外伝Ⅱ 暗黒の谷の黒竜編

第181話 Knights

 竜騎士の国、リト・レギア王国と闇の魔道士の国、ドゥンケル王国が手を組み成立した『闇の同盟』がグラン帝国に侵攻を開始してからわずか三週間。呪文の詠唱に時間がかかる闇の魔道士の弱点を竜騎士が竜の背に乗せ守り、魔法攻撃に弱い竜騎士の弱点は、闇の魔道士が魔法によって守る、二人一組で協力する陣形で挑んだ戦いは功を奏し、有利に進めることができていた。


 闇の魔道士たちは長年帝国の人々から受けた差別への報復を目的に、竜騎士たちは、己の武勲を上げるため、そして傲慢な帝国を打倒することで自国に真の平和がもたらされると信じて戦っていた。


 竜騎士たちの中には、悪名高い闇の魔道士を仲間だとは認められないと反発する者も最初のうちは数多くいたが、次第にその声は小さくなっていった。それは、兵士たちの想像以上に『闇の同盟』の力が圧倒的だったからだ。長らくの平和で鈍りきっていた帝国軍とはいえ、兵士の人数は闇の同盟の倍以上という、通常で考えれば不利に見える戦いが、面白いくらい簡単に形成がひっくり返り、攻略できていく様を目の当たりにすれば、誰もが異論を唱えることはできなくなった。


 軍の進退は、闇の国の最高権力者キルデールではなく、竜騎士の王ソラリスが決定する権限を有していた。表面的には対等としている同盟だが、竜が魔法を弱点としていることを考えれば、竜騎士の国の方が立場が弱かった。だから戦の方針決定に闇の国が不気味なほど関与せず沈黙を守り続けていることは意外ではあったが、ソラリスは、キルデールの企ては戦が終わった後にこそあるのだと読んでいた。しかし、誰にも邪魔されず思い切りやれるという状況は願っていたところなので、その沈黙を今はありがたく利用させてもらうことにしていた。


 ソラリスは兵力差、敵の内情、地形、気候等あらゆる環境を斥候に報告させ、兵士の士気の具合と備蓄の状況を考慮し作戦へと組み込んだ。この大陸の戦は、王にはお抱えのまじない師がいて、そのまじない師の占いの結果によって決めていくやり方が普通だった。だが、ソラリスは違った。彼は魔法やまじないの類いを忌み嫌っているし、占いに関しては完全に無意味だと思っている。砂漠の国の王デシェルトもソラリスと同様の考え方の持ち主だった。両王には戦場に出た経験がある。だからこそ、不確かなものに頼らず、知見や情報に基づいた策略こそ重要だと考える。しかしその考え方は、この大陸の、この時代の宮廷魔導師たちにはまだ理解が及んでいなかった。逆に、王同様に実戦を積んだ戦士たちは、判断力と決断力にずば抜けた彼の優れた王についていけば間違いないという確信を持った。

 そして実際に、ソラリス率いる竜騎士団は最短ルートで完全な勝利を収め続ける行軍となっていた。


 そんな竜騎士の国の若き新王、ソラリスが自国の執政を親友の闇の宮廷魔導師に任せ、国王の死が自国の敗北に直結するリスクを冒してでもグラン帝国との戦闘に自ら参加し攻め入る理由は二つある。

 まず、元よりカリスマ的人気があったソラリスが戦場に出ることで、兵士の士気を高めることができる。王国最強の竜騎士が兵士にもたらす安心感は絶大で、狙い通り騎士団は統率の取れた動きを実現した。それに、安全な国でじっと待っているよりも、戦いに出て勝利を納めて帰国すれば国民のさらなる支持も得られるだろう。

 帝国のように巨大な国家であれば、王が国を離れて危険を冒す必要はない。だが、竜騎士の国がいかに洗練された騎士団を持っていようが、国力自体は帝国に敵ってはいないのだ。故に、国民全体の結束と、英雄の存在が必要だった。

 そしてもう一つの理由は、積年の恨みを晴らすまたとないこの機会を他人任せにしておくことは、血気盛んな新王にはできなかったからだ。自国を苦しめてきた憎き帝国には、必ず一矢報いてやると誓っていた。歴代の王と比べて、抜きん出てソラリスには愛国心があった。先代の王に国を継ぐ者として選ばれたその日から、責任感と誇りを胸に抱いてきた。自己を犠牲にしてでもこの国を守り抜き――そして幸運へと導かなければならないという強い使命感に駆られていた。その信念が王としてのプライドであり、アイデンティティであり、宿命であり、生きる意味そのものだった。


