第5話 竜騎士の国の王子と異世界の扉の竜の件

 佐々木リュウトは、放心していた。

 王国竜騎士団精鋭部隊、レギアナ・セクンダディとリト・レギア王国の王太子ソラリス。

 彼らの竜を駆る姿と、王城に入っていく背中のカッコよさ。

 翌日になっても、リュウトは彼らを見送ったときの興奮を忘れることはできなかった。


 ――憧れるって、こういう気持ちなんだ。


 リュウトはこれまでの学校生活を思い出した。中学のときも高校のときも、部活は入ってすぐやめた。続かないのだ。真剣に何かをやるのは性に合わない。何かに真剣になるのは時間の無駄だと思っている。失敗したり、誰かに負けたりして嫌な気持ちになるぐらいなら、適当にのんびり過ごしていた方が楽だ。だから、頑張ることを避けてこれまで過ごしてきた。


 国王モイウェールとアリアとリュウトの三人での朝食が終わったころ、メイド長に呼ばれた。


「ソラリス様が、アレーティア様とリュウト様にお話があるとのことです」

「兄様が?」


 アリアは明るくなった。ソラリスとアリアは血縁上はいとこだが、あんなにカッコいい兄を持っていたら、誇らしい気持ちになるのも無理はないと、リュウトは思った。


「ソラリス様、か……」


 リュウトはつぶやいた。

 昨日見た、端正な顔立ちだが冷たい眼差しを思い返した。

 正直、あの目で見つめられるのはこわい。


「あんときのオレ、手汗がやばかったな~……。それについて何か言われるんだろうか。って、そんなわけないよな」

「リュウトさん。行きましょう。ソラリス兄様のお部屋はこちらです」


 アリアに付き従って歩いていくと、大きな扉の前についた。


「兄様はこの部屋にいると思います」

「なんだか緊張するなあ」

「そうですよね。妹のわたしでも……距離を感じることがありますからね」

「アリアでも?」

「ほんのちょっぴり。たまーに、なんですけどね」


 アリアは扉をノックした。


「兄様。アレーティアです。リュウトさんを連れて参りました」


 返事はなかった。


「行きましょう」


 アリアが扉を開けると、大きな部屋の奥に、椅子に深く腰をかけたソラリスと、彼のそばには、黒いフードを被った謎の男が立っていた。

 右手には魔術師のような錫杖が握られている。


「リュウトさん。兄様のそばに立っているあの方こそが、例の――ルシーン卿です」

「へえー……」


 フードを被っているので顔は良く見えない。薄紫色の長めの髪がちらりと見えるだけだ。

 ソラリスのそばまでアリアとリュウトは近づいた。


「兄様、遠征の方はどうでしたか」

「つまらなかったな」

「そうですか……」

「グラン帝国に反乱した農村の自警団の鎮圧だと。ポルコの奴。グラン帝国の中流貴族の分際で、そんなつまらないことで我々リト・レギアの竜騎士団を呼び出すとは。……帝国にはいつかこの礼をしてやらねばならんと思ったよ」

