第111話 恋するエルフの少女の件

 砂漠の国での穏やかな午下、デシェルト王に呼ばれたリュウトはアリアを伴ってエレミヤ城の大広間に来ていた。

 広間では、玉座に座るデシェルト王が、エルフの少女の歌声に耳を傾けていた。

 エルフとは、細身の肢体と尖った耳を持ち、精霊を操る魔法に長けている種族だ。普通は、精霊の国の森に棲んでいる。

 エルフの少女は、長く美しい髪を左右の耳の下で三つ編みにしていた。まだ十四、五歳に見えるが、エルフは長寿の種族なので、見た目の十倍は長く生きている。


「エルフ! ダークエルフじゃないエルフははじめて見たな~!」


 リュウトはエルフの少女を見て驚いていた。

 エルフの少女は、吟遊詩人ルバートが旅立つ際に書き上げ、残していった砂漠の国の曲を歌っていた。デシェルト王の伝説を語り継ぐものでも、砂漠の国の傭兵たちの蛮勇を誇るものでもない、砂の民が帰る場所を表現した曲だ。

 その旋律は、雄大でいて、荘重で、砂漠の民の静かなる闘志が伝わってくるような曲だった。

 砂漠の国の民を一つにするための曲を、天才ルバートは見事に完成させて旅立っていったのだ。


「美しい歌声だった」


 デシェルトは歌唱を聞き終えると、エルフの少女に向けて微笑んだ。デシェルト王も、ああいった顔をするんだ、とリュウトは二重に驚いた。

 デシェルトに褒められたエルフの少女はそばかすのある顔を紅潮させた。


「ありがとうございます、陛下……!」


 そう言うと、エルフの少女は下を向いてしまった。

 彼女がデシェルトに好意を持っていることは、誰が見ても明らかだった。


 アリアはエルフの少女を眺めた。


「砂漠の国にエルフって、珍しいね。手足が細くてキレイで。いいなぁ、憧れちゃうなぁ……」


 アリアはエルフの少女の容姿に見惚れていた。

 リュウトはアリアになんて声をかけようか考えたが、思ったことをそのままいえばいいやと思った。


「うーんと。アリアは、そのままでいいと思うよ」

「えっ……!」


 アリアはその言葉に少しだけ動揺した。

 アリアは外面的にも、内面的にも魅力のある大人の女性になることに憧れている。

 リュウトが言ったそのままでいい、とは建前なのか、本音なのか、どっちなのかがアリアにはわからず、悶々としてしまった。


「ううっ……小さいままの方が……いいってことなの……? そ、それは……つまり……」


 アリアが一人で気落ちしていると、デシェルトがリュウトを呼び寄せた。


「アリア。デシェルト様が呼んでるから、オレ、いってくる!」

「あっ、うん!」


 リュウトは行ってしまった。


 一人になったアリアは、先ほどルバートが作った曲を歌っていたエルフの少女に話しかけた。

 エルフの少女は、部屋の隅でリュウトと一緒に部屋を出て行くデシェルトを遠巻きに見つめていた。


「あの、はじめまして」


 突然聞こえた声に、エルフの少女は少し驚きの表情を見せたが、アリアだとわかると口元に微笑を浮かべ、返事をした。


「はじめまして」


 エルフの少女は歌声も美しかったが、話す声も透き通っていて美しかった。


「わたしは魔導士のアリアです。さっきの歌、とても素敵でした!」

「ありがとうございます……。わたしはリナリア。見ての通り、エルフです」

「わあっ……! リナリアさんっていうのね……! わたしたち、名前が似てますね!」

「ふふっ。そうですね」


 リナリアが笑うたびに、彼女の三つ編みのおさげが揺れた。


「あの、リナリアさんはどうして砂漠の国に……?」


 アリアは遠慮がちに訊いた。砂漠の国は精霊の国ほどは精霊の力が強く保てない土地なので、エルフにとってはかなり住みづらいはずだ。


「わたしは、精霊の国にあるエルフの森で暮らすただのエルフでした。ただの……というよりは、その、わたし、かなりドジなエルフで……。ある日、森にやってきたデシェルト様に危ないところを助けていただいたのです。……それで、その……恩返しをしようと、砂漠の国までお供することにしたんです」


