第192話 見知らぬ青年、再びの件

 ――この気持ちは。


 罪悪感。


 ――な、なんで? どうしてそう感じるの、わたしは?


 アリアはもう一度振り返り、背後の生き物の様子を確かめた。


 生き物は依然、沈黙を保っていた。


 全身を己以外のものをすべて拒絶するかのようにかたい鱗で包みこんでいるが、ところどころ朽ち果て、腐りかけて、どこか生物としての年期を感じさせる出で立ちをしていた。足元には瘴気が渦巻いており、全体像は見えない。まるでゾンビのような、骨が途中で折れ曲がってしまっている両翼は、一羽ばたきすれば世界が終わってしまうかの如き錯覚をしてしまう――竜。


 そう、あれは、竜。


 少女は物陰に身を潜め、息を殺してじっとしていた。巨大なゾンビ竜の前では、恐ろしさでそうすることしかできなかった。


 ――ここで、何をしているんだろう。


 自分自身に問いかけてみるが、何もわからない。精神的に徒労と脱力感を覚え、物陰でうずくまって静かに泣いていた。ところが突然、深い悲しみにうちひしがれるのを阻害するように強い力で手を何者かに引っ張りあげられた。


「!」


 ――誰!


 咄嗟のことで、対応が遅れる。あの巨大な竜以外にも、『敵』がいたかもしれないのに、気を抜いたのは完全なる油断だ。しかし、


「えっ、あなたは……?」


 アリアの手を引っ張ったのは――またしても――見知らぬ、青年だった。


 金髪の長い髪に、涼しげな目元をしていた。利発そうな青年である。

 

 ――どこかで会ったこと、ある?


「えっと、あの……」


 感覚的に、敵ではない気がする。青年は無表情で考えていることが読めないが、真っ直ぐな瞳を見るとそんな気がする。


 青年は顔色を変えないまま口元に手を当てて「しーっ」の形を作り、落ち着き払って


「奴に気付かれないように、ゆっくりこの場から離れるんだ…」


 と言った。


 青年に手を引かれ、二人は巨大な竜から遠ざかった。


 手を引っ張られながら、伝わるぬくもりから感じるこの青年に対する不思議な親近感と胸騒ぎは、一体なんなのだろうとアリアは考えていたが、答えは出なかった。


「この辺まで離れたら、もういいだろう」


 あのゾンビのような竜から逃れ、瓦礫の影に隠れながら、青年は腰をおろした。


「わたしを助けて……くれたんだよね? あの、ありがとう……」


 青年は礼を告げるアリアの方をみず、「いや……」といいかけたところで、驚いたように目を見開いて、アリアの方へ向き直り、まじまじと見つめた。


「! 何? お、お前は……」

「え?」


 青年は立ち上がり後ずさった。まるで幽霊でも見つけたような驚きの表情を浮かべて。


「は…………『母上』…………?」

「えっ……!」


 青年は、自分の口から出た言葉に自分で驚き、口ごもった。


「ではないのか……しかし……?」

「あの……?」


 青年はまた落ち着きを取り戻した。……ように見せかけていたが、動揺は隠しきれていなかった。

 腰元にぶら下げている剣に手を掛け、アリアに尋ねた。


「……お前、名前は何という」


 名前を聞かれて、素直に明かして大丈夫かな、と考えて、こういうときのための偽名だったことを思い返し、伝えることにした。助けてくれたのだから、悪い人ではないと信じたい。


「……アリア、よ」


「……」


 青年は、唇を噛んだ。悲痛そうな顔をする青年を、アリアは心配になる。


「だ、大丈夫?」

「いいっ! やめろ、触るな!」


 差し伸ばした手を払いのけられた。


「母……上……なのか、やはり……」


 ――え!?


「母上……? わたしのことを、そう言ったの?」


 ――というか、また!?


 最近よく耳にする、といっても未だ聞き慣れない単語を、おもわず復唱してしまう。


 これは、夢なのだ。

 ここに来てから、最初から夢だとわかっていたはずだ。


「ああ、わかった。わかったぞ。お前、母上の若かりし頃の姿を模した魔物か? そうだな? ふん、魔物風情が、醜悪な趣味だな!」


 青年はどうやら勘違いをしてしまったようだった。雲行きが怪しくなっている。


「お前を倒す」


 と言って青年は、剣を引き抜いた。


「ちょっ、ええっ、待ってよ!」


 青年は手練れの剣士なのだろう。構えに隙がない。物理攻撃が苦手な白魔導師のアリアでは、おそらく対抗できず一瞬で勝負が決まってしまう。


 魔物でないことを証明できるものを持っていればよかったが、夢の中のアリアにその持ち合わせはない。白魔法を使ってみせれば、信じてもらえるだろうか。しかし、魔法を使う魔物はいくらでもいる。


 一体、どうすれば……。


 万事休すかと思ったそのとき、ひらめいた。ひらめきというよりは、がむしゃらな思い付きだった。


「そ、そうだ! ちょっとわたしの話を聞いて!」

 

 もっと、敵でないことを信じてもらうためには。


「えっと。聞きたいことがあるの。……わたし、あなたのお母さん……に似てるんだよね……?」


 言ってて恥ずかしくなるセリフだった。


「他にも、同じように言ってきた子がいて。アリュートさんって言うんだけど……あなたたちは、兄弟なの? アリュートさんのお兄さん? それとも、弟さん?」

「は……? 何を言いたいのかわからない。オレには、兄弟はいない」

「え? あ、そうなんだ……」


 ――どういうことだろう。


「あなた、名前は何て言うの?」

「アレン。両親の名前からそう付けられた」


 ――そんなの、だって、おかしい。兄弟はいないって……そうしたらわたし、二回結婚するの? アリュートさんは、どうなったの?


