第28話 独白と諍いと

 五限目の英語と六限目の現代文。

 俺はただひたすら眠っていた。


 途中で意識が覚めてしまっても、また寝た。


 グループで討論したりとか、教室を移動したりとかいうことがなかったから、俺は休み時間も寝ていられた。俺はクラスのほとんどの人と交流がないし、長田も志田も別の授業を取っていてその授業に行っていたから、わざわざ俺を起こすおせっかいな奴なんていなかった。


 ホームルームが終わって、下校。


 隣で長田がいろいろ喋っていたが、俺は聞いていなかった。それなりに返事をした記憶はあるのだが、それがちゃんと会話になっていたかは定かではない。


 俺は家について、新聞に挟まっていたパチンコのチラシの裏側に

「ご飯いらない」

とだけ書いて、部屋に行った。


 今日は、着替える気にもならない。


 苦しいからネクタイだけは外して、頭から布団をかぶる。

 昼間いっぱい寝たからか、全く眠れない。それでも、現実から逃げたくて瞼に力を籠める。


 唇を噛む。

 枕を握る。


 「これは嫌な夢だ」と起きてそう思えるなら。

 俺はいつの間にか眠っていた。



 暑くて目が覚める。


 スマホのホームボタンを汗で滑る親指で押す。


 3:15


 「暑いな」

 背中にシャツがピッタリと張り付いている。


 それもそのはず。晩ごはんが終わって部屋に帰ってくるタイミング(確か九時くらい)に合わせて、暖房のタイマーが入っている。

 逆算して、五時間以上も暖房が着きっぱなしの部屋で、俺は冬服で頭から布団をかぶって寝ていたのだから。


 体を起こし、ブレザーを脱ぐ。机の前にある椅子めがけて投げたそれは、床に落ちてクシャッと崩れる。


 足を布団から出し、立ち上がる。


 「ぐうぅぅぅ」

酷く不格好な音がした。


 汗ばんだシャツと制服のズボン。夏の登下校中のような姿で、俺は欲望に従うことにした。

 テーブルの上には、何もなかった。母親は、俺のメモを見て放課後にラーメンか何か食べに行ったものだと思ったらしい。


 食器棚の下の引き戸を開ける。


 レトルトカレー、みそ汁、パスタ、カップ麺。


 俺はカップ麺を手に取った。


 特に深い理由はない。真夜中から、カレーやパスタを食べるのは変だと思い、みそ汁だけでは少なすぎると思ったうえでの消去法だ。


 やかんに水を入れ、コンロの火をつける。


 お湯が沸くまで時間がある。その間にふたを開け、かやくの袋もあけておく。


 流し目に窓を見て、窓の外が意外と明るいと感じる。

 街灯が道を照らし、その道のところどころには自動販売機の少しカラフルな明かりが見え、ずっと遠くには都心の明かりが見える。


 誰一人として、外を出歩いていない時間帯。そんな時に、光っているのは滑稽に思える。


 ピーっという音が鳴った。


 やかんを手に取り、カップにそそぐ。香ばしいにおいが広がる。

 リビングの時計がさしているのは、二十二分。

 テレビをつけ、ボリュームを下げる。


 やっているのは、誰かに需要があるとは思えない通販とニュース。深夜アニメももう終わっている。


 ニュースでは、全国の天気予報をしていた。


 北海道は最低気温が六度。沖縄は最高気温が二十八度。東京はその真ん中くらいで、今日は曇りだそうだ。


 時計を見る。

 二十五分。食べ時だ。


 蓋を剥がして、そばに置き、箸で中を少しかき混ぜてから、麺を掴む。かやくのにおいの湯気が顔にかかる。


 麺をすする。

 少しだけ時間がたって、柔らかくなってしまった麺と醤油とんこつのスープの相性は絶妙に悪い。


 麺が八割くらいなくなり、短い麺と具が目立ってきた時、階段がきしむ音がした。

 その音はだんだん下って来る。


 「お兄ちゃん。こんな時間にラーメンとか」

璃奈が目を細めながら降りて来た。


「毎日コーラばっか飲んでるくせに、深夜ラーメンなんか始めたら、早死にするよ」

麺をすすっている俺を見ながらつぶやく。



 「話がある」

麺がなくなって、具もあらかた無くなったところで、俺は箸をおく。


「スキャンダルのメンバーってのは、お前なのか」


 沈黙。


 「お前、アイドルなのに彼氏いるのか?」

 沈黙。

 璃奈の表情は、前髪で隠れて見えない。


 「おい、返事くら」

「違う。彼氏じゃない。」

璃奈が、前髪の下から覗く桜の唇を震わせる。


「彼氏って誤解されるような事したんだろ!」

「高校生なのに、恋愛しちゃいけない決まりの方がおかしいよ!」

 いつの間にか、俺たちの声は荒立っていた。


 「ダメだってわかってるだろ!」

「わかってるけど、二人で出かけたらダメだなんて言われてない!」

「恋愛じゃなければいいのかよ!」

「恋愛禁止なんだから、恋しなければいいでしょ!」

「そういうことじゃないだろ!」

泣いている璃奈が顔を上げる。長い睫毛には涙。


「だって、か」

「ファンを裏切っておいて、言い訳すんなよ!」

「お前のせいで、どれだけの人が迷惑すると思ってんだ!」

「そんなの、知らない。」

「知らないじゃないだろ!」

璃奈の肩がビクッと震える。


「メンバーもスタッフも、たった一人のせいで、解散することだってあるんだぞ!」

「……」

璃奈が無言でうつむく。

 テーブルに着いた両手の間の黒髪が指す場所には涙の水たまりが出来ている。



 しゃくりあげながら、時間は過ぎる。



 「だって、あの」

「言い訳してんじゃねぇよッ!」

「あの人は、璃奈に優しくしてくれた!」

「メンバーもスタッフも何も言ってくれなくて、お兄ちゃんも何も言ってくれなくて」

「みっちゃんと二人だけで苦しかった時、あの人は璃奈に優しくしてくれた!寄り添ってくれた!愚痴を聞いてくれた!手首の傷を見ても何も言わずに抱きしめてくれた!」

「何も知らないくせに、知ったような事言わないでッ!」

「手首って、お前そんなに…」

「やっぱり、何も知らないんだ」

「言わないとわからないだろ!」

「それを、それを分かってくれたから!だからその人と一緒にいたかったから!」

「だから何だってんだよ」

「何も知らないくせに!ファンだからとか、兄妹だからとかそんな立場だけのくせにッ!」

「文句ばっかり言わないでッ!」


 璃奈はテーブルを殴りつけ、席を立った。


 俺は一人食卓に取り残された。


 俺の前にも、璃奈が座っていたところにも、水たまりが出来ていた。



 シャツの袖をつかんでそれを拭き、紙のカップを握り潰して、俺は家を出た。

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