第92話 あなたは人の愛を知らないの件
リト・レギア王国の新国王の結婚式は、王城の中庭で盛大に行われた。
結婚式には国内の貴族と騎士団員が呼ばれた。城下町では結婚式に参列できない一般市民たちが有志で祭りを開き、大賑わいだった。国内は久しぶりに幸せムードが充満した。
夫婦となる二人は、あまりの美しさに見る人全員がため息をついてしまうような眉目秀麗な新郎新婦だった。
「まさかソラリス王子……王と、マリンさんが結婚するとは思わなかったなあ!」
結婚式に参加していた新米竜騎士コンディスとフレンは、純白のドレスに身を包む新婦マリンを遠目から見ていた。
いつもキレイなマリンだが、今日は格別に美しく見える。
マリンの隣には、ソラリスが寄り添っている。
「本当に。マリンさんはキレイだ」
「いいなーっ。……王様になれば、なんでも思いのままなのかなあ?」
リト・レギア王国は、ソラリスが闇の魔導師たちと同盟を結んでから、ずっと暗い雰囲気に包まれていた。
正義の国リト・レギア王国が、忌み嫌われている闇の魔導師と手を組むなど、前王の時代ではありえなかった。故に国民たちは複雑な思いをしていた。
闇の魔導師に対する差別感情は、何百年と前から根強くある。
闇の魔導師たちが崇拝する邪神は、世界の崩壊を到来させる神だという話だ。
世界崩壊を願う異教の民を理解するのは、誇り高いリト・レギア国民には難しいことだった。
お祝いの席に暗い顔をしているコンディスとフレンの背中を、リアムが後ろから叩いた。
「よっ! 新米竜騎士君たち! コンディスとフレンだな。元気にしてたかー?」
リアムの後ろには双子の兄、ノエルもいた。
「リアム! ……さん!」
コンディスとフレンは驚いた。
セクンダディの竜の両翼、ノエルとリアムと話すのは、士官学生になり立ての頃、リュウトと街へ遊びに行ったとき以来だ。
「オ、オレたちのことを覚えていてくれたなんて、感激っす!」
コンディスは憧れのセクンダディのメンバーに再会して興奮した。
「ははは。そんなにすぐ忘れるような年寄りに思ってたのか?」
リアムの軽口は相変わらずだ。
「そ、そういう意味じゃなくて!」
コンディスはあわてて否定した。
ノエルがフレンに尋ねた。
「リュートがいなくなって寂しいか?」
少し考えてフレンは答えた。
「そうですね。今まで、三人一組だからやって行けてた面があるので……。何かが欠けたような気持ちです」
「そうか」
コンディスとフレンは空を見上げた。
士官学校の友人、リュウトは何をしているだろうか。
リュウトははじめて会ったときから面白い人間だった。普段はお茶らけているが、熱いところもあって、一生懸命で。いざというときは一番頼りになった。
リュウトと一緒にいられて、楽しかった。
ずっと三人で竜騎士をやっていけると思っていた。
「きっとさ、リュートはゾナゴンとか雷女に手を焼いて忙しく過ごしてるはずだよ。だから大丈夫だ。な、フレン」
「そうだな。リュートなら必ず何でもうまくこなしていくだろうな」
新郎新婦の様子を眺めていたリアムがぼやいた。
「しっかしよー。マリンさんと出会ったのはオレの方が先だったのになあ。殿下はいつも美味しいところを持っていくよなあ。あ、今は陛下か」
「結婚なんて地獄だぞ」
と言ったのはノエルだった。
ノエルは半年前に結婚していた。
だがつい先日、離婚した。
「兄貴の結婚相手、名前をモリーだかケリーだとか言った……」
「サリーだ。間違えるな」
「そう、それ」
「プール付きの家を買えだの、大陸中の上等な酒類を買って来いだの。友人らを全員集めて連日夜通しパーティ。サリーには本当に参ったよ。ああ、けど、嫁は魔物だが、子どもは天使だな。父親がわかってるんだ。あの嫁に育てられたらまともな娘に育たない」
「はっ! 流石兄貴! 経験者は言うことが違うねえ」
コンディスとフレンは結婚から第一子誕生まで計算が合わないことを黙ることにした。
「けれどなんだかマリンさん、あんまり幸せそうじゃないですよね」
コンディスが話題を変えた。ソラリスの傍を歩くマリンの表情には、結婚式らしいものがない。