 青年剣士アレンは、ため息をついた。


「その弱々しさ。魔物ではなく、本当に母上のようだな。いつも母上は、不安そうな、悲しい顔ばかりしていた……」


 そして向けていた剣をしまった。


「とりあえず、ホッ」

「ふん、バカバカしいな。魔物にしては邪気がなさすぎる。本物の、母上……いや、きっと幻覚を見ているんだな。オレもこころが弱くなったのかもしれない」


 アレンは背中を向けた。震える背中から、彼の気持ちを悟った。


「あの、アレン……さん、アレンくん?」

「呼び捨てでいい。くんだとかさんだとかをつけて呼ぶな、薄気味悪い」


 相変わらずこっちには目をくれず怒号した。


「え! そんな言い方ない! ひどい!」

「……」


 アレンはまたため息をついてから振り返り、にらみつけてきた。


 また魔物だなんだと疑われるかもしれない。

 下手なことは言わない方がいいけれど、ラミエルやゾナゴンやリュウトがいないと、率先してツッコミをする人間がいないので、ついついその役割の穴埋めをしてしまうが、アレン青年の前でふざけるのは得策ではない。夢の中だとしても、無惨に斬り捨てられたくはない。もっと端的に、聴きたいことだけを聞き出した方が絶対にいい。

 アリアが一番に聞きたいことは。


「じゃ、アレン。リュウトさん……は、どこにいるか知ってる?」


 アリュートのときは、未来からきたと言っていた。

 だからおそらく今回は、自分が未来へ行ったパターンなのだ。

 おそらく、きっと、多分、自信ないけれど……そして、この世界は夢だけれど。


「『リュウト』……か」


 アレンは歩いてきた道の方角をアゴで指し示した。


 ――信じられない。信じたくない。


 だけどこころのどこかでわかっていた――罪悪感の正体を。


「……リュート……。母上は、決してその名を口に出すことはなかった……。世界を破滅へと導いた邪竜の名……。奴のせいでオレの家族は……」

「え?」

「いや。今はそんなことを言っている場合ではない」


 眉間にシワを寄せ、切羽詰まったアレンは、アリアの両腕を乱暴に握った。


「お前が本当に母上なら……まだ、『そのとき』を迎えていない若い母上なら……こんな期待を抱くことはバカげているが……」


 ――腕、痛い……。


「母上。決して惑わされてはいけない。人間の姿に見えても、母は、最期までリュートを信じていたようだが……。そのせいで……。とにかく母上、リュートには気をつけるんだ!」

「ま、待ってよ! 言ってることがわからないよ! どうして、どうしてリュウトさんは邪竜に変わってしまったの?」

「あれは己の欲望に負けた姿だ。神の裁きを受け、抵抗した際にあのような禍々しい姿へと変貌した。愚かな奴だ」


 やっぱりさっぱり意味がわからない。


「あれは……あの竜は……リュウトさん……本人なんだ?」


 アレンはうなずく。


「母上。決して信じてはいけない。オレは邪竜リュートに家族を殺されてから、奴との戦いを続けてきた。どうかあなたがまだ変われるのなら、最良の未来を選択していってほしい……あなたの幸福のために」


 そのとき、咆哮が聞こえた。

 アレンが言う、『邪竜リュート』が覚醒したのだ。


「! 動き出した……。奴が暴れて世界を半壊させてから眠りについて、ここ数年は静かだったのだが……。ふふ。これで、世界は終わりなのかもな」


 邪竜の咆哮はまるで誰かを探しているかのような響きだった。


「なんて……悲しい……」

「若い母上は安全なところへ逃げろ! オレは奴を倒しに行く!」

「いいえ! あれが、あの竜がリュウトさんなら、わたしは行かなくちゃ! わたしが行かなくちゃ! だってわたしは」

「母上……!」


 アレンは腰に下げている剣とは別の、懐に忍ばせていた短刀の束でアリアの気を失わせた。


「ぐえっ!」

「……母上、すまぬ」


 意識が遠退いていく。


 ――え? こんなタイミングで終わるの? ダメだよ、こんなの!


 ――だって、まだ……わからないことがいっぱいなのに!


      *  *  *


「はっ!」


 アリアは、目覚めた。


「夢……」


 本当に、また、夢だった。


「夢だってわかるのに、どうして」


 目覚めてからも、邪竜の発した悲しい声が脳裏に焼き付いてこだましていた。


「はぁ、やだなぁ……」


 あれが、一パーセント未満かもしれないけれど、あり得るかもしれない未来かもしれないなんて。でも、


 ――『アレン』は何者?


 両親の名前から付けられたと言っていたけれど……両親って……わたしと、誰?

 未来は複数あるの? それとも、ないの?


 握られていた腕が、痛い。


 などと考えていたところで、


「!」


 アリアは息を飲んだ。


 夢の世界からは帰ってきたはずだ。

 ここは宿屋で、夜中で、仲間たちは寝静まっているはずだ。


 悪夢から目覚めたばかりのアリアの目の前に、リュウトが無言で立っていた。


「え……あ……」


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