第90話 砂漠の霊廟とランプの魔人4の件

 アリアは白い道の頂きまで歩ききった。道はそこで終わっていた。

 道が終わっている場所に、大きな門がそびえ立っていた。

 白く、大きく、そして閉ざされている門だ。

 門を見上げていると、アリアを導いた、少年のような女性のような声が聞こえてきた。


『それは、運命の扉だ』

「運命の扉?」

『そう。誰もがみな、一度は必ず開く扉だ』

「……」

『さあ、アリア。その扉を開いて、ボクの所へ来るんだ』


 アリアは考えた。

 罠、だろうか。


「……」

『何を立ち止まっているんだい?』

「声の人。あなたは、誰?」

『そうだね。君に会えたら、ちゃんと自己紹介しよう』

「……」


 アリアはその回答を聞いて、進んでみることにした。

 きちんと自己紹介するつもりがある人間なら、信じてみる価値はあるだろう。

 アリアは扉を開いた。

 大きな扉だが、重くもなく、軽くもなかった。


「ああっ!」


 扉を開くと、足の先は底なしの闇の中だった。


 ――だ、騙された? 落ちるっ!


「きゃあああああああっ!」


 アリアは闇の中へ落ちた。


「んっ……」


 アリアが目を開けると、お姫様だっこで誰かに受け止められていた。

 すごく高いところから落ちた様な感覚だったのに、衝撃はほとんどなかった。


「わたし、生きてる!」


 砂漠に棲む龍に捕らわれ、デシェルトに助けられたときのようだとアリアは思った。


「あ、ありがとうござ――!」


 アリアは驚いた。

 アリアを受け止めていたのは、普通の人間ではなかった。


 ――ま、魔物……?


 首から下は普通の人間だった。しかし、その首から上は、ワニ、ウシ、ヘビの三種類の動物の頭が生えている、キメラと呼ばれる魔物に似た姿の者だった。人間の胴体は華奢な少年の身体をしていた。しかし、股間を布切れで隠すのみで、あとは裸だ。


「あ……」


 見た目は、すごくこわい。けれど、見た目がこわいからといって敵だと決めつけるのは早合点というものだ。

 三つの動物の頭を持つ者は、アリアを抱えたまま嬉しそうな声を出した。


「アリア、やっとここまで来てくれたね!」


 ワニ、ウシ、ヘビは三つの口を同時に動かした。

 けれど、どの頭がしゃべったのかはわからない。


「あなたは……。声の人……」


 バスの中でのピンチを救った、少年のような女性のような声が、この不可思議な生き物から聞こえてきたのでアリアは再三驚いた。


「そうだよ。そして、ボクこそがランプに封印されている魔人さ。ずっとここで君が来るのを待っていたんだ」


 魔人は腕からアリアを降ろし、アリアの後ろを指さした。


「あの万象輪でこの世界のことをずっと見てたんだ」

「ば、万象輪って?」


 魔人がさした指の先には、青白く光る球体があった。

 暗闇に輝きながら浮かぶ謎の球体。アリアが胸の前で両手で輪っかを作ったら、ピッタリくらいのサイズの小さな球体だ。

 球体は、ゆっくりとした一定のスピードでクルクルと回っている。

 アリアは近づいて球体をよく見ると、多種多様な模様が刻まれていた。アリアたちがいる大陸と同じ形の模様もある。


「これは……なに? なにをするためのものなの?」

「万象輪は、君たちがいる世界そのものを映し出しているホログラムなのさ。ボクたちは今、神の視点で世界を見ているんだ。見たいところを覗き込めば、なんでも見られるよ」

「世界? 神の視点?」


 アリアは魔人の話していることが全くわからなかった。


「ああー……。君には万象輪の説明しても理解できないだろうし、ボクも無駄なことは嫌だからこれ以上説明はしないよ。物事の価値っていうのは、本人が自ら気付いてこそ真価を発揮するものなんだ。……それにしても、ちょうどランプの中に封印されてから千年目に、君に出会えるなんて運命を感じたな!」


