第171話 待つこと即ち信じること、信じること即ちの件
戦意、喪失。
フェセクの本当の姿は、エルフの男が操る使い魔の獣の、巨大なホワイトタイガーだった。
彼が言う『絶対に勝てない』というセリフの通りの、見た者はすべて畏怖の念を覚えてしまうような、おそろしさと神秘さを兼ね備えた魔獣だった。
戦意と希望を喪失し、目の前が文字通り真っ暗になったリュウトは、気が付くと、戻ってきていた。
「あっ……」
黄昏の、時が止まった都市セント・エレンの路地に。
都市に並ぶ建物を斜陽が眩しく照り返している。
視界には、
「ここは……」
エルフの男がカマを持って立っていた。
「元に……戻った? ここは、やり直す前の世界か……?」
「そうだ、異世界の扉。察しがいいな」
エルフの男はうなずいた。
「な、なんで……」
やり直す前の世界。一回目の世界。
フェセクに帽子をねだられ黒い二角帽子を買い、城の地下牢獄に閉じ込められ、知らない間に女騎士が処刑されてしまった、一回目の世界。
リュウトは時が戻る前の世界に戻ってしまった。
「お前が……黒幕……だったんだな。だけど何故……こんなことを……?」
「お前のこころをのぞいたときに見えた。もし、パラレルワールドがあるのだったら、一番いい未来を選択できたのが今ここにいる自分が一番いい。お前はいつもそう考えているんだったな?」
「……だったらなんだって言うんだ……」
「安心しろ。そんなことは、決してない。お前は既に数々の失敗をしているし、お前がお前である限り、成功だけの人生を歩むことは絶対にない。お前は平凡以下の人間。何事にも、何一つとして才能がない男なんだからな」
リュウトはエルフの男にしがみついた。
「うるさい黙れ! あと少しだったのに! お願いだ、もう一度やり直させてくれ!」
「あと少しだった? 本当にお前はそう思ったのか?」
「あ……」
巨大なホワイトタイガーを目の前にしたとき、あの魔獣には、絶対に勝てないと本能的に悟った。
何度やり直しても、絶対にフェセクに勝つことはできないだろう。
「かっ……勝てないなら、逃げればいいんだっ……! みんなでこの都市から逃げればいいんだ……!」
「また逃げるのか。もう逃げないと決めたのではなかったか?」
目の前の死神のような男は、こころが痛いことばかり言ってくる。こころのすべてを見透かされているのだから、リュウトが何を言われるのが嫌かも手に取るようにわかるのだろう。
「なんでもいいからやり直させてくれよ!」
「ダメだ。やり直すことは許さない」
「なんでだよ!」
「人生は絶対にリセットできないんだ。異世界に転移して人生をやり直すなどと……。生まれ変わったら運命を変えられるなどという幻想にすがってもらっては困る。そういう現実逃避してばかりの甘えた考えを持った者から希望を奪うのがわたしの趣味でね。何度やり直してもうまくはいかないさ。恨むなら己の無力さを恨むんだな」
「あ、あ」
「くくく。そういう顔だ、わたしが望んだものは! 時を戻した対価として、お前の『希望』をもらっていくよ」
「希……望……?」
「ああ。暗い夜でも希望の光で照らせば道は見える、だったか? 光があればそうだろうな。だが、光というものは簡単に消える。ろうそくに点いた火のように、息を吹き掛けるだけでな」
「やめろ……」
「時を動かそう」
「やめろ!」
エルフの男がカマの杖先を地面に打ち付けると、止まっていた時が動き出した。
人々は動きだし、風が吹き、水が流れる。坂道を転がっていったリンゴは、馬の足元で止まり、馬に踏み潰された。
時を止める魔法がとけ、我に帰った『リュートの愉快な仲間たち』は、さっきまで近くにいたリュウトがいなくなっていることに気が付き、辺りをキョロキョロと見渡して探した。
「あ、あれ? リュートは?」
「さっきまでここにいたのに、どこ行っちゃったぞな?」
フェセクは高い鼻をすんすんと鳴らしながらリュウトの居場所を嗅ぎ当てた。
「おや。近くにいるようです。ワタクシが探してきます」
「え?」
「あ、おいフェセク!」
