第97話 砂漠の海で釣り大会!3の件
ダナギル砂漠の東側を、風竜が飛んでいた。風竜の背には、アリアとゼルドが乗っていた。
砂漠の東側は、魔物の気配がなく、静かな風がときどき吹くだけだった。
アリアは今日一日近くをゼルドと二人っきりになるのは、少し気まずいものがあるなと思いつつ、気にしないように努めた。
そんな中、ゼルドの方からアリアに話しかけた。
「お姫さん。心配か? リュートのことが」
「えっ? そ、そんなことは……」
「ほーお。でも妬いてますって顔に書いてあるぜ。リュートとラミエルが二人きりになるの、心配してるんだろ?」
「えっ! えっ!」
アリアは思わず顔を二、三度触ってしまった。
「嘘だよ」
「う、嘘……」
「お姫さんとは一度ゆっくり話してみたかったんでな。この釣り大会はちょうどいい機会だよ」
ゼルドははじめて会った日からずっと、アリアのことを『お姫さん』という呼び方をしている。
アリアは、その呼び方はあまり好きではない。
もうリト・レギアの王女を名乗れる器ではないし、できるなら砂漠の国の一般市民として穏やかに暮らしていきたい。
「お姫さんはどう思ってるんだい? リト・レギア王国が闇の同盟を結んだことについて……」
ゼルドはあえてアリアが嫌がる質問をしたつもりだった。
「わたしは……」
アリアは口ごもった。
ゼルドの
「お姫さんはさ、自分の運命から逃げられないと思うぜ。運命ってのは呪縛のようなものなんだ。どんなに逃げても逃げても、いつかからめとられちまう。オレたちちっぽけな人間は、運命の女神の手のひらで遊ばれているだけなんだ。だから、どんなに逃げたとしても、いつか戦乱の火の手がお姫さんを狙って広がってくると思うぜ。ま、それまでにリュートがどこまで強くなるか、だな」
「……」
「闇の魔導師たちと手を組む国なんざリト・レギア以外にねぇよ。いや、ひょっとしたら水の国と精霊の国は陰で組んでるかもしれないけどな。なんにせよ、砂漠の国にいたら、祖国と戦うことになるかもしれないぜ。砂漠の国は闇の魔導師につくことはない。ということは、いつか戦争になる可能性はある。闇の国についたリト・レギア王国とも戦うことになる。あんた、ソラリスが殺されてもいいのかい? 兄さんなんだろ?」
「……」
――ソラリス兄様はこわい。
だけど多分、本当は愛されたかったんだとアリアは思う。
悪夢のようなバスの中で、ソラリスに愛していると言われながら殺されかけた。
あれは、無意識の願望が表面化した世界なんだと思う。
こことは違うどこか別の世界で。
リュウトと兄妹として暮らし。
ラミエルと友だちになり。
マリンに許されて。
ゾナゴンと学校に通い。
アリアを脅かすモイウェールが排除され。
ソラリスに愛されてから殺されることが――無意識の願望。
――そんなの、絶対に嫌!
自我はそんな願望を否定したい。無意識の願望の世界は考えると気持ちが悪いし、吐き気がしてくる。悪夢そのものだ。ソラリスはモイウェールを手にかけるべきではなかったし、アリアはリュウトと共に生きるためにランプの中から戻ってきた。
自我はリュウトのことが好きだ。
しかし無意識はソラリスが好きだった。
あの
こころに闇を持つ人間の欲望を引っ掻き回して
自我は無意識を認めたくはないけれど、無意識はじわじわと自我を侵食する。
だから、ソラリスと離れられたのはよかったのかもしれない。
一緒にい続けたら、精神が狂いかねない。
もしかしたら宮廷魔導士ルシーンは、ソラリスの魔性の瞳にあてられて、ああなっているのかもしれない。
ランプの魔人はアリアを「聖女になっていく」と言ったが、それは『不可能』だとアリアは思う。アリアは自分を百パーセントの善人だとは思っていない。思えない。リュウトが他の女の子と一緒にいると
聖女とはマリンのように美しく女性的な魅力に満ちた人にこそふさわしい言葉で、本物の聖女だったからこそソラリスは彼女との結婚を決めたのだと思う。
「……今は無理でも……兄様とは……きっと分かり合える日が来る」
闇の魔導師との同盟を解除して、また兄妹として暮らす日がいつか戻ってくる。
わかっている。
それは『不可能』だ。
「甘いな、甘いぜお姫さん。人間ってのは変わらねえよ。オレは色んな人間を見てきたからわかる。
「えっ?」
「あー、いや……。何でもない。忘れてくれ」
――そういえばランプの魔人が言っていた。
『願いのない人間はいない』と。
ゼルドが魔人のランプの伝説を知って地下霊廟を探索したのは、本当は叶えたい願いがあったからなのだとしたら。
アリアは聞き出したくなった。
「ゼルドさん。あなたは霊廟の中で魔人のランプの存在を確かめたいだけだと言っていたけれど、本当は願いがあるんじゃない? だからあそこへ行こうと誘った。違う?」
「お姫さん……。あんまり他人の傷口をえぐるもんじゃないぜ」
「お返しです」
「はっ! ははは……」
「聞かせてくれないと砂漠のど真ん中で降ろして置いていきます」
「おーこええ! そんなこと言えるのかよ、お姫さんは。可愛い顔してえげつねえなあ!」
アリアは真剣だった。
「……そうだなぁ。どこから話せばいいのやら」
ゼルドは砂漠の遠く向こうを見つめた。
「オレには娘がいるんだ。ちょうどお姫さんと同じぐらいのさ……。嫁そっくりで、本当に可愛い娘だったんだ」
「娘さんが……」
「今はグラン帝国にいる」
「グラン帝国に……? 何故……」
