第20話 初雪と彷徨える魂と騎士の誓い3の件

 佐々木リュウトは走っていた。

 リト・レギア王国の城下町を、白魔導士であるマリンを探して。

 だが、歩みは思うようにはいかない。

 リュウトが寮から抜け出してから、雪はおさまるどころかどんどん激しさを増している。

 リュウトの身体を叩きつけるように吹雪く雪のせいで、周りの景色はほとんど見えない。


「やっばいな……これ……もしかしたら……道を間違えたのか……?」


 いつもなら、酒場と広場と教会を指し示す大きな看板が見えてくる頃合いだ。

 しかし、いつもの道標は一向に出てこない。


「そうか! 道を間違えたんじゃない……看板が、雪で埋もれてるんだ……」


 城下町は、いつもの活気がまるでない。家々の窓や扉はかたく閉ざされ、一人も街を出歩いてはいない。

 リュウトの耳や手や足の指先はかじかんで痛くなってきた。


「ハア……ハア……」


 体温がかなり下がってきたのがわかる。


 ――こわい。


 このままさらに吹雪いてきて、教会にたどり着けなかったら。城下町の道の上で、凍死してしまったら。そう考えると、リュウトは恐怖を感じはじめた。


「ダメだ……雪のせいでこころが弱くなってる……!」


 これ以上は一歩も進みたくない。引き返して、寮に戻りたい。


「違う! コンディスが待ってる! コンディスは絶対に助けて見せる……! 絶対に……!」


 リュウトは進み続けた。

 足が重い。凍えそうなほど寒い。歩くたびに強烈な眠気がリュウトを襲ってきた。その度に、リュウトは自分の頬を思いっきり叩いた。


「くっ……あと少しだ……あと少しのはずなんだ……」


 リュウトは雪のせいで自分が今どこを歩いているのかすでにわからなくなっていた。

 教会にたどり着けなかったとして、これでは引き返そうにも帰り道がわからない。


「うう……」


 リュウトのこころが折れそうになったそのときだった。

 リュウトの眼前に、白く光る物体が見えてきた。


「あれは……なんだ……?」


 教会を目指し進み続けるリュウトの前に、一メートルくらいの大きさの、白く光る物体が現れたのだった。

 物体は、リュウトに呼応してさらに輝きを増したように見えた。


「光が……呼んでる……?」


 白く光る物体は、リュウトを呼んでいるような気がした。

 引き寄せられるようにしてリュウトが白く光る物体に向かって進んでいくと、白く光る物体もリュウトに近付いてきた。

 リュウトは白く光る物体に近付き、目を凝らしてよく見てみると、光の中に五、六歳くらいの女の子がいた。

 ぼうっと光る白い光はこの女の子の身体の内側から出ているようだった。


「君は……?」 


 リュウトは白く光る女の子に尋ねた。

 女の子は、白く長い髪をしていて、肌も雪のように白かった。可愛らしい顔立ちをしているが、どこかうつろな表情をしていて、まるで人形のようだった。リュウトにはこの少女が生きている人間とは思えなかった。


「わたしは……」


 白く光る女の子の小さな唇が開いた。


「わたしの名前は……ルブナ……」

「ルブナ……」

「お兄ちゃんは……誰……?」


 ルブナと名乗る少女は、途切れ途切れに言葉を発した。

 最初、ルブナを見かけたとき、人形のようでこわいと感じたリュウトだったが、少女の鈴の音のような可愛らしい声を聞いたら、こわいという気持ちは一瞬でどこかへ飛んで行ってしまった。


