第82話 リト・レギアにさようならの件

 リュウトは一大決心をした。

 リト・レギアから出る。

 今度、アリアの視界にソラリスが入れば、精神が本当に崩壊してしまいかねない。

 この国にいても、いつ殺されるかわからないとアリアはおびえ続けなければいけない。

 だったら国を出て、王女であることを捨てて、こころ穏やかに過ごせた方がいい。

 王国竜騎士団で働いたときの給料は多すぎて使い道を困らせていたが、これだけあれば当分は困らないはずだ。


「――よしっ!」


 リュウトはソラリスの部屋に向かった。

 部屋にはソラリスとルシーンがいた。

 リュウトは自分がソラリスに対してどんな気持ちを持てばいいのかわからなかった。

 彼はアリアの父、モイウェール王を殺した。


 ――おそれた方がいいのだろうか。


 だけどリュウトはソラリスのことを、ずっと尊敬していた。憧れていた。

 今はもうその気持ちが全くないかと聞かれたら、そうではない。

 個人的には今もなおソラリスに好意を感じている。

 本当に不思議な感覚なのだけれど、アリアの敵なのに、明らかに悪い奴なのに、彼のことは好いている自分がいる。

 リュウトはソラリスを人殺しであることをなじれはしない。同類だからだ。

 かといってその事実に親近感を持つような破綻した倫理観も持っていない。

 好意はあるが、彼のしたことについてどういった感情を持てばいいのかわからない。それが今のリュウトの、ソラリスに対して抱く感情だった。


 リュウトはソラリスの部屋に入るやいなや、土下座をした。

 ひたいを絨毯にこすりつけて懇願した。


「ソラリス様! お願いがあります!」


 椅子に座っていたソラリスは肘掛けにもたれた。


「何だ? リュート」

「ソラリス様には、オレ、恩があります。この国に住まわせてくださいました。学校にも通わせていただきました。だからオレは、ずっと恩返しがしたいと思っていました!」

「……」

「だけど! オレは! オレはアリアを守りたいんです! アリアをそっとしておいてくれませんか。彼女は王位とか、望んでいないんです。彼女を殺すのだけはやめてください。彼女はもう精神がズタズタです。彼女を殺すというのなら、オレを殺してください! 彼女だけは殺さないでください! どうかお願いします! どうか!」


 リュウトは殺される覚悟で頼み込んだ。

 父を殺した人物なのだから、リュウトを殺すことも造作もないだろう。

 しかし、リュウトはアリアとの約束を、プライドをかなぐり捨てでも守りたいと誓っていた。

 だから彼女の平穏のために、自分ができることはなんでもする覚悟だった。

 ソラリスはつまらなさそうに言った。


「顔を上げろ、リュート」

「え?」


 リュウトはおそるおそる顔を上げた。

 足を組んで椅子に座る新国王は、真っ直ぐリュウトを見下ろしていた。


「オレはオレの目的を邪魔立てする人間を殺す。お前のように殺す価値もない人間をオレが殺したところで何になる。うぬぼれるなよ」


 ソラリスの言葉は、悪意がこもっていなかった。


「リュート。お前はどこへなりとも行けばいい。アレーティアのことはオレは興味がない。ただし、オレの邪魔をしたときは、アレーティアの命ともどもないものと思え!」


 リュウトはまたひたいを床につけた。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 ――やっぱり、そうなんだ。ソラリスはすべてが変わってしまったというわけではない。


 リュウトは確信を持てた。

 そして、ソラリスの部屋を出て行くと、アリアの元へ走っていった。


 リュウトが出て行ったあと、ルシーンはソラリスに尋ねた。


「よろしいのですか? 異世界の扉を見す見す逃すことになったのでは?」


 ソラリスは笑った。


「心配はいらないさ。リュート。あの男は必ずオレの元へ戻ってくるよ。必ずな」


 アリアはまた眠っていた。

 人間は精神が疲れ果てると睡眠時間が長くなるようにできているというが、それでアリアのこころが回復していくなら、リュウトにはそれでよかった。

 アリアは目を閉じたままだが、リュウトは彼女に語り掛けた。


「アリア……。リト・レギアとはお別れすることにしたよ。ごめん。また勝手に決めたんだ。でもその方が、みんないい気がするんだ。これから、旅をしようよ。どこに行こうか。グラン帝国はよくわかんないし、精霊の国フェアールは遠いし、ドゥンケル王国は論外だ。そうすると、水の国か、砂漠の国か。どっちがいいかなぁ……」


 リュウトが独り言をつぶやいている間にアリアの目は覚めていた。


「水の国には……行きたくないな……」


 アリアはふふっと笑いながら言った。

 アリアの笑顔を見たら、リュウトは胸がぎゅっと締め付けられた。


「そっか、わかった。じゃ、砂漠の国へ行こうか……。砂漠の国へ行って、新しい人生をはじめるんだ。王女とか騎士とか関係なくさ。オレたち自由に生きようよ……。こんな大きな家じゃなくてさ、小さな家を買って暮らそうよ。ああ、でも、シリウスと風竜が入れた方がいいかな? なんてさ。未来は必ずよくなっていくから、だから、一緒に行こう。苦しくないところへさ……」

「ふふふ……」

「な、なんで笑うんだよ」

「嬉しいからだよ。リュウトさんと一緒にいられるなら、どこへ行っても楽しいと思うから……。そうだね。その通りだね。未来はよくなっていくよね。だってもう――」


 アリアは泣いた。


 もう、これ以上悪いことは起こりようがない。

 

 逆に言えば、未来はどこまで行っても希望しかないんだ。

 大丈夫だ。

 きっとなんとかなる。


「なんとかならなくってもなんとかしていくさ……!」


 ――さようなら、リト・レギア。


 リュウトはこころの中で、異世界の祖国に別れを告げた。

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