「じょ、冗談……ですよね?」

「ああ」


 アリアが冷や汗をかいているのをリュウトは横目で見た。


「それよりアレーティア。風竜と契約を交わしたそうだな」

「あっ……そうなんです! 聖鳩琴が光って……。こうなることがわかって、兄様はわたしに聖鳩琴を持たせたのですか?」

「それは知らんな」


 ソラリスは窓に目を向けた。

 今日は長い黒髪を片側だけ耳にかけている。

 こうして見ると、ソラリスとアリアは全くの他人のように思える。

 容姿、性格、仕草。どれ一つとして似ているところがない。


「お前が風竜を倒す旅に出ると聞いたときは驚いたよ。よく無事に戻ってきた」


 窓辺に向けていた顔を戻し、ソラリスはアリアに向けて言った。


「兄様の……力になりたくて……」

「またそれか。このオレと比較してプレッシャーを感じる必要はお前にはない」

「は、はい……」

「だが、今回のことは見事だった」

「え……?」


 褒められると思っていなかったアリアは、困惑していた。

 そのとき、フードの男――ルシーンが、ソラリスに何かをぼそぼそと耳打ちした。


「わかった」


 ソラリスがルシーンに答えた。


「アレーティア。席を外してくれ」

「え?」

「部屋から出て行ってくれと言ったんだ」

「わ、わたしだけですか?」

「そうだ」

「わかりました……」


 アリアはリュウトを心配する顔つきをしながら部屋から出ていった。


 ソラリスは真剣な面持ちでリュウトを見つめた。


「名前は……リュウト、だったか」

「はい。佐々木リュウトです」

「リュウト。いや、これからはリュートと呼ばせてもらう。その方が呼びやすい」


 リュウトには違いがわからないが、異世界の人々には、「ウ」と「ー」が違う音に聞こえているようだった。


「呼び方は別にまあなんでもいいですけど……」


 何を考えているのかさっぱりわからない人だなとリュウトは思った。


「さて、リュート。率直に尋ねるが、お前は異世界から来た人間だろう?」

「ええっ!」

「どうなんだ」

「異世界から来たって断言はできないんですけど、多分、そうだと思います。日本っていう国の東京ってところに住んでいました」

「この世界にニホンという国はない」

「あ……。そうなんですか……やっぱり」


 リュウトは、わかってはいたことだったが、やっぱりショックだった。

 異世界でなければ、飛行機に乗って難なく帰れたかもしれない。が、この世界にはどこにも帰る場所がないというのを改めて知るのは、精神的ダメージがかなり大きかった。


「お前の服や持ち物を調べさせた。見たことのないものやこの世界のどの歴史書にも載っていない文字が使われていた……」

「……」


 リュウトは考えた。帰りたい。こうして、このリト・レギア王国で過ごしている間にも、家族は心配しているだろう。っていや、違うんだ。死んだことになっている、もしくはあの金色のドラゴンに街を壊されているかもしれない。

 何年かかかって、この異世界から元の世界へ帰ったとしても、元通りの生活がある保証がないんだ。もう、ホントにホントに絶望だ。


「あの、ソラリス……様?」

「なんだ」


 リュウトはアリアが言っていたことを思い出した。ソラリスは、世界中を旅していたことがあると。もしかしたら、知っているかもしれない。――金色のドラゴンについて。


「ソラリス様は、世界中を旅していたことがあるとアリアから聞いたんですけど……」

「アリア。アレーティアのことだな」

「あ、そうです。アレーティアさんから聞きました。それで、あの、オレがこの異世界に来る前に、金色のドラゴンを見たんです。この世界に来てしまったのはそいつが原因だと思うんです。何か、そのドラゴンについて知っていませんか?」


 ソラリスは沈黙した。

 そして、少しだけ口元に笑みを浮かべた。

 リュウトははじめてこの人物が表情を変えたところを見た。


「金色のドラゴンか。知っている」

「!」


 リュウトは驚いた。

 驚きすぎて、口がパクパクした。


「リト・レギア王国の古い伝承に一節だけ登場する伝説の竜だ。――金色の光と鱗に覆われし竜、その炎は異世界の扉なり。竜に導かれし者、異世界の勇者なり――と。オレはこの目ではみたことがないがな。おそらくリュートが見たのは、異世界の扉と呼ばれる竜だろう」

