第103話 抱きしめたい背中、止まらない鼻血の件

 ユカタン島の宿は山の上にあった。

 旅館への道も、今回は歩いて行った。いつもはドラゴンの背中に乗って快適に移動しているが、一歩一歩自分たちの足で進んでいくのもまた、旅の醍醐味だ。

 巨大な滝で虹を見たり、つり橋を渡ったり、奇妙な植物を見つけり等々、歩いていくからこそできる楽しい発見もたくさんあった。

 シリウスと風竜は、リュウトたちを見守るように空からついてきた。


「わー! ここが旅館ね! 想像してたよりもずっと大きくてキレイじゃない!」

「すごいぞなー」


 リュウトたちは一時間かけて、山の上の旅館にたどり着いた。

 ラミエルが言う通り、山の上にひっそりとたたずむ旅館は、大きくて、新築のようなキレイさだった。しかし、ゼルドが若かった頃からあったというので、ユカタン島の民宿は大分もうかっているのだろうか。


 ナタリーは男女別に部屋を取っていた。

 女子の部屋で、ラミエルとアリアはナタリーに質問した。


「えー、ナタリーはよかったの? カレジャスと一緒にいたいでしょ」

「いいのよ。旅は大勢の方が楽しいから。それより今夜は女子トークをするわよ~! 朝まで寝かせないわ! 覚悟してなさい、アリア、ラミエル!」

「な、何ですって」

「あはは。ありがとう、ナタリーさん」

「いいのよ。みんなが楽しくなった方が、わたしもカレジャスも嬉しいし、大陸中を旅をすると、色んなものを見るからね。こういった癒しの時間が、何よりも大切に思えてくる」

