第72話 帰ってきたリト・レギアの件

 リュウトたちはアリアを連れて彼女の祖国、リト・レギア王国に帰ることになった。

 シリウスにリュウトとゾナゴンが乗るのは行きと変わらないが、帰りは風竜にラミエルとアリアの二人が乗る。


「大丈夫、風竜? 重くない?」


 風竜は平気そうな様子を見せたのでアリアは安心した。

 帰り道は行き道と逆順になるので、砂漠の国ザントを越え、水の国トリクルを越え、ドラゴンの骨が落ちている渓谷を越え、雷鳴の谷を越えたら祖国リト・レギア王国だ。


「帰るまでが遠足~……っと」


 出発前、リュウトはつぶやきながらアリアをちらりと見た。

 アリアもリュウトの視線に気が付き、微笑み返す。


 ――夢じゃ、ないんだな。


 その事実が、嬉しかった。


「へ、へ、へへへ!」


 ニヤつきが止まらない。

 寒い日にあたたかい飲み物を流し込んだような、とろけるような幸せな感覚がする。


 ――やっぱりアリアの笑顔はナンバーワンだ!


「リュート。よかったぞなね!」

「うん……!」


 まずは、砂漠の国の上をドラゴンで渡る。帰りは気候が穏やかになっている、なんてことは全くなく、来たとき同様の灼熱地獄だった。オアシスを点々とまわり、バテないように体調に気を付けながら一行は飛んだ。

