第105話 あなたが詠うべき物語の件
アリアがエレミヤ城の広間に戻ると、もうあの吟遊詩人の若い男は姿を消していた。
カレジャスとナタリーが、彼ならきっとデシェルト王に任された国家のスコアを書くために忙しくしているだろうよ、と、アリアが聞きたい情報ではないことを教えてくれた。
アリアは一日中砂漠の国の王都の中であの吟遊詩人を探し続けた。
そして日が落ちて、ようやく街の外れの酒場で彼を見つけたのである。
「ひゃ~。アリアを怒らせるととんでもないことになるな~」
と、リュウトは彼女に聞こえないようにぼやいた。
「探したわ! やっと見つけた!」
吟遊詩人の男はアリアの方へ顔を向けた。
カレジャスたちが言っていたように、デシェルト王に頼まれた歌を作っている最中のようだった。
「誰だい。って、何だよ、ガキか。ガキには用はないよ。大人の女になってからまた来な。オレは今、曲を作るのに忙しいんだよ」
若い男の口調はぶっきらぼうに手を振って帰れと合図した。
昼間、王城で優雅に歌っていたときとはまるで別人のような口ぶりと態度だ。
「なっ! なんて失礼な人なの!」
吟遊詩人のその態度にアリアの怒りは再沸騰したようだった。
「アリア、まあまあ……」
リュウトのなだめも、怒ったアリアの耳には届いていなかった。
「あなた! どうして今日の昼、嘘をついた歌を歌ったんですか!」
竪琴を奏で、メモを取っていた吟遊詩人はまた、嫌そうな顔でアリアの方を見た。
「へーえ。お嬢さんも、あそこにいたのか……。オレは嘘なんかついてないさ」
吟遊詩人の虚言をアリアが鋭く突いた。
「嘘よ。だってわたしは生きてるもの!」
男は楽譜を書く手を止め、丸くした目でアリアを見た。
「……ほーお。あんたがアレーティアさんか。じゃ、デシェルト王はオレが嘘をついてたこと、わかってたんだな」
「兄様のことを悪く言わないで! 金輪際、昼間の歌を歌うのは禁止!」
「あ、アリア……」
リュウトは慌てた。
吟遊詩人を怒らせてアリアが危ない目に遭ったら嫌だ。
しかし、吟遊詩人は怒るどころか、楽しんでいるように見えた。
「ふーん。ソラリスとアレーティア。竜騎士の国の王子王女って、全っ然似てないんだな。オレはどっちかっていうと、アレーティア、君の方が好きだな」
吟遊詩人は笑っていた。
「え? あなたは、兄様を知ってるの?」
「ああ、もちろん。話したこともあるぜ。というか、オレたちは友人同士なんだよ。まっ! あのソラリス王子に友情とかいう概念があるかは謎だがな! 最初に会ったときは確かまだお互い美少年だったな~」
「じっ、自分で言う?」
「いい奴だったよ」
「ソラリス兄様を知っているのなら……じゃあどうして兄様を
「ちょっと脚色した方が、大衆受けするからな」
「そっ……そんな理由で?」
「そんなってことはないだろう。王女様は苦労なんかしてないだろうけど、芸で食って行こうという奴らは命がけなんだぜ。敬意を払ってくれないと困るよ」
「……」
アリアは黙った。
王女様は苦労していない、ということに怒ったのではない。
命がけで芸を磨いてきた者たちへ敬意を払うべきだという彼の言説はその通りだと思った。
しかし、だからといって兄の事実ではない悪口を歌われたことに対する怒りは止められない。
竜騎士の国は悪だと扇動する吟遊詩人など、到底許すことができない。
だが、ああ言えばこう言う吟遊詩人を前にして、言いたいことがうまくまとまらなくなってしまった。
「おいおい。言いすぎたよ。泣くなよ? 女の涙には弱いんだから。なーんてな! ふふ……」
男はなお、ふざけていた。
「……わたしのことだったら……嘘をついてもいい。けれど、兄様のことで嘘をつかないで……」
アリアは続けた。
「わたしが悔しかったのは、兄様のことで嘘をついたこともそうだけれど……わたしも、あの場であなたの歌を聞いたとき、あなたには本物の才能があると思ったから。だから悔しかった。どうしてあなたには本物の才能があるのに、嘘をついた歌なんかで……と思うと、悔しかった……! あなたは、何のために歌を歌うの? 何のために吟遊詩人をやっているの? わたしは、歌には力があると思っている。歌だけじゃない。絵も詩も文章も。芸術には力がある。だからこそ、誰かを傷付けるものじゃなく、誰かを癒すために才能は発揮されるべきだと思う。傷付いた誰かを癒せるような歌こそが本物の芸術。あなたの声は、歌は、奏でるメロディーは、嘘をつくためのものじゃない! もっと大きな可能性のために与えられたものだと、あの場でわたしは思った。だから、あなたは、あなたが詠うべき物語を織るべきよ……! あなたの才能を、嘘で濁さないで!」
吟遊詩人はアリアの説得を黙って聞いていた。
そして鋭い目を向けて口を開いた。
「へーえ。なんで説教されてんのかわかんねえけど。オレが詠うべき物語を織るぅ? そこまで言うんだったら、アレーティア様が面白い話を聞かせてくれるんだろうなあ?」
「えっ!」
「あるんだろ、オレが歌にしたくなるような面白い話が!」
「えっ……えっ」
――まずい、アリアがピンチだ!
