第128話 竜騎士の国の黒魔道士と白魔道士の件

 竜騎士の国リト・レギア王国。その王城のとある一室に、闇の宮廷魔導士と呼ばれている、黒いローブに身を包み、薄紫色の髪を長く伸ばした若い男がいた。

 闇の宮廷魔導士、そして、国王ソラリスの最も近しい友人、名はルシーン。


 彼は、椅子に腰を下ろし、禍々しい気を放った水晶を前にして、呪文を唱えた。

 呪文を唱え終わると、水晶は怪しく輝き、闇の魔導師を映し出した。


「エスピリストゥ様……」

「何用か、リト・レギアの闇の魔導師よ」


 水晶はここより遥か遠く、闇の国にいる魔導師エスピリストゥを映し出していた。エスピリストゥは、闇の最高司祭と呼ばれるキルデールの腹心であり、人のこころを操る術を得意とする邪悪な司祭だった。


「エスピリストゥ様、あなた様から頂戴した、前国王に投与し続けた自白剤のことでお話があります……。あの薬には、効果がさほど見受けられなかったのですが、まさかわたしに偽の薬を掴ませたのではありませんよね?」


 ルシーンはいぶかしげにエスピリストゥに尋ねた。


「いいや、あなたを騙してはいないよ、ルシーン殿。十分に効果はあったはずだ。あの薬の効果は、嘘を隠し続けられなくなる他に、人間の不安感を増強させ、勇敢な人物は臆病に、穏和な人物は獰猛に、賢明な人物は愚鈍にさせる、というものがある。いわば精神を狂わす薬なのだ。どんなに強靭な精神力や白魔術を持ってしても、抗うことはできぬ」


 ルシーンは「はあ」とため息を漏らした。

 モイウェールの秘密をあばき、ソラリスの役に立てるのは自分だったはずなのに、薬の効果が遅いために、アレーティア王女に手柄を横取りされたようなものだと感じていた。

 しかし、それはもう過ぎたこと。今日は別の用件があって闇の司祭エスピリストゥを呼び出していた。


「エスピリストゥ様。前々から申し上げておりましたが……。あなた様の得意とする、こころを操る秘術をどうかわたしにもお与えください」


 ルシーンの狙いは、エスピリストゥの操る秘術、心操術だった。


 エスピリストゥは不気味に笑った。


「そうまでして欲するか? ……あの若き王のこころを」


 ルシーンは首を横に振った。


「いえ……。わたしが欲しいのは……あくまで術の方にございまして……」

「本当か? まあ、教えてやってもよいが。術者が未熟であれば、技は完全には発動せぬ。そして、魔術をかけられた対象者のこころは二度と戻らぬ」


 それを聞いてルシーンは「むしろその方が都合がいいのです」と聞こえないようにつぶやいた。


「構いません」

「ククク。では伝授しよう」


 ルシーンが喜んだのもつかの間、エスピリストゥは条件を提示した。


「ただし……」

「ただし?」

「わたしの娘、ドロテアが、ソラリス王と結婚したいと申している」

「ええ……? なんですって?」


 ドロテアはエスピリストゥが心操術を用いてかどわかした貴族の女との間にもうけた子どもだった。美姫だった母親に似て妖艶なる相貌をしているが、性格は父親に似て狡猾で浅ましい。


「ドロテアはソラリス王が闇の国を訪問した際に、一目見てこころを奪われたそうだ。ソラリス王には既に妃がいると何度も伝えたのだが、聞く耳を持たなんだ……。困った娘だ……。だから、我が娘ドロテアと、ソラリス王との結婚を取り計らってくれないか、ルシーン殿。娘が結婚すれば、闇の同盟の結び付きも強くなる。双方、良い結果となるだろう」

「しかし……リト・レギア王国は一夫多妻制ではございませぬ。それに、ソラリス様は既に王妃を迎えられた。第二王妃を迎えるのはこの国では前例がございませぬ。モイウェール王も、四度結婚されたが、いずれも時期が異なっていた……」


