第17話 惰性の夏休みとフェス

 次の日も、その次の日も、長田が家に来るだろうと思っていたが、奴は「家に行きたい」とか「リナちゃんに会いたい」なんてことは、もう言わなくなっていた。


 ストーカーまがいのことをしているのに気付いたのか、璃奈に執着しなくなった理由はよくわからないが、どんな理由にしろ長田がいつもの長田に戻ったのは、学校でしゃべる人が長田以外にほとんどいない俺にとっては、喜ばしいことだった。


 だが、それも一学期の間だけの話。


 夏休みが始まって一週間が経った今日、夏休みになってから長田が家に来るのは七回目。


 夏休みだというのに、皆勤賞が狙えそうなほどの勤勉さ。


 なぜこんなにも俺の家にやってくるのか理由は単純だ。


 「暇だから」


 璃奈がいるからでもなく、俺と志望校が同じだからでもない。


 その証拠に長田は家に来ても、勉強もしないし、璃奈を見てもあいさつ程度の会話しかしない。


 夏休みまで二週間を切ったころから毎日カウントダウンをするほど楽しみにしていたとは思えないほど、奴の夏休みには中身がない。


 だがそれは、そんな中身がない奴の夏休みに「暇だから」という理由だけで付き合っている俺と志田も同じだった。



 朝の十一時くらい(この時間を朝だと認めてくれる人は、家族に一人もいない)に起きて、朝ご飯(昼のワイドショーを見ながら食べるご飯を朝ご飯だと認めてくれた人ももちろんいない)を食べて、志田と長田が来て夕方までダラダラして、二人が帰って、晩御飯を食べたり風呂に入ったりして、申し訳程度に勉強して寝る。というのが、俺のルーティーンになりつつあった。



 だが、今日は違う。


 今日は八月の第一週の金曜日。


 NIFすなわち、ニッポン・アイドル・フェスティバルの日である。


 日本最大のいや、世界最大のアイドルフェスが行われる夏の風物詩というか、象徴というか、もはや夏休みはこの日のためにあるのではないかと言えるような日を前にして、俺たちのようなアイドルオタクが、平常心でいられるはずもなかった。


 そんなこんなで、昨夜(とはいっても日付はとうに変わっていた)三人で電話しながら、璃奈からもらった会場見取り図にペンを入れる作業を何時間も続けた。


 さらには、「一つ目のステージが始まる二時間前に会場に着いて、三人でばらけてブースを回って三人がそれぞれほしいグッズを買い集めて、余裕をもって一つ目のステージから最前列でフェスを楽しむ」という作戦を例年通り立ててしまったせいで、俺は寝不足どころか、瞬きよりも長い時間目を閉じることさえできていないのだ。


 これが学校の行事なら適当な理由をつけて保健室のベッドに転がり込みたい気分になるのだろうが、なぜかそんな気分にはまたくなれないまま、ステージに立つ璃奈がまだ寝ている時間に家を出て、こうして長田と上石井駅まで来ているのだ。



 「志田どこにいるって?」

「コンビニで日焼け止め買うってライン来てた」

「じゃあコンビニか」

「たぶんそうだな」

確か、去年もまったく同じようなやり取りをした記憶があるのだが、夕方になったころには志田は真っ赤に日焼けしていた。


 いくら日焼け止めを塗っても、グッズの半袖のTシャツで、首にかけた推しタオルを振り回しながら飛び跳ねていては意味がないのだろう。


 とはいえ、いくら思っていても、美容?に気を使っている女子高生にそんなことを言えるはずもなく、俺たちは何が違うのか全く分からない日焼け止め売り場の前で、あーだこーだと言っている志田のことを何分も待つ羽目になった。


 普段ならば、文句の一つも言いたくなるような扱いを受けた俺と長田だったが、西武新宿線で高田馬場、山手線で恵比寿、埼京線で東京テレポートと一時間以上電車に揺られている間、文句だとか恨み言だとか、そんなことは一切口にしなかった。


