第75話 闇の国の訪問者の件

 アリアが母親の真相を知ってしまってから数日後、議会の間に宮廷魔導士たちが集まって、意見調整をしていた。

 出席者は、国王モイウェール、王子ソラリスとルシーン、王女アレーティア、八人の宮廷魔導士たちの十二人だ。

 闇の魔導師たちによって作られた国、ドゥンケル王国から、親書が届いたのだ。

 親書には、同盟を結びたいという趣旨のことが書かれていた。

 近日、返答を聞きに訪問するという手紙の結び文に、宮廷魔導士たちは震えあがっていた。


「くだらん!」


 議会の間の中央の椅子に座るモイウェール王は闇の国からの手紙を破り捨てた。

 宮廷魔導士たちはうろたえた。

 ソラリスとルシーンは表情を変えずに黙っていた。

 アリアは、身を小さくして目立たないように座っていた。

 なぜ、父王はこの会議に出席するように言われたのか。

 この会議への参加は王の命令だった。

 今までアリアは政治の場に一切顔を出せなかった。

 今までは女だからという理由で、王族の身分を持つ女性たちは国の一大事でも政治の場に顔を出すことは許されなかった。

 国王がアリアをこの場に参加するように言い渡したのは、アリアが次代の王権を担う存在であるとソラリスに牽制するためだ。


 ――聡明な兄様はきっと感づいてしまう。


 アリアは震えが止まらなかった。青白い顔をしているのは、闇の魔導師に震えあがっているのだと思われていればいいが、真実はそうではない。

 今更兄に嫌われるのがこわいというわけではないが、兄と対立することになるのは、絶対に回避しなければならない。


 ――こんな場所、一刻も早く出たい!


 アリアは震えながら祈った。


「闇の魔導師など、恐れるに足りず!」


 親書を踏みしめて国王は言った。


「しかし! 同盟を断れば魔導士の国マギワンドのようになります!」


 宮廷魔導士の内の一人が声を荒げた。

 彼の言うことは間違っていないだろう。

 だが、国王には通じなかった。


「バカな! 誇り高き竜騎士の国リト・レギアは正義の国なのだ! 闇の魔導師たちの力をおそれて不正を成すことは国の恥だ! 神の国グラン帝国がきっと力を貸してくれる。闇の魔導師たちを血祭りにあげることこそが正義なのだ!」


 それを聞き、腕を組みながらひたすら黙っていたソラリスがようやく口を開いた。


「父上。残念ながらグラン帝国がリト・レギアに力を貸す可能性は低いかと思われます」

「何? ソラリス。貴様、なんと申した?」

「昨今のグラン帝国の横暴は目に余りあります。国境にほど近い我が国の村からは、作物や馬の略奪、婦女暴行、放火、虐殺の報告が多数上がっています。いずれもグラン帝国の騎士の行いであると。グラン帝国人は我々を属国の一つとしか考えていない。いいや、それ以下だ。そのような国が、我々の窮地に手を貸すなどと、父上は本気でお思いか?」


 ソラリスは多忙な中、国民からの陳情を一つ一つ真剣に取り扱っている。

 その陳情の半数以上は、グラン帝国に苦しめられている村人たちの悲痛の叫びだ。

 グラン帝国は、闇の竜が目覚め世界が滅亡しかけたとき、神より遣わされた勇者によって建国されたのがはじまりだと言われている。

 勇者は後に闇の竜を屠り、英雄となる。その子孫が現グラン帝国皇帝らしい。

 だが、今は神の国の名のもとに好き放題をしている。

 リト・レギア王国の村人を苦しめ、汚れ役を竜騎士団に押し付け、ソラリス自身も、下級の役人風情に失礼な振る舞いをされたことが何度かある。

 だからソラリスはグラン帝国がリト・レギアを救いに闇の魔導師と戦う姿勢を見せるのは万に一つの可能性もないと考えていた。

 否、ソラリスだけではなく、誰もがそう考えるところだろう。

 しかし、モイウェール王だけは違った。


「ははは! わしには秘策があるからな! グラン帝国は必ず味方してくれる!」


 モイウェール王はソラリスの瞳を見つめて、ニタリと笑った。


「秘策とは何でしょうか、父上」


 モイウェール王の語る秘策を探るため、ソラリスは敢えて質問した。

 しかし、ソラリスには国王が何を言いたいのかがわかっていた。

 そして、ずっと待ちわびていた『そのとき』が近いことも察していた。


「ふふふ、ぐははははは! ソラリス、お前には関係ないことだ! 皆の者! 闇の魔導師たちの同盟は破棄だ! 彼らが来てもおそれずともよい! わしが奴らに直々に申し渡す! この同盟は叶わぬ。交渉は決裂だとな! わかったな!」


 モイウェール王は誰の意見も聞かず強引に決めてしまった。

 宮廷魔導士たちは全員が顔面蒼白だった。

 闇の魔導師を怒らせれば、必ず戦争になるだろう。

 魔導士の国マギワンドがそうだった。

 そして、マギワンドは消されてしまった。

 次はリト・レギアがそうなるのだ。

 築き上げてきた富を手放すことは難しいし、守らなければならない家族とも離散することになるかもしれない。国王が決めたことだとしても、政治の失敗は宮廷魔導士たちの責任になる。