 ルシーンが説明をしていると、エスピリストゥはわかっていない、というような小バカにした表情を見せた。


「だから、だ。……王妃を亡き者にできぬか」

「王妃を、ですか……」


 エスピリストゥはうなずいた。

 ルシーンは一瞬で策略を巡らせた。そして、快諾した。


「ええ、いいですとも! あの王妃はわたしにとっても邪魔な存在。いずれ始末しようと考えていたところです。無事、ドロテア様とご成婚できるよう、努めさせていただきます……」

「本当か! 頼んだぞ。娘は強情で我が強いからな……やれやれ、誰に似たのか」

「……。お任せください」


 水晶での通信が終わり、ルシーンが部屋から出ると、先ほどまでウワサにしていたソラリス王の妃となったマリンが歩いてきた。


「!」


 ばったりと出会ったルシーンとマリンは、お互いに目が合った。


「……」


 先に、マリンが目をそらした。


「おや……。王妃よ……。こんな時間に、一人で城内を散策ですか?」


 マリンはルシーンを無視した。敵である闇の魔導師とは、なるべく口を聞きたくない。


「王妃よ……。確かに、宮廷魔導士のわたくしめの方が現在は身分が下でございますが……。王の友人であるこのわたしに挨拶がないのは……いささか寂しいものです」

「……そうですか」


 マリンは臆することなく、毅然とした態度で言い放った。

 ルシーンには、その態度が余計に憎々しく感じられた。


 ルシーンは疑問だった。

 何故、ソラリスはこんな小娘を王妃に迎えたりしたのだろうか。

 貴族階級で美しい女はいくらでもいる。

 やはり、ソラリス以外では彼女だけが持つ、あのエメラルドグリーンに輝く瞳に魅せられているのだろうか。

 いや、ソラリスがそれだけの理由で結婚を決めたのは考えにくい。


 ――一体この女のどこが良いのか……。


 ルシーンは思考を巡らせる度に、マリンに対して嫉妬で狂いそうになった。


 ――女だから、美しい容姿だから、賢いから? たったそれだけのことで、十年近く想いを寄せてきたこのわたしを差し置いて、ソラリス様に気に入られるなんて。王妃を亡き者にだと? 言われなくてもするつもりでいたさ。この女はソラリス様に相応しくない。いいや、どの女も、あのどんな闇より深く、濃く、そして美しいソラリス様には似つかわしくない。だから、このわたしがソラリス様をお守りせねばならぬ。わたしだけを見ていただけるように。


 マリンは、ルシーンとの会話が終わってもなお、身の毛がよだったままだった。

 闇の魔導師への憎しみは、消えることはないだろう。

 両親の仇への憎しみを募らせるソラリスへの糾弾も、「お前が言えた口か」と言われたらその通りなのだ。

 しかし、マリンは自身が憎しみに捕らわれているからこそ、同じアスセナ族のソラリスには、このようなつらい想いをしてほしくない。彼がどんなに邪悪でも、彼を見捨てることは、家族を見捨てることと同義だ。

 だから、彼が悪の道へ進んでいくのを、できるなら止めたい。

 しかし、もう、時が遅すぎてソラリスのこころが戻ってこられない場所まで行ってしまっているのなら、殺してでも悪行を止めなくてはいけない。


 過ちは、死を持って償われるべきだ――。


 これは、マリンが信仰する神の教えとは反するが、彼女自身の意志で覚悟している。地獄へ落ちるなら共に逝くべきだと考えている。

 夫とは認めてはいないが、同じ部族――家族なのだから。


「でも、まずは」


 マリンはルシーンのことを考えていた。


 ソラリスのそばに、闇の魔導師の彼がいるからよくないことが起きているのだ。

 まずは、ルシーンをソラリスのそばから切り離すべきだ。それでソラリスが救われるのなら。

 しかし、マリンの白魔道よりも、ルシーンの黒魔道の方が、実力は上だ。

 機を見誤ったり、不意を突かれたら、確実に殺されてしまう。

 慎重に行かねばならない。


 そして、闇の魔道師の最高司祭キルデール。

 彼は、不老不死という疑惑がある。もしそのウワサが本当なら、弱点を見つけない限り、一族の復讐は一生完成しない。

 様子を伺って、何としてでもキルデールの弱点を見つけ出す。そして、砂漠の国へ集っている勇者たちに真実を告げよう。


 正義のために行動する者たちの力が合わされば、どんな闇も、きっと取り払われる。

 マリンは、そう信じていた。

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