 アリアは万象輪から目を離してもう一度魔人の方を見た。

 ワニ、ウシ、ヘビ。声は嬉しそうなのに、どの動物の顔を見ても表情はない。


「う、運命……?」

「嬉しくなさそうな顔だね」

「えっと、別にそんなことは……」


 アリアはリュウトとの出会いについては運命を感じていた。しかし、この奇妙な魔人との出会いについて運命だといえるかは――まだ、正直に言って信じたくはない。


「約束だったから、自己紹介をしよう。ボクはランプに封じられた魔人。千年前の王に、このランプの中に閉じ込められたんだ。この霊廟に祀られている王のことだよ。千年前の王は、人間だったボクを封じ込めて、こんな醜悪な姿に変えた! 人間だった頃のボクはまあまあハンサムだったのに! 一人ではここを出られないから、誰かが訪れないか、万象輪ごしにボクはずっと世界を見ていたんだ。だから、君のことは生まれる前から知っているよ、アリア!」


 アリアは疑問に思った。

 抱いた疑問をありのまま、魔人に尋ねてみることにした。


「ランプの魔人が万象輪で世界を見ていたって……それはちょっと、言ってる意味がわからなさすぎるよ。ランプの魔人は何でも願いを叶えるというって話だったと思うんだけど……」


 魔人はすべての動物の目を細めて遠い場所を見た。


「千年の間に、ボクは地上では何でも願いも叶えるという魔人という伝説になってしまったようなんだよね。ボクが封印されているランプを目指した冒険者たちが、あのマミーの餌食になったところは、ボクも見ていた。冒険者たちの顛末になんて興味はないけれど、万象輪を覗くとなんでも見えるんだ。ここは、来るべきものしか来れない場所だから、あの冒険者たちも無駄死にだったよなー」


 魔人はアリアに視点を戻した。

 三つの動物の首がアリアに向き合う。


「ボクが何でも願いを叶える魔人だって! くくく! 面白い伝説だよなあ! だが、真実は逆だ! ここに来られたアリアには特別に教えてあげよう! ボクの本当の正体は、何の願いも叶えることができない魔人なんだ! ……できない魔人、不可能と不能を司る魔人がボクなんだ!」


 魔人は無表情で興奮気味に言った。

 アリアの頭はもう魔人の話を理解する余地がなくなっていた。

 何の願いも叶えることができない魔人って、それはもはや魔人ではなく――ただの人ではないだろうか。


「……願いを叶えることができない魔人ってどういうこと?」

「ボクは千年前に生を受けたとき、人とは違う能力を持って生まれてきた。他人の未来の成功を奪う能力を持っていた。そんな能力を持って生まれたら、使わないと損だろう? だからボクはたくさんの人間の成功を阻害してきた。他人の『可能』を『不可能』にひっくり返してきたんだ。ランプに封印される前は本当に楽しかったよ。生きてるって感じがしてさ。そしたら、そのときの王がボクに怒っちゃって、このランプの中に閉じ込められてしまったんだ。本当に許せない話だよ。真実までひっくり返っちゃって、今ではボクは地上の人たちに何でも願いを叶える魔人! なんて呼ばれちゃってさぁ……。伝説ってあてにならなくて本当に困るよなあ。くくく……」

「じゃあ、あなたは本当に願いを叶えられないの?」

「願いを叶えるどころか、願いを叶わなくさせる能力しか持っていないんだよ。というかそもそも、なんでボクがどうでもいい他人の願いを叶えなくちゃいけないんだ? ムカつくじゃないか、そんなこと。なあ答えろよ、アリア。なんでボクがひっくり返った伝説に従って、他人の願いを叶えないといけないんだ! アリアは何を叶えて欲しくてボクのところに来た!」


 口調だけは凄い剣幕で魔人がアリアに迫るので、アリアは落ち着かせるためにやさしく言った。


「わ、わたしは別に、願いなんてないよ。ずっと見ていたのなら、わかるでしょ? 霊廟に入って、みんなで何を願いたいか話しあったとき、わたしは願いがないから辞退したよね」


