第129話 光と闇の花嫁の件

 闇の宮廷魔導士ルシーンが暗黒司祭エスピリストゥと水晶で通話をした三日後。

 エスピリストゥの娘、ドロテアの使者がリト・レギア王城に現れ、ソラリスとの婚姻を決定したとの書状を渡した。

 闇の同盟は、歴史の長さから建前上、竜騎士の国が上の立場を取っているが、事実上、闇の国の支配下に置かれているも同然だった。

 飛竜は魔法に弱い。それ故、うかつに魔導士に抵抗できない。それが、プライドの高いソラリスを苛立たせていた。


「グラン帝国から下僕のように使われてきた後、一時的なものとはいえ、闇の魔導師風情にかくもぞんざいに扱われようとはな」


 闇の魔導師への軽蔑の言葉を、友人の闇の魔導師の前で吐き捨てた。


「……忌々しい。結婚だと? このオレが、闇の魔導師の娘とか! ゲスな女をめとる趣味があると思われているのは、不愉快なものだな」


 ルシーンは憤るソラリスを前に低頭平身しながら、陰で舌打ちをした。


 ――ドロテアとかいう女、もう少し我慢ができなかったのか……。


「ルシーン。なんとかできるよな」


 ソラリスの指示に、ルシーンは答えなかった。「なんとかできるよな」の意味はわかっていた。

 しかし、ルシーンはどうしてもソラリスの考えを聞かなければ気が済まなかった。


「ソラリス様は……ドロテア嬢との結婚が、そこまでお嫌ですか?」

「ああ」

「それは、闇の一族だからでしょうか。それとも、女として興味がないからでしょうか。あるいは、人間として? いや、まさか――」


 ルシーンが言い終わる前にソラリスは遮った。


「それを聞いてどうする、ルシーン」

「……わたしは、確かめたいだけです。ソラリス様の右腕としてこれからも仕えるためにも、本心をお聞かせ願いたい」

「……ならば答える。すべてが、だ」

「左様でございますか……」


 ルシーンは頭を下げたまま、「もう一つ聞きたいことがあります」と言った。


「それでは、ソラリス様は何故、マリンとかいう小娘を王妃に迎えたのです」


 あえて。あえてルシーンはソラリスの前で王妃マリンのことを「小娘」呼ばわりした。言葉遣いを直すように指摘されるのであれば、王への忠誠心を今一度見直さなければならない。


「あの女のことが……まさか――好き、なのではありませんよね」


 ソラリスは形のいい眉をひそめてルシーンを睨んだ。


「アレーティアに情だの、マリンに好意などと。お前の頭はいつもそういうことばかりだな。お前は何度このオレに同じことを言わせれば気が済むんだ。オレはマリンに興味があって結婚を決めたわけではない。今回のようにゲスな女と政略結婚させられないように、先に手を打っておきたかっただけだ。役割を果たせる女なら、結婚相手は誰でもよかった。もっとも、無駄だったようだがな」

「ああ……そうだったのですね……」


 ルシーンは胸を撫で下ろした。


「それにな、ルシーン」

「はい?」

「オレは女というものを、この世で最も信用に値しない生き物だと思っている。女は裏切りが得意だ。それはお前もよくわかっているだろう? オレがマリンと結婚したのは、あれがオレを嫌っていることが明白だったからだ。オレはどんな女とも共に過ごす気はない。野望に近付きつつあるこの大事なときに、女ごときに寝首をかかれでもしたら死んでも死にきれぬだろうからな。まあ、オレを殺せるような怪力を持った女はいないだろうが」


 と言うと、ソラリスは自分の言っていることが可笑しくなって笑った。


「ルシーン、オレはお前との約束は守る気でいる。お前をそばに置いているのは、お前がオレを裏切らないと信じているからなんだよ」

「わたしを、信じて?」

「ああ」

「本当に?」

「しつこいな」


 ソラリスは口許に笑みを浮かべていた。時折見せる、出会ったばかりの頃と、不思議なオーラをまとった少年だった頃と、全く変わらない穏やかな笑みを。

 ルシーンは奮えた。


「ソラリス様……。ああ、なんというおやさしいお言葉……。ソラリス様は、こんなにもおやさしいのに、わたしは疑ってしまった! ああ、恥じております、悔いております。わたしとしたことが……身の程をわきまえておりませんでした」


 ルシーンは懺悔ざんげしつつ、深く深く低頭させた。


 ――狂おしいほど、お慕いしております。愛しております、ソラリス様。……だからこそ、我が手で――――壊したい。


 話が終わると、ソラリスはルシーンを部屋から退出させた。


「ふふふ……。わからぬ男だ。何故ああも他人に依存できるのか。まったく、心底理解ができない男と出会ったものだ。だから一番近くに置いているというのに」


 ソラリスは踵を返して自室の最奥の部屋にいるマリンの元へ向かった。


 結婚を機に元々使っていた部屋から彼女を締め出し、これからは国王と王妃は同じ部屋で過ごすことを召し使いたちに言い聞かせていた。

 強引だの、あなたを許す気はないだのと、年下の王妃からは随分の言われようだったが、最終的には素直に従うようになった。

 マリンは同じ部族というだけで正義感と使命を燃やし、口を出してくる。その彼女の頑固さと押し付けがましさには、右に出る者はいないだろうと思えてくるのだった。


 ――何故ああも他人に干渉できるのか。


 ソラリスにとっては、マリンはルシーンと同様「理解ができない」思考の持ち主だった。


 満月に向かって祈りを捧げるマリンに、ソラリスは近くのソファに腰掛けてから話した。


「今夜は気分がいい。お前を見ながら、酒を飲むとするよ。オレが見てきた女の中で、お前は三番目に美しい――」

「……」


 マリンは月への祈りを終えた。


「なあ、マリン。最近はどこに行って、何を嗅ぎ回っているんだ? 重要な情報を掴んだら、外国にいる名ばかりの勇者などに頼らずに、まずはオレに話せよ。オレはお前の夫だからな。愛する妻からの相談ならいつでも乗るぞ」


 ソラリスの笑いながらの冗談に、マリンは嘘つき、と怒った。


「わたしが調べているのは、あなたが人に戻れる方法です」

「ふふふふ……。人に戻れる方法だと? お前にはこのオレが人間に見えていないのなら、一体何に見えているんだ」

「あなたは、悪魔に取り憑かれてしまった哀れな子どもだわ……。憎しみを抱いたときから、時が止まっている――」

「悪魔だと! ふふふふ……。ははははははは!」


 ソラリスは大声で笑ったかと思うと、表情を一変させて立ち上がった。

 激しく憤った両の瞳が、マリンを刺した。


「『小娘』が。オレを子ども扱いするか!」

「! やめてソラリス! わたしに乱暴を働くつもり?」

「ふん、くだらん。お前のようなつまらない女をはずかしめたところで何になる。いいか、マリン。調子に乗りすぎるなよ。余計なことに首を突っ込んで、引っ掻き回すのだけはやめておけ。特にオレが留守にしている間はな。お前には、生きていてもらわねば困る」


 意外な返答に、マリンは困惑した。


「え……? 何故……」

「お前はオレの『優秀な妹アレーティア』のように、利用価値があるからな」


 この男はまた怒らせたくて冗談を言ったのだと、マリンは思った。


「あ、あなたという人は……!」


 ソラリスは笑いながら部屋を出て行った。


 後日。

 婚礼の儀を急ぎリト・レギア王国に到着したドロテアが、王城に向かう途中で発狂。従者を全員噛み殺した後、森の中へ消えていったという、村人の報告があった。

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