第58話 教官長の葬式の件

 リュウトは南西の砦の屋上でシリウスの世話をしていた。


「ゾナゴンの奴、また石集めに出掛けたみたいだな。ついてこなくていいときは必ずついてくるのに、頼みたいことがあるといないんだよなー」

 シリウスは返事をしなかった。

 その代わり、もっとなでろというように顔を押し付けてきた。


「ふふっ。シリウスは可愛いな……」


 屋上でシリウスの世話をするリュウトを探して、コンディスとフレンがあわててのぼってきた。

 コンディスとフレンは焦ったような表情でリュウトに話しかけた。


「リュート! 聞いたかよ!」

「えっ、何? そんなにあわててどうしたの?」

「リュート……落ち着いて聞けよ……」

「?」

「昨日の夜、ヴィエイル教官長が亡くなった……らしい」

「えっ……!」


 ヴィエイルが、死んだ。

 コンディスたちがもたらしたその事実は、リュウトのこころを一瞬で打ちのめした。


「は……? う、嘘だろ……?」


 コンディスとフレンは下を向いた。


「嘘じゃ……ない……のか……?」

「今から、大聖堂で葬式が執り行われるそうだ」

「え……?」


 リュウトは目の前が真っ暗になった。


 ――ヴィエイル教官長が、死んだ?


 リュウトにはその現実が受け止められなかった。

 心臓がバクバク言っている。


 ――何だ? コンディスとフレンは何を言っているんだ?


「準備ができたら、オレたちも大聖堂へ向かおう」

「……」


 放心するリュウトをコンディスが揺すぶった。


「おい、しっかりしろリュート。行くぞ!」


 リュウトは抑えきれない吐き気と眩暈の中、コンディスとフレンのあとに続いてシリウスに乗って飛んだ。


 三人は大聖堂に着いた。

 飛竜を外に止めて、中へと入っていく。

 大聖堂の中は士官学校の卒業生や、ヴィエイルの騎士時代の友人たちが集まってごった返していた。

 セクンダディのメンバーや、ソラリスまでもがいる。

 みんな、ヴィエイルの死を悼んで集まったのだ。

 大聖堂の奥には、一つ、棺があった。


「は……?」


 リュウトは足元がふらふらした。


 ――なんで葬式なんかやってるんだよ。


 混乱した感情は、次第に怒りへ変わっていった。


 ――ヴィエイル教官長が、死んでるわけがないだろう!


「おかしい……こんなのおかしいよっ……!」

「リュート……?」


 フレンが横にいるリュウトの異変に気付いた。


「卒業生みんなで……会いに行く約束をしていた……のに……。その前に、教官長が亡くなるなんて……おかしいよ……。こんなの、間違ってるよ……。こんなことが、現実なわけがない……。これは、夢なんだ。夢だ! 教官長は生きてる……絶対に、死んでなんかいない……!」

「リュート……!」


 突然のことでリュウトがパニックになるのも無理はないとフレンは思ったが、ここまで動揺するとは思っていなかったので急いでフレンはリュウトを席に座らせた。

 お茶会の日に見たヴィエイル教官長の妻が、棺に向かって泣いていた。

 奥さんのすがるような泣き声を聞いて、リュウトの脳裏には、ヴィエイルとの思い出がぐわーっと蘇ってきた。


 はじめて出会った日。ヴィエイルはソラリスの横に立っていた。

 厳格そうな老騎士だと思った。

 雪遊びの次の日、中庭に木材を持って行って遊んで、片づけをしなかったので呼び出されたことがあった。

 シェーンと一緒に裏の格闘大会に出て、謝りに行ったこともあった。あのときは格闘大会と聞いてヴィエイルはワクワクした表情を浮かべていた。

 お茶会の日、楽しそうに奥さんと飛竜に乗るヴィエイルの姿を見て、竜騎士になったら誰かと一緒に空を飛ぶことに憧れた。

 教室をめちゃくちゃにしてしまったとき、教官たちに一方的に責められるリュウトをたった一人かばってくれたことも思い出した。そしてその後一人思い悩んでいた姿も――。

 卒業式の日に、涙ぐんでリュウトを見送ってくれたのが、教官長をみた最後だった――。


 リュウトにはもう、とめどなくあふれでる涙を押し殺すことは不可能だった。


「ぐっああ……うああああああっ……!」


 人目を気にすることなく、リュウトはその場で泣き崩れた。


「どうして! どうして教官長が死んだんだ? どうして人は死ぬんだ! どうして死ぬ必要があるんだ! どうして! どうして!」


 リュウトにとって、はじめての身近な人物の死だった。

 ヴィエイルはリュウトにとっては恩人で、いつか竜騎士になった姿を見せたい人のうちの一人でもあった。

 そして、『いつでもいる人』だと思っていた。

 それが、こんなにも急にいなくなってしまうのは、何かがおかしいとしか思えない。

 確かに高齢ではあったが、何の前触れもなく亡くなるなんて――。


「こんなの間違ってる……間違ってる……」


 つぶれ切った声で何度も泣くリュウトの元にたえきれずコンディスが近づいた。


「リュート! シャキッとしろよ!」


 リュウトの横にいたフレンはコンディスがヤバいと直感したが、時すでに遅しだった。


「立てっ! リュートッ!」


 コンディスはリュウトを無理やり立たせた。

 そしてリュウトを本気のグーパンで殴り飛ばした。

 殴り飛ばされたリュウトはしりもちをついた。リュウトは何が起こったのかがわからなくて唖然とした。


「え?」


 何もかもの理解が追い付かない。

 ヴィエイルが亡くなったこと、葬式に出席していること、何故かコンディスに殴られたこと、何故尻が痛いのか――何故、何故?


「え?」


 コンディスに殴られた頬の痛みがじわりじわりと広がっていった。

 涙が乾いてきて、目の前で鬼のような形相をしているコンディスがリュウトの目に見えた。


 ――オレ、コンディスに殴られたんだ……。


「ええ?」


 コンディスは怒りで肩が上がっていた。

 周りにいた葬式の参列者がざわざわとしだす。


「ふっざけんなよ、リュート……。お前はヴィエイル教官長の教え子なんだ! 大勢の人の前で、そんなみっともない真似をするな! いいか、もう一度言う。お前はヴィエイル教官長の教え子なんだ! だから誇り高くいろ! 泣くなんていつでもできる。だが、きちんと見送ることは今しかできない。ヴィエイル教官長の最期をきちんと見届けてこそ教え子だろうが!」


 コンディスはめちゃくちゃな勢いでリュウトをまくしたてた。

 リュウトは殴られた頬が痛いし、しりもちをついたので尻と手首が痛いし、コンディスに怒鳴られて胸が痛いしで、もう散々だと思った。

 しかし、じわりじわりと広がる痛みのように、じわりじわりと理解した。

 あの友だち想いのコンディスが、何のためにリュウトを殴ったのか。

 今の自分が何なのか。

 そして、今の自分が何をするべきなのか。


「コン……ディス……」


 リュウトはゆっくりと友人の名を呼んだ。


「オレ……」


 そして、ゆっくりと立ち上がった。


「オレは……ヴィエイル教官長の……教え子だ……」


 リュウトは立ち上がって、ようやく現実を受け止められた。


 三人は、教官長の棺に献花した。

 葬式は終わった。

 コンディスに言われた通り、リュウトはヴィエイル教官長の最期を、きちんと見送った――。


 葬式の帰り道、三人は黙って飛んでいたが、一番先に沈黙を破ったのはリュウトだった。


「コンディスに殴られて……すごくビックリした……」


 コンディスはバツが悪そうに答えた。


「……な、殴って悪かったな。あのときのオレ……どうかしてた……。リュートを殴るなんてな……。完全に頭に血がのぼってた……。ホントにごめん……リュート……」


 コンディスはつらそうだった。


「コンディス……。違うんだ……。感謝してるんだ……。殴ってくれて、ありがとうって……」

「ええ?」

「コンディスに殴られて、すっげー痛かったよ……。けど……生きるって……痛いもんだよなぁ……。胸も頬も尻も……すっげー痛かった。でも、死ぬとさ、痛みとか、もう感じないんだよな……。だからさ、痛さを感じるって生きてるってことだよな……」

「? つまりリュートは何が言いたいんだ?」


 フレンが尋ねた。


「え? ええっと、うーん。要するに……」


 リュウトは沈んでいく夕日を眺めた。


「コンディスの言う通り、誇り高く、生きよう! ってことだよ。オレたちは、ヴィエイル教官長の教え子だ。そして今はこの国を守る竜騎士だ! だから、命ある限り誇り高く生きよう! ……そういうことで、いいかな……」

「いいんじゃないか」


 フレンが答えた。


「リュートは……それで納得いってるのか?」


 コンディスはリュウトの表情を伺った。


「うん。オレ……教官長のこと、忘れないよ……。教官長が生きてたこと、ずっと忘れない……。今のオレがあるのは、あの人のおかげなんだ。厳しかったけどさ、同じくらいやさしい人だった。だから、ずっと忘れない……。ずっと、ずっと……」


 三人の若い竜騎士たちは、今日は遠回りしてから砦に帰った。

 明日からも、竜騎士として、誇り高く生きれるように。

 悲しみを明日に持ち越さないように、飛び続けた。

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