仲間たちの返事を待たずにフェセクはリュウトのにおいの元へ走っていってしまった。
「ったく、しょうがねーなー」
「においでわかるぞなか。イヌみたいな奴ぞなね~」
フェセクがリュウトのにおいをたどって路地へ入っていくと、
「リュート様ァ~……あ」
いた。
エルフの男とともに。
路地で尻もちをついているリュウトをフェセクが見つけると、エルフの男はニタリと笑った。
「フェセク。放心してしまっているようだから、彼を介抱してあげなさい」
エルフの男は魂が抜けたようなリュウトを指差した。
「んふ…………」
フェセクはしぶしぶ、命令に従った。
「リュート様、しっかり♡ しっかり♡」
リュウトの身体を揺すぶるフェセクだったが、正気に戻ったリュウトはその手を払いのけた。
「気安くオレに触るな!」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
リュウトとフェセクの間に微妙な空気が流れた。
フェセクがショックを受けているような表情を一瞬したのを、リュウトは見逃していなかった。
こころがちくりとした。
「……君がいい奴なのはわかるんだ! 強くて、頼りになって、可愛いところがある……最初の印象と何ら変わるところはなかった! だけど、だけど! オレがダメなんだ。こころが受け入れられないんだ、君のこと……」
リュウトはうつむいた。
「好きになれそうにないんだ……しばらく」
「そうですか」
フェセクは大きく息を吐いた。
リュウトの態度と言葉から、すべてを察した。
「わかりました」
そして、
「ワタクシは、アナタがどこにいたっても駆け付けられますから」
と言い、ニコリと笑った。
「アナタが待ってほしいと言うのなら待ちますよ。アナタがワタクシを必要になるまで。待つコト即ち信じるコト! 信じるコト即ち――」
フェセクは立ち上がり、その場で一回転した。
そして再び、ゆっくりとしゃがみ、地べたに座り込むリュウトをゆっくりと抱き締めた。
「愛するコト。ワタクシはアナタを愛していますから」
抱き締められたリュウトは、拒絶を表すために、両手でフェセクを押しやった。
「ごめん……」
「……」
この行動は、傷付けているんだろうか。傷付いているんだろうか。
彼は行動原理が意味不明だから、悲しそうな顔も演技なのかもしれない。自分は利用されているだけなのかもしれない。
はじめて彼に出会ったときは、もの凄く変な奴だと思った。だけど話しやすくて、打ち解けるのもはやくて、強い力で守ってくれて、すぐに好きになった。
しかし今は、自分のこころがどこにあるかわからないのと同じように、彼のこころもどこにあるのかわからない。
だから好きだけど好きになれない。嫌いなのに嫌いになれない。
一言では言い表せない、矛盾した気持ちを彼に感じる。
それが今のリュウトの純粋な気持ちだった。
押し退けられたフェセクはせつなげな顔で立ち上がり、リュウトに背を向けた。
すると悲しみが急に込み上げてきて、リュウトも立ち上がって後ろから抱きしめた。
「君は! 君は醜くなんかない!」
言っている内に、涙が出そうになった。
後ろから抱き締めるリュウトのことは見ずに、フェセクは言った。
「帽子、買ってくださって嬉しかったです」
「お前なんかには二度と帽子を買わないよ。誰が買うもんか!」
「ではいただいたこちらを大切にします。アナタからいただいたモノですから。永久に大切にしますとも」
「なんでもいいよ……どうだっていいよ……」
これ以上、この巨男と一緒にいるのはよくない。
こんなときでさえ、ノドをゴロゴロと鳴らしているような奴だからだ。
この奇妙な可愛い音を聞き続けていたら、完全に――ネコ派になってしまう。
「オレ、イヌもネコもどっちも好きだから」
最後にもう一度、リュウトは強く抱き締めた。
「オレは! イヌもネコも好きだから!」
そして抱き締めていた手を離し、リュウトは走ってその場を去った。
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