第24話 竜の目の弟の目がこわい件
佐々木リュウトは午前の授業がはじまる前、こっそりと何かから逃げるようにして自分の席に着いた。
リュウトは後ろをゆっくりと振り返って、例の彼がどんな様子でいるかを確かめた。
「ひっ! ひぃいいい……!」
思った通りだった。
例の彼――竜の目と呼ばれている王国最強の七戦士、レギアナ・セクンダディに所属するクリムゾンの弟、シェーンの鋭い瞳が、前方の席に座ったリュウトを貫いていた。遠くからでもはっきりとわかる。シェーンの眼光が、リュウトをとらえて串刺しにしている。
「こ、こわい……。こわいよおッ! シ、シェーンのあの目は……もはや人間の目じゃない……!」
リュウトのあとからやってきたコンディスとフレンが、おびえるリュウトに話しかけた。
「おいおいどうしたよー、リュート。何をそんなにこわがってるんだ?」
「あ、あれを……」
「あれ?」
リュウトは恐怖で身を震わせながら、後方の席に座りリュウトを真っ直ぐにらみつけるシェーンを指さした。
「おわっ! なんだあれぇ……。まるで鋭い牙を持った魔獣の眼光のようだぜ! いつ獲物に襲い掛かろうか思案している目だな、あれは!」
コンディスがシェーンの様子を詳しく解説しはじめた。
「や、やめてよコンディス……。た、ただでさえシェーンの瞳は恐ろしいというのに……」
「よほどリュートのことが気になる、といった様子だね」
フレンも落ち着きながらシェーンの解説をしだした。
コンディスとフレン、二人の友人はシェーンににらまれておびえるリュウトが面白くて仕方ないようだった。
「フレンまで……。やめてよ……。シェーンのあの瞳が昨晩から頭から離れなくて、夜全ッ然眠れなかったんだからさあ!」
「ええ~! マジかよ! あのリュートがなあー!」
「本当に。あのリュートがな……」
「えっ? 何? ちょっと何? その気になる含み笑いは」
「あのすごい寝相のリュートがなー」
「あのすごい寝言のリュートがなぁ……」
「ええっ! えええっ! オレってそんなに、今まで寝相や寝言がひどかった……?」
うん、とコンディスとフレンは二人そろってうなずいた。
なんだか今日は朝から疲れた、とリュウトは思った。
そして午前中いっぱい、リュウトはシェーンの監視の目を浴びながら授業を受けることになった。
午前の授業が終わると、食堂に向かったコンディスとフレンと別れて、リュウトはトイレに向かった。
「あ~! 漏れる漏れる~! 寒いからか、最近やたらとトイレが近いな~っと、うん?」
リュウトはトイレの前で立ち止まった。
トイレの前に、アンドリューたち三人組がいたのだ。
「うわ、アンドリューがいるよ。見たくないものを見てしまった」
リュウトがアンドリューの横を通り過ぎようとしたときだった。
アンドリューやジャックとハンスの身体の陰に隠れて見えなかったが、一人の学生をアンドリューたちが取り囲んでいるのが見えた。
取り囲まれた学生は、名前をグラシズといった。
グラシズは大人しい、というより、気の弱い学生だった。
「おい、グラシズ! ヴィエイル教官に、爆弾を投げたって告げ口したのはお前だろ!」
「ぼ、僕じゃない!」
グラシズは必死になってアンドリューに抵抗していた。
「嘘つけ! 先公にチクるなんていい度胸じゃねーか。どうやらオレに殴られたいようだな!」
「や、やめてよアンドリュー」
「おい、やめろよアンドリュー」
「ああ?」
グラシズを今まさに殴ろうとするアンドリューを止めたのはリュウトだった。
「リュートじゃねーか。雑魚は引っ込んでな!」
「黙れ」
「なっ!」
「雑魚というのは、自分の思うようにならないことを、暴力や暴言で解決させようとする奴のことだぜ。まさにお前だ、アンドリュー」
「リュート……生意気すぎるぞその口の利き方は……」
いつもと雰囲気の違うリュウトに、アンドリューも一瞬たじろいだ。
「今のオレは機嫌が悪い。なぜならこれからトイレに行って、スッキリしようとしていたところなのに、こういう胸糞悪い現場に出くわしちまったんだからな……!」
「な、なんだと……」
「さっさとオレの前から立ち去れ。アンドリュー」
「リュートのくせに生意気だ!」
アンドリューの右ストレートがリュウトを目掛けて飛んできた。
――見える!