 ラミエルがランプを見つけたらどうするかを尋ねた際、リュウト、アリア、ゼルドの三人は願い事は特にないと答え、ラミエルとゾナゴンの二人でどちらが願いを叶えてもらうか言い争っていた。


「そういえばそうだった」


 魔人はすんなりと頷いた。

 ところが一瞬で機嫌を悪くし、再度アリアにケンカ腰になった。


「だけど、願いがない人間などいるかっ! 嘘つきは嫌いじゃないが、ボクに嘘をつくやつは大嫌いだ! アリア、君はボクの前で嘘をつくなよ?」


 途中までしっかりと魔人の話を聞いていたアリアだったが、魔人も怒ったように話すので、なんだか同じようにアリアまで腹が立ってきた。

 ランプの煙にさえ襲われていなければ、あの悪夢のような空間を彷徨わなくて済んだし、こういう意味のない会話を続ける必要もなかった。

 なので、怒ったアリアは少し強い語気になった。


「あの。魔人さん。できればそろそろリュウトさんたちのところに戻してくれる? わたし、帰りたいの」


 魔人はまたさらに怒った。


「それみたことか! やっぱり願いがあるんじゃないか! アリア、お前ふざけるんじゃないよ! ボクは何も叶えられない魔人だって言っただろう? アリアをリュウトさんたちのところへ戻す。そんなこと、ボク一人にはできないよ! というかまず、他人に願いを叶えてもらおうって言うなら、ボクの願いを叶えてくれるんだろうな!」

「ええ……」


 アリアは困惑した。どうしてこの魔人は、話が逸れていってしまうのだろう。


「魔人さんにも願いがあるの?」

「当たり前だろ! 魔人って言ったって元は人だぜ! 願いのない人間なんていない!」

「ふーん。じゃあ、魔人さんの願いを教えてくれる?」


 アリアは、決して他人には見せないような態度で魔人に臨むことにした。結局、この魔人は千年も孤独で過ごしていたから、構ってほしくて仕方ないだけなのだと思う。けれど、それに付き合う義務も義理もアリアにはない。今こうしている間にも仲間たちは心配しているだろうから、何としてでも元の場所に戻らなければならない。そしておそらく、この魔人は精神が未熟なままで封印されてしまったのかもしれない。だから、普通の会話が成立しないのだと思うと納得がいく。


「アリア、今、オレのことを見下したなっ? 見下したな?」

「そんなことないよ」


 アリアは意地を張っていた。


「ボクは嘘をつかれるのがすごく嫌いだ!」

「で? 願いってなに?」


 アリアは眉間に少ししわを寄せて、魔人との距離を詰めた。下手したてに出るのも、対等に接するのもこの魔人との正しい付き合い方は違う気がする。

 しかし、魔人は、アリアが思っても見ないことを願っていた。


「ああ~……。うん。ボクの願いは……。ボクは、もういい加減生きてるのが疲れたんだ。千年だよ千年。それをずっと孤独でいたんだ。もう、疲れちゃったのさ。だから、ここに来られる人間が来たら、その人に殺してもらおうと思っていた。アリア、あんたボクを殺してくれないか? 殺してくれよ、頼むよ」


 アリアはショックを受けた。

 この魔人は本当に、どういう思考回路をしているのだ。

 千年を孤独に生きる魔人に、通常の人間の思考回路を求める方が間違っているのかもしれないが。


「……そ、そんなこと……で、できるわけないよ……!」


 魔人は脱力した。


「ああ~、やっぱりそうだ。その言葉を聞きたかった」

「え?」

「やっぱり、運命に導かれてボクと君は出会ったんだなぁ。今のでわかったよ」

「……」

「ボクは君みたいに、やらずにできないっていう人間は好きだ。大好きだ。これが愛って気持ちなのかなぁ。やらずにできないという人間に対してボクは愛を感じる。言ったと思うけど、ボクは不可能と不能を、無理、できないを司っている魔人なんだ。ボクと君とが出会う運命。すなわち、君はこれからどんな努力も報われず、どんな夢も叶わない、恵まれた素敵な人生を送るだろう! それは、確約された最高の未来だ! ボクは君にいつまで経っても『できない』側の人間でいてほしいなあ!」