 オアシスでの休憩時、リュウトは熱心にアリアにこれまでのことを話した。


「それで、そんなことがあってオレは竜騎士になったんだ!」

「うん。そうなんだね」


 アリアも楽しそうにリュウトの話に耳を傾けた。


「すごくいい仲間たちに恵まれたよ。リト・レギアに帰ったらぜひ会ってほしいんだ!」

「へえー。わたしもご挨拶したいな」

「コンディスとフレン、驚くだろうなあ! あっはは! 考えただけで楽しいよ!」

「リュウトさんは……すごいね。本当に夢を叶えちゃったんだもの」

「いやー、みんなのおかげだよ。そ、それに……ア、アリアがいたから……頑張れたというか……」

「え?」

「あ! いや! なんでもないよ! なんでもない! あはははは」


 二人で話し込む姿をラミエルはゾナゴンと遠目から見ていた。


「バッカみたい! あんなに鼻の下伸ばしちゃってさ!」

「ラミエルはどっちに妬いてるぞな?」

「! 知らないわよ! ゾナゴンのバカ!」

「はあ~! 女はおそろしいぞな」


 オアシスを出て砂漠の上を飛んでいるとき、風竜の上でラミエルはアリアに話しかけた。アリアが風竜を操り、アリアの後ろにラミエルが乗っている。


「ねえ、アリア。リト・レギアについてもさ……あたしたち、ずっと友だちだよね……」

「どうしたの? ラミエル」

「ううん。魔導学院にいた頃は、身分とか関係なかったけどさ。アリアは王女様だから……会えなくなったら寂しい……」

「大丈夫だよ。王国はそんなに厳しくないから」

「じゃあ毎日いつでも一緒にいてね! 絶対よ!」

「あはは。王国の人たちはみんなやさしいから、ラミエルにも新しい友だちができるよ」

「あたしはアリアしか友だちを作らない!」

「ええ……」

「ずっと一緒よ。ずっと……。もう離れない。もう、こわい思いはしたくない……」

「ラミエル……」


 後ろから抱きしめるラミエルの手を、アリアはやさしく触れた。


「大丈夫。ラミエルはわたしが守るわ――」


 突然、ラミエルは思い出したように調子を変えてアリアに尋ねた。


「ねえ! そういえばアリア!」

「は、はい!」

「アリアはリュートのことがラブなの?」

「えっ!」

「愛してるの?」

「ええっ!」

「結婚するつもりなの?」

「えええっ!」

「どうなの!」

「えっ、あの、その、えーっと。答えないと……ダメ?」

「ハッキリしてほしいわ」

「わ、わたしは……リュウトさんのこと……その……だけど、わたしがリュウトさんにはふさわしくないから……リュウトさんは……もっと素敵な女性と……その……」

「はああああ~?」

「!」

「アリア以上に素敵な女の子なんて世界中探したっていないわ! だから自信を持った方がいいわ!」

「ラミエル……」

「まあリュート以上の男はゴロゴロいるから、アリアは世界で一番いい男と結婚しなさいよね! あーあ! あたしが男だったらアリアと結婚してるのに!」

「ふふふ、なにそれ」

「あたしは本気なんだからね!」

「あははは」

「でもさ、アリアは王女様でしょ。結婚ってやっぱり、政略結婚……とかって、あるのかしら……」

「……それは」

「ああ、やめましょこんな話。アリアとあたしは相思相愛! これで決まり、なんだから!」

「ラ、ラミエル……」


 二人は風竜の上で笑いあった。


「女子たちはなんだか楽しそうぞなね~。何を話しているんだか気になるぞなね~」

