第190話 お母さんの件

 朝が来た。


「おはぞな~、はやく起きるぞなリュート!」

「んぇ……もう朝?」


 ゾナゴンがリュウトの身体の上でピョンピョンと飛び跳ねる。


「夜更かしするからぞな~。もう起きないと、ラミエルよりお寝坊さんになっちゃうぞなよ?」

「ラミエルより悪いのは嫌だ」


 リュウトは眠たい目をこすりながら起き上がった。

 何度目かの野宿。

 はじめのうちは固い地面に寝転がっても熟睡することはできなかったが、もういい加減慣れた。


「おはよう、リュウトさん」

「おはよう」


 アリアとゼルドが、朝食の支度をしていた。


「あ、ごめん。起きるの遅くなって。手伝うよ」


 朝食の支度が終わると、ラミエルもやっと起きてきた。


「はあ。はやく美味しいものを落ち着いてゆっくり食べられる環境に戻りたいわ~」


などと文句を言いながら、人が準備した朝食を誰よりも多く食べた。リュウトは腹の底で「なんなんだよこいつ」と思いながら、何も言わなかった。ラミエルの気の使えなさにも、いい加減慣れた。


 食べ終えると、名付けてからすっかり名前負けし続けている『リュートと愉快な仲間たち』の行進ははじまった。


 ゼルドとリュウトの二人が魔物に出くわさないか慎重に周りに警戒しながら歩を進め、ラミエルとゾナゴンという弱い仲間たちを間に挟んで、最後列にアリアが追いかけるのがパーティのいつもの隊列だった。ラミエルとゾナゴンはその布陣を、自分たちが一番偉いから真ん中なのだと勘違いしていたが、二人が並ぶといつもケンカがはじまって騒がしくなり、後ろにいるアリアの様子が確かめられないことが、リュウトには不満だった。


 今日もまた、くだらないことでラミエルとゾナゴンの口論がはじまっていた。


「あのさァ! ゾナゴンはビンタしないと人を起こせないわけ!? このあたしラミエル様はうら若き乙女なのよっ! レディーは丁重に扱いなさいっ! それが世の低俗な男どもの役目でしょぉおっ!?」

「ひどい差別主義者ぞな! 最低ぞな! それにいつから自分を乙女だと錯覚していたぞな? 何をしても起きない方が悪いぞな! 少しは自分が悪いと思うぞな! 反省しろ」

「ほらやっぱり! ぞなぞな言わなくてもしゃべれるんじゃない! それ可愛いと思ってるの~?」

「思うからやってるぞな!」


 二人のどうでもいいバカ騒ぎを聞かないようにしていると、突然しゃがみこんだゼルドにリュウトはぶつかりそうになった。


「わ、おいゼルド、急に立ち止まるなよ」

「見ろ」

「え?」


 ゼルドが指を差した地面には、いくつもの馬の蹄の跡が残されていた。

 

「これは本隊がここを通ったあとだな。状態から考えて、まだつい先日通ったばかりのようだ。少し歩きをはやめればもしかしたら合流できるかもしれないぞ」

「そ、そう……」


 リュウトは生唾を飲み込んだ。


 シリウスに、はやく会いたい。見捨てて逃げ出した主人を、今でも主人と認めてくれるだろうか。デシェルトやケイマに、どれくらい厳しく怒られるだろうか。

 考えると震える。

 けれど、魔物に襲われて死んだり、勝手に期待を抱いた相手に裏切られて絶望を感じるより、傷付けてはいけない相手にひどいことをしてしまったり……何もかもよりマシだ。マシなはずだ。