 アリアは会議中、ずっとソラリスの様子を見ていたが、ソラリスはアリアのことを一度も見なかった。

 アリアには、今はそれがホッとした。


 意見調整とは名ばかりの会議から一週間後、リト・レギア王国の王城に、闇の魔導師たちが来訪した。

 訪れた闇の魔導師たちは全員で十二人。大移動魔法ワープを使って来た。その内の一人に、闇の魔導師たちの最高司祭、キルデールの姿があった。

 キルデールはダークエルフの血を引くという噂の通り、人間離れをした異様な相貌だった。長い手足に尖った耳、血が通っていないのではないかと思うほど不気味に青白い肌、爪や歯は魔物を思わせるような鋭さだった。

 同じ空間にいれば、並の人間なら悪寒が止まらないだろう禍々しいオーラをキルデールは放っていた。

 闇の魔導師たちは、大広間に通された。

 大勢のリト・レギアの兵士たちが取り囲む王城の大広間の中央の玉座には、モイウェール王が座っていた。モイウェール王の右横にはソラリスが、左横にはアリアが立たされた。


「そなたが、闇の魔導師の最高司祭、キルデール殿か」


 モイウェール王はキルデールに尋ねた。


「左様でございます、陛下」


 キルデールは身の毛のよだつような不快な声だった。

 思わず、アリアは顔をしかめてしまった。

 キルデールはアリアの一瞬の挙動を見逃さなかった。


「アレーティア王女。先日は我が配下ミラージョがご挨拶をしたようで……」

「!」


 キルデールは闇の砦にアリアを捕らえていたミラージョの話をした。


「その後、ボーイフレンドとは仲良くやっていますかな」

「あ……」


 キルデールはクククと笑った。

 アリアは背筋が凍った。


 ――知られている。


 リュウトがミラージョを殺したことを。

 このおぞましい魔物のような容貌をした闇の司祭は、闇の魔法ですべてお見通しなのだ。

 アリアが言葉を失っていると、ソラリスがキルデールに質問した。


「一つ、よろしいですか。キルデール殿」

「これは聡慧と名高いソラリス殿下……。何でございましょうか……」

「近年、国内で出現しているダークエルフはあなた方が差し向けた者たちか答えていただきたい」


 キルデールは黙った。

 そして、言った。


「はて。存じ上げませぬ」


 大広間内は緊張感で張りつめていた。

 大勢の兵士たちが行く末を見守っているが、物音ひとつしない。

 その静寂を破ったのはモイウェール王だった。


「くだらぬ答弁をしている暇はない! 単刀直入に言おう!」


 王は玉座から立ち上がった。


「この誇り高き竜騎士の国、リト・レギア王国は闇の魔導師とは手を組まぬ! さっさと出て行かれよ!」


 闇の魔導師たちはざわついた。

 ニヤリと笑うキルデールが王に言った。


「よろしいのですか?」


 よろしいのですか、とは、魔導士の国マギワンドと同じ目に遭いますがよろしいのですか、という意味に他ならない。

 その場にいる誰もがわかっていた。

 同盟を結ばないと言うことは、全面戦争に突入しても構わないのだと。

 そういう意味になる。


「また、お邪魔することになりましょう!」


 キルデールは黒い魔導師のローブをなびかせて、闇の魔導師たちを率いて大広間から出て行った。


「ふん……」


 モイウェール王は鼻を鳴らして席に座った。

 その場に居合わせた兵士たちは、闇の魔導師たちの放つオーラから解放されたことで緊張は解けたが、同時に、深く落胆した。

 近いうちにこの国は、戦争状態に突入する――。

 戦う覚悟を決めなければならない。


 外に出て行くキルデールをソラリスは一人、追いかけた。


「待たれよ!」

「おや、ソラリス王子?」


 大広間を出たところでソラリスはキルデールに追いついた。

 王に聞こえない場所ならどこでもよかった。


「先ほどの同盟の件。返答の期限を延ばしていただきたい」

「ほう?」


 キルデールは王子の顔を見た。

 翡翠のような両の目の輝きは、部族の特徴だけでそうなっているわけではないらしい。

 野心の炎の揺らめきによって、この王子の瞳は輝いているようだ。


「くくく……。わかりました。いいお返事をお待ちしております……」


 闇の魔導師たちは大移動魔法ワープによって国へ帰っていった。

 ソラリスは自室へ戻った。

 配下のルシーンもソラリスの部屋を訪れた。


「殿下!」


 ソラリスは右手で思いっきり壁を叩いた。


「くっ!」


 ルシーンはソラリスを心配した。


「で、殿下……! どうなされました……」


 ソラリスはモイウェール王より遥かに国の将来を考えている。

 これまで守ってきた国を、闇の魔導師たちとの戦争によって失うなど、あってはならないことだ。

 しかし愚王モイウェールによって、リト・レギアの崩壊が現実になろうとしている。

