第32話 愛するこころと信じるこころの花畑の件
「リュート、来てくれ」
ワルムウッドの森から帰ってきてから次の日の朝の学校で、シェーンは一冊の本を持ってきて、リュウトに見せた。
シェーンの愛蔵書の野草図鑑だった。
「この本の挿絵は全部、竜の鱗ショペットが描いたんだ。この完璧なまでの緻密な作画。こんな絵が描けるのは天才だけだ。彼は本当に、この国の宝のような芸術家なんだ!」
「ふーん」
「リュートは王城で過ごしていた期間があったんだよな。王城には彼の作品がたくさん並んでいると聞いた。リュートは見ただろう?」
シェーンは昨日からずっと興奮しっぱなしだ。
シェーンの言う通り、王城にはショペット作の絵がたくさん飾ってあった。
「そういえばあったねえ」
「それなら、リュートにも彼の凄さがよくわかるだろう!」
「うーん。オレ、絵はよくわかんないからな~。すごいなー! っては思ったけど」
「彼は天才だ。同じ時代に生まれてこころからよかったと思う。オレはショペットをこころから尊敬している。いや、崇拝している!」
アイドルを前にしたファンのような感情だろうか。
こんなシェーンを見られるのはそうそうないので、リュウトは面白いのと同時に嬉しかった。
「リュートは覚えているよな。悪魔草を渡れるようになったらまた会おうとショペットは言ってくれた。だが、それは不可能な話だ。悪魔草に絡みつかれないような欲のない人間がいるわけないからな。無心、無欲の境地はすぐに到達できるような領域ではない。しかし、彼にもう一度会うため、彼に認められる男になるため、オレはやらなければならない……」
「ふ~ん」
リュウトは無欲の境地という難しい言葉をうまく呑み込めないながらも、人間の欲望とは何かを考えてみた。
「たしかに無欲って難しいよなあ。新作のゲームがほしいし、観たい映画を観に行きたい。オレ、この王国に来てから、一か月に一回くらい無性にジャンクフードが食べたくて仕方なくなるときあるし。超失礼だけどやっぱり食べ物は日本の方がうまかったな~」
リュウトの頭は欲望まみれだった。
「オレはやる。必ずもう一度あの人に会う!」
シェーンは立ち上がって、希望と闘志で瞳を輝かせた。
「頑張れ! シェーンならできるよ!」
リュウトは応援した。このときはまだ、シェーンの意志の固さをリュウトは油断していた。
次の日、シェーンは授業を一日休んだ。
「シェーンが休むなんて、珍しいな……」
リュウトはシャグランにシェーンのことを聞いた。
「シェーン、風邪なんだって?」
「ああ……。うん……」
シャグランは目をそらしながらリュウトに答えた。
「心配だな~」
「あの、リュート。シェーンからリュートに心配しないでほしいって伝えるように言われたんだ」
シャグランはまたしても目をそらしながら話す。
「そうか。シェーン、はやくよくなるといいね」
「……その言葉、シェーンに伝えておくよ」
それから、シェーンは三日連続で授業を休んだ。
リュウトはシャグランを見かけると話しかけた。
「シャグラン、オレ、シェーンが心配だよ。あの丈夫なシェーンが三日も休むなんて……そんなに具合が悪そうなの?」
「えーっと。うーん」
シャグランはなんだか歯切れが悪い。
「今日の授業が終わったらシェーンをお見舞いしたいんだけど、いいかな」
リュウトが提案すると、シャグランはあわてはじめた。
「えっ! ど、どうかな……」
「この前から思ってたけど。シャグラン、シェーンの風邪のことを聞きだそうとすると何か変じゃない?」
シャグランはこれ以上リュウトを騙すのはよくないと思い、白状することにした。
「リュートだから言うけど、実は……」
夜になり、寮に帰ってきたシェーンは昇降口で靴を履き替えていた。
今日も風邪だと言って授業を休み、ワルムウッドの森へ出かけていた。
目的はもちろん、悪魔草に絡まれずに渡る方法を模索するためだ。