 アリアはリナリアの話を聞いて、頬が緩んだ。

 リナリアは運命的な出会いをして、砂漠の国に来ることになったのだ。


「そうだったのね! えっへへ。……恋をするって、いいよね!」


 リナリアはさらに顔を赤くさせ、下を向いた。


「こっ、恋だなんて! デシェルト様とわたしでは、とても……。種族も違えば身分も違います。恋をする資格すら、ないんです……」


 アリアはうつむくリナリアを力強く励ました。


「恋に資格なんていらないよっ! 好きなら好きでいいんだよっ!」

「えっ! アリアさん……?」

「あっ! ごめんなさい! いきなり大声を出しちゃって……。でも、でもね! 恋愛はしてもいいと思うの! 相手が年の差でも身分差でも人種が違っても関係ない! 好きなら好きって思っていいんだよっ!」

「……アリアさんも、恋をしているんですね」

「えっ! ええっ?」

「リュートさんのことが好きなんですね、アリアさんは」

「ええっ!」

「ですよね?」

「うっ……。あの、は、はい……」

「ああ、ではウワサは本当だったんですね。白魔導士のナタリーさんは、年頃の女の子を見かけるたびに、リュートはアリアのカレシだから狙っちゃダメって釘を刺して回っていましたから……」

「えっ! えっ! えーっ! カ、カレシ! ちっ、違うよ! ま、まだなの……。まだ、そういう関係じゃないの……。もー! ナタリーさん~っ! 何を言いふらしてるの~……」

「うっふふ。そうなんですか? リュートさん、砂漠の国の女の子たちからはかなり人気があるんですよ。可愛らしい顔をしているし、気配りもできるし」

「そっ! そうなんだっ? えっ、ええ……。でも、確かに……。あれだけやさしくできるんだから、モテるのは何もおかしくないけど……でも、でも……」


 ナタリーがいつか言っていた、やさしい男はずるずるいっちゃうという言葉がアリアをさいなませた。


「リュートさんが誠実な方だというのは知られていますし、お二人はいつも一緒にいるから……大丈夫ですよ。想いが届くといいですね」

「ど、どうなんだろ……。わたし、まだまだリュウトさんからしたら子どもみたいなものなのかなぁって思うの……。身長も低いし、胸もないし……。はやく大きくなりたいなぁ……」

「ゆっくりで、いいと思いますよ」

「あっ……」


 アリアは自分の失言に気が付いた。話し相手の彼女はエルフで、二つか三つかしか変わらない容姿だが、実際は百年以上生きているのだ。それに、彼女はデシェルトより遥かに長い年月をこれから過ごしていくことになるだろう。ひょっとしたら、想い人を看取る可能性もある。彼女は変わらぬ容姿のままで――。


「片想いって、せつない……」

「そうですね。でも、好きだと思える方に出会えただけで……わたしは幸福です。もう、それ以上のことは望んでいません……」

「リナリアさん……」


 アリアはリナリアの手を繋いだ。


「アリアさん?」

「わたしは……。リュウトさんといつか離れ離れになるときに、そう、言えたら……いいな……。でも……わからない。リナリアさんのように強く想えたらいいのに……」


 リュウトはいつか元の世界へ帰って行くだろう。

 二度と会えなくなるとわかった上で、リュウトが元の世界へ帰ること選んだとき、アリアはリナリアのように、強く生きられるだろうか。リュウトがいなくても、これまでと同じように過ごせるだろうか。

 本当は元の世界へ帰りたかったのに、アリアに気を遣ってリュウトが帰ることを選ばないことが現実になった方が、もっとこころが痛むが――。


「あっ! そうだ!」


 アリアは思い出した。壊れた聖鳩琴をルバートに見せたとき、エルフの王なら直せるかも知れないと言ったときのことを。

 エルフの王と同じエルフのリナリアなら、何かわかることがあるかもしれない。

 しかし、今日は聖鳩琴をこのエレミア城まで持ってきていなかった。


「リナリアさん、話が変わるけど、聞いてもいいかな……」

「なんでしょう?」

「わたし……今は砂漠の国の一般人として暮らしているけど、本当はリト・レギア王国の王女なの……。リト・レギア王国には王家の血を強く引いた者にしか扱えない聖鳩琴という宝物があって――」

「存じ上げていますよ。聖鳩琴、今はアリアさんが受け継いでいるのですね」

「実はわたし、その聖鳩琴を落として壊しちゃったの」

「えっ……。あら……」

「それで、吟遊詩人のルバートによると、エルフの王なら壊れた聖鳩琴を直せるという話で……。エルフのリナリアさんなら何かわかることがあるかなって思って」

「エルフの……王……」

 

 リナリアはエルフの王と聞いた途端、表情を曇らせた。


「どうしたの?」

「あっ……。いえ……そうですね、エルフの王になら直せると思います。ピュアミスリルがあれば……」

「ピュアミスリル?」


 アリアには思い当たる物があった。手に入れたときから、誰にも言わずに肌身離さず持ち歩いている。とても大事なものだという予感は当たっていたのかもしれない。


 ランプの中の不可思議な世界に迷い込んだとき、ゾナゴンからもらった透明な石を、ポケットから取り出してリナリアに見せた。


「これ?」

「! ……そうです。アリアさん……何故、持って……」

「これって、すごいものなの?」

「はい。歪んだ時空でしか採れない希少な原石です。エルフやドワーフが神器を作る際に使用します。……くれぐれも悪しきものの手に渡らないように気を付けてくださいね」


 アリアは右手で持つピュアミスリルを眺めてゴクリと唾を飲んだ。


「材料もそろっているので、直せるとは思うのですが……エルフの王には決して会いに行ってはいけません。あの方は、同族のエルフを始末することさえもなんとも思わない、おそろしい方です。絶対に、エルフの王の城へ行こうとは思わないでくださいね」

「うん、覚えておくね」


 ルバートもリナリアも「エルフの王には会うな」と真剣に忠告をする。

 しかし聖鳩琴は、本当に直らないままでいいのだろうか。

 アリアには、聖鳩琴を直さないままでは、間違った未来へ進んでいってしまうような虫の知らせがあった。


     *  *  *


 リュウトはデシェルトに連れられて、別の部屋にいた。

 シリウスたちを待機させている中庭のすぐ横の小さな部屋だ。

 床には何か大きなものが置いてあった。上からそれを覆い隠すように布が掛けられている。その布のシルエットだけでは、何が置いてあるのかは検討がつかない。

 兵士の一人がデシェルトに言われて布を取り払った。


「これは……」

 

 取り払われた布の下から、飛竜用に作られた鎧が出てきた。


「特注で作らせた」


 デシェルトの言葉にリュウトは何も返せなかった。飛竜用に作られた鎧――竜具は、砂漠の国の紋章が刻まれていた。ちょうど二匹分ある。


「どうだ、リュート。この竜具をシリウスに着ける気はあるか?」


 リュウトは真っ先にアリアのことを考えた。

 平穏に暮らすためにリト・レギア王国から出てきたのに、また「平穏」から遠ざかってしまう。


「この竜具は重いぞ」


 デシェルトが言いたいのは、この竜具を身に付ければ、砂漠の国の戦士として戦う責務が生じるということだ。鎧よりもずっと重たい責任だ。


「それは……わかります……」


 デシェルト王は質問しているが、特注したとわざわざ言うのだから、実質的に選択肢なんてないじゃないか――とリュウトは唇を噛んだ。

 アリアの太陽のような笑顔を思い出すと胸が苦しい。


「デシェルト様。オレ……砂漠の国の竜騎士として、助力します」

「リュート。期待している」


 デシェルトは踵を返して部屋から出て行こうとした。


 戦いは、すぐそばまで迫っているようだ。


 ――今度は逃げられない。


 逃げずに戦わなくてはいけない。

 生きるために。

 竜騎士であるということは、戦う力を持っているということは、必要とされたくなくても必要とされる。

 民を、国を守るために戦うことを。

 そのことが嫌なわけではない。

 ただ、戦えば戦うほど、本当の望みからは遠ざかっていく。

 アリアにやさしい世界で過ごしてもらいたいという望みから。

 できれば人にやさしくありたいという流れ星にも誓ったリュウト自身の望みから。


「ははっ……。異世界、楽じゃないなぁ……。現実はどこまでいってもシビアだ」


 リュウトはつぶやくと、今度は『リュートと愉快な仲間たち』の顔が脳裏に浮かんだ。

 頭の中の仲間たちは、誰もかれもが笑顔だ。

 この笑顔を守るためには、もう逃げることはできない。

 この笑顔を守るためには、生きなければならない。

 逃げず、おそれず、戦い――戦って、生き抜いて、生き延びなければならない。


「生きよう――」


 デシェルトに用意された竜具に触れて、決心を固めた。

 デシェルトは部屋の扉の前でリュウトに向き直らないまま、


「これからも、頼む」


 とだけ言って出て行った。

 

 ――アリアに説明するのが、つらいな……。


 窓から見えるシリウスと風竜は、身を寄せ合って主人たちの帰りを待っていた。

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