第26話 独白

「伊藤、黒田、山縣、松方、伊藤、松方」

このあたりで気づいた人は、きっと偏差値五十くらいはある人だろう。


「伊藤、大隈、山縣、伊藤、桂、西園寺、桂、西園寺、桂、山本、大隈、寺内、原、高橋、加藤、山本」

ココでもまだ気づかない人のために説明しよう。


 俺は、歴代の総理大臣を覚えていた。結局夏休みが終わったころに決めたのだが、俺は日本史で受験することにした。そのための勉強だ。


 「桂園時代、長すぎだろ」

思わずため息が出る。


 ちなみに、「桂園」と書いて、「けいえん」と読む。「けいおん」と読み間違える人もいるそうだが、世界一のアニメ制作会社が手掛けたほのぼのアニメのようなそんなほのぼのしたものではない。


 どちらかと言うと、桂と西園寺という名字から思い出される、全国の誠さんがかわいそうなアニメの方が、この時代を語る上ではしっくりくるのかもしれない。ちなみに、伊藤、西園寺、桂、さらには森、小渕、小泉なんて苗字も出てくる。歴代総理の名字を使って登場人物の名前を付けたのは、ほぼ間違いないだろう。


 そして恐らく、主人公を奪い合う関係になるヒロイン二人の名が桂と西園寺なのも、史実を踏まえたうえでのことだろう。


 この二人の在任期間は、歴代二位と九位。二人合わせると四千日を超えるのだから、すさまじいものだ。



 「ねぇ、お兄ちゃん。入っていい?」

コンコンという音の後に、ドアから璃奈の声がする。


 こんなことが頻繁にあるのなら、それは妹大好きな奴らが夢見ている妹像なのかもしれないが、こんなことはほとんどない。


 しかもその大抵が、勉強を教えてくれと言うものだから、妹萌えなんて感情は、俺にとってはヤマトが目指したイスカンダルよりも遠い。沖田艦長でも古代艦長代理でも、たどり着くのは難しそうだ。


「おう。いいぞ。」

ガチャッとドアが開き、璃奈が顔を出す。ここでモコモコのパジャマを着ていたりしたら可愛いものだが、来ているのはお得意の中学の時のジャージ。


 「なんだ?また数学か?」

確か先週も先々週も数学を教えたはず。


「ユークリッドの互除法と合同式だけは、勘弁してくれよ。俺は私」

「違う。そうじゃない。」

 私立文系志望ということを、都合よく使いまわす私立文系志望の特権を行使しようとしたところを、璃奈にさえぎられる。


 じゃあなんなのか。


 ユークリッドじゃなくて、パスカルの三角形じゃないよな。余計わからんぞ。


 「違うって?じゃあなんだ?」

 何も持たずに部屋に入ってきて、ドアの前で紺色のジャージの袖を握っている璃奈に問う。


「相談。」

袖を握って、自分のつま先とにらめっこしたまま、腹話術氏にでもなれそうな口の大きさで璃奈が答える。


「立ってるのもなんだから、座れよ。」

ベッドを指さす。


 いつもなら、ベッドに座らされることに対して、一言二言の小言を言いそうなものだが、璃奈は何も言わずに、ベッドの端に浅く腰掛ける。


 「何の相談だ?」

 何やら真剣そうだと思い、足で背もたれを挟むようにして後ろ向きで座っていた椅子を回転させ、座りなおす。


 「……」

 璃奈は中々口を開こうとしない。


 「実は、お兄ちゃんのこと」とか言い出したりしないよな。と小さな希望。


 「スキャンダルが出た。」

「は?」

俺は、やっとのことで条件反射的に声を出した。声を出すのだけで精一杯で、声を出すことだけを意識したから反射ではないのかもしれないが、俺の返事の速さは反射のそれだったはずだ。


「スキャンダル」

璃奈が、若干上目遣いで、今度は袖で無く太ももの辺りを掴みながらはっきり言う。


「誰のだ?」

「メンバー。誰かは言えない。」

「・・・・・・。そうか。」


 理解した。


 つまりは、「グループのメンバーのスキャンダルが出た」ということを俺に話に来たわけだ。


「どうすれば、いいと思う?」

「お前がか?」


「うん。」

「全員で謝った後は、何もしなくていい。」


「それだけ?」


「変に何か言ったりやったりすると逆効果になる。」

「そっか。ありがと。」

どこか吹っ切れたような顔で、璃奈が立ち上がる。



「ちょっと待て」

そのままドアの方に行こうとする璃奈の手を掴む。


 俺は重要なことをまだ聞いていなかった。


 「そのスキャンダルの内容は事実なのか?」

「違う。休日出かけたときに、久しぶりに会った男の人と話してたら撮られただけ。」


「それなのに、謝るのか?」

「大人が謝れっていうから。」

「記事が出るタイミングで、グループ全員」

「そうか。」


「うん。おやすみ。」

璃奈は出て行った。


 ドアが閉まる音がするよりも早く、俺はスマホのロックを開ける。


 青い羅針盤のマークをタップし、「FYL、スペース、スキャンダル」と入力。

 並ぶ情報に目を通す。


 璃奈が言っていたような内容のものはない。


 あるのは、「青井咲は豊胸?」とか「古川美波は整形」とか「三笠柚希の彼氏は学校の教師」とかそういう類のものだけだ。


 「はぁー」


 そんな根拠も何もない情報を流して、何か楽しいのだろうか。都市伝説のように、根拠がないからこそ楽しいのだろうか。


 もしそうであるならば、もっと他人を嫌な気持ちにしないような内容にすべきだ。

「FLYスキャンダル出たらしい」とLINEのトークルームに打ち込む。


 い、まで打ち込んだところで手が止まる。璃奈は、記事が出るタイミングで謝ると言っていた。



「これはまだ言わない方がいいか」

俺はそのメッセージを送信せずに、×ボタンを連打して、消した。

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