靴を履き替え終わり、自室に戻ろうとすると、目の前に仁王立ちしたリュウトが現れた。
「シェーン。例の森へ行ってたんだって?」
リュウトは眉をひそめてシェーンに尋ねた。
シェーンは答えなかった。
シャグランが言ったか、とシェーンは推察した。
リュウトはシェーンをじろじろと見ると、怪我だらけでボロボロなことに気が付いた。
「シェーン! 傷だらけじゃないか!」
悪魔草に絡まれて傷だらけになったシェーンをリュウトは心配した。
「こんなもの、どうってことない」
「どうってことないってことないだろ。ほら! 血が出てる!」
「リュートは母親か……」
「明日もまたワルムウッドの森へ行くのか?」
「……」
「ダメだからな!」
「リュート。オレは今、チャンスを掴んだんだ。悪魔草の試練を乗り越えれば、ショペットはオレと話をしてくれる。今は大人しく座って授業を受けてる場合じゃないんだ!」
「シェーン!」
リュウトは怒った。
「今のシェーンは自分を見失ってる。悪魔草を乗り越えるのが一番じゃないはずだ。今のシェーンはシャグランやハザックに迷惑をかけている。この学校は、連帯責任なんだ。友だちに嘘をつかせるなんて、正しくないよ」
「……」
リュウトには、シェーンがきつい目つきに戻ったように見えた。
「言いたいことはそれだけか?」
「え……」
「リュートならオレの気持ちをわかってくれると思っていたが……もういい」
シェーンはリュウトを押しのけて急ぎ足で自室へ向かった。
「シェーン……」
リュウトは寮の自分の部屋に戻って布団の中にもぐった。
自分が怒りをぶつけたせいで、シェーンを傷つけてしまったかもしれない事実を後悔した。
シェーンの言っていることが理解できないわけじゃない。
今しかできないことは世の中いくらでもある。
――シェーンに到来したチャンスを、引き留める資格がオレにはあるのか?
リュウトは布団の中で何度も考えた。
考えすぎて、頭の中身がグルグルしていた。
言い方が悪くて、シェーンを傷つけてしまった。
シェーンを引き留めるには、もっと他にやりようがあったかもしれない。
けれどシェーンのことだったからこそ、リュウトは感情で行動してしまったと思っている。
シェーンは友だちだ。
友だちの夢を応援するのが友だちだ。
だけど同時に、友だちが悪い道に行こうとしていたら、嫌われたって引き留めるのが友だちだ。
シェーンがやりたいことをやるのは間違っていないと思うし、友だちにチャンスが来たなら応援するのが友だちだと思う。けれど、今のやり方はシェーンの築き上げてきた信頼や立場を壊しかねない。だからはっきりと言わなければいけなかった、と思ってリュウトは行動した。
リュウトは、シェーンのことが好きだ。
色々な冒険を一緒にした。
こんなにも打ち解けられるとは最初は思っていなかった。
そしてどんどんこころを開いてくれるようになったシェーンを友人として大切に思っている。
リュウトが望んでやったこととはいえ、シェーンを傷つけてしまった事実は、こころが痛かった。
次の日の学校。リュウトは自分の席に着いた。うしろを見ると、不機嫌そうなシェーンが座っていた。
「! シェーン……」
シェーンは翌日も学校を休まず出席した。
二人は、学校では一言も話さなかった。
一週間の授業が終わり、夜になったので眠ろうとすると、部屋に突然シェーンが訪れた。
「ど、どうしたんだよ、こんな時間に……」
気まずい。ケンカのように別れてしまってからずっと話していなかったので、どういう対応をするのが正解かわからない。
「リュート。もう一度、オレはワルムウッドの森へ行きたい。今度が最後だ。お願いだ。行かせてほしい」
「シェーン……」
「わかったんだ。あの野原の奥へ進む方法が――。だから、一緒についてきてくれないか」
「う~ん」
リュウトは頭をかいた。
シェーンが反省しているとか、いないとかはどうでもよかった。
ただ、この真剣な瞳のシェーンの頼みをリュウトは断るわけにはいかなかった。
シェーンのことだ。シェーンがこういうなら、きっと問題の解決の糸口を見つけたに違いない。
リュウトはシェーンを信じていた。
「そこまで言うのなら。いいよ。一緒に行こう」
休日。
シェーンにはこの前のような大荷物はなかった。
二人は終始無言で歩き出した。
門を抜け、草原の道を歩き、森に入り、滝を通り過ぎ、そしてあの悪魔草の咲く野原にたどり着いた。
悪魔草の野原の前で、シェーンはつぶやいた。
「リュート。三日前、夜の昇降口で――オレのことをしかってくれてありがとう。あのときのオレは、ショペットに出された悪魔草の試練を乗り越えるのは今しかないと思い込んでいた。だが、リュートの方が正論だった。シャグランに嘘をつかせたのは、よくなかった。オレは気が付かないうちにこの植物の魔力に惑わされていたらしい」
「オレが正論かはわからないよ。シェーンの方が正しいかもしれない」
「そんなことはない。迷惑をかけて悪かったと思っている。ずっとリュートはオレのことを心配しすぎて凹んでいただろう?」
「べ! 別にそんなことないよ!」
「ふっ。嘘だな」
「う。まあ、ちょっとだけ凹んだかも」
シェーンはしゃがんで悪魔草に手を伸ばした。
「この悪魔草は人間の欲に反応して攻撃する。そこでオレは、なぜ人間の欲に反応するかを考えた――」
悪魔草のつるが伸びてきて、シェーンの手に絡みつこうとする。
『――オレは君たちを傷つけない。そして君たちがオレを傷つけないことをオレは信じている――』
シェーンが呪文のように唱えると、シェーンの手に絡みつこうとしていた悪魔草は動きが止まり、しゅるしゅると音を立てて引っ込んだ。
シェーンは立ち上がり、野原の上を歩いて行った。
「シ、シェーン……」
悪魔草はシェーンに絡みつこうとはしなかった。それどころか、シェーンが歩いていったあとから、小さな青色の花が咲いた。青色の花が一つ咲くと、周りの悪魔草が反応し、また花を咲かせた。そうして次々と小さな青色の花畑が一面に広がっていった。悪魔草の野原は、青色の花で満開になった。
「青色の花。これは……。そうか、ブルースターの花畑はここだったんだ」
シェーンが振り返ってリュウトに言った。
「ここが……ブルースターの花畑……」
リュウトがしゃがんでブルースターの青い花を触れようとしたら、すぐにまた悪魔草の姿に戻り、つるを伸ばしてきた。
「おわっ!」
「この植物は、弱いんだ。だから人間を傷つけようとする。何かを傷つけられずにはいられない弱いモノに本当に必要なのものは、価値観の押しつけや見返りの要求、ましてや否定や軽蔑ではなく――真心や、愛なんだ――。愛を持って接することで、この植物は本来の美しい姿に戻ることができる。愛とは、信じるこころだ……。自分を信じ、相手を信じるこころこそが弱きモノの本来の魅力を引き出す大事なコミュニケーションなんだ――」
足元に広がる花畑を見つめるシェーンは、とてもやさしい瞳をしていた。
美しい容姿の友人は、こころも美しいんだ、とリュウトは思った。
シェーンはリュウトの元に戻ってきて言った。
「オレは、植物が好きだ。自然が好きだ。信じるこころはお前が教えてくれた。三日前、夜の昇降口で、リュートは真剣にオレを怒ってくれた。オレのためを思って行動してくれた。リュートはこれまでオレのことを友人として信じてくれた。だからオレもリュートのことを信じられた。お前がいなかったら、信じるこころという答えは見つけられなかった。ありがとう、リュート。オレは……お前に会えてよかった」
ブルースターの花が風で舞い、空へ飛んでいく。
シェーンはリュウトに手を差し出した。
リュウトはその手を握り返した。
二人の少年たちは、こころから通じ合えた。