リュウトはアリアをかばうように身を乗り出した。
「オレも! オレが主人公の歌も作ってよ! オレの方がいい題材になると思うんだ!」
「えっ、リュウトさん?」
「オレが主人公の歌を作るならさ、カッコよくしてくれたら嬉しいなーって! って、あ、それじゃあ嘘になるか……。あれ、嘘の方がいいんだっけ? それじゃあやっぱりオレの方が適任だ! オレの歌を作ってよ、な! いいだろ!」
リュウトは大声で笑って恥ずかしさをごまかした。これでアリアのピンチが救えたらそれでいい。
「なんなんだあ? お前は。いきなり出てきて失礼な奴だな」
「失礼な奴はお互い様だよ! アリアにガキとか言うなよなー!」
「ちっ」
吟遊詩人は舌打ちした後、考え直してみた。
「……だけど、面白くなるかもな。お前、名前はなんて言うんだ?」
「オレ? リュートです」
「リュート? へーえ……。リュートか。いい名前じゃないか……。これは本当に面白い歌ができるかもしれないな。リュート、お前、楽器はやらないのか」
吟遊詩人は「リュート」という名前の響きをとても気に入っていた。
「やってみたいけど、ガラじゃないです」
「おいおい。芸術を愛するこころにガラもなにもあるかよ。はじめたいと思えばやればいい。才能なんてやってみなければわからないからな」
「ふーん。いいこと言うね! あっそうだ、吟遊詩人さん、名前はなんて言うの? オレだけ名乗らされるのは不公平だから教えてよ!」
「オレか。オレの名は……ルバート」
「ルバート? へー! リュートとルバート。なんだかオレたち、名前が似てるね!」
「に、似てるか?」
ルバートはリュウトのお茶らけた態度に機嫌を持ち直した。
「ふふっ。面白いな……。ソラリスの妹アレーティアに付き従う変な奴……か。もっとお前の話を聞かせてくれ、リュート」
「変な奴~? よく言われるけど、絶対にオレのまわりの方が変な奴らなんだよなぁ……。あ、そうだ。ルバートは楽器に詳しい?」
「は?」
リュウトはアリアから聖鳩琴を受け取り、ルバートに相談した。
「これ、聖鳩琴っていうんだけど。壊れちゃったみたいでさ。これ、ルバートは直せたりする?」
ルバートは聖鳩琴を見て驚いた。
「せ……聖鳩琴……! こんなものがなぜここに、ってそうか、あんたアレーティア王女だっけか」
ルバートは聖鳩琴を丁重に受け取り、何度も確認していた。
アリアはその横で、最初は嫌な態度ばかり取っていたルバートという名の吟遊詩人とあっという間に打ち解けられたリュウトのコミュニケーション能力の高さに驚いていた。
「直せないことはないだろうけど……」
ルバートは言った。
「並の人間には無理だな。聖鳩琴は普通の楽器じゃない。だけど、精霊の国にいるエルフの王なら、確実に直せるだろう。あの王は神より使わされし宝に詳しいからな。けれど、エルフの王は気分屋だから、気に入られないと無理だ……。それに精霊の国は魔力が高くない人間が行くのは危険だ。わざわざ危険を冒してまで行くことはない場所だ。聖鳩琴はこのままでもいいんじゃないか?」
「そうなんだ……」
アリアとリュウトは少しだけ暗い顔をした。
それを見てルバートは言葉が悪かったことを反省した。
「ちっ……。リュートとアレーティア王女……。バカっぽいガキなんだから、お前らにそういう顔は似合わないと思うぜ!」
「バカじゃないよ! ……オレはわかんないけど、少なくともアリアはバカじゃない……」
「わたしたちはバカじゃないよっ!」
「ははっ。……いいよ、わかったよ。お前らが面白いのはよーくわかった。アレーティア王女、悪かったな。もうソラリスで嘘をつくのはやめるよ」
「えっ! 本当に? ルバート!」
「ああ。疑うなよ。だからお前たちのことをじっくり教えてくれ。なんで砂漠の国にいるのか、お前たちはどうして出会ったのか、嘘をつかずに、本当のことをオレに教えてくれよ……」
それから、アリアとリュウトはルバートにこれまでの旅のことを嘘をつかずに話し尽くした。
これで、ルバートが新しい曲を作って、人々の記憶に残るソラリスの嘘の歌が消えて、竜騎士の国の名誉を回復していければいいと二人は思っていた。
しかし、アリアとリュウトはまだこのとき、自分たちが物語の主人公になることがどういう意味をもたらすかは、想像ができていなかった。
アリアとリュウトはルバートにこれまでの冒険を話し終えると、酒場からみんなの家へ帰って行った。
酒場に残ったルバートは、徹夜で二曲、書き上げた。
「オレが詠うべき物語、か……。アレーティアにリュート。オレはもしかして、とんでもない奴らとたった今話していたばかりなのかもな……」
ルバートは立ち上がり、酒場を後にした。
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