「ナタリー……」

「ナタリーさん……」


 男子の部屋では、荷物を降ろしたらさっそく温泉に入ることになった。


「リュート! 楽しみにしているところ悪いが先に言っておくと、ここの温泉は混浴じゃないぞ」

「ゼ、ゼルド……。な、な、な、何でみんなしてわざわざそんなこと言ってくるんだよ……」

「期待してるだろうと思ってな。違うか」

「……! ち、違うよ……」


 温泉はゾナゴンやゼルドの言う通り、混浴ではなかった。


「って、違うから! 全然期待してないから!」

「何を一人で騒いでるんだ?」

「え? あ、あはは。何でもないよ……」


 リュウトは男湯にゼルドとカレジャスと一緒に入った。

 温泉は露天風呂で、島が一望できる。


「ああ……温泉だ……温泉だ!」

「ふ~……効くぜ~」

「癒されるね」

「あっ。へー! ここから港が見えるんだ……。今日は空も晴れて星がキレイで、最高だなあ!」


 リュウトが空を見上げていると、突然、ラミエルたちの声がすぐそばで聞こえた。


「でね、そのときリュートったら……」


 リュウトは息を殺した。


「じょっ! 女子の声だっ!」


 ゼルドとカレジャスは気にしていないようだった。

 それとも、聖鳩琴のように、リュウトにだけ聞こえているのだろうか。

 二人はまったく動じていなかった。


「はー。ナタリーはいいわね。何を食べたらそんなに大きくなれるの?」


 ゼルドとカレジャスは動じていないが、ラミエルたちの話し声はやっぱりリュウトの耳にはよく聞こえる。


「食事はみんなと変わらないと思うけど……」

「ナタリーはきっと毎日赤毛の勇者に揉まれてるぞなもしね~」


 急に会話に加わったゾナゴンの言葉にカレジャスがむせた。


「げほっげほっ」

「聞こえてるじゃん、カレジャス……!」


 女湯では突然現れたゾナゴンを追い出そうと、ラミエルが躍起になっていた。


「ギャー! なんでいるのよこの変態ドラゴン!」

「我は子どもぞなー! だから女湯に入るぞなー!」

「うるさーい! 保護者の元にかえんなさーい!」

「ぎゅわーっ!」


 ラミエルがゾナゴンを蹴り飛ばしたようだ。

 空から降ってきたゾナゴンをリュウトはちょうどキャッチした。


「リュート? 近くにいるのね! あんたそいつの保護者だったらちゃんと見てないとダメじゃない!」


 ラミエルに投げられたゾナゴンは目を回していた。


「ったく、お約束をやってくれるよな~」

「うう~。なんで男と一緒に風呂に入らねばならんぞな~」


 温泉を楽しんだ後、各自次々と上がっていった。

 リュウトは最後の一人になっても、夜空を眺めていた。


「空が本当にキレイだ」


 ――空は繋がってる、か。


 リュウトはゾナゴンが前々から言っていた言葉をふいに思い出した。

 リュウトは夜空に向かって手を伸ばした。


「手を伸ばしても……星にも月にも届かないな……」


 ――なんて、センチメンタルな気持ちになって、オレ、どうしたんだろう。


「上がるか」


 リュウトは湯から上がった。

 身体を乾かして、服を着替えて出てくると、同じタイミングで女湯からアリアが出てきた。


「リュウトさん!」

「あれ、アリアも一人で入ってたの」

「うん。空がキレイだったから、一人で見ていたくて」

「そうなんだ。実はオレもそうだったんだ……」


 考えることが同じだったんだな、と思うとリュウトは嬉しくなった。


 お風呂上がりのアリアを前にして緊張したリュウトは照れて頭をかいた。

 照れると頭をかいてしまうのは癖なんだろうな、と本人は自覚していた。

 すると、アリアがリュウトの異変に気が付いた。


「りゅ……リュウトさん、背中が……光ってるよ……」

「えっ! またか~」


 背中の不必要な照明はタイミングを考えてくれないようだ。


「……あの、リュウトさんが良かったら、だけど、見てもいい? 背中……」

「えっ? ああ、いいよ」


 二人は温泉の入り口の前にあった椅子に腰をかけた。

 リュウトはアリアに背中の痣が見えるように、上半身だけ浴衣を脱いだ。


「せ、せ、背中だからな、落ち着け落ち着け……」


 アリアはリュウトの背中の竜の痣を見つめた。

 確かに、はっきりと竜だとわかる形をしている。

 まるで心臓の鼓動のように、竜の痣は一定のリズムで光っては消えて、を繰り返していた。


「これが、竜の痣……」


 アリアは食い入るようにして眺めた。


「お、オレ! お、お、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……」


 リュウトはアリアに背中をじっくりと見られるという予想だにしていなかった状況に、少しだけパニックになっていた。


「?」


 リュウトの混乱に合わせて、背中の光はますます強くなっていった。

 しばらく光る背中を眺めていた後、アリアはようやく気が付いた。


「あれ?」


 ――わ、わたしったら! りゅっ……リュウトさんの背中を見てるっ!


 意識をしてしまったアリアは、もう意識をしていなかった頃の平静さを取り戻せなかった。


 ――リュウトさんの背中! 広くはないけど、ほどほどに筋肉がついていて……だ、抱きしめたい……って、わたしは何を考えて……。わたし、変態みたいなことを考えちゃって、リュウトさん、ごめんなさいっ!


「あああああっ! ううううっ……! きゃ~!」


 突然、か細く消えていく悲鳴と共にバターンという音がしたのでリュウトが振り返ると、アリアがひっくり返っていた。


「えええええーっ! アリア! だ、大丈夫かーっ!」


 アリアは鼻血を出して倒れていた。


「あっ……アリアーーーーーーッ!」


 リュウトは急いでアリアを部屋に連れて行った。

 倒れたアリアを、女子の部屋でラミエルたちが介抱した。


「んんっんん……あれ? わたし……」

「あっ、気が付いた? アリア……」

「あ……ラミエル、ナタリー。わたし、いつの間に戻ってきたんだろ? リュウトさんの背中を見てて……って、わ!」


 アリアは色々と思い出した。

 リュウトの背中を見ていたら、興奮して鼻血を出してしまったなどとは、誰にも言えない。

 アリアは声にならない悲鳴を上げた。


「っ~! あぅう……」

「アリア。まだ変。のぼせちゃったのね」

「うん…………そういうことで……お願いします……うっ……」


 朝が来た。

 一同は、楽しかった癒しの旅を終え、ユカタン島から砂漠の国にある家まで帰ることになった。

 アリアの姿を見かけたリュウトは、真っ先に体調を心配した。


「アリア! 昨日は大丈夫だった?」

「うっ! うんっ! 元気すぎるほど元気になったよっ!」

「え? そ、そうなの? それならよかった」

「心配してくれて……ありがとう。リュウトさん」

「当たり前だよ! アリアには健康でいてほしいからね!」

「えっ……と。うん……」

「ちょっとでも様子がおかしかったら、すぐにオレに言ってほしい。あ、男のオレに言うのが嫌だったら、ラミエルとかでもいいんだけどさ。とにかく、無茶はするなよ」


 リュウトはまた照れて頭をかいた。

 アリアはリュウトのその仕草が好きだった。

 いつも心配してくれるリュウトの心遣いに「好き好き大好き!」と思うアリアだったが、声に出てしまうのをグッとこらえた。

 リュウトが許してくれるなら、毎日でも抱きしめたいほどアリアはリュウトのことが大好きだが、お願いする勇気はまだない。


 帰りも渡し船で島から大陸へ向かうことにした。

 渡し船が来るまでの間、仲間たちは今回の旅について語り合った。


「すっげーいい旅だった! 楽しかったー! またいつか行こう!」

「リュウトさんなんだか元気そう。よかった」

 

