第16話 街へ買い物に行こう!の件
佐々木リュウトが竜騎士を目指して士官学校に入学して、早一か月が経った。
リト・レギア王国は平和そのもので、士官学校の過酷なトレーニング以外は、穏やかに過ごせている。
士官学校の学生はその厳しい訓練についていけず、わずか一か月の間で、十三組のチームが脱落していった。
リュウトを毎日のように悩ませていた筋肉痛は、すっかり慣れて、もう平気になった。
異世界に来る前に比べて、体型に大きな変化はそれほどないが、身体は相当引き締まってきた。妹のミクがこの身体を見たら、「こんなのお兄ちゃんじゃない!」などと言い出しそうだ。
毎週、休みの日になると、寮の管理人の老齢の男性が、コンディスとフレンの故郷、ラントバウル村からの手紙を届けてくれた。
コンディスは母親と年の離れた弟、妹から。フレンは姉から手紙が届いた。
「毎週毎週、律儀なこった!」
と、コンディスは悪態をついたが、手紙が届くとコンディスは本当に嬉しそうな顔をするので、コンディスは嘘が下手だな、とリュウトはあたたかい気持ちで彼を見ていた。
そんな素直になれないコンディスに、彼の幼馴染のフレンは言った。
「安心させるためにも、返事を書いてあげなよ」
コンディスは一瞬嫌そうな顔をしたが、
「ま、まあ仕方ないな。心配させるのはよくないからな」
と言って、コンディスはフレンと一緒に、真剣に手紙の返事の内容を考えているのだった。
リュウトはそんな二人を、少しだけうらやましく感じていた。
そして今日、四回目の休日、管理人の老齢の男性がラントバウル村のコンディスとフレンの家族から来る手紙の他に、大きめの封筒を手渡してくれた。
「なんだ、これ?」
老人から封筒を受け取ったリュウトがつぶやいた。
封筒はコンディス、フレン、リュウトにそれぞれ同じ重さと厚みで送られてきた。
リュウトにとっては、異世界に来てはじめて自分に宛てられた郵便物だった。
「ああ、それは多分あれだな」
フレンが知ったそうな口ぶりで説明してくれた。
封筒の中には、士官学校からの報奨金が入っていた。フレンによると、一か月おきに、真面目に勉学に取り組んでいる学生全員に配られる給料みたいなものらしい。
中には、多くはないが少なくもない金額が入っていた。
「村にあった学問所は勉強している子どもにお金なんか配られないけどな。こんなの、金持ちのところに金がいく仕組みだよなあ。まあ、オレたちにしてみればありがたいことなんだけどさ」
と、コンディスが不服そうに言った。
コンディスとフレンは、もらった報奨金を自分らで使う分以外は彼らの故郷の村に送るようだった。
ラントバウル村は、貧しい村だ。コンディスやフレンのような若者が希望の星だろう。年下だが、心意気の立派な二人の級友に、リュウトは尊敬の念を抱かざるを得なかった。
そこでリュウトはある思い付きをした。
「あのさ、二人とも。オレ、こんな大金いらないから、オレの分も村に送ってくれよ」
金がいらないというのは事実ではなかった。リュウトは、リト・レギア王国の王家に援助をしてもらっている身だ。モイウェール王には異世界に来て迷子になっていた、身元の不明なリュウトを無償で何日も宿泊させてもらい、ソラリス王子には士官学校に通う経済的支援をしてもらった。国王と王子、どちらからも気にしなくていいと言われたが、リュウトはこの恩をいつかきっと返したいと思っている。
リュウトの申し出に、コンディスとフレンの二人は顔を見合わせた。
そしてコンディスがため息交じりにリュウトに言った。
「いいか、リュート。その金はお前が努力して、お前がもらったものなんだ。だからお前が使う権利と義務がある。その金は、お前がお前のために使え。わかったな!」
「でも……」
「人のことを考える前に、まずは自分のことを考えろ。オレたちはオレたちでなんとかできるから。というかな、リュート。お前、最近、何か悩んでることがあるだろ。つらくなる前にちゃんと吐き出せよ。オレたちはな、リュートがちゃんと元気になってくれた方がいいんだ」
「あ……」
コンディスとフレンは落ち込んでいることに気付いていたのか。
リュートは心配をかけていたことに申し訳なさを感じた。