リュウトとシェーンが握手をしていると、一匹の飛竜が飛んできた。
飛竜の上には、この前この森で出会った絵かきの男性が乗っていた。
男性は花畑の上に竜を止め、降りてきてシェーンに話しかけた。
「少年。君なりの答えが出せたようだね――」
「はい」
絵描きの男性はシェーンに手を差し出した。
「この花畑は君のこころだ。大人になっても、そのこころを大切に。君ならどんなことでも乗り越えていけよう」
「はい……!」
シェーンは握手をする男性の言葉を噛み締めた。
「……君は乗り越えた。新作をあげよう」
と言うと、絵描きの男性は背負っていた袋の包みをとり、キャンバスをシェーンに差し出そうとした。
「いえ。あなたの絵は、わたしにではなく、多くの人が見られるところへ。わたしはあなたの芸術作品が好きです。だからこそ、たくさんの人々に楽しんでいただきたい。……受け取ることはできません」
「そうか」
男性はキャンバスを袋にしまい直した。
「わたしは一人の時間が好きでね。先日は嘘を言って悪かった。わたしこそ、画家のショペットだ――」
「いえ。お気になさらず。僕こそぶしつけに失礼しました。僕の夢は、いつかこの大陸中にあるすべての植物の生態を網羅した図鑑を作ることです。もし、その夢が叶う日があれば……あなたに絵を描いていただきたい。それが僕の夢でした」
「うむ――」
ショペットは顎のひげを触った。
「その日が楽しみだな――」
「! はい! 必ず僕は叶えて見せます!」
シェーンの笑顔をみてショペットはうなずくと、再び飛竜に乗り込んだ。
「それではさらばだ、少年たち。運命が導けば、またいずれ会えよう――」
男性は飛竜に乗って飛んで行ってしまった。
竜の鱗、ショペット。夢か現実なのかがわからない人だ。
「運命が導けば――」
運命とは何だろう。
リュウトは自分に訪れる運命を考えた。
シェーンともいつか別れの日が来るんだろうか。
親友たちと二度と会えなくなる日を、リュウトは受け入れることができるだろうか。
学生寮に帰ったリュウトは、布団の中でその日あった出来事を一から思い出していた。
あの悪魔草は、自分の弱さを隠すために人間を攻撃していた。
弱さを隠すために、強がる――。
弱さとは、強さとは何だろう。
他人を攻撃をする人間は、自身の弱さを隠すために攻撃をしているんだろうか。
アンドリュー、アツト、ハルコたち女子。
みんな、自分の弱さを隠すために、いじめをしていたのだろうか。
弱いから、自信がないから、愛を知らないから――。
それでも――いじめは悪だ。許されることではない。
ただ、彼らが弱いこころを持っていることを、どうしてリュウトが糾弾できようか。リュウトだって、こころが強い自信はない。失敗をするし、後悔なんてしょっちゅうだ。
自分を攻撃しようとするモノに、愛を持って、信じるこころを持って接することができたシェーンのことをリュウトは思い出した。
リュウトはアンドリューたちに同じことができるだろうか。
「オレには――」
リュウトは目を閉じた。
「――できないよ、シェーン」
リュウトはそのとき、シェーンとはいつか道が違っていく予感がした。
だけど、それは敵だとか味方だとかいう話ではない。
人は、考え方が違ったとしても、共存できる。
理解はできなくても、尊重することはできる。
リュウトは再び目を開け、自分の右手をみつめた。
――信じるこころ、か。
リュウトには足りないと思うときがある。
ときどき、他人に期待したり、自分に失望したりする。
その度に自分は完璧じゃない、欠けている人間だと何度も思い知らされる。
――だけど、オレには……。
足りないところを補いあえる友人がいる。
コンディスやフレン。
そして。
「シェーン。礼を言うのはオレの方だ――」
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