第70話 ずっと会いたかったの件

 魔導士の国マギワンドの森の外れにあるとある砦の最上階。そこで、闇の魔導師たちを統率しているミラージョという名の司祭がまだ幼いリト・レギア王国の王女を捕らえて閉じ込めていた。

 王女を閉じ込めている部屋に手下を二名連れたミラージョが入ると、王女はキッと彼をにらみつけた。そして、ミラージョに反抗心を表すために、格子のついた窓に目を向けた。


「おやおや、アレーティア王女。またしてもその壊れたオカリナを吹いていたのですか」

「……」

「くくく、無意味なことを……」


 と言いながら、ミラージョは部屋に置いてあった深めの椅子に座り、小気味よさげに笑った。


「ミラージョ様、アレーティア王女を捕らえて、何をなさるおつもりでございましょう?」


 手下の闇の魔導師の一人が、ミラージョに尋ねた。


「バカか! なぜわからぬ。リト・レギア国王に身代金を要求するために決まっていようが!」


 もう一人の手下の闇の魔導師が答えた。

 ミラージョはぐははと下品な笑い声をあげた。


「いいや。この姫には使い様がある。闇の魔導師の最高司祭、キルデール様に献上すれば我らはより高い地位に就けるだろう。もう報告は済んでいる。後はキルデール様の到着を待つだけよ……」


 ミラージョは立ち上がり、アリアの元まで近付いた。

 そしてアリアの顎を掴み、顔をなめるようにして見た。


「アレーティア王女。なかなかに美しい姫ではないか。兄のソラリス王子ほどではないがな……」


 ミラージョの手が離されると、アリアはまた窓の外に目を向けた。


 ――ラミエル、風竜。無事にリト・レギアに着いた頃かな……。


 ラミエルと別れてから、もうすぐ二週間になる。

 あのときは夢中で彼女を逃がしたが、その選択が正しかったのかはわからない。

 リト・レギアからマギワンドまでの長い道中、気候や魔物の試練が続いたので、旅が決して容易いものではないことをアリアは知っている。

 そして、アリアは捕らえられてしまった。

 どれだけ父や国民に迷惑をかけることになるだろうか。

 どれだけ兄から失望されるだろうか。

 アリアは自分のせいで祖国が窮地に追い込まれるのなら、死ぬ覚悟でいる。

 役に立ちたいという気持ちは、いつも空回りしているような気がする。

 風竜と契約したことも。

 魔導を覚えるために魔導学院に留学したことも。

 努力すればするほど、周りの人たちに迷惑をかけ、後ろ指をさされている気がする。

 そして、リュウトには何も言わずに出てきてしまったことを、アリアは深く後悔していた。


 ――リュウトさん……。……会いたい。


 アリアの目にじんわりと涙が出てきた。

 闇の魔導師たちの前で涙を見せる訳には行かないのに。

 リュウトに何も言わずに出てきてしまったのは、リュウトの竜騎士になりたいという決心を揺るがせるようなタイミングで話して迷惑をかけたくなかったから。そして、リュウトの顔を見ると離れたくないと思ってしまうからだった。だからアリアはリュウトに何も言わずに国外へ出た。

 リュウトは今頃何をしているだろうか。

 竜騎士になれただろうか。

 仲間たちができて、楽しく過ごしているだろうか。

 好きな女の子ができたりしているだろうか。

 外国の王女たちはみんな芯があり、しっかりしている女性が多い。それなのに、どうして自分はこんなにも不安がったりしてしまうのだろう、とアリアは自分の王女としての器のなさを責めた。


「リュウトさん……」


 アリアはもう一度聖鳩琴を吹いた。

 魔導学院が燃えた夜、落として音が出なくなってしまった。

 音が出なくなってしまった聖鳩琴を吹くことに何の意味があるだろうか。

 それでもアリアは吹き続けた。

 不安はある。

 けれど、どんな状況でも希望は持ち続けなければ。

 暗い夜道を明るく照らすのは、希望を持って進んでいくこころにある。


 ――リュウトさんがそうだったように、わたしも、希望はまだ失われていないと信じて進まなければ!


「聖鳩琴の音色だ!」


 闇の魔導師たちを倒しながら砦の三階まで進んできたリュウトは叫んだ。


「やっぱり、屋上から聞こえてくる!」


 ――アリアだ! アリアがいるんだ!


 立ちふさがるすべての敵を振り切って進むリュウトに、また闇の魔導師たちが立ちふさがる。


「どけぇええ! オレの邪魔をするなああ!」

「ぐわぁ!」


 闇の魔導師たちに詠唱の時間を与えることなくリュウトは突破していった。


「アリア! アリアぁああ!」


 リュウトは叫んだ。

 無我夢中で叫んだ。


「オレが助ける! オレがアリアを助けるんだッ――!」


「くくく。姫も飽きぬものだな」


 砦の最上階で、音が出なくなった聖鳩琴を吹くアリアを眺めながらミラージョは言った。

 すると、ミラージョの部下の一人の闇の魔導師が慌てた様子で部屋に入ってきた。


「ミラージョ様! ご、ご報告します!」

「何事だ?」

「はっ! リト・レギアの騎士とみられる若者が一名、城に侵入した模様! 既に十人の仲間がやられました!」

「な、なんだと?」


 ミラージョはうろたえた。


「リト・レギアは我らの敵となったようだな。バカな国だ。我らに楯突いたことを後悔させてやろう」


 ――若者が一人で……?


