第6話 嫌悪すべき想い

この城のトイレはかなり綺麗だ。城の造り自体は石で趣があり古くから使われていることが分かるが、恐らく城中の部屋という部屋は最近リフォームされたのだろうと思うほど綺麗な内装をしている。

くもりひとつ無い鏡に映り込む自分が見えた。


「くそっ……」


壁のタイルを殴りつける。

ついさっきの、あの成村の笑顔が頭から離れなくて無性にイライラしていた。この感情を知っている。これは悔しさ。

打算なく向けられた無垢な笑顔に、俺は負けたのだ。常に損得を滲ませる汚れきった偽りの笑顔しか出来ない俺に、彼女は無知な笑顔で殴りかかってきた。

これまで散々人の顔色を伺って来た俺だからわかる。あれは多少なりとも信用のある人間に向ける顔だ。男嫌いの彼女が勇気を振り絞って、最初に心を近づけた相手が俺だなんて。それに罪悪感を覚えてしまうだなんて。人間嫌いの俺が、そんな感情を抱いてしまうなんて。

今までの俺の全てを否定された気がして、俺はみっともなくその場から逃げ出した。はなから信用を得ようとして近づいたのに、その兆しが見えた途端に怖くなって逃げ出すとは、何とも滑稽な話だ。


「はぁ……何やってんだ俺」


何だか馬鹿らしくなってきた。早く戻って成村に謝ろう。突然走り去ったせいで変に思われているはずだ。少しとはいえ、俺に信用を向けてくれたのならばそれでいいじゃないか。所詮はどうでもいい人間、俺が罪悪感を抱く理由なんてない。

俺は再び訓練場に戻る事にした。


訓練場に戻ると、遠くに成村と星野が話している姿が目に入った。さっさと謝ってしまおう、そう思い成村達の方へと駆けていく。


「おーい、なり……じゃなかった、ちよ――」

「おい!バカ止まれ!!」


横から大声が聞こえたその瞬間、目の前が真っ白になった。


――――――


――――


「――おい!しっかりしろ!おい!」

「っ!?」


目を覚ますと、何故か目の前に強面の顔がある。

桐山大河だ。状況が読み込めない。

慌てて飛び起きると、一神達が心配そうに駆け寄ってきた。


「優、大丈夫か?」

「光汰……俺どうして」

「桐山くんの雷の魔法が当たっちゃったんだよ」


星野が事情を説明してくれた。どうやら俺の不注意で、桐山の魔法射線上に入り込んでしまったらしい。


「俺、何分くらい気を失ってた?」

「ほんの一瞬、二、三秒で飛び起きてたけど……」


身体は全然痛くない。気分も悪くない。普通電撃を浴びたら死ななくとも火傷なり体調不良なりを起こすものだが、もしかしてこれは〈超回復〉の影響なのだろうか。


「とにかく早く医務室に……」


桐山が随分焦った様子でそう言った。

意外だ。てっきり桐山のことだから、「確認もしねぇで入ってきやがって。俺の邪魔してんじゃねぇぞ」とか言い出すと思ったのだが。そんなまさか、もしや責任を感じているのだろうか。


「いや、俺は全然平気だよ。怪我とかもしてないみたいだし」

「ダメだ、早く行くぞ」

「え、ちょっ」


桐山は俺の腕を掴み引っ張り上げる。いくら力があっても人一人をこうも易々と、これもステータスの恩恵か。しかしさっきから桐山が何をしたいのか全く読めない。俺を心配しているなんて、そんなこと有り得ないだろうし。

一神達もぽかんとした顔で俺を医務室へ連れていく桐山の背中を眺めていた。



城内の医務室は学校の保健室に似ている。当然保健室より数倍大きく、ここへ訓練などで怪我した兵士たちが運ばれて来るのだろう。

俺はベッド上の白いシーツに腰掛け、絶妙な気まずさを感じていた。


「あ、ありがと桐山……くん」

「桐山でいい」

「あ、桐山……ここまで運んでくれて」

「別に、大したことじゃねぇ」


苦笑いしながら、混乱した脳内で必死に考えを巡らせる。

何なんだこいつマジで。一体何が目的だ?俺に恩を売るつもりか?いや俺みたいな弱い奴に恩を売ってどうなる、メリットがない。何だ……何が狙いなんだ……。


「そ、」


俺が思考していると、桐山の口が動いた。


「そ?」

「その、悪かった……俺がもっと注意してたら……」


桐山の表情を見て、俺は歯を軋ませた。その表情が、どう見ても心配とか負い目とかそんな彼の感情を匂わせるからだ。

嘘だ、俺は騙されない。

俺は知っているんだ。人間は自分にとって益の無い者にそんな感情を抱いたりしない。こいつにとって、俺なんてどうでもいい存在の筈だ。俺みたいな役立たずが死のうが生きようがこいつが得することなんて何もない。そんな奴相手に心配だとか、申し訳ないだとか、そんな訳ないだろうが……。

心の中に表現仕様のない怒りにも似た感覚がある。それを噛み殺して、


「ありがと、心配してくれて。桐山って意外といい人なんだね」

「ば、バカ言うな……っ。俺は、ただ自分のせいでお前に何かあったらその、寝覚めが悪いだけだ」


嘘だ、信じない。

心の中で呪文の様に、俺は唱えている。

そうて必死に気持ちを落ち着かせ、桐山に問いかけた。


「ねぇ桐山、俺と友達になってくれない?」

「――なっ、は?なにをっ」

「桐山は良い奴だよ。友達になりたいって思うの、当然だよ」

「ばっ、…………。」


桐山は黙り込んでしまった。

本当はこんなやつ、味方に付けておく必要も無い。ただ何となく、桐山という人間が気になった。ただそれだけの理由で俺は仕掛けた。俺は、こいつの醜い本性を知りたいと思った。