「オレはリュート。君はどうしてここに……?」

「……」


 ルブナは答えず、じっとリュウトの顔を見つめていた。


「君は帰った方がいいよ。きっとお父さんとお母さんが心配してるよ。って、あ、もしかして……迷子なのか?」

「……」


 またしてもルブナは答えなかった。

 リュウトは雪道を歩いてきた疲れもあって、どうして少女が吹雪の中をひとりでいるのか、どうして身体が光っているのかを深く考えることができなかった。


「困ったな……」


 リュウトが困った顔をしていると、ルブナがゆっくりと唇を開いてリュウトに尋ねた。


「お兄ちゃんは……どうしてここに来たの……?」


 ルブナの純粋そうな、濁りのない、それでいて何物をもとらえていない空虚のような瞳がリュウトを見つめる。


「教会にいる知り合いに会いに来たんだ」

「教会なら……こっち……」


 とルブナが言い切らないうちに、ルブナの身体が宙に浮かんだ。


「えええ!」


 リュウトが宙に浮かんでいったルブナを見て驚いていると、リュウトの身体も、宙に浮かんでいた。


「ほわあ!」


 突然のことに、リュウトは情けない悲鳴が出た。

 リュウトの身体も、ルブナと同様の光が内側から出ている。

 この光は、とても暖かい。

 かじかんでしまっていた耳や手足の痛みが、嘘のように消えていく。

 濡れていた身体も乾いてきた。


「えっ! わー! うわわわわわ! なんだこれ! ルブナ、君がやっているのか?」

「そうよ……」


 それまで無表情だったルブナが、微かに笑った。


「あ……」


 ルブナは可愛い顔をしているが、笑うとより一層可愛いんだなとリュウトはこころの中で思った。

 ルブナは魔法でリュウトの身体を浮かせると、ゆらゆらとゆっくり飛んでいった。

 ルブナに引っ張られるように、リュウトの身体も飛んでいく。

 吹雪の中を飛んでいく二つの光は教会を目指して、進んでいった。


 リュウトとルブナは教会についた。

 ルブナの力でリュウトの浮いていた身体は、地面に足が付くと、魔法がとけて身体の内側から出ていた光も消えた。


「マリンさん!」


 教会は鍵がかかっていなかった。

 教会の入り口の大きな扉を勢いよく開けたリュウトだったが、中には誰もおらず、明かりもついていなかった。


「マリンさん……いないのか……」


 教会の中を何度見渡しても誰かがいる気配はなかった。

 マリンは教会にいるはずがなかった。夜になったら、王城へ帰っているはずだ。

 リュウトは自分の考えの至らなさに落胆した。


「コンディス……ごめん……オレってホント、バカだよなあ……」


 リュウトは泣きたかった。

 コンディスを救う手立てはないのか。

 リュウトは一生懸命考えるが、何一つとしていいアイデアが思い浮かばない。

 寮を出てくるときは名案だと思っていたのに、考えが甘かったと後悔した。


「お兄ちゃん……どうしたの……?」


 ルブナが心配そうに、落ち込むリュウトの顔を覗き込んだ。


「友だちが怪我をしたんだ……。だから、白魔導士の回復魔法で治せないかなって思って、知り合いの白魔導士の人を訪ねて教会に来たんだ……けど、いなかった……どうしたらいいんだ……一体、どうしたら……」


