くあてのない俺の前に、偶然出会った奴らが宿屋の経営主で……おかしくないか?」
こいつらがあのクソ女たちの仲間だという可能性がある。俺を宿に泊めると見せかけて、そこに奴らが待ち伏せしているとか。こんな場所で盗賊に襲われている奴らに遭遇するなんて、そもそも出来すぎている。じゃああの盗賊たちもグルの可能性がある。また俺を騙して――
「ふふっ、変なこと聞くのね。そんなのお兄さんが助けてくれたからに決まってるじゃない」
「…………、」
少女が無邪気に笑ったのを見て、ふと我に返った。
「そうそう、あんたは俺だけじゃなく娘の命お恩人でもあるんだ。礼くらいさせてくれよ」
バカか、考えすぎだ。子供連れでそんなことするか。そもそもそんな回りくどいやり方をせず、あの男が直接来るに決まっている。
「す、すまない……寝不足で……」
我ながら意味のわからない、酷い言い訳をしている気がする。
「ふふっ、変なの。そう言えば何でお兄さん裸だったの?」
「あ、えと、盗賊に持ち物を奪われて……」
「「え……?」」
いいや、間違いなく酷い言い訳だ。
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