「そうだよ、リュート。言いたくないことは言わなくていいけど、抱え込みすぎないようにな」
フレンもリュウトを励ました。
自分たちだって大変なのに、他人の心配をして……。本当に思いやりのある、いい友人を持った、とリュウトはこころの中で感謝した。
異世界に来てから、人に恵まれているような気がする。やさしい人々に多く巡り合えるのは、リト・レギア王国の人々の性質なのか、それとも、日本の学校がリュウトには生きづらかったのか、経験の少ないリュウトには判別ができなかった。
「今週は晴れたし、街に行こうぜ!」
明るい調子でコンディスがフレンとリュウトに提案した。
「いいね、行こう!」
一人で落ち込んでいたリュウトにようやく励ましの言葉をかけることができたコンディスとフレン、そして友人に励まされ、一人ではなかったと再確認したリュウトの顔には、いつもの調子が取り戻されていた。
コンディス、フレン、リュウトの三人は士官学校の寮を出て、城下町に繰り出した。
あてもなく適当にぶらぶらと歩いていると、三人はパレードが行われた広場に出た。
「おっ、ここの広場。建国記念日の日、セクンダディがパレード飛行をするってんでオレとフレンで見に来たよな。はじめて見た生のセクンダディ、超カッコよかったな~!」
と、コンディスが言った。
「ええ! コンディスとフレン、あの日ここの広場にいたの!」
「えっ? ああ。って、もしかしてリュートもいたのか?」
「うん。アレーティア王女と一緒にパレードを見たよ」
「えええー! リュート、あの日ここにいたのかよ! すぐ近くにいたかもしれないのかー! すげーな!」
こんな偶然ってあるのか、とリュウトは嬉しくなったが、いや、あの日は街中の人がこの広場に押しかけていたから、偶然というほどでもないのかもしれないと思い直した。
とにかく、あの日の熱狂は凄かった。
リト・レギア王国の王国竜騎士団の精鋭部隊、レギアナ・セクンダディを一目見ようと、人々が押し合うようにして広場に集まった。
六人のセクンダディのメンバーは、一人一人がただそこにいるだけで計り知れぬプレッシャーを放っていた。
もし、異世界に飛ばされた地がリト・レギア王国の飛竜の森ではなくて、違う国だったら。そして、リト・レギア王国の竜騎士団が敵として目の前に現れていたら。きっと戦う前に戦意喪失していただろう。それだけのプレッシャー、オーラがリト・レギア王国の王国竜騎士団にはある。この竜騎士の国が今のリュウトにとっては味方でよかったとこころから思う。
パレードに合わせて飛竜を駆るセクンダディに、この国の強さを、竜騎士としての威厳をまざまざと見せつけられた。
リュウトはそんな気がした。
広場をあとにした三人は、買い物をした。フレンとリュウトは一か月でだいぶすり減った靴の新調、コンディスは学食だけじゃ足りないからと言って今日もらった報奨金で食べ物を買い込んでいた。
この城下町の露店市場は見るだけでも楽しい。
活気があって、にぎやかで、この城下町だけを見るとリト・レギア王国は豊かな国だと感じさせる。
三人が歩いていると、目の前で小さな女の子がつまずいて、お菓子を落とした。
すかさずフレンがお菓子を拾い、持ち主の女の子に返してあげた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
女の子は嬉しそうにフレンからお菓子を受け取り、走っていってしまった。
三人が立ち止まった場所は、大きな教会の前で、白いフードを被った十人くらいの人々が子どもたちにお菓子を配っていた。
「白魔導士たちだ」
と、コンディスが言った。
「白魔導士? 何それ?」
「リュートは見るのははじめてなのか?」
「うん」
「白魔導士っていうのは、回復魔法や味方を補助する魔法が得意な魔法使いたちだ。多くはああいう、神に仕える神官たちがなるもんだ」
「ふ~ん。白魔導士がいるってことは、黒魔導士もいるの?」
「ああ。黒魔導士は敵を弱体化させる魔法が得意な魔法使いたちのことだよ。黒魔導士が暗黒魔法の使い手になると闇の魔導師と呼ばれる存在になるんだ。闇の魔導師を見かけたら、竜騎士にとっては天敵だし、何を考えてるかわかんない危険な奴らだから近付かない方がいいぞ」
「ふ~ん……」