「ふーん……」

「リュート、妬いてるぞな?」

「べ、別にそんなんじゃないよ」

「やれやれ。リュートもラミエルも、態度に出すぎるんだぞな。お子ちゃまなんだぞな~」

「な、なんだよその言い方は!」

「さあ、そろそろ次のオアシスが見えてきたぞな。もうすぐ夜だからあの町で宿泊するぞな!」

「……はぐらかされた気がするけど、まあいいか……。そうだな! 宿を取ろう」


 幾度目かのオアシスの宿で、リュウトたちは泊まることにした。

 部屋数が多くないので、男女共同だった。


「リュート! 寝てるあたしたちになんかしたら、殺すわよ!」

「何かするわけないよ……」

「リュ、リュウトさん! ラミエルの言うことはあまり気にしないでね……」

「アリアーッ! 男はオオカミなのよ! ケダモノなのよ! 男の言うことは信じちゃダメなのよーっ!」


 行く道では徹夜で番をしていたのにこの扱いか、とリュウトは白い目でラミエルを見た。

 ラミエルは宿の床にリュウトの武器の槍と剣を勝手に取り出し線になるように並べた。


「この線からこっちには入ってきちゃダメだから! いい? わかったわね!」

「はあーっ。はいはいわかりました」

「キィイーッ! リュートのくせになによその態度はーっ!」


 一同は眠った。

 アリアと同じ部屋で寝るなんて、とガチガチになっていたリュウトだったが、旅の疲れもあり、すぐに睡魔に襲われた。

 しかし、襲ってきた睡魔はリュウトに良い夢を見せなかった。

 現実に起こった凄惨な光景が、夢の中で繰り返し繰り返し再生され、リュウトはうなされた。

 闇の魔導師たちから向けられる殺意。

 闇の魔導師たちを剣で貫く感触。

 闇の魔導師たちがこと切れる際に見せる憎悪に満ちた目。

 夢の中で何度も何度も繰り返され、その度にリュウトは叫んだ。


『殺したくなかったんだ! 本当は誰も殺したくなかった! やめろ――そんな目でオレを見るな! やめろ――やめてくれ!』


 アリアは物音で目が覚めた。

 ゾナゴンのスピースピーという寝息。

 ラミエルのいびきをかきながら歯ぎしりをする音。

 そして、寝苦しそうに汗をかいてのたうち回るリュウトの音。


「リュウトさん……?」


 アリアはラミエルが並べた武器の線ギリギリまでリュウトに近づいた。


「リュウトさん、リュウトさん! 大丈夫ですか?」

「あ……?」


 リュウトは悪夢から目覚めた。

 大量に汗をかいていて気持ちが悪い。


「あ……オレ……」

「とてもうなされていましたよ……」

「あ……そっか、夢か……」

「どうしたんですか?」

「……」

「言いたく……ないですか?」

「……オレ……」


 リュウトは意図せず片眼から涙が流れた。

 アリアの前で、こんな弱い姿を見せたくなかった。


「……オレ……ころ……したんだ……人を……」


 一旦涙が流れると、嗚咽が止まらなくなった。

 アリアにこんな姿、見られたくなかった。


「リュウトさん……」

「闇の……魔導士たちが……オレを……見てくるんだ……地獄から……ずっと……オレ……覚悟したのに……覚悟して騎士になったのに……ダメになりそうなんだ……取り返しがつかないことをしたんだ……父さん、母さん……ごめんなさい……オレ……もう帰れないよ……どこにも、どこにも帰る場所なんてないよ……」