 リュウトの嬉しそうな顔を見て、アリアもニコニコだった。


「そうね。またみんなで来たいわね!」

「カレジャス、ナタリー。もっと面白い場所を知ってたら、じゃんじゃんあたしたちに教えてちょうだいね!」

「ははは。ラミエルは面白いね……」

「本当に楽しかったぞな!」

「ああ。そうだな。オレも久しぶりに来られてよかった」


 リュウトは横にいたアリアの顔を見た。

 

 今回の旅で一番嬉しかったのは、アリアが元気になったことだ。


 満月の下で聖鳩琴を吹いてもらった日に、リト・レギア王国に戻りたいかという質問の回答をしてからアリアを動揺させてしまったことを、リュウトは察していた。


 事実、リト・レギア王国での暮らしは楽しかった。

 王国を出ることになってコンディスやフレン、シェーンたちと会えなくなったのは寂しかった。

 王国を出てきたことが、正しい選択をしたかどうかはいまだにわからない。

 けれど、時間はまだまだいっぱいある。

 王国を出てきたことが正しいか正しくないかを考えるのも大切だが、間違っていなかったと思えるようにこれから正しいことをしていく努力はもっと大切だと思う。

 困っている人がいたら助け、楽しいことがあったらみんなで分かち合っていこう。

 砂漠の国では、そうやって過ごしていきたい。

 それは、アリアと一緒なら、これからもっともっとできる気がする。


 リュウトはアリアと一緒にいる時間が多くなって、以前より彼女の性格がわかるようになってきた。

 士官学校時代はアリアに会えなくなってから、彼女に対する憧れの気持ちが強くなっていたが、こうして一緒に過ごしていくようになってから、憧れの気持ちは段々薄くなっていった。


 アリアは本人もわかっている通り、完璧な女の子ではない。

 出会ったばかりの頃は、強くて凛としていて、世界の違う王女様だと思っていた。

 だけど、違った。

 アリアは完璧な王女様じゃない。

 普通の、ありふれた女の子だ。

 リュウトから見たアリアは、人よりも悩みやすく、落ち込みやすい一面がある女の子だ。

 だけどリュウトは、アリアのその性格を嫌いではない。

 悩みやすく落ち込みやすいというのは、裏を返せば物事を一生懸命考えるタイプだということだ。

 一生懸命だからこそ、応援したくなる。

 ラミエルはアリアを親友だというのなら、爪の垢を飲ませてもらった方がいいと思ってしまうほど正反対だ。


 アリアに対して完璧じゃないと思うリュウト自身だって、完璧じゃない。だから、不用意な発言でアリアを落ち込ませてしまうときがある。

 だけど、相手も自分も完璧じゃないからこそ、人は一緒にいたいと思えるんだとリュウトは思う。

 完璧じゃないから、好ましく思い、苦手を補いたい。支え続けたい。

 

 親友シェーンと過ごしている時間は、性格的には全然似たところはなかったのに、お互いに形がぴったりハマるかのような感覚があった。


 アリアは、シェーンとは違い、少しだけ「ズレ」を感じる。

 この「ズレ」は、元の世界での友人関係に対して頻繁に感じていたものと同じ種類のものだと思う。

 だけどアリアの場合は、この「ズレ」が、とても大切なもののような気がする。

 同じだと感じると嬉しくなるけれど、違うことも等しく大切なのだ。

 違うからこそ、理解したい。違うからこそ、一緒にいる意味がある。


 アリアは何が好きで、何が嫌いで、物事に対して何を感じ、どんな表現をするのか。まだ知らないアリアのことをもっと知っていきたい。

 そして、アリアのことを少しずつだが知って行ける今は、めちゃくちゃ楽しい。


 色んな事を知って、色んな事を一緒に経験していきたい。


 そういうことをアリアは自然と思わせてくれる娘だ。


 だから、大事にしたい。

 アリアと過ごしている時間を。彼女自身を。


 アリアにだからこそ感じる特別な想いだ。


 ――アリアはオレにとって、特別な女の子なんだ。アリアもオレをそう思ってくれていたら嬉しいけれど、無理強いはしたくない。アリアはアリアの感性で、好きなものを選び取っていってほしい。……けど、やっぱり女の子って、ワイルドな男の方が好きなのかなぁ。オレはなれそうにないよなぁ……。


「はああ~!」


 リュウトのため息を聞いて、ゼルドがこぼした。


「ははっ……。悩んでるな、青少年リュート……。どうやら全員、まだまだ子どもだったようだな。まあ、それも悪くない……。悪くない……」


 頭上で見守るドラゴンたちも、あたたかく笑うように咆哮していた。

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