 ところが、帝都の近くで次の戦いの機をうかがう闇の同盟の兵士たちが休息を取る天幕のどこにも、王の姿はなかった。


 ソラリスは三名の部下を引き連れて、帝国領西方の僻地、通称『暗黒の谷』と呼ばれる場所へやって来ていた。


 三名の部下は、竜騎士の精鋭部隊『レギアナ・セクンダディ』に所属する国内で最も実力のある騎士から選ばれていた。

 一人は『竜の鱗』ショペット。竜を降りている間は宮廷画家として腕を買われている、初老の竜騎士。

 一人は『竜の右翼』リアム。ソラリス、アリア王室兄妹と一緒に育ってきた悪たれ双子として有名な弟の方。

 そして一人は『竜の尾』シーラン。恰幅の良さと顔立ちからベテラン騎士に思われがちだが、この中では最年少である。


 四人は暗黒の谷にある洞窟の内部を、飛竜にまたがり奥を目指して飛んでいた。


 短くない時間を飛び続け、退屈になったリアムがソラリスの竜に近付けると、口を開いた。


「陛下。この暗黒の谷へ来るのに、オレたち三人だけをわざわざ選んだのは、もちろんオレたちの実力を認めてるからっすよね?」


 ソラリスと幼なじみ同然に育ってきたリアムは、ソラリスが王になった今でもへりくだることなく接していた。それをシーランは快く思っていなかった。


「リアム! ソラリス陛下になんという口の聞き方だ! 無礼だ!」


 憤るシーランを無視してリアムは続ける。


「留守を頼まれてるグリンディーは仕方ない、か。ショペットのじーさんも絵ばっかり描いてる割につえーからなぁ。そうすると、オレはセクンダディの実力としては三番目ってところかな? はは、クリムゾンとノエルの兄貴はシーランにも劣ってると陛下には思われてるのか! これは傑作だな! 次兄貴に会ったときは思いっきりバカにしてやるぜえ」


 漆黒の髪をなびかせて飛ぶソラリスの横顔の口元には、不敵な笑みがあった。


「……好きなように思っているといい」

「じゃあ、そうさせていただきますよ」


 今日も王は機嫌がいいらしい。戦争がはじまってからずっとそうだった。その表情には、ある意味おそれすら感じる、とリアムは真顔になった。ソラリスのことは幼いときからよく知っているつもりだが、そのこころの内まで覗けたことは一度もない。昔から理知的で、要領が良く、あどけない少年時代というものが彼にはまるでなかった。安易に人にこころを開かない性格は昔からそうだったが、今はよりその特色が強くなったように見えた。


 ソラリスの人柄が急激に変わったように感じられたのは、これまで二回ほどあった。一回目は、彼が十歳の頃。妹姫アレーティアが誕生したちょうどその時期だった。


 次期国王として内定していたソラリスには、国王の実子アレーティアの存在が脅威に映ったのだろうかとリアムは回顧してみる。だが、妹王女を脅威に思うような考え方をはたしてあのソラリスがするものだろうかと、いまいち納得できない。けれど、変わってしまった理由は傍目にはわからずとも、アレーティア王女の誕生が彼を変える大きな原因となったことは確かだった。王女が生誕したその日の夕方、ノエルとリアムが廊下を歩いていると、ソラリスとすれ違った。その際、彼は壁にもたれながら移動し、動揺の表情を隠しきれていなかった。いつも通り冗談を言おうと思って近付くと、今話しかけたら「殺される」という本能的に察知させるほど鬼気迫る何かがそのときのソラリスにはあり、話しかけることができなかった過去がある。


 そしてソラリスはアレーティアが産まれて数か月後に、国王の許可が下りると、大陸中を巡る旅にさっさと出掛けて行ってしまった時期があった。やがて旅を終え、リト・レギアに戻ってきたソラリスが、痩せ細った一人の少年を伴っていたときは城が騒然としたものだ。しかもその少年は闇の魔法を操るのだというから、城の者たちはさらに驚いた。ノエルとリアムはソラリスにくっついて離れようとしない闇の少年に、「金魚のフンめ」とからかった幼い日の記憶がある。するとその晩、まるで便秘に効く茶を飲み過ぎたときのような、強烈な腹痛に襲われた。双子は、腹痛の原因は少年にあると睨んでいたが、証拠がないのでやり返すことができなかった。それ以降、あの不気味な少年に関わるのをやめていた。


 彼が変わってしまったと感じた二回目の出来事は、父王を殺害したその日から。……だと思っていたが、よくよく考えてみると、アレーティア王女のお気に入りで『リュート』という名の少年がやって来てからだったように思い直した。


 リュウトがこの国に来たときから、ソラリスが笑う回数は多くなった。リュウトは、話してみてもどこにでもいるようなごく普通の少年で、ソラリスがあの少年に何故わざわざ施しを与えるのか、ずっと疑問に思っていた。リュウト本人は、かなりスキがある性格だった。だから王女は気に入っていたのだろう。しかし、ソラリスがリュウトを気に入る理由は、単純な好意というものでは決してないことはわかっていた。おそらく彼にしかない秘密があって、それを利用したいのだ。