「リュウトさん!」


 精神が壊れかけているリュウトを見て、アリアも涙があふれた。

 リュウトがこうなってしまった原因は、自分にあるのだ。

 やさしかったリュウトのこころを犠牲にして、今の自分は存在している。


「リュウトさんっ!」


 アリアは、ラミエルが作った線を飛び越えた。


「アリア……?」


 そして、アリアはリュウトの手を握った。


「ごめんなさい。ごめんなさい、リュウトさん……。あなたはわたしのために……こんなにも傷付いたのね……」

「違う……違う……アリアは……悪くない……悪いのは全部オレなんだ……オレがしっかりしてさえいれば……オレが……」

「リュウトさん」

「うっ……」

「今日は朝まで、そばにいさせて」

「あ……」


 リュウトは再び、眠りについた。

 アリアのいい香りが鼻に入ってくる。


「アリ……ア……ありが……と……」

「いいの。わたしにできることなんて……。リュウトさんがしてくれたことの方が、大きいんだから……」


 朝が来た。


「さあっ! 今日もリト・レギアを目指して旅をするわよーっ!」

「ラミエルさあ、朝から元気過ぎない?」

「何言ってるのよ! 朝から元気がなかったらどうするのよ! 旅は過酷なんだからねーっ!」

「ははは、はあ……」


 リュウトは自分の手のひらをみた。

 昨晩はずっとアリアが手を握っていてくれた。

 その消えない感触が嬉しかった。


「うふ、ふふふふ」

「リュート、どうしたぞな? またエッチな妄想ぞな?」

「嬉しいことがあるとさー、悪口って気にならなくなるもんだなー!」

「ええっ、な、なにがあったんだぞな! 教えるぞなーっ!」

「ははは! 嫌だよ!」


 ――すべてのことを割り切れるほど、強いこころは持っていないけど、オレは守れたんだ。大切なアリアを。


 リュウトは手のひらを固く握りしめた。


 リュウトたちは砂漠の国を越えた。

 行きと同じく、ラミエルの提案で水の国で買い物をすることになった。


「はーあ。ラミエルがうるさくなければ最高の旅なのになあ」

「水の国はご飯が美味くて最高ぞな~! リュート、このジュース美味いぞな。飲むぞな~!」

「ああ、ありがとう。あっ! 確かに美味いな」


 リュウトたちがベンチに座って休んでいると、ラミエルとアリアが帰ってきた。


「じゃーん!」


 ラミエルがまた新しいドレスを買ったようだ。


「可愛いでしょ」

「うん」

「さ、アリアも隠れてないで」

「あ、うん……」


 ラミエルの陰に隠れていたアリアが出てきた。


「ど、どう、かな?」


 アリアは照れながら新品のドレス姿を披露した。

 淡いピンクと白いドレスが、アリアの髪色に合っていてよく映える。


「うんっ! 可愛いよアリア!」


 リュウトは立ち上がってアリアを褒めた。


「そ、そうかな」

「すごく可愛い。似合ってるよ!」

「ちょっと! あたしのときと随分態度が違うじゃない!」

「それは日頃の行いの差ぞな。ラミエルは悔い改めるぞな~」

「なんですってー!」


 水の国で楽しいひと時を過ごしてから、また飛んだ。


「あれ、アリアはドレス脱いでいくの」

「うん。動きにくいしね」


 アリアはドレスを着替えてから風竜に乗った。

 ドレスはとてもよく似合っていたから残念だ、とリュウトは思ったが、旅の途中で汚れたり破れたりするのは可哀想なので仕方ないかと納得した。

 ここからはもう宿で泊まることはできない上に、魔物に気をつけなければならない。

 出現する魔物たちを仲間で協力して倒しながら進んでいった。

 アリアは水の国で、魔法の杖を新調していた。

 ルシーンが持っていたような、先に水晶がついた長い杖だ。


「みんなの怪我はわたしに任せてね」


 アリアは魔導学院で、白魔法の修行を積んだので、回復魔法を使えるようになっていた。


「だ、大天使かよー!」


 パーティーメンバーが魔法系に偏っているなと思ったが、何度も魔物を倒す度に、仲間の息は合ってきた。旅立ったときよりもずっと強くなった。

 