 魔人の表情は相変わらず無だったが、嬉しそうなことだけは伝わってきた。


「……!」

「あれ? 落ち込んじゃった?」

「一体、何を考えて……どうしてそんなひどいことを言うのっ!」


 魔人の言説は、アリアの怒髪天を衝いた。

 言っていいことと悪いことの区別もつかないような魔人に、なんでそんなことを言われなければならないのか。

 アリアはめったに人前で怒ったりはしない。

 しかし、この魔人の言っていることは絶対におかしいと思うし、疲れもあってトゲトゲした言葉につい、イライラしてしまう。

 なのでアリアは魔人に対して猛反論した。

 目上の者に対して意見を言わないように幼少期から過ごしてきたが、この魔人以外誰もいない空間で、この理不尽な魔人に対して反抗したところで、誰も困らない。

 そして今はもう、アリアは一方的に傷つけられることを許容するような器の広い人間ではない。自分が傷付けられることをアリアが肯定したら、アリアを好いてくれているリュウトの想いを否定することになる。


「確かにわたしは……! 努力が報われない人間だって感じてる! 何をしてもいつも裏目裏目に出る! わたしは強くなりたいのに! 強く……なりたいのに……なのに、できない……。わたしが行動する度に、誰かに迷惑がかかったり、悪口を言われる……。だけど、どうしてあなたにできない人間であることをからかわれなくちゃいけないのっ!」


 アリアは怒りながら泣き出してしまった。

 魔人の言うことは、図星だった。

 アリアはこころの底では自分をできない側の人間だと思っている。

 リュウトが好いてくれているから、なんとか自尊心は保てているが、リュウトがいなかったらとっくに自分のことが自分で嫌になっていただろう。

 少し前まで精神的に参ってしまうような悪夢のような出来事もあったし、リュウトたちの元へ帰れない事実だけは絶対に認められないけれど、帰れる見込みが今のところ全くないなんて、絶望すぎて泣けてくる。


「わたしだって……! もう疲れた! 疲れたよっ!」


 アリアはワンワンと泣いた。

 シクシク泣くことは何度もあったが、ワンワンと泣きたくなるような気持ちになるようなことが起きるなんて、あんまりだ。

 片や魔人には、アリアが泣く意味が分からなかった。


「アリア? 何で泣くんだ? なんで悲しいことがあるのかわからない! 君はこれまでの経験で知ったじゃないか! 世の中にはどうすることもできないことがあるってことを! できないことの何が悲しいのかボクにはわからない……」

「どうして? どうして、みんなは努力すれば上に行けるの……。どうしてわたしにはできないの……わたしは、できなくちゃいけなかったのに!」


 泣き崩れるアリアを、魔人はただ見ていた。


「アリア、目を覚ませよ。勝つことが大事、成功することが大事、強くあることが大事、なんでもできることが大事? それは嘘だ。幻影だ。負けることが、失敗することが、弱いままでいることが、できないことがある方が、幸福なんだ!」


 アリアと魔人の会話は全くかみ合わなかった。

 会話しているはずなのに、お互いの言っていることが理解できない。

 話せば話すほど、価値観の違いがあらわになり、隔たりを感じていく――。

 少なくともアリアにはそう感じていた。


「それは違うよ。やっぱりこの世界は、力をつけて、認められていく方が大事だよ! リト・レギア王国は強い竜騎士になって国のために役に立つことが、一番大切だった。だから国民は切磋琢磨して竜騎士を目指していた。お父様も兄様も、強い人間を求めていた。人から求められる人間に、わたしはならなくちゃいけなかった! それなのに、わたしは……こころが弱くて、リト・レギアから逃げた! リュウトさんのやさしさに甘えて! わたしのせいでみんな不幸になっていく! わたしさえ強ければ……わたしさえ!」