「そりゃあそうだろうな」
ノエルが淡々と言った。
リアムも相槌を打つ。
「マリンさんみたいな真面目ちゃんは、最も嫌う男なんじゃないか。我らの陛下は……」
結婚式が終わると、マリンは急いでウェディングドレスを脱ぎ、いつもの白魔導士のローブに着替えた。
「こんな……強引な結婚……!」
マリンは強引に自分との結婚を取り付けたソラリスの考えがわからなかった。
マリンの部屋にソラリスが訪れた。
ソラリスは壁にもたれかかって、残念そうにつぶやいた。
「もう脱いだのか」
「! ……ソラリス……」
「花嫁姿のお前はとても美しかった」
マリンはソラリスに食ってかかった。
「なぜ結婚など……! あなたはアリアさんを利用した! わたしはあなたを許すことができないわ! 無垢なる者の気持ちを利用するなんて……! あなたは邪悪そのものです!」
ソラリスは予想通りの反応をするマリンに対して笑わずにはいられなかった。
「マリン。オレを憎むか? 憎悪は神の教えでは不道徳な行為ではなかったか」
「あなたが神を語ることはできません!」
「ああ、そうだろうな。オレは神を信じていない。神は何も救わないからな」
「あなたのような人だから、神はお救いになられないのです」
ソラリスの眉が少し引きつった。
マリンは驚き、身構えた。
「オレは神の救いなどいらない。自分を救えるのは自分だけだ。神に頼ってばかりの根本から他力本願な者どもに、真の救いなどあるものか。自分の道を自分で拓けない者に幸福など訪れるわけがない。そんなことにも気付けない人間の説教など、たかが知れている」
「!」
マリンは言い返そうとしたが、できなかった。
気が付くと、マリンはソラリスに距離を詰められていた。
「あ……」
マリンが恐怖を感じて後ずさると、壁に当たった。
「マリン……。お前の瞳は美しい」
ソラリスはマリンの瞳の中に自分の姿が映っているのを見て満足げに言った。
「あなたは……お母様に似ているという理由で、わたしとの結婚を決めたのね?」
「……」
ソラリスは何も言わなかった。
「図星ね」
「ふっ……。好きなように思っておけばいい」
「あなたは人の愛を知らない。アリアさんとリュウトさんは知っていた。人のために行動し、ときには自らの命をも差し出す覚悟を、あの二人は持っていた。それこそが愛。わたしは、愛を知らない人を好きにはなれない……」
「愛か……。それがいかに容易く裏切られるものか、お前も知らないだろう――」
ソラリスはマリンから離れ、踵を返した。
「身を清めたらオレの部屋に来い。お前はオレの女だ」
「……あなたに触られるくらいなら、ここから飛び降ります!」
マリンの態度にソラリスは苛立った。
「自殺は罪だ。死ぬことは許さない」
「……」
ソラリスは部屋を出て行った。
――アリアさんの気持ちをないがしろにしたソラリスに触られるなんて、死んでも嫌だわ……。けれど、まだ死ぬわけにはいかない。わたしには、アスセナ族の瞳を取り返して、故郷へ帰す使命があるんだもの。
マリンはソラリスから預かった彼の母親の瞳を鍵付きの小箱に隠していた。
アスセナ族は、ほとんどが温厚で柔和な性格をしている。
ソラリスのような手段を択ばないような人物は皆無だった。
「ソラリスを救う方法はないのでしょうか……主よ……」
マリンは祈った。
マリンにも、神へ祈りが届かなかったと感じる瞬間は何度かあった。
一族が皆殺しにされた悪夢のようなあの日の夜。
闇に飲まれ、父親殺しを実行したソラリスを目の当たりにした例のあの日。
神の存在を疑ってはいないが、ソラリスの言うことを否定できない自分もいる。
マリンは机の中から小箱を取り出し、祈りを捧げた。
「アスセナ族のシアラ。どうか、邪悪な感情に支配されてしまったあなたの息子ソラリスを、導いてください。正しき道へ――」
マリンは祈りを捧げたが、何かが起こるということはなかった。
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