 夜は森の中で野宿をした。

 リュウトとシリウスと風竜が交替で番をすることにした。

 リュウトは闇の砦の一件以来、毎日悪夢をみた。

 頭でわかっていても、こころが追い付かないときはある。

 リュウトが眠れないでいることにアリアが気が付くと、アリアはリュウトのそばに行き、手を繋いだ。


「そばにいるから……大丈夫」

「毎晩……ごめん……ホントごめん」

「気にしなくていいよ」

「ごめん……」


 リュウトは情けなくて、アリアの方を向けなかった。

 だけど嫌いだと思っていると勘違いされたくなかったので、精一杯今日の感想を伝えた。


「あ、あのさ。時々でいいから……水の国で買ったドレス姿を見せてほしいな。あの服を着たアリア……すごく可愛かったから」


 リュウトはやっぱりアリアの方は向かずに言った。

 勢いで可愛いと言えるときもあるけれど、意識してしまうと照れくさい。


「ふふっ。すごく嬉しい」


 大好きなリュウトさんとこうしてまた過ごせるなんて夢みたい、とアリアはリュウトの手のぬくもりを感じながら思った。


 ドラゴンの骨の谷、雷鳴の谷を仲間たちと協力して越え、そしてついにリュウトたちは帰ってきた。


「ついた! リト・レギア王国に、帰ってきた!」

「いやっほー!」

「ぞなー!」


 リト・レギア王国の中心にある王城は、出発したときと変わりなく建っていた。


「あっ! お父様!」


 中庭では、国王がアリアの帰りを待っていた。


「アレーティア! おお、わしのアレーティアぁあ!」


 親娘は泣きながら再会を喜び合った。


「お父様! 心配をかけてごめんなさい!」

「全く……本当にその通りだ!」

「でも、わたしの大切な仲間たちが、助けに来てくれました!」

「ああ、ああ。わかっておる。彼らは、真に正しい行いをした。真の勇者たちだ!」


 喜ぶ国王と王女を見て、旅の仲間たちは嬉しかった。


「よかったね! アリア!」

「うん! みんなのおかげだよ! ありがとう!」


 リト・レギア王国に無事に帰還したアリアたちは、部屋でゆっくり休むように国王から言われ、それぞれの部屋に向かおうとした。

 その途中、アリアの兄のソラリス王子が前から歩いてきた。


「あ……。ソラリス兄様……」


 前から歩いてきたソラリスは、歩みを止めることはなかった。

 アリアに対して一瞥いちべつもせず通り過ぎ、行ってしまった。


「え……」


 一同は驚いた。


「お兄さんなのに……危険な目に遭ったアリアが帰ってきたのに、なんにも言わないなんて!」


 ラミエルが怒った。


「い、いいの! ラミエル。わたしは大丈夫だから……」


 リュウトは不思議だった。ソラリスはアリアを嫌っているんだろうか。しかし、アリアを嫌う理由なんてない。少なくともリュウトには思いつかない。

 ただ、リュウトはアリアに暗い顔をしてほしくなかったので、別の話題に切り替えた。


「みんなさ! 長旅で疲れてるからさ! ゆっくりしよう! そうしよう!」

「そうね。あんな嫌な男のことで怒っている場合じゃなかった。はーあ。顔はいいのにねー、もったいない。男は顔じゃなくて、ハートよハート!」

「おおお? 珍しくラミエルがいいこと言ったぞな?」

「珍しくってなによ。あたしはいつでも正しいじゃない!」

「それはどうかなー」

「リュートまで! あんたたちはやっぱり敵ね! はーあ! どこかに熱いハートのいい男がいないかしらねーっ!」


 リュウトは王城にあるかつて自分のために用意された部屋に一人で戻った。

 服とケータイがそのまま机の上に置かれていた。

 異世界に来てからもう使わないと思って置いてきてしまったが、持って行かないのは不用心だったかなと思いながら、服を着替えた。

 そして、ベッドの上に寝転がった。


「ただいま――」


 誰もいない部屋で、リュウトはつぶやいてみた。

 もちろん、返事はない。

 悪夢でうなされたとき、リュウトは自分が放った言葉に違和感を覚えていた。


『どこにも帰る場所がない』


 悪夢にうなされたとき、確かにそう言った。


 ――帰る場所って、なんだろう。


 リュウトは寝返りを打った。


「あはは……。オレ、何言ってんだろう……。帰る場所って、家族がいる場所に決まってるじゃないか……。疲れすぎてるのかな、オレ……」


 リュウトはルブナのことを思い出した。ヴィエイルのことを思い出した。

 彼女たちは、死んでどこに行ったんだろう。

 コンディスは空から見守っているんだと言っていた。

 そして、リュウトは自分が手にかけた闇の魔導師たちのことを思い出した。

 彼らは、死んでどこに帰るんだろう。

 闇の魔導師たちが、ルブナやヴィエイルと同じ場所に行ったとは思えない。

 この先、リュウトだって死ぬ可能性も――殺される可能性もある。

 そのとき、リュウトの魂はどこへ行くんだろうか。どこへ帰るんだろうか。

 死後の世界はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。

 天国か地獄かどちらかへ行くことになったら、きっと自分は地獄だろうと思う。

 なぜなら人を殺めてしまったから。


「情けないよな……ずっとアリアに手を握ってもらっていたのに……オレはまだ、気にしてる。手をどんなにキレイに洗おうが、オレの手は汚れてる。こんなオレの手を、アリアに握らせるのは…………しんどい……よなあ……」