 魔人はアリアを遮って叫んだ。


「気付いてくれ、アリア!」

「気付……く……?」


 アリアは目からポロポロと涙を流していたが、この意味不明な状況を、もう一度頭の中でよく整理するべきではないかと思いはじめていた。

 魔人は、アリアを傷付けるためにひどいことを言っていたのだと思った。

 だけどそれは誤りで、本当は傷付けようとして言ったのではないかもしれない、という気がしてきた。

 魔人と出会ってから今までの会話をよく思い返してみると――。

 何かがおかしい。

 何かが引っかかる。

 何故魔人は、このような引っかかる言い方をわざわざしてきたのだろうか。

 嫌なことを言う性格なんだと唾棄するのは簡単だ。

 しかし、もう一度冷静に考えてみる必要があるかもしれない。


「……」

「そうだ。気付いてほしい、アリア……」

「え……」


 ――話が逸れていく、というのは実は逆で、魔人はこのような言い方しかできないのだとしたら。


 不可能を司る魔人。『できない』魔人。


 ――魔人には、『できない』ルールが存在する……?


 この仮説は正しいだろうか。

 考え過ぎだろうか。

 本当に考えすぎだったら、『気付いてほしい』などと魔人が言うだろうか。

 もし、魔人には何か制約があって、直接語ることができないものがあるのだとしたら。

 『気付いてほしい、アリア』の言葉通り、アリアが答えを見つけ出すしかない。


 アリアは集中した。


 こころの引っかかりに意識を集中させて、魔人が語ったことを一つ一つ思い出していった。


 ――できない、魔人……。


「……」


 アリアは涙を両手でぬぐって、しばらく目を閉じた後、深呼吸をして、目を開けた。


「……魔人さん。これからいくつか質問をしてもいい?」

「答えられないことの方が多いよ」


 ――やっぱり。


 アリアの推測は正しいのかもしれない。

 確定ではないが、試してみる価値はある。


「それじゃあ、質問一。ここから抜け出す方法はある?」


 魔人は答えた。


「ボクは千年一人でここにいたけど、できなかった!」

「できなかった……」


 おそらくこの魔人は、特定の話題に対して、正しい答えを言うことが『できない』のだ。だから婉曲した表現になるのだろう。

 それが一つ目のルールだとアリアは考えた。

 魔人はさらに口早に続けた。


「アリア! 自然の摂理に真に耳を傾け、世界と一体となる喜びを知ろう! ボクと君は出会うべくして出会う運命だったんだ。不可能と不可能が合わされば、世界は逆転する!」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 今、考え事してるから!」


 魔人が質問に対して奇妙な答え方をするのには理由があるのだとすれば。

 魔人は、最初からヒントを出し続けていたのだ。意地悪をしていたわけではなかった。アリアに気付かせるように、わざと奇妙な答え方をして、答えを見つけてほしがっているのだ。


「ごめんねアリア。ボクせっかちで……」

「魔人さん、質問二。……あなたは本当に殺されたいの?」

「アリア……。君ってば本当に質問がヘタクソだな……。さっきも言ったけど、ボクは疲れたんだ。魔人をやめられるならやめたいんだよ。ボクは一人では死ねないから、波長の合う人間の力が必要なんだよ。けれどもう、生きていたくないのは本当のことだよ」


「うーん……」


 アリアは頭を使うことが得意ではない。

 魔人には制約らしきものがあるのは確定してきたが、そのルールが一つなのか、複数あるのかがわからない。

 魔人は「答えられないことの方が多い」と回答したことから、直接的な質問に答えることはできないのだろう。

 なので間接的な質問をしつつ、アリア自らの力で魔人の真実に到達しなければいけない。

 考えれば考えるほど、そんなことは不可能なような気がしてくる。

 そして、『できない』というキーワードは何を意味するのか。

 魔人はこれまで幾度も『できない』を強調させてきたし、アリアに『できない』という言葉を敢えて引き出させていたように感じた。


「質問三! あなたの言っていることを、全部信じてもいい?」

「……。ボクは、嘘をつかれることと、疑われることが嫌いだ。ボクが言っていることを信じるか信じないかなんて、君が決めることじゃないか。信じたい人間を信じればいいし、信じたくない人間のことなんか信じなければいい。そういう判断を人任せにすると厄介なことになるぜ! だけど、運命の扉を開く前の君のこころをもう一度思い出してごらんよ」