 リアムは真顔で幼なじみの若き王を見る。


 翠の眼が、うっすらと洞窟内で輝いている。その美貌はまるで、手を伸ばした者を 不幸に陥れる呪われた宝石のような存在感だ。

 動物や魔物の瞳が闇夜の中で輝くことがあるが、ソラリスもそれらと同じく、人の形にこそ見えるが、本当は人ならざる者の方に近いのかと疑ってしまう。


 リアムはソラリスから顔を背け、今度は後方を飛ぶショペットを見た。


 リアムの目には、ショペットもまた何を考えているのかわからない人物として写っていた。セクンダディに就任してから長いが、ショペットは自ら口を開くことが滅多にないので、いまだに性格がつかめていない。この世を見ているようで見ていないような、浮世離れした人物なのはわかる。芸術家というのは、みんなそういうものだろうか。セクンダディのメンバーは双子とシーラン以外、基本口数が少ない。もっとからかい甲斐のある人選にしてくれた方が楽しくていいのに、とリアムはため息をついた。


「あーあー。何考えてるかわからない上司と同僚に比べたら、単細胞で女好きの兄貴のが百倍マシに見えるな。息が詰まることがねーからなー」


 リアムが愚痴を言って引き下がると、今度はシーランがソラリスに近付き、話をした。


「……ソラリス様。あなたのことを信じていない訳ではありませんが、あなたの身に何かあったらと思うと……。今回の旅は、別に今でなくても良かったのではないでしょうか?」


 と言いつつ、シーランは小さな布で額の汗を拭った。


 帝国との戦いの最中に、わざわざ寄り道して、危険を冒そうなどとは慎重なシーランには考えられないことだった。


 ソラリスがこれからやろうとしていることを考えると、引き連れている部下が三人なのは、少なすぎる方なのだ。


「ほう……? お前はこのオレが敗北すると思っているのか、シーラン」

「そ、そういうわけでは……」

「そうだな。もしオレが死んだら、次代の王はお前たちセクンダディが選んだ者にしていいぞ」

「お、おやめください! 冗談でもそのようなことを仰るのは!」


 慌てるシーランの様子を見てソラリスは愉快そうに笑った。しかし一瞬で氷のような表情に変わった。


「だが、アレーティアを王位に就かせることだけはやめろ。『妹』のことは絶対に探し出すな。わかったな」


 ソラリスの妹、アレーティア王女は、国王が亡くなった数日後、リュウトと共に逃亡した。貴族の中には、彼女こそ王位にと望む者もいた。いなくなったアレーティア王女のことを、死んだ、だの、殺されただのとウワサが流れたが、しばらくすると王女への民衆の興味はぱったりと失われていた。その程度の存在感しかなかった王女が可哀想だと、シーランはこころが痛んだものだ。


 今し方のソラリスの発言に、リアムは奇妙な引っかかりを覚えた。何故、妹を探しだすなと命じるのか。……兄であるせめてもの情けか。そんなことはないだろう。ソラリスは王女の実父だったモイウェール王を恨んでいた。殺害しただけでは、決して怒りは収まりきらないのだろう。妹王女のことは、憎き男の娘――それだけの感情しかないのだ。再びあの王の血を引く者が王位に就くのが許せない。だからそういう物言いになるのだ。


「はーあ。オレはカワイイお姫さんに仕えられた方がモチベーションが上がったのになァー!」


 リアムはわざとらしく言って見せた。昔から人を怒らせる物言いをするのが好きだった。その方がその人物の本音を引き出せるからだ。嘘で塗り固められた言葉には、何の意味もないと思っている。


 しかしソラリスの顔色は変わらなかった。彼は単純な煽りに引っかかるような人間ではなかった。だから昔から一番面白くない相手だったし、同時に好意も感じていた。


 顔色を変えないソラリスに面白くないと感じつつ、リアムはとっさに浮かんだアイデアを話した。


「そうだ! じゃあ、ソラリス陛下が死んだらオレが王になるよ。任せな! グリンディーもショペットも、自分から前に出るタイプじゃないし、シーランとノエルの兄貴はオレより頭が回らない。クリムゾンは性格に難ありだから、次の王はオレしかないでしょう、な? 陛下! おまけにあのキレイな王妃ももらっていいだろ? 陛下より大切にできる自信がありますよ」


 シーランは顔を蒼白させて凍り付いた。無礼を通り越している、処刑されてもおかしくない発言だ、と。しかし、ソラリスは怒る気配を見せず、鼻で笑うだけだった。


「ああ、面白いな。オレの死後、あの世とやらが本当にあって、リアムが王になった姿を見ることができたらオレは大声をあげて笑っているだろうよ」

「ええっ、陛下! リアムはこんな軽い奴ですよ! 一番あり得ない男です!」

「なんだとぉシーラン」

「ソラリス様、どうか、どうかそのようなことは軽々しく仰らないでください!」


 そのとき、竜騎士四人はほぼ同時に洞窟内の異変に気付いた。そして、これまで沈黙していたショペットが口を開いた。


「……賑やかになるのは、ここを突破してからでも遅くはないのでは?」


 ショペットにソラリスが「そうだな」と答える。

 竜騎士たちの眼前には、翼の生えた牛人の姿の魔物が、バサバサと飛び回っている姿が見えていた。まるで、久しぶりに自ら餌になりに来た人間どもを前に、歓迎しているかのようだ。


「百……二百……三百体くらいか? へっ! なかなか楽しくなりそうじゃねーの?」

「やるしかないっ! 陛下のことは、この身に代えてもお守りする!」


 四人は槍を取り出し魔物に構えた。





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