第8話 変化

自室のベッドに潜り込み、俺はパーティーの時のことをずっと考えていた。

あの時、俺は何故あんな行動をとったのだろう。どう考えても正気じゃなかった。これまで築き上げてきたものを全てぶち壊しかねない、それどころかあと少しで死ぬところだった。一体何が俺にあの行動をとらせたのか、いくら考えても理解出来ずずっとモヤモヤしている。

この世界に来てからというもの、俺の心は乱されっぱなしだ。

前の世界にいた頃は極力人との関わりを避けてきた。笑顔を作るのも会話を交わすのも、俺が必要と判断した時のみだった。だがこの世界で生きるにはどうしても彼ら彼女らと関わっていく必要があり、どうしても奴らの言動がその都度目に付くのだ。

俺はメリットなしに行動したりしない。だからこそ混乱している。メリットどころかデメリットだらけの自分の行動に到底理解が及ばないでいた。

そうして俺がベッドで蹲っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。パーティーも終わり、今は深夜だ。こんな時間に一体誰だろうか。

部屋のドアを開けてみる。


「アリス……」


そこには寝巻き姿のアリスが突っ立っていた。廊下に付いている薄暗いランプの光がアリスの顔をぼんやりと照らしている。ただその顔は普段の彼女からは程遠く暗い表情で、


「アリス、こんな時間にどうしたの?」

「その、雨宮さんにお話が……」


周囲に護衛や見張りは居ないようだ。一人でこっそり来たのだろうか。


「そんな所に居ないで、中に入りなよ」


俺はアリスを部屋へ招き入れた。

俺はベッドの上にどかりと腰掛け、彼女にも「座ったら?」と隣をぽんぽんと叩く。しかしアリスは暗い顔のまま一向に座ろうとしないので話を切り出すことにした。


「それで、話って?」


長話をするつもりは無いので単刀直入に本題を尋ねる。

アリスは神妙な面持ちで少しの間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。


「その、雨宮さん、今日は本当に申し訳ありませんでした……」


アリスは随分と畏まって深々とその頭を下げた。

彼女が謝っているのはパーティーでの一件のことだろう。彼女には全くと言っていいほど落ち度はないし、謝る理由などないはずなのだが、そんなことを言うために態々こんな時間に俺の部屋までやって来たようだ。

彼女が随分勢い良く頭を下げるものだから、つい俺も慌てて立ち上がる。


「謝らなくていいよ、アリスは何にも悪くないじゃんか」

「そういう訳にはいきません!これは私の問題……。それなのに、雨宮さんを巻き込んで、命の危険に晒してしまいました……」

「ありす――」

「私が不甲斐ないばかりに、雨宮さんまで馬鹿にされて……それでも、私を庇って下さって……」


声が上ずっている。頭を下げたままで顔が見えないが、落ちる涙が頻りに絨毯を濡らしていく。ここから見えた震える彼女の小さな背中から、負い目や後悔、そしてどんな罰でも受け入れようという覚悟が伝わってくる。


もう、分かっているのだろう。

この涙が嘘だなんて、そんなことあるはずが無いことも。損得勘定なんて無くて、彼女が心から俺の事を思って言葉を紡いでいることも。この少女が、優しい人間なんだってことも。

彼女たちといると、自分がわからなくなる。人間なんて嫌いなはずだった。人間なんて絶対に信用しないと心に決めていたはずだった。なのにどうして、この人に泣いて欲しくないと思ってしまうのか。


本当はもっと前から気づいていた。

アリスが笑って接してくれていた時から、アリスが俺を心配して医務室に来てくれた時から、彼女の優しさにとっくに気がついていた。

アリスだけじゃない。一神も、星野も、成村も、桐山も、こいつらは打算なんて無しに俺を見てくれていたのだ。

きっと俺が見ないふりをしていただけ。


「アリス、顔を上げて」


アリスがゆっくりとその顔を上げてこちらを見た。綺麗な顔が涙で酷いことになっている。

俺は指先でアリスの頬に掛る涙をそっと拭った。


「俺は大丈夫、全然気にしてなんかいないよ。ワインをぶっかけたのだって俺が勝手にやったことだ。それに俺は今こうして生きてる。だからアリスが涙を流す必要なんてひとつもない」

「雨宮さん……」

「だから笑ってよ。俺はアリスの笑った顔が好きなんだ」


俺はアリスに笑いかけた。

多分これも、偽りの笑顔。自分でももう何が本当なのかが分からない。ただ一つ言えるのは、彼女に笑っていて欲しいというこの想いだけはきっと本物だということ。


「………………はいっ。ありがとう、ございます」


アリスは笑った、あの笑顔で。

認めるしかない。

彼女を貶されて腹を立てたのも、彼女に泣いて欲しくないと思うのも、成村達の真直ぐな瞳に劣等感を抱くのも。全部、こいつらが俺の嫌いな人間と違うから。こいつらのことが、嫌いじゃないからだ。

見ないようにしていた。

全員クズだと思っていた。

人間という言葉でひとくくりにして、こんな奴らがいるなんて考えたこともなかった。でも違うのだ。こういう奴らもいる。だから、こいつらのことくらい、ちゃんと見てやっても良いのではないだろうか。少しくらい、信用してやっても良いのではないだろうか。

少しだけ、見方を――。


胸の奥がちょっとだけあたたかく、得体の知れない何かがじんわり溶ける様な感覚がした。




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