「……あ……」


 ――手ごたえを感じた。

 

「やっぱり久しぶりに誰かと話すのは嬉しいな。もっと聞いてくれてもいいんだよ、アリア……」

「ごめんね。そうはいかないかもしれない」

「! アリア……!」

「質問四。さっき、負けることや失敗することが大事、と言っていたけれど、それは悔しさを知って強くなる、とか、失敗は成功のもと、だとか、そういった意味?」

 アリアはこれが最後の質問のつもりだった。

「アリア! 全然ボクが言いたいことをわかってないな! それは大外れだ! そんなことは誰にだって言えるだろう? もっとボクがボクである意味を考えてくれよ!」

「……魔人さん」


 アリアは微笑んだ。


「わかったよ。答えが――」

「アリア……!」


 アリアの推測はこうだ。

 一つ。この場、あるいはこの魔人にはルールが存在している。

 二つ。魔人はルールに縛られいて、質問に対して直接的な答えを言うことができない。

 三つ。しかし、魔人は嘘しか言えないという単純なルールではない。

 魔人の答え方から、アリアは導き出した。


 このランプの中から出る方法は、あった。


 アリアは魔人の真実に到達した。

 これは、『できない』事実に打ちのめされた経験がなければ、到達できなかった道だ。

 

「自信はないけど。いいかな」


 アリアは魔人に向かってまた笑った。苦笑いだ。


「ボクと君との出会いは運命だよ」

「ごめんね。最初はちょっぴりその言い回し……嫌だったんだけど……。ヒントだったんだよね。わたしに気付かせるための」

「……それじゃあ、行こうか」

「そうね。万象輪の、『真価』を発揮させに」

「アリア……ありがとう」


 アリアは万象輪を前にした。

 万象輪は変わりなく、一定のスピードでクルクルと回り続けている。

 魔人は、万象輪を挟んでアリアの向かい側に立った。


「万象輪を囲むように、ボクの左手はアリアの右手と。アリアの左手はボクの右手と手を繋いで」


 魔人とアリアは、万象輪を囲むようにして手を繋ぎあった。


 この空間は、一人では出ることができない。

 ということは、二人以上いれば脱出できる可能性がある。


「万象輪よ、我らは世界と一つになろうとする者――」


 魔人は万象輪に語り掛けた。

 ゆっくり回っていた万象輪は、魔人の呪文に反応した。

 呪文に反応した万象輪は、回っていた向きとは逆の方向に超高速で回転しだした。万象輪からは眩い閃光が走り出し、高速回転の風圧を直接受けたアリアは気分が悪くなった。

 回転しだしたのは、万象輪だけではなかった。

 この場が、目が、頭の中が、もの凄い勢いで回転しだした。

 思わずぎゅっとアリアは目をつむった。


 ――は、吐きそう!


「ふっ! ……うぐっ!」


 ――今は、繋いだ魔人の手の感覚だけに集中しよう!