これなら余裕でかわせる。アンドリューのパンチって全然大したことないな、とリュウトは思った。余裕の表情を浮かべながらリュウトがアンドリューの右ストレートをかわそうとしたそのとき。ジャックとハンスがリュウトの両側から腕を押さえつけ、身動きが取れないようにした。
「えええっ! そんな展開ッ! 嫌だ! う、嘘だッ! やめろぉッ! うわあああああッ!」
アンドリューの右ストレートをリュウトは真正面から左目で受け止めてしまった。
「ふん。思い知ったか、リュート。弱いくせに粋がりやがって。お前って、前々から思ってたけど、本物のバカだよな」
「くぅうううぅ……」
リュウトは情けない声をあげて、がっくりと膝をついた。
「こらー! 何をしている!」
廊下の向こう側から、アンドリューをしかる教官の声が聞こえた。
「やべっ。逃げるぞ、ジャック、ハンス!」
アンドリューたちは教官につかまらないように逃げ出した。
「ううぅ……」
リュウトは痛む左目を手でおさえた。こんなの大したことないと思い込もうとしたが、痛いものは痛い。
「リュート……」
グラシズがアンドリューに殴られて痛そうにするリュウトに声をかけた。
「リュート! 助けてくれて、ありがとう。リュートってすごく勇敢なんだね!」
「いや……勇敢かどうかはわからないけど……。アンドリューなんかの好きにはさせたくないだけだよ」
「すごいよ、リュートは。みんなアンドリューのことを嫌ってるけど、立ち向かおうとする人はいないからね。……左目、大丈夫?」
「平気平気。それより殴られた衝撃で漏らさなかった自分を褒めたいよ」
「えっ、ああごめん! はやくトイレに行きなよ!」
「そうする……」
リュウトは立ち上がった。
「リュート。本当にありがとう。……トイレに行く前に一つだけ。アンドリューの悪行をヴィエイル教官長にチクったのは僕なんだ」
「……そうか……」
その情報は、リュウトにとってはどうでもよかった。
ふらふらしながら、リュウトはトイレに入っていった。
「ほへえええぇ~」
用を足せて満足したリュウトは、さっきの自分の思い切った行動について改めて深く考えてみた。
いじめの現場に遭遇したら。
昔のリュウトだったら、見て見ぬふりをして通り過ぎていただろう。
あるいは、ジャックやハンスのように、リーダー格の悪の命令に従って、嫌なことを嫌と言えずにいじめに加担していたかもしれない。
でも、今のリュウトは違う――。
それは、いじめを受けるよりもこわいことをたくさん経験してきたからだ。
ドラゴンに焼き殺されたり、異世界で一人ぼっちになったり、飛竜に襲われたり、目の前で友人が死にそうになったり、冷たい目をしたソラリス王子にじっと見つめられたり、山賊に襲われたり、ダークエルフの攻撃を受けたり、ちょっとしたことをきっかけに目の前で兄弟喧嘩をはじめる双子のいさかいを鎮めたり、吹雪の中で帰り道がわからなくなったり、ヴィエイル教官長に呼び出されたり、とにかくたくさん背筋の冷えるような経験をしてきた。そんなリュウトだからこそ、並大抵のことでは今更恐怖を感じない。アンドリューごときをこわいと思うリュウトは、異世界中どこを探してもいない。
リュウトが今一番おそれをなしているのは、シェーンの刺すような瞳だ。シェーンの鋭い眼光と、アンドリューのへぼいパンチは、比べ物にならない。シェーンの瞳の圧勝だ。
そのこわい経験に付け加え、リュウトはこの一か月半の間、毎日トレーニングを怠らなかった。以前と比べて見違えるようになったリュウトの身体は、リュウトに自信と気力を与えた。リュウトにも、やればできる。今は遠くに感じる竜騎士への道も、一歩一歩確実に前に進んでいくことで、たどり着けないことはない。昨日の自分より今日明日の自分は成長していける。成長してみせる。
だから、今のリュウトはアンドリューをおそれない。
ただ、リュウトが成長できたのは、運がよかったからだとリュウトは思っている。死にそうになったところをアリアが助けてくれ、モイウェール王やソラリス王子の計らいがあって、コンディスやフレンという立派なこころざしを持つ青年たちと友だちになることができたからこそ、リュウトは成長できた。リュウトを支えてくれた人々の存在がなければ、異世界に来ていなければ、きっと今でも嫌なことを直視しないように、『普通』という幻想にすがって生きる人間だったとリュウトは思う。
だから、異世界に来て約二か月。
この異世界に来たことは、少なくともリュウトにとっては意味があった。
そしてこれから起こる困難にも、きっと意味がある。
だからこそ、リュウトはこの異世界に来ることになった、と今のリュウトは信じているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます