第151話 虹がかかる空の下での奇跡の件

「うおっ! 地震だっ!」

「きゃっ!」


 リュウトの帰りを待つアリアたちがいる地表でも、激しい揺れが続いていた。


「きゃー!」

「わーぞな!」

「ゼルド、あれを見て!」


 アリアが指を差してゼルドに伝えた。

 うろの中から、子どもたちが出てきた。誰一人として獣の皮を被っていない。

 ゼルドは子どもたちの中から、必死で探した。


「リュートは? あの小僧は? いないのか?」


 凄まじい剣幕でゼルドに尋ねられた子どもたちは、泣きながら答えた。


「リュートさんたちは……洞窟内に浸入してきた大雨に流されて……」

「な、何だとっ!」


 まだ揺れる地面の中をゼルドとアリアは走り、うろに向かって叫んだ。


「リュートぉおおおおおっ!」

「リュウトさん!」


 すると、アリアの影の中からフェセクが出てきた。


「ご覧なさい! ゼルド、アリア! 雷雨が過ぎ去り、雲のスキマからところどころ光が射し込んでいますよ! なんて美しい光景なのでしょう♡」

「おいフェセク! 今はそれどころじゃないだろう!」

「リュウトさん……っ! 無事でいて……!」


 アリアはしゃがんで、手を組み祈った。

 すると、数秒後に、さらに大きな激しい揺れが起こった。


「うおっ! 一段とすごいなこの揺れは! アリア、立て! ここは危ない!」


 ゼルドはアリアの手を引いて巨木から離れた。

 子どもたちにも巨木から離れるように指示した。


 揺れは、古い巨木に何重にも亀裂を生じさせた。何千年と生きてきたであろう巨木は、メキメキと音を立てて、皮が剥がれ落ちていった。

 その剥がれた場所から、金色の光が漏れ出しているのにアリアたちは気付いた。


「あの金色の光は……一体……」

「神々しい光だな……」


 見上げていると、巨木が金色の光に内側から粉砕され、破片があちこちに飛び散った。


「わあああああああっ」

「きゃああああああっ」


 そして大きな音を立てながら周りの木も巻き添えにして倒れた巨木の後には、金色の光に包まれたリュウトが、リンダを背負って浮いていた。


「リュウト……さん……?」


 宙に浮いたリュウトは、ゆっくり、ふわふわと地面に降りてきた。足が地面に着くと、リュウトを包んでいた金色の光は消えた。


「リュウトさんっ!」

「あっ!」


 リュウトはアリアとゼルドが駆け寄ってくるのを無視し、すぐさま背負っていたリンダを平らな場所に降ろして、生死を確認した。


「リンダ! リンダ! ……生きてる! だけどやばいな、大量に水を飲んでる!」


 リュウトは一切迷うことなく、気を失っているリンダに人工呼吸をした。


「んっ」


 その場にいた仲間たちはみんな驚いた。


「リュウトさん……っ!」

「リュート……!」

「おや」


 そして、リュウトの人工呼吸が終わると、その甲斐があり、リンダは水を吐き出した。


「げほっ、げほっ!」

「リンダ! リンダ!」


 リンダは横に向けていた顔を戻し、ぼんやりとした視界の中にリュウトを見た。


「リュート、お前……」

「ごめんね、ごめんね、本当にごめんね、下心なんて全然ないからね、本当だよ、リンダを助けたかったんだ、でもあんな話をした後だと信頼してもらえないよね、でも本当にリンダを助けたかっただけなんだよ。許して……許して」


 視界がはっきりしてくると、覗き込んでくるリュウトの背後の青空に虹がかかっているのも、同時に見えた。


「虹が……」

「え? 何? ウジ? リンダ、オレのことそんな風に言わないで……! 生きてぇええリンダぁああ……!」


 リンダは顔の上にぽたぽたと落とされるリュウトの涙や鼻水を避けようと、顔をそらした。


「……」

 

 地下洞窟の中で子どもを助けると、リンダは濁流に飲み込まれた。

 すると、リンダを追ってリュウトが濁流の中に飛び込んだ。

 激しい波に流されて、このまま二人とも死ぬと思った、そのときだった。

 流されるリンダの前に、巨大な金色の竜が現れた。そして金色の竜は身体でリンダを受け止めた。竜の背中に捕まると、地上を目指して竜は上へ上へと登っていった。

 岩を削り、激流をものともせず、巨木を内側から粉砕すると、金色の竜は人間の姿に戻った。

 それは、情けない顔をしたリュウトだった。「もう大丈夫だよ、リンダ……」という脳内に響いてくる声を聞いている内に、安心して気を失ってしまった。


 意識を取り戻したリンダは、唇と胸に奇妙な感覚があるのを認めたくなかったが、情けなく、しかし、一生懸命な顔で呼び掛けるリュウトを見ていたら、そんな意地はどうでもよくなった。


「結局、わたしはあんなことを言っていたお前と一緒に飛ぶ羽目になったんだな……」

「うん、そうだね」

「……絶望しかないな」

「うん。でもオレ、リンダが生きてて本当によかった」


 リュウトはリンダの上体を起こして抱き締めた。リンダには振り払う体力がなく、冷えた身体をあたためるリュウトの体温を無感情で受け入れた。


 ――あったかい。


 今、抱き締めてくれているこの男は、変態だし、泣いてばかりだし、男らしいところが全然ないけれど、心配してくれる。助けてくれる。生きていることを真正面から喜んでくれる。


 ――どうして、そこまでして……。


 聞いたところで、「真剣に好きだから!」とまた言われるだけに違いないから、やめた。無意味な質問をする元気もない。


 これまで生きてきて、ここまで開放された真っ直ぐな愛情を向けられたことはなかった。少なくとも記憶には。


 ――愛情?


 愛とは、何か。

 血の繋がりのある家族からは捨てられ、虐められ、十年と少しの人生は散々だった。

 これから生きていても、仕方ないんじゃないかと思いながらずっと生きてきた。

 森で出会った子どもたちを守りたいという意志だけが、まだ死なないという選択にかろうじて繋がっていた。

 しかし、子どもたちといつか離れ離れになってしまうのがこわかった。

 子どもたちが森神様にすがるように、リンダも子どもたちにすがって生きていたのだ。


 必要とされる居場所が欲しかった。

 必要とされなくなるのがこわかった。


 リュウトが泣きながら抱きしめてくれる体温の他に、身体のどこかが、あたたかくなるような感覚がする。


 ――そうか、これが。


 リンダは空に浮かぶ虹を見ていた。

 とても大きく、くっきりと見えている。

 今までずっと、見えている景色は灰色だった。

 剣の修行は、おびえたこころを隠すためのものだった。空っぽのこころを埋めるためのものだった。

 だけど、一人で修行したところで、満たされはしなかった。

 本当はこころのどこかで父親の影を追い求めているような気もして、修行が嫌になったときもあった。


 しかし、リュウトと出会って、戦ってみて、救われて……。

 灰色だった世界に、色が付きはじめた。


 ――そうだ、わたしは今、嬉しいんだ。


 自分が生きていることを喜んでくれる存在がいることが。

 見返りを求めることなく、純粋な気持ちで好きだと言ってくれる――愛してくれる存在は、今まで会ってなかっただけで、ずっと存在していた。そのことが、今、この上なく嬉しい。


 生きていることをよかったと言ってくれる存在に出会えたことが、こころから、『生きていてよかった』。そんな風に思えるときが、自分に来るなんて、今まで思いもしなかった。


 ――あたたかい。


 はじめて、他人とこころが繋がった感覚は、言葉にできないほどあたたかく、柔らかかった。


 濁流に飲み込まれたせいで全身濡れているし、雨上がりの地面に横になっていたから泥まみれだ。気持ち悪いから、はやく洗い流したいけれど、抱き寄せられているぬくもりからは、不思議と離れたくなくなる。


「リュート……」

「ん……」


 ――泣いている、わたしが……。こんなの、リュートみたいだ。でも、それでいいのかもしれない。リュートみたいでも……。こんなに、あたたかい人だから……。


「リンダ、何?」

「はじめて……嬉しくて、泣いているんだ。リュートのせいで……」

「ご、ごめん。い、嫌?」

「嫌じゃないよ」


 感謝を、喜びを表現したいのに、身体が言うことを聞かない。


「あのさ、リンダ。やっぱりオレたちが出会えたのってさあ……奇跡だ……。オレ、何度でも言うけど、君のことが好きだよ……」

「……奇跡か……」


 そうだな、生きててよかったと思えることは、奇跡だな、と思いながら、リンダは伝えることをしなかった。


 相手に、無事でいてほしい気持ち、生きていてほしいと願う気持ち。

 それが、愛だというのなら――。


 リンダに映る世界はもう、灰色ではない。


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