 ハイになっていたというのも原因の一つだろうが、単純に忙しかったのだ。


 コンビニで志田が日焼け止めを選んでいる間にプリントアウトした璃奈からもらった会場見取り図のコピーを二人に渡した。


 各々が分担して買いに行くグッズは何なのか、そしてそのグッズはどこにあるのかというのを叩き込むのは、結構難しいものだ。


 さらに、このフェスでは一般的なフェスと違って、ステージの数が物凄い。

 お台場・青海周辺エリアとかいうざっくりしたかなり広いスペースに、十ものステージがあるのだから、グッズを買った後もどのパフォーマンスを見たいかによって移動しまくらなければならないのだ。


 その移動の確認をしないと、せっかく遠出したのに、見たかったものが何も見れないという本末転倒的な未来が待ち受けているのだから、俺たちが諸々のことをこの短時間で確認し、頭に叩き込むには、テスト勉強よりも、受験勉強よりもはるかに真剣に取り組む必要があった。


 したがって、文句だとか嫌味だとかそんなものを言っているような暇は俺たちにはなかったのである。

 

 「うわあっつ」

数十分ぶりに、熱されたアスファルトの上に足を置くと思わず声が出る。


 「こりゃはだしで歩いたら、ヤバいな」

「靴作ってくれた人に感謝だねー」

長田と志田はそんなことを言いながら、歩いている。


 まったくもってその通りだ。アスファルトは思ったよりもガサガサしていて足の裏に刺さるし、なにより日差しに何時間も照らされたアスファルトは想像を絶する暑さだ。



 俺にはその実体験があるのだから、それがどのくらいつらいのかよくわかる。


 小学二年の夏休み。学校のプールが解放されて自由に使っていいということになり、俺はお気に入りだったサンダルを履いて、学校まで行った。


 久しぶりに会うクラスメイト達と遊んでいて、十二時の鐘が鳴ったから、帰ることにした俺は靴箱のところで、俺のサンダルがなくなっていたのに気付いた。


 いちおう、「はだしで家まで帰るのはしんどそうだ」と考えはしたのだが、走れば一分くらいで着くような近所に住んでいたため、どうにかなるだろうと歩き出したのだ。


 その結果、足の裏は想像を絶する熱さで、それを逃れるために走ろうとすると足の裏に石ころなんかが刺さり、サンダルなんて普通に生活していたら絶対無くさないものをなくしてしまって親にこっぴどく怒られるだろうというプレッシャーもあり、俺は歩いて五分もかからない道のりを泣きながらゆっくり歩いたのだ。



 「おーい、勇人?暑さで頭でもいかれたか?」

長田が目の前で手をフリフリしている。


「いやちょっと昔のこと思い出してな」

「それ、あのサンダルの話?」

志田がマップを見ながら言う。


 大正解だ。


 「そう、それ」

「まあ、さすがにフェスで履物無くすことはないだろ」

その通りだ。ずっと履いているのに無くすわけがない。


 「てかそろそろ急いだほうがよくないか?」

長田の一言で、俺たちは各々で役割を決めた通りに会場に散った。



 グッズを買いそろえた俺たちは、第一ステージの前に集合していた。人がかなり多くて、さすがメインステージと言ったところだ。


 「Mu-ve見た後に移動か?」

「そだよ、」

ちょうど俺たちがまとめたタイムスケジュールを見ていた志田が答える。



 やっと、俺たちのNIFが始まった。



 ペンライトを振り回し、声を上げて、俺たちは昼ごはんを食べ終わってもまだそれを続けていた。


 いや、まだというよりも今からが本番なのだ。


 あらゆるイベントのほとんどがそうであるように、人気があるグループやユニットは後の方にしか出てこないのが、NIFのお約束であり、もうその時間帯が始まろうとしている。


 早い時間にパフォーマンスしたグループやユニットのパフォーマンスが全然ダメだったというわけではない。そもそもこのフェスに出ることができた時点で、アイドルとしてはかなり上位層であるのだ。


 実際、志田が俺と長田に見てほしいと連れて行ったクール系ダンスユニットのソラリスはトップアイドルよりも遥かにすごいダンスをしていたし、長田が顔だけでも見てくれと言って連れて行ったY,Sという妹系アイドルグループの顔面偏差値は、テレビドラマの主役を張っている女優を可愛い順から連れてきたものよりもはるかに上回っていそうだった。

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