「ほーん。結局、オシリスには遭遇できなかったぞなね~」


 いつの間にかリュウトの頭の上に乗っていたゾナゴンがつぶやく。


「急ぐぞ!」


 ゼルドが仲間たちに振り返って合図すると、引き留めたのはラミエルだった。


「ねえちょっとみんな待って!」

「お、何だぁラミエル?」

「アリアが調子悪いみたいだから、ゆっくり進軍できない?」

「えっ」


 見ると、最後列でアリアがふらついた足元で一生懸命ついてきている。顔面は蒼白で、今にも倒れそうだ。


「大丈夫か、アリア……」


 ゼルドがアリアに近付いて声をかける。


「うん……なんとか……」

「む、無理しないで!」


 リュウトも遅れて声をかけるが、アリアはふらついたままだ。


「うん……」


 本隊の足跡を追いながら仲間たちは少しだけ進んだが、途中でやはり体調不良でアリアは歩けなくなってしまった。急遽、体調が回復するまでの間、休憩することになった。



     *  *  *


「ごめんね。もう少しなのに、わたしのせいで」

「アリアは気にしなくていいのよ」


 アリアは木陰で身体を横たわらせて休憩した。その横で、ラミエルが看病する。他のメンバーは魔物が襲ってこないように辺りを見回り中だ。


 せっかく本隊に追いつけるところだったのに、とアリアは自責の念に駆られた。


「わたしって、本当にヒトだったのね……」

「え? 何の話? 何を言ってるの。当たり前じゃない」


 ラミエルに突っ込まれた通り、何を口走っているのだろう、と思った。

 ぼんやりとする頭の中でこれまでのことを振り返ってみると、なんとなく、自分が一個の人間であることを忘れてしまいそうになる。


 そしてそのはっきりとしない頭のまま、夢のことを思い出した。

 アリュートと名乗る青年が現れた、妙にリアルだった昨晩の夢だ。


「わたし、いいお母さんになれるかな」


 アリアのつぶやきに、横にいたラミエルは青ざめた。勘違いをしたからだ。


「アリア……? な、何を……! だ、だだだ、ダメよーっ! ま、まだはやすぎるわ! 絶対にダメ!」

「?」


 アリアの発言に一人で頭を抱えて盛り上がっているラミエルに「ねえ」と呼び止めた。


「ラミエル、わたし……。『お母さん』がわからないの。本当のお母さんのこと、覚えていないから……」

「アリア……?」


 アリアの母親は、水の国の出身で卑しい身分の出だったと父から聞いた。身分がどうとかはアリアには関係がなかった。ただ、どんな人だったのか、どんなところが自分に受け継がれたのか、純粋な気持ちで知りたかった。


 いまだに街中で仲のよさそうな母娘をみると、うらやましく思ってしまう。うらやんでも仕方ないことなのだけれど、母が生きていたら、きっともっと、色んな事が違ったはずだ。


 父のことも、兄のことも、自分のことも。そんな気がする。


 気落ちするアリアを、ラミエルは肩をもって力強く励ました。


「アリアならやさしい女性になれるわ。今でも十分に素敵なレディーだけどね。あたしが言うんだから間違いない!」

「ふふ……」


 それから表情を一変させた。ラミエルもまた、過去のことを思い出したのだ。


「……あたしのお父様とお母様は厳しい人だった。才能がないなら生きている価値がないってのが口癖でさ。アリアと出会うまで、あたしは孤独だった。……あたしが将来誰かと結婚して、子どもが生まれたら、うんと可愛がるわ、子どものこと! 少なくとも自分の子どもに、価値がないとか、そんなひどいこと絶対言わない!」

「ラミエル……」


 リュウトたちは嫌っているが、ラミエルは出会ったばかりと比べて表情がすごく明るくなった。出会ったばかりの頃は触れたら爆発しそうなトゲトゲしさがあったが、今はすっかりそのトゲは身を潜め、二人きりでいるときはすごくやさしい。意地を張りさえしなければ、もっと素直になれば、ケンカもなくなると思うのに、と考えるともったいなく感じる。だけど、彼女の変化を間近で見られて、よかったともアリアは思う。


「ね、あたしたちの子ども同士も、きっと親友になれるわ。そうじゃない?」

「そうだね。そんな気がする」

「あたしたちは素敵なレディーになって、素敵なママになるのよ。ああ、ホントはあたしはアリアと結婚したいのよ、だってアリアのこと世界で一番好き! でも」

「……でも?」

「……ううん、なんでもない。ねえ、今度からは体調が少しでもおかしかったらすぐ言うのよ。戦いも大事かもしれないけれど、生きることはもっと大事なんだから」

「うん」

「あたしは人生の先輩なんだから、頼ってね、アリア!」

「ありがとう、ラミエル」


 少女たちは笑い合った。

 しかし、空にはどんよりとした雲が再び訪れようとしていた。

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