リュウトたちが教会の前を通り過ぎようとしたとき、リュウトは白魔導士たちの中によく見知った顔を見つけた。
「あれ? もしかして、マリンさん!」
白魔導士たちとおなじフードを被ったマリンが、一緒になって子どもたちにお菓子を配っていたのだ。
「おーい! マリンさん!」
リュウトはマリンに向かって走っていった。
「あら! リュウトさん!」
マリンもリュウトに気が付いた。
「どうしてマリンさんがこんなところにいるんですか?」
マリンはリュウトに穏やかに微笑みながら答えた。
「実はわたしも、白魔導士の端くれなのです。ただ王城にいるだけにはいきませんから、この国の方々の役に立てればと思い、今は教会でお手伝いをさせていただいているのです」
マリンは王城の方向に顔を向けた。
「それにもう王城には、今はリュウトさんもアリア王女もいませんしね」
「ああ……そうだね」
この異世界でアリア以外では、マリンだけがアレーティアをアリアと呼び、リュウトをリュートとは呼ばない。
「マリンさんが元気そうでよかったよ」
「はい。リュウトさんもお元気そうで、わたしも嬉しく思います」
マリンはどこにも変わりはなかった。美しい髪と瞳、優しそうな顔つき、優雅な仕草。気品のあふれる人だとは思っていたが、まさか白魔導士だったとは。まさにイメージ通りだ、とリュウトは納得した。
マリンに別れを告げて、リュウトはコンディスとフレンの元へ戻った。
「すっげーきれいな人。リュート、あんな美人と知り合いなのか」
「彼女はマリンさん。山賊に襲われているところを一緒につかまったんだ」
「えっ。山賊に襲われているところを助けたならわかるが、一緒につかまったってなんだよ!」
コンディスが笑う。
「あはは。あのときは大変だったな~」
「でも、彼女の目……。アスセナ族の人なのか?」
フレンがマリンを見ながらリュウトに聞いてきた。
「ああ。そうだよ」
フレンが心配そうにマリンを見ていると、コンディスが言った。
「まあ、この王国の中にいれば安全だろ」
「そうだな。少なくともこの王都では凶悪な犯罪は起きないだろう……」
三人が教会の前を今度こそ通り抜けようとしたら、懐かしい声がリュウトを引き留めた。
「おい、リュートじゃないか!」
マリンに引き続き、教会の前でまた見知った顔に出会った。
名前を呼ばれて立ち止まったリュウトは、その見知った二人の顔を見て、思わず顔がほころんだ。
「ノエル! それにリアムも!」
教会の前に、レギアナ・セクンダディのメンバー、双子の竜騎士ノエルとリアムがいたのだ。
「どうしてこんなところに!」
リュウトは純粋な気持ちで嬉しかった。
「今日は休みだからな。マリンさんが教会で働いているって聞いてさ。彼女を口説きに来たってわけ」
「え。そ、そうなんだ」
リアムは相変わらずだなとリュウトはこっそり思った。
「違うだろ、リアムは子どもに混じって菓子をもらいに来たんだったろ?」
「ああ? 兄貴、また今オレをバカにしたのか? バカにしたよなあっ! オレのことを!」
「バカだからバカにしたんだよバーカ」
「なんだとぉおお?」
またいつものケンカがはじまった。
「落ち着いてよ」
リュウトが二人をなだめた。
リュウトの声に二人はケンカをやめた。
この双子は、ケンカをはじめるのがはやい。そして、ケンカを終わるのもはやいのだ。
「マリンさんに会いに来たのはいいけど、これじゃ全然近づけないなー」
教会はお菓子をもらいに来た子どもたちで大賑わいだった。
一か月に一回、白魔導士たちは子どもたちにこうやってお菓子を配っているらしい。
「そういやリュートは士官学校に入ったんだって?」
リアムの問いかけに、リュウトがうなずいた。
「士官学校かー。懐かしいなー。ムカつく教官がいてよー。初日からケンカをふっかけられたもんだから、ケンカを買ってやったら、もうボッコボコよ。オレと兄貴が教官にな。あんときはマジでムカついたな!」
「ええ……」
「リアムはそんときからアホなんだよ」
「アホってなんだよ。一緒になってやった兄貴が言えたことかよ」
「なんだと、この減らず口」
「やるってのかぁあ!」
ノエルとリアムはまたリュウトの目の前でケンカをはじめた。