「嫁の実家があるんだ。嫁は貴族でな。ならず者に襲われていたところをオレが助けたのが出会いだ。で、オレたちは恋に落ちた。もちろん傭兵と貴族なんて身分違いの恋を嫁の実家が認める訳ないよな。だからオレたちは駆け落ちしたんだ。この砂漠の国まで。だけど嫁は娘を産んでしばらくして、病気になって死んじまった。よくある話さ。娘は手元に置いていつまでも暮らしたかったけれど、傭兵のオレはいつ死ぬかわからねえ。だから、娘を嫁の実家に預けてきたんだ。そこでなら安心して生活に困らず暮らしていける。娘にとってはそれが一番いいんだ」
遠くを見つめるゼルドの顔には、悔しさの色も、悲しみの色もなかった。
ゼルドは何の感情も出さずに
ゼルドがどれほど悔やんで、深い悲しみを味わってきたのかがそのときアリアにはわかった。
「……後悔、してるのね……」
「バカだよなぁ。まっ、さっきも言ったが、この大陸にはどこにでもある話さ。けれど当事者になってみると、なぁ……。お姫さんがあまりにも出会った頃の嫁に似ていたから、つい意地悪したくなったんだ。小さい男でごめんな……」
謝るゼルドに、アリアはようやく
お姫さんという嫌な言い方をしてきたが、ゼルドは性根の腐ったクズ野郎でも、意地悪な小さい男でもなかったのだ。
「ゼルドさん……いいえ、ゼルド」
「何だよ」
「わたしの言うことをよくきいてね。……後悔してるなら、生きてる間に取り返せばいい。娘さんに会いたいなら、会いに行けばいい!」
「な……」
アリアの強い口調にゼルドはたじろいだ。
「それが……できたら……」
「わたしの父は、よくないことをした人だった。自分勝手にわたしの母様やソラリス兄様を傷付けて、平気な顔をしていた人だった。わたしは信じたくなかった。自分の父親が、実はとても悪い人だったなんて。でも、怒りたくても、恨みたくても、もう会えない。殺されちゃったから。お父様には、ダメなことはダメって学んで欲しかった。謝るべき人に、きちんと謝るべきだった。父親が最低な人間なんて、子どもは傷付くのよ! だから後悔してるなら今からでも取り返せばいい! いつからでも遅くはないし、人間は変わろうと思ったら変われる生き物よ! 父親になったのなら、子どもに誇れる父親にならないとダメ!」
アリアの
「は……はは……こいつぁ、厳しいな」
「ゼルド。あなたはクズ野郎なんかじゃない。今でも奥さんを、娘さんを愛しているのでしょう? だったらあなたはやり直すことができる。わたしは、リュウトさんに出会えてわかったの。好きって気持ちが、どれだけの勇気と力を生み出すか。本当に好きなら、愛しているなら、必ず変われる! それが人間の持つ力だとわたしは信じてる!」
アリアは、間違ったことを言ったつもりはない。
愛のためなら、人は変わっていける。
どんな場所でも。どんな時でも。
アリアは強くそう信じている。
ゼルドは、いたたまれない気持ちになった。
娘と同い年の娘に、豪速ド直球の説教をされるとは思いもよらなかった。
「あー……。おんなじこと、言ってたなぁ。嫁が……オレと出会ったばかりの頃……。なんで嫁の言ってたこと、オレは忘れちまってたのかなぁ……」
「ゼルド……」
「そうだな。おっさんになっても若者のように、明るい未来を信じないとな。昔はよかったなんて言ってるダサいオヤジになるところだったよ。好きって気持ちが、勇気を生み出す、ね。これから変えていかないとな。まだまだやれるってところを見せないと、あの世にいる嫁に合わせる顔がねえよ。だがもう少し、勇気を出すのに時間がかかりそうだが……」
ゼルドは頭をかいた。
そして、アリアに礼を言った。
リト・レギア王国なんていう恵まれた国の出身の王女様なんて、信念のないお飾りの姫だと勝手に思っていた非礼を
この王女は、強い。
そんじょそこらの娘とはわけが違う。
一度転んだらただでは起き上がらないという覚悟、精神的なタフさがある。
不幸な境遇に生まれつくと、並の人間ならその不幸にすがって、悲劇のヒロインを演じはじめる。
だがアリアは違うようだ。
不運に巻き込まれても、自らの力で道を切り拓いていく力がある。不運をチャンスに変えて、学んでいく力がある。
リュウトがアリアを好いているのは、アリアがリュウトを好いているのは、お互いの持つ強い力で引き寄せられているからだろう。
リュウトのことはゼルドも認めていたが、この王女も、とんでもない化け物だ。
「ありがとう。お姫……いや、もう意地は張らねえ。ありがとう、アリア。そして改めて。しばらくよろしくな……」
アリアは嬉しかった。
仲良くやっていけるか心配だったゼルドが、こころを開いてくれたことが。
「アリアって呼んでくれて嬉しい。わたしこそ、あなたを誤解してた。あなたはいい人だったのね」
アリアとゼルドの間にはもう、妙なよそよそしさはなくなっていた。
「おっ! そうだ。誤解で思い出したが、コンメルチャンとかいう大会主催者からこんなのをもらったんだった」
と言ってゼルドは持っていた袋を開けて、アリアに中身を見せた。
「魔物をおびき寄せるための巨大ゴカイももらったんだ。ほら」
袋の中には、ミミズのような
「キャーーーーーーッ!」
砂漠の東側は、魔物の気配がなく、静かな風がときどき吹くだけだった。だが一瞬、少女のけたたましい悲鳴が砂漠に響き渡った。
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