 こんなことをルブナに言ったって仕方ない。頭ではわかっているが、切羽詰まったリュウトにはこころの余裕がなくなっていた。


「……」


 ルブナはリュウトをじっと見つめながら言った。


「お兄ちゃんに……ついていく……」

「えっ」

「わたし……お兄ちゃんのお友だちの怪我……治せるかもしれない……」

「本当に!」


 ルブナはこくりとうなずいた。


「魔法は得意なの……」

「ルブナ……ありがとう……」


 リュウトとルブナは教会に来るときに使った光の魔法で学生寮に向かった。

 リュウトはルブナの道案内をした。

 道を歩くと雪でまわりが見えないが、空からならかろうじて建物の位置から方角がわかる。


「学生寮はこっちだよ……」

「……」


 リュウトの案内で、ルブナはゆっくりと学生寮に進んでいった。


「ルブナ、本当にありがとう……」

「……」


 ルブナは何も言わなかった。しかし、そんなことは関係なく、リュウトは何度もお礼を言った。何度も、何度も――。


「コンディス!」


 リュウトは学生寮の自室へ戻ってくるなり、怪我をして重傷の友人の名を叫んだ。

 コンディスはフレンに見守られながらまだ痛そうにしていた。


「リュート! おかえり! 遅いから心配したぞ!」


 コンディスのそばにいたフレンが立ち上がって、リュウトの帰りを迎えるために駆け寄ってくる。


「吹雪の中を飛び出していくなんて。思い立ったときのリュートはコンディスより行動力があるかもしれないな……」

「心配させてごめん」

「あれ……そちらは?」


 フレンがリュウトの後ろに隠れる、薄明るく光る少女の存在に気が付いた。


「うん。彼女はルブナ。教会へ行く道の途中で出会ったんだ」

「そうなのか」


 ルブナはフレンの横を通り過ぎ、コンディスの方へ向かった。

 血は止まっているが、コンディスは痛そうだ。

 コンディスのそばに立ったルブナは、手を胸の前で組み、白魔法の呪文を唱え始めた。


「くっ……ああ……」


 ルブナが唱える白魔法が完成し、コンディスの顔色がよくなっていく。


「ふぅ~うううう……」


 白魔法の光が消えると、ルブナはまだ部屋の扉の前で立ちっぱなしのリュウトに向かって言った。


「このお兄ちゃんの怪我は……もう大丈夫……」


 ルブナがそう言うと、コンディスが目をぱっちりと開いた。


「おっ! おおおお? い、痛みが取れた! 痛くないぞー!」


 コンディスは元気よく立ち上がった。


「お、おい、コンディス! もう平気なのか!」


 フレンがコンディスに駆け寄って身体を触って調べる。


「あ、ああ。不思議だけど、平気だ! なんだか、いつもより元気だぞ!」


 コンディスは完全復活したようだった。

 フレンはコンディスの身体を何度も確かめる。


「これが、白魔法か……」


 リュウトは、元気になったコンディスの姿を見て、それまでの緊張がようやく解けて、安堵でひざから崩れ落ちそうになった。


「ルブナ……ありがとう……本当に……ありがとう……」


 リュウトはまた何度も小さな白魔導士に感謝した。

 

「ほんっとうにありがとな! すっごく元気になったぜ!」


 元気になったコンディスは、ルブナの頭を強くなでた。

 コンディスは嬉しさで手加減ができていないようだった。


「やめて……! 髪の毛が……ぐしゃぐしゃになるでしょ……!」


 ルブナは頬をぷーっと膨らませて怒った。

 そのルブナの様子は、奇跡を起こせる白魔導士の姿というよりも、まだあどけない、無邪気な子どもの姿にしか見えなかった。


「本当に、ありがとう。ルブナ。本当に、助かったよ!」


 リュウトはルブナに丁寧に頭を下げて感謝した。

 コンディスにくしゃくしゃにされた髪を整えながら、ルブナはリュウトににっこりと微笑んだ。

 可愛らしい、満面の笑みだった。


「よかっ……た……」


 ルブナはそう言うと、たちまち消えてしまった。

 一瞬だった。


「えっ! ルブナ! ルブナッ!」


 ルブナは消えてしまった。

 まるで最初からここにいなかったかのように、ルブナは忽然と姿を消してしまった。


「……? もう行ってしまったのか? 白魔法って、色んな事ができるんだなあ……」


 リュウトは驚いた。


「ルブナはもしかして、雪の日に現れる亡霊だったりして」


 フレンは冗談を言って笑った。

 普段は決して冗談を言うタイプではないフレンがこういうことを言うのは、ルブナの奇跡を目の当たりにしたせいで、テンションが上がってしまっているからだ。

 フレンのその気持ちは、リュウトにもよくわかる。


「ルブナが亡霊なわけあるか! しっかり頭に触れたぜ!」


 コンディスは力強く言った。

 さっきまで痛そうにしていたコンディスが、再び立ち上がっていつもの調子に戻ったことを、リュウトとフレンはこころから嬉しく思った。


「とにかく怪我が治って本当によかった。もうダメかと思ったよ」


 フレンはコンディスに言った。


「ああ……本当に、よかった」


 リュウトもうなずいた。


「みんな、ごめんな。そしてありがとう」


 コンディスは自分のために真剣に行動してくれた二人の友人の心遣いが嬉しかった。


「オレは……正直、コンディスが死んでしまったら、リュートが帰ってこなかったらと思うとこわかった」

「フレン、お前がそんなこと言うなんて……明日も吹雪かもな」


 コンディスとフレンは笑いあった。そして、真面目な調子を取り戻したフレンが言った。


「だけど、騎士になったらそれが当たり前になるんだよな。いつ死ぬかわからない。自分だけではなく、今こうして笑いあえている友人が、明日にはいないかもしれない。病気になったり不運なことが起きたりするよりもずっと、身近に死がまとわりつく。騎士になるって、こういったこわさへの覚悟もないとダメなんだよな」


 フレンの真面目な言葉に、コンディスとリュウトは深くうなずいた。


「騎士になっても、死に向かって戦うんじゃない。オレたちはみんなで生きよう。明日を笑って生きよう。生きてても死んでても、オレたちの友情は永遠だ!」


 コンディスも真面目になって返答をした。


「うん……!」


 リュウトは、このときの二人の言葉をしっかりと胸に刻み込むことにした。

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