 ルシーンはソラリスの国を想う気持ちの一端でも自分に分け与えてくれぬものかとしばしば思うときがあるが、それは叶わぬ願いだろう。

 最近のモイウェール王は、アレーティア王女を会議に出席させたり、ソラリスに対し王の器でないと言い放つなどして、ソラリスを目の仇のようにしている節がある。

 それに加えて、今回の闇の魔導師たちとの同盟の件は、王の失態のせいで頭を下げなければならなかった。

 プライドの高いソラリスが憤懣やるかたない気持ちになるのもルシーンにはうなずける。

 しかし、ソラリスが思っていたことは、ルシーンの想像とは全くの別物だった。

 ソラリスはこれ以上は耐えかねると言ったように、笑いだしたのだ。


「ふふっ……ははは。はははははは!」

「な……なぜ、笑っておられるのですか、ソラリス殿下?」


 ルシーンはソラリスとはじめて出会ってからもうすぐ十年になる。

 しかし今だにルシーンはソラリスの腹の底をつかめない。


「なぜだと? こんな千載一遇のチャンスがまたとあるか! 積年の屈辱を晴らす手はずは整いつつある! これを笑わずして、いつ笑うと言うのだ!」


 ソラリスは愉快そうだった。

 ルシーンにはわからなかった。この状況の、一体どこがチャンスなのだろうか。


「オレの言っている意味がわかっていないようだから教えてやる、ルシーン。闇の魔導師どもと手を組めば、あの憎きグラン帝国に復讐する戦力が得られる。グラン帝国のクソどもを一掃して、このオレが覇を唱える……」

「ですがグラン帝国を滅ぼせたとしても、いや、その途中でも、闇の魔導師たちがリト・レギア王国に闇討ちをするようなことがあれば、竜騎士団では闇の魔導師に勝てませんよ。そこについてはいかがお考えでいらっしゃるのですか」


 ルシーンが闇の魔導師の門下と言う噂は本当で、闇の魔法にも精通しているし、闇の魔導師たちが裏切りや欺きを得意にしていることも熟知している。

 だから同盟とは、目的があれば一時的に協力しあうだけで、いつでも背後から突く気でいるのは見え透いている。

 そして魔法の国マギワンドを破壊させた後の闇の魔導師の目的は、十中八九、グラン帝国との戦争だ。グラン帝国の巨大な戦力と闇の魔導師たちとの戦いは、どちらが勝つかは予測が立てられない。グラン帝国には神の創造せし武器が多数あり、その神器はすべてが闇を切り裂く力を持つと言われている。

 リト・レギアの王国騎士たちの団結力はこの大陸にある国々の中で最も高いが、闇の魔導師たちの戦力を足しても、グラン帝国に勝てるかはわからない。

 闇の魔導師たちは空からの奇襲の憂いをなくすため、同盟を組もうと言い出したのだ。


「異世界の扉だ」

「なっ……?」

「異世界の扉を覚醒させ、闇の魔導師たちを滅ぼす。異世界の扉にはいかなる攻撃も魔法もたちまち無力化する場を作り出す能力があるらしい。それが真実ならば、どんな英雄、どんな神器が現れようとも敵ではない。異世界の扉の覚醒の手順も調べがついたところだしな……。リュートはオレに逆らうことはないからな。王子と騎士と言う立場を除いても。さしずめ、オレ専用の秘密兵器と言ったところだな。だが、タイミングを見誤ってはいけない。グラン帝国の戦力が十分に削がれたところで、扉の力を解放する」


 満足げに語るソラリスに、ルシーンはさらに食いついた。


「ほ、他にもまだ懸念はあります。国王はアレーティア王女を次期女王にする算段でいます……議会にアレーティア王女が出席しているのは、間もなく王座があの小娘に渡されることを意味しています」

「アレーティアのことなら大丈夫だ。妹は優秀だ。オレの都合のいいように必ず動いてくれるさ」


 ルシーンはますます混乱した。

 なぜアレーティア王女が都合よく動くと断言できるのだろうか。

 そして、なぜ身を小さくして震えることしかできないあの平凡な少女を優秀だと感じているのか。


「うまくいくでしょうか……」

「らしくないな。ルシーン。うまくいくように計らうのがお前の仕事だろう? 以前お前はオレに信用しろと言ったが、言われなくてもオレはお前に期待しているよ。お前がオレの役に立ったら、オレはお前の望むものをすべてやろう」

「わたしが……望むものを……?」


 ルシーンは生唾を飲んだ。

 はじめて出会ったあの日から、ずっと願っていたことがある。

 その願いは、ソラリスにしか叶えることができない。


「そうだ――」

「殿下。約束は果たしてくださいね……」

「いいだろう」


 ルシーンにはソラリスの腹の底はつかめない。

 だが、それでいいのだ。

 この王子に認められさえすれば、願いが叶う。

 このたった一つの願いが叶いさえすれば、もはや生にはこだわらない。


「ついていきます。どこまでも。地獄の果てでも、あなたとならどんな場所でも天上に等しい……」


 ルシーンは愛する王子に跪いた。

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