「ああああああっ……! ううううっ……!」


 やがて、回転は止まった。

 アリアは目を開けようにも、開けられなかった。

 アリアにはすでに、目があるという感覚が失われていた。

 立っている感覚も、呼吸をしている感覚も、音が聞こえる感覚も。

 ほぼすべての感覚が消え去っていた。

 ただ、白い空間の中にいることはわかる。

 そして、魔人と繋いだ手の感覚だけがある。


 じきに魔人と繋いだ手の感覚もなくなっていくだろう。

 それが万象輪の本当の使い方だから。

 ランプの中から抜け出す唯一の方法。それは、万象輪の力を使って、世界と一つになることだった。

 世界と溶け合って、世界と混ざり合い、世界となって世界を揺蕩っていく――。

 それが、ランプの中から出る方法。万象輪の真の用途。


 ――わたしが、わたしでなくなっていく感覚がする……。


 徐々に、アリアは世界と溶け合っていた。


 不可能を司る魔人が言いたかったことは、こうだ。

 『できない』ことは幸せである。

 なぜなら『できない』ことに気付けるから。

 『できない』ことを知ることで、『できる』ことがある。

 それは、できないことへの『諦め』だ。


 できないことを知れ。

 できないことを受け入れろ。

 そして、できないことは――諦めろ。

 時の流れに逆らわず、身を任せる。

 そうしてこの世の一切のことから執着を捨てれば、自然と一体に、世界とひとつになることができる。


 アリアが今までできなかったことは、『諦め』だった。

 もっとうまくやれたはずだという、自分自身への期待。

 努力をすれば必ず報われると信じ続けてきた。

 だからこそ理想と現実との乖離に、アリアはこれまで苦しんできた。

 自分への期待を捨て、自分を『諦める』ことで、理想の姿の自分を捨て、本来の姿に戻ることができる。

 アリアが思っていたアリアの像を捨て、本来のアリアの、自然な姿になっていくことができる。

 できないことを知り、諦めることで、感覚が研ぎ澄まされ、そして、やがて世界と一つになれる。


 魔人はアリアに、そのことに気が付いてほしかったのだ。

 そしてそれは、自分で気が付かなければ意味を為さない。

 魔人を縛る制約とは、万象輪の真の使い道を他者に教えることができないことだった。アリア本人が気付かなければ、このランプからは永久に出られなくなる。知ってしまったら知る前には戻れないから、アリア自身で真実へ到達していく必要があった。


『アリア……聞こえる? ボクの……声が……』

「聞こえはしないけど、感じるよ」

『ふふ……そうだったね……アリアは……たどり着いたんだね……君の真実に……』

「わたし……。嬉しいの……」

『わかるよ……アリアの嬉しさが、世界と一つになっていっているボクにも流れ込んでくるもの……』

「できないことはできること、できることはできないこと、だったんだね。あなたが言う幸せの本当の意味がわかったよ」

『君は……真理にたどり着いた……』

「わたしたちは、出会うべくして出会った。一人では気付けなかったことを、二人が出会うことで気付くことができる。同じ性質を持つからこそ最初は反発しあったけれど、同じ性質を持つからこそ自分自身をよく見ることができた」

『ああ……もうそろそろ、ボクはボクの願いに到達する……ヒトをやめるという願いに……』

「あなたは世界と一つになっていくのね」

『ああ、そうだ……ずっと見守っていくんだ……世界と一つになって、見守っていくんだ……千年前の王の魂がそうなったように……ボクも……それがボクの、本当の望み……』

「ボクたちも、じゃなくて、ボクもということは、あなたは最初から、わたしを助けるつもりだったのね……わたしなら真実に到達できると信じて、ランプの中に呼んだんでしょう……」

『それはどうだろうね……さあ、そろそろお別れの時間だ……君は本当の聖女になっていくだろう……最も恵まれていない者こそが、最も恵まれていることの真理を知った聖女、アリアとして……。さあ! アリア! 世界と一つになるために、君も君を縛っている肉体から魂を解放させるんだ』

「……魔人さん……。いいえ、それはわ。わたしはまだ生きてやるべきことがあるんだもの」

『それではまたいつか……世界と溶け合う日に君と再会しよう……』

「ありがとう。いつか、また会う日まで――」


 不可能と不可能とが掛け合わされば、世界を逆転させることができる。

 不可能を司る魔人との出会いでなければ、得られなかった真理だ。

 アリアは知った。

 できないことにも価値があると。

 物事を研ぎ澄まされた感覚で見ていくことの大切さを。


 魔人の手を離すと、風船に穴が開いたようにアリアは飛んで行った。

 行先は、仲間たちが待つ、アリアの帰るべき場所である。

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