「どこにいる、とか、わかりませんかね……」

「……。オレに聞くよりも、自分自身の身体に直接聞いた方がはやいと思うぞ」

「えっ? それはどういう……」

「お前の身体に、竜の契約の刻印が示されているそうだ。次に風呂に入ったときにでも背中を見て確かめるがいい」

「背中に……?」


 竜の契約の刻印ってなんだ。

 いや、それよりもなんで背中に竜の契約の刻印が刻まれているって知られているんだ。

 リュウトは、ルシーンを見た。

 ルシーンが持つ錫杖の先端には、手のひらサイズの水晶がついている。

 もしかして、その杖の魔法で覗かれていたのか。


「勘違いしないでいただきたい」


 ルシーンは突然口を開き、リュウトに向かって言った。

 この見るからに怪しい宮廷魔導士は、人のこころが読めるのか。


「わたしにそういう趣味はありません」


 ルシーンの言葉にソラリスが笑った。


「ふっ。面白い奴だろう? ルシーンは愛想はないが冗談が好きなんだ」


 リュウトは何も言わなかった。


「竜の契約の刻印って何ですか。それがあると何なんですか? オレは元の世界に帰れるんですか!」


 ルシーンのことは無視して、問い詰めるようにリュウトはソラリスに尋ねた。


「竜の契約とは、ドラゴンが仕える主を定めることだ。竜の契約の刻印は、その契約がなされたとわかる印のことだ。アレーティアが風竜と契約したときに見ただろう? 風竜の契約の刻印は、指輪だったようだがな」


 リュウトはアリアが風竜の奥から出てきた指輪をはめた光景を思い返した。


「あれが……竜の契約」

「そして元の世界に戻れる方法だが……」


 ソラリスの言葉にリュウトはゴクリと唾を飲んだ。


「今はまだ無理だろう。リュートからは竜の力を感じられない。だが、修行を重ねて、竜とこころを通わせることができるようになったら、異世界の扉を呼び出せるかも知れんな」

「……」


 今は、無理なのか。リュウトは一瞬、落胆した。しかし、すぐに立ち直った。


「修行でもなんでもするよ! 帰りたいんだ、元の世界に!」

「リュート。お前が元の世界に帰りたい気持ちはわかる。だが、焦るな。この王国は大陸の中では平和な方だ。リュートが元の世界に帰れるよう、オレは威信を賭けて協力するつもりでいる。だから、リュートもこの王国に力を貸してくれないか。異世界人であるリュートにしかできないことがきっとあるだろう。……協力してくれるか?」

「それは……自分にできることだったら……」


 リュウトは自信なさげに答えた。数日前まで平凡な高校生だったのだ。自信のある特技なんてものは持っていない。

 だけど、あの夕日を背に王城に帰ってきた超カッコいい竜騎士の一人が、自分の力を必要としてくれている。

 こころの底から何かが湧き上がってくる気持ちがあった。それが一体何なのかはわからなかったが。


「はい。できる限りのことは、協力します」


 ソラリスはニヤリと笑った。


 リュウトがソラリスの部屋から出ていったあと、ソラリスとルシーンの二人の男は会話をはじめた。


「アレーティアはお手柄だったよ。風竜と契約したことはどうでもいい。異世界の扉と契約した異世界人をこの国に連れて来たんだからな」


 ソラリスは足を組み、さっきまでとは違った口調で友人ルシーンに話しかけた。


「殿下は何をお考えで?」


 ルシーンは笑っていた。若き次期国王の前でだけ見せる表情だ。


「ふふ。ルシーン。知っているのになぜ聞いた。貴様だけは知っているはずだ。このオレの野望をな……」


 リュウトは、その日一日考え事にふけった。

 金色のドラゴンのこと。今は遠い世界にいるみんなのこと。元の世界に戻れる方法。色んなことを考えて、頭が疲れた。


 日が沈んで夜になったら、リュウトは浴場に向かった。

 監視カメラがついていないか確認したが、そんな異世界からみて"異世界"チックなものはどこにもついていなかった。

 リュウトは、自分の背中を確認した。

 背中には、大きなドラゴンの痕があった。


「なんだこれ……全然気が付かなかった。タトゥーみたいだ。銭湯なんか禁止になっちゃうよ」


 浴槽の中で、リュウトは再び考えた。

 あの、ソラリス王子に期待されている。

 ちょっとこわいけど、カッコいい竜騎士の王子。

 リュウトは、立ち上がった。ザバーッと湯が溢れる。


 元の世界にはすぐには戻れない。

 だけど、だけど。

 頑張りたいことが、見つかったかもしれない。

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