 リュウトは両手で顔を覆った。


 ――しんどい。


 それは確かにその通りだ。

 だが、同時に『欲』も感じる。


 ――神聖な彼女にこそ、この汚れた手を握ってほしい。


 こころの奥底の深いところから、じわじわと表面に上ってくるこの気持ちは、闇の魔導たちの耳障りな呪文の詠唱を聞いているときと同じ感覚に陥る。


「竜騎士じゃなくて、闇の魔導師の方が適正あったかもな」


 リュウトは士官学生時代に目にした、ワルムウッドの森の悪魔草のことを考えていた。人間の欲望に反応して絡みついてくる草のことだ。

 親友のシェーンは、悪魔草に絡みつかれずに草の上を渡ることができた。

 だけどリュウトには、そもそも渡ろうとする意思はなかった。


 ――今のオレは、悪魔草に絡みつかれ放題だろうな。


 リュウトは死んで地獄に落ちて、自分が殺した闇の魔導師に何度も殺される夢をよくみた。そして、アリアに手を繋がれる度、両極端な気持ちがこころの中で湧いた。

 彼女の手を引っ張って、自分と同じところまで堕ちてほしい気持ち。

 もうひとつは、彼女に手を引っ張りあげられて、救ってほしい気持ち。

 どちらにせよ、彼女に対して『欲』を感じている。

 彼女に好かれたい。彼女に愛されたい。彼女を自分だけのものにしたい――。

 こんな自分がいることが恥ずかしい。

 こんな想いで彼女といるのは最低だ。


 ――もしオレが死ぬようなことがあったら、きっとオレの死因は、悪魔草に相違ない。いつか欲望の果てに、身を滅ぼすことになりそうだ……。


「オレはこんな奴なんだよ――アリア……」


 ――それでも。


 もし、魂に還る場所があるのなら、元の世界でもなく、家族の元でもなく、天国でもなく、地獄でもなく――彼女の元に、アリアの元に帰りたい。


「うっ……」


 リュウトはまた泣いた。

 欲を感じる自分を恥じているのに関わらず、それでも欲しいと思ってしまう。

 こころがまるで粉々になったガラスのようだ。

 どうやって直せばいいんだろう。

 どうやって片付ければいいんだろう。

 いつから、壊れていたんだろう――。


 しばらく放心していると、部屋の扉からノックが聞こえた。


「あっ! は、はいっ!」


 リュウトはあわてて飛び起きた。


「わたしです――」


 アリアの声が聞こえてきたことで、リュウトはさらにあわてた。


「あっ! あっ、あっ! どうぞ!」

「お邪魔します――」


 アリアが部屋に入ってきた。


「あら? お休みだった? リュウトさん」

「い、いや、別に……」

「隣、いいかな?」

「え、あっ?」


 不自然な慌て方を直そうとすると、余計に不自然になる。

 アリアに変な風に思われていないだろうか。

 アリアは気にせず、リュウトの隣に座った。

 さっきまで変なことを考えていたので、リュウトの背中に汗が流れる。


「ど、ど、どうかした?」

「……うん」

「ええっ! だ、大丈夫?」

「うん」

「えっと……」

「あのね。ずっと言おうと思っていたんだけど……」

「うん」

「リュウトさん。ありがとう」

「あ? ああ、えっと。どういたしまして! って、なにが?」

「ふふふ。何がってことはないでしょ? 助けてくれたし、守ってくれたし。わたしはいっぱいいっぱいリュウトさんに感謝してることがあるよ」

「ああ。別に、いいんだよ」

「それに……。わたしが落ち込みそうになると、必ずフォローしてくれるよね。ありがとう」

「あっ……」

「兄様はきっと、わたしに愛想を尽かしちゃったんだね。仕方ないよ。迷惑かけたんだもん」

「ち、違うよ。ソラリスは別のことで今は大変なんだよ、多分」

「いいの。わかってるから。もう、兄様はわたしのことが目に入ってないんだなって……でもいいの! 本当に。だって、だって」


 アリアはリュウトに向き直った。

 真剣な瞳でアリアは真っ直ぐリュウトを見つめる。


「ねえ、リュウトさん。わたし、ずっとあなたのそばにいたい」

「えっ」


 アリアは目に涙を浮かべる訳でも、懇願するわけでもなかった。

 まるで――宣言のようだ、とリュウトは思った。

 そして、彼女の真剣な眼差しを、同じ真剣さで返したかった。


「オレは、君を守るために騎士になったんだ。頼まれなくったってそばにいたいよ。って、それは、ダメかな? あはは……」

「その言葉、約束してくれる?」

「う、うん……」


 いつになく押してくるアリアにたじろぎながらも、リュウトは嬉しく思った。

 また一つ、こころの距離が縮まった。

 そんな気がした。


「じゃ、指きりげんまんしよう」

「指きりげんまんって?」

「あ? その文化は異世界にはないのか。妙に日本っぽいところがあったり、なかったりで異世界ってよくわかんないな……もう十か月以上もいるけど」


 リュウトは右手の小指を出した。


「アリアも右手を出して」

「うん」


 リュウトとアリアの小指は繋がった。


「あー……。小指絡ませるのってすごく恥ずかしいな。って、アリアの手ちっちゃ!」

「ダメ?」

「可愛い……と、思ったってことだよ」

「それで、これはなに?」

「うーん。オレの住んでたところ風の、騎士の誓い、かな。約束を必ず守るときにやるんだ。指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ーますって歌いながらこう、腕を振って」

「おだやかじゃない歌詞だね」

「あははは。確かにそうだね」

「針千本を飲ますことは……多分、ないけど。約束、守ってね――」


 アリアはせつなげに笑った。


「ああ。誓うよ」


 二人きりの部屋の中で、リュウトとアリアは指きりげんまんをした。

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