「お前、俺が怖くねぇのかよ……」


やっと喋ったと思ったら、桐山は突然暗い顔を見せた。

桐山大河という人間は元いた高校で知らぬ者はいない、それ程に恐れられた存在だった。それは彼が不良だから、目付きが悪いから、喧嘩三昧の日々だから、ただそれだけの理由では無い。本当に彼を恐怖の象徴たらしめたのは彼に付きまとう噂、人を殺したと言う噂だ。彼と同じ中学だった連中が触れ回ったのだ。事実かどうかは知らぬが、日頃の彼を見ていたら確かにやっていてもおかしくない、皆そう思うのだろう。


「怖くなんかないよ。本気で怖いなら友達になってなんて頼んでない。桐山は良い奴なんだって、俺は分かってるから」

「っ、馬鹿じゃねぇのか……」


桐山はそっぽを向いて、そのまま何も言わず医務室の出口へと向かった。

その背中を眺めながら、俺は突然何を言い出しているんだと急に思考が冷えてバカバカしく思えてきた。

その時出口へ向かっていた足音がピタリと止まった。


「しばらくは休んでろよ」


ぼそっと小さな声で呟き、彼は医務室を後にした。その背中を見送った俺はまた、妙な苛立ちを感じていたのだった。


――――


――


医務室のベッドで目を開けた。

室内の壁に取り付けられた時計を確認する。

午後十五時二十分。

医務室に来て眠りについてから、まだ一時間しか経過していない。

近頃の身体の変化には気がついている。全然眠くないのだ。朝も昼も夜も、常に眠気というものを感じない。感じないからと言って眠れない訳ではなく、眠ろうと思えば眠ることが出来る。ただ地球にいた頃は日々眠くて仕方がなかったのに、何だか凄く気持ちの悪い感覚だった。

しかも話は睡眠に限ったことではないのだ。空腹も同様に、朝昼晩常に感じない。とはいえお腹が一杯で食べられないなんて訳でもない。

しかしこの変化はどうやら俺だけのようで、同じ地球人の一神達は眠気も空腹も正常に感じているみたいだ。つまるところこれは俺だけの特性。

原因は恐らく〈超回復〉の効果だろう。

〈超回復〉は常に自身の身体を最も健康な状態にまで回復すると言うもの。この健康な状態とは、空腹も眠気も感じていない、最も身体がベストな状態の事なのだろう。ということはだ、俺は多分酒にも酔えない。もう今後一生疲れ知らずの体で、眠くなることも無く、空腹時の美味しい食事も楽しむことが出来ないのだ。

睡眠食事が必要ないと聞くと物凄く便利なように聞こえるが、実際にはデメリットも大きい。

念の為もう一度〈超回復〉の効果を確認しておこう思い、溜息まじにりステータスを開いた。


――――――――――――――――――――


【雨宮優】Lv.1


性別:男

種族:人間族


体力:14/14

魔力:5/14

筋力:14

防御:14

敏捷:14

感覚:14


〈AS〉

・属性魔法(熱)

・属性強化

・身体強化


〈PS〉

・超回復

・言語理解


〈称号〉

・異世界人


――――――――――――――――――――


「あれ」


またステータスが伸びている。昨日と同じだ。さっきの雷撃を浴びたせいだろうか。やはり傷を負うごとにステータスが上昇する仕組みと考えるべきか。


「いや、アリスに聞いたステータス上昇の条件にそれは無かった。だとすると異世界人の特性、あるいは」

「どうかされたんですか?」

「――わっ」


左耳元から突然声が聞こえ、飛び上がった。


「なんだアリスか……」

「ご、ごめんなさい。脅かすつもりはなかったんですが」


彼女の様子からして俺のステータスの変化には気が付いていないみたいだ。というか、そもそもステータス画面を見られていないようだ。

しかしなぜ彼女がここにいるのだろう。この医務室には今俺しかいない。つまり彼女が怪我でもしていない限りわざわざ俺に会いに来たということになる。


「あのアリス、どうしたの?」

「え?いえ、雨宮さんが倒れたと聞いて」

「つまり……心配で来てくれたってこと?」

「もちろんですよ!」


また嘘を。

舌打ちが増える。

しかし前々から気になっていたことだ。何故アリスという少女は俺に優しくするのだろう。自分で言うのもなんだが、はっきり言って俺は勇者パーティーの中で最弱のお荷物だ。当然俺なんかが魔王を倒すとか、この世界の助けになる何て到底思えない。正直切り捨てられていてもおかしくないのだ。

一神達に優しく接するのなら分かる。あいつらを煽てて良い気にさせておけば、自分を、或いは世界を救ってもらえるかも知れないのだから。現に俺も処世術としてやっている。

だが何故、何の役にも立たない俺に優しく接するのか。心配してくれるのか。答えは単純で、なにか他に魂胆があるに違いないからなのだ。そうに決まっていた。そうでなければ――。


「一神さんたちも、さっき来てたみたいですよ。でも雨宮さんが眠っていましたのでまた後でと……」

「……。」

「雨宮さん?どうか、されましたか?」

「……あ、いや」


アリスの声でハッとした。


「いや、アリスに心配してもらえたのが嬉しくて」

「そ、そんな当然です。だって私達は仲間じゃないですか」


アリスは笑ってそう言った。

その眩しい笑顔が嫌いなのだ。仲間だなんて、どこまでも胡散臭い言葉で俺を騙そうとする、お前たちが嫌いなのだ。

どいつもこいつも、嫌いだ。


「ありがとね、アリス」


気持ち悪い笑顔で、俺は彼女に礼を言った。




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