本当に、なんなんだこの兄弟は……と思う反面、変わらないノエルとリアムに、リュウトは安堵した。元気そうな彼らに会えてよかった。
リアムと口喧嘩していたノエルが急にリュウトのうしろに隠れていたコンディスとフレンを指さした。
「あれ、うしろの少年たちはリュートの学校の友だち?」
「うん。同じチームメイトのコンディスとフレンだよ。二人はセクンダディを目指してるんだ」
「ほーお。そりゃすごいね」
ノエルとリアムはコンディスとフレンの前に立ち、いつもの軽さで挨拶した。
「よろしく、未来の同僚!」
「う、うわ! うわわわわ」
コンディスとフレンは緊張して固まっていた。それはそうだ。憧れのセクンダディの現役メンバーを前にしたら、コンディスとフレンではなくても固まってしまうだろう。
すぐに兄弟喧嘩をはじめる火のついた爆弾のような双子だが、その実力は、間近で見たリュウトが一番思い知っている。
ノエルはフレンと、リアムはコンディスと握手をした。
「大変だと思うけど頑張れよ。セクンダディで待ってるからな」
ノエルとリアムはコンディスとフレンの肩を思いっきり叩いた。
「それじゃあ、オレたちは行くわ。頑張れよー!」
そう言って、ノエルとリアムは行ってしまった。
双子の竜騎士ノエルとリアムを見送らずに、コンディスは下を向いていた。
「ど、どうしたんだ、コンディス……?」
リュウトが地面を見続けるコンディスに尋ねた。
すると、コンディスは今度は肩を震わせ出した。いや、正確には身体全体を揺らしていた。
「す、すすすすす、すっげー!」
コンディスの顔面には、感動と興奮であふれかえっていた。
「オレたち、セクンダディのノエルとリアムと握手しちゃったよ!」
「こんなことって、こんなことってある? やっほー! おおおおお!」
コンディスだけではなく、隣にいたフレンまでもがテンションがおかしくなっていた。
こんなにテンションが上がっているフレンをリュウトははじめて見た。
「すっげー肩叩かれた! すっげー痛かった! うははははは、うはは!」
「いや、もう最高! 手と肩は一生洗えないな!」
コンディスとフレンはそのあと一時間以上興奮していた。
日が沈みかける、士官学校の寮への帰り道、コンディスがつぶやいた。
「今日はすごく楽しかったなー」
「ああ。すっごく楽しかった!」
フレンが相槌を打つ。
リュウトも、街に出てきてよかったと思った。
久しぶりにマリンやノエルとリアムの顔を見られてよかった。みんな元気そうだった。それに、リュウトを気遣ってくれたコンディスとフレンが楽しそうで心配をかけさせた申し訳なさも吹き飛んだ。
「よーし! これなら、来月の試験、頑張れそうだな!」
「お、思い出させるなよ。なんてこと言うんだ、フレンは!」
フレンの発言にコンディスが怒った。
来月は士官学校のはじめての試験がある。二か月に一回、計三回の試験の結果で竜騎士になれるかどうかが決まるのだ。
「現実に引き戻さないでくれよー!」
「あははははは」
リュウトは笑った。
だが、一番心配なのはリュウト本人だ。身体ができてきているとはいえ、コンディスやフレンと比べると、体力的にはまだかなり劣っている。
三人でいると、どうしてもリュウトが足を引っ張ってしまっているのが現状だ。
「なあ、フレン。久しぶりにあれやろうぜ」
「あれ? ああ、あれか」
「?」
コンディスとフレンは円陣を組みだした。
「リュートも入れ!」
「うん!」
リュウトは力強く返事をして、コンディスとフレンが作った円陣に飛び込んだ。
「おっ! 三人だと安定するな。それじゃ、行くぞ」
コンディスが大声で叫んだ。
「絶対に、竜騎士になるぞー!」
「おー!」
コンディスとフレンとリュウトはその強い意志と同様の大きな声を腹から出した。
「あはははははは!」
三人は大声で笑った。今日はテンションが上がりすぎた。
大声で笑うコンディスとフレンを見て、この友人たちは、半年後には、無事に竜騎士になっていそうだな、とリュウトは思った。
――自分もなれるだろうか。
いや、不安に考えている場合じゃない。
竜騎士になるんだ、とリュウトは強く思った。
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