 アリアには、心当たりがあったが、いや、しかしまさか、そんなはずは――と思っていると、木製の扉を飛竜が爪でぶち壊した。


「ギャアアアア!」


 見知らぬ飛竜は咆哮した。


「えっ! 飛竜?」


 アリアは座っていた椅子から立ち上がった。

 そして、壊された扉から、一人の若者が現れたところを見逃さなかった。

 アリアの目に懐かしい顔が飛び込んだ。


「リュ……!」


 闇の魔導師たちが若者を始末しようと闇の魔法の詠唱をはじめた。


「あっ! 危ないっ! ――リュウトさんっ!」


 若者は持っていた剣で闇の魔導師たちに切りつけた。

 闇の魔導師たちは一振りで薙ぎ払われた。


「つ、強い……!」


 そして、息絶えた。

 しかしそのとき、残る最後の敵ミラージョが闇の魔法を完成させた。


「食らえ! わたしの闇の魔法を! 恐怖しろ! 平伏せよ! 闇の前に人は無力だと思い知るがいい!」


 ミラージョが放った魔法は、真っ直ぐリュウトに向かってきた。


「くっ!」

「リュート! 任せるぞな!」


 リュウトの肩からゾナゴンが飛び出し、口から魔法を放った。


「ぞなーっ!」


 ミラージョが放った闇の魔法と、ゾナゴンが口から吐いた闇の魔法とがぶつかり合い、対消滅した。

 魔法の衝撃が部屋全体に響く。しかし、リュウトは構わず剣を握りしめ、最後の敵に突進した。


「ぁああああああッ!」


 リュウトは剣をミラージョの腹に刺した。


「な……この……わたしが……」


 闇の司祭ミラージョは倒れた。


「何者なんだ……お前は……。キルデール様……お許しください……。うっ!」


 ミラージョが息絶えたのを確認して、リュウトは剣を引き抜いた。


 アリアは、目の前に現れたリュウトが、本物のリュウトなのかわからなかった。

 これは、願望が見せる幻影なのだろうか。

 今目の前にいるリュウトは、最後に会った十か月前よりも大人びた顔つきになった。


「リュウト……さん……」


 アリアは、ずっと会いたかった人の名前を呼んだ。


「リュ……リュウトさんっ!」


 アリアは気が付いたら駆けだしていた。


 ――リュウトさん! リュウトさん!


 そして、抱きしめた。

 リュウトのあたたかいぬくもりが伝わってくる。

 幻影ではない。

 彼のことは、国を離れてからも一日も忘れたことはなかった。

 はじめてこころの居場所をくれた、大切な人――。


「リュウトさん……会いたかった……! ずっと会いたかったよ……!」


 リュウトは握っていた剣を落とした。


「あ……」


 激しい連戦を潜り抜けてようやく緊張から解放された身体には、もう力が入らなくなっていた。


「アリ……ア……」


 リュウトとアリア。

 二人は再会を果たした。


 アリアに強く抱きしめられたリュウトは、放心していた。

 アリアに抱きしめられている。

 士官学校へ行く前、別れの挨拶をしたときと同じようにアリアに抱きしめられている。


「……アリア……」


 アリアと再会したらなんて言おうか、マギワンドへ向かう道中、リュウトはずっと考えてきた。

 別れの挨拶のときに、アリアを抱きしめ返さなかったことをリュウトは後悔していた。

 あのとき、自分の勇気がでないことなんてどうでもよかったんだ。本当に彼女を想うなら、寂しがるアリアの気持ちに答えるべきだったんだ。

 いつまた会えなくなるかわからないのだから。

 だから、もし再会できたときに、アリアがリュウトを抱きしめるなら、必ずアリアに気持ちを返そうと思っていた。

 けれど、今回もまた、リュウトはアリアを抱きしめ返せなかった。

 リュウトは自分の右手を見た。

 闇の魔導師たちの返り血がべっとりとついている。


 ――こんな手じゃ、アリアを抱きしめられないよ……。


 リュウトの手は汚れていた。

 取り返しのつかないほどに。

 それでも、それでよかった。

 アリアを守れるのだったら、どんなに自分の手が汚れようとも構わない。

 自分の手が汚れるだけでアリアを守れるのなら、そんなの、容易いことなんだ。

 

 アリアと生きて再会できた運命を――奇跡を、リュウトは何度も感謝した。

 

 アリアはリュウトの名前を何度も何度も叫びながら大粒の涙を流し続けた。











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