愛の告白大作戦

逸真芙蘭

違うそうじゃない

 部室は静寂に包まれ、俺と彼女の呼吸の音だけが聞こえる。顔の紅潮と、体表温度の上昇、つまりは交感神経系の亢進であるが、それを定量化することは果たして可能なのだろうか。感情というものはデジタルデータへと変換されうるのだろうか? 俺は場違いにもそんなことを考えていた。

 よく考えてみればそれは大脳のニューロンとグリアが織り成す電気パルスの完全な理解であり、すなわち電気生理学が最後に解明するであろう領域の話だ。俺が今ごたごたと御託を並べたところで、どうにかなる話ではない。

 それに、俺が頬を染めた女子高生と対面するに至った経緯を考える上で、なんの役にも立たないだろう。

 

 ではどうすればいいかと言うと、状況を整理するために、話を十数分ほど前に戻そう。


   *


 その日も俺はいつも通り部活動をして、部活仲間である名古屋小町の延々とした世間話を聞かされていた。


「だからね私言ってやったのよ。そんな低俗なことばかりして、誰も得なんかしないのよって」

 クラスメートに喧嘩を売られた名古屋が馬鹿正直にそれを買い、懇切丁寧に教え諭して舌鋒を食らわせたという、もはやお馴染みの話だ。


「……お前もいい加減、そんな奴らの相手すんのやめろよ。いいか、人間ってのは愚かで弱い生き物なんだから、いくらお前が無知蒙昧をひらこうと躍起になろうが、世界はちっとも賢くならんのだ」

 俺は半ば諦めた気持ちで、彼女をなだめようとする。


「あら、人は愚かかもしれないけれど、この世に学習しない人間なんていないのよ」

「……お前は育ちがいいから、今まで周りにいた人間も優秀だったのかもしれんが、世間一般の人間はお前が思っている以上に馬鹿だぞ? 高校数学どころか、各都道府県とその県庁所在地さえ怪しい大人なんてゴロゴロいるからね? 島根と鳥取どっちが左が分かる?」

「まず問いがおかしいわ。観測者がどこを向いてるかで左も右も全く変わってしまうもの。答えは島根が西で、鳥取がよ。それぞれ松江市と鳥取市が県庁所在地よ」

「……いや、まあそれはいいとして、とにかくいちいち突っかかってくるやつにムキになってたら、体力持たないからスルーするスキルもつけろよ」

「あなたに言われなくても、人間がどうしようもなく愚かで、くずで、救いようがないのは分かってるわよ。今日はちょっとむしゃくしゃしてたから言い返してやっだけよ。あの生産性のない虫けら共に」

 そう吐き捨てた彼女にほとんど呆れた気持ちで言い返した。

「うわぁ、いつになく辛辣しんらつな意見だな」

「そうかしら、至極客観的な意見だと思うけれど」

「お前のその人類に対する諦観はどこからやってきたんだろうな」

「あら諦観なんてしないわ。するなら絶望よ。お前のために世界を壊してやるよって叫びたい気分」

「クソだなって思うこともあるけど、わりかし俺はこの世界気に入ってるから壊すのもうちょっとだけ待っててくれる?」

 別にそこまでは俺と彼女がいつもしているような、ありふれた日常の一コマを飾る、さして取り立てるべくもない会話だ。これが普通の会話と言えるほどに、俺の判断基準も変わってしまったことの是非については、今ここで論じることではない。

 とにかく、そこまではいつも通りだった。

 

 決定的にすべてをおかしくしたのは次の彼女の言葉のせいだった。

 

「ところで尾張おわりくん」

「なんだ?」

 彼女はまるで先程の話の続きをするかのような、平坦な口調で

「私、あなたのことが好きみたい」

 そう言ったのだった。



    *



 十数分間の沈黙を経て、俺はようやく

「……はは、いきなりなんだ。なんの冗談だ?」

 という言葉を吐き出した。

 全く、本当になんの冗談だ。

 

 名古屋はこの放送部という王国で、女王として強権をふるい、雄飛して至福の表情を浮かべ続けたのに対し、たった一人の国民である俺は、暴政に耐え雌伏して夕陽を見ては感傷的になって泣いていた。そういう一年を送ってきたのだ。

 それが今になって、お前が好きだなんて言われて、反応に困るなと言う方が無理な相談である。


 俺の言葉に対し

「冗談だなんて、嫌だわ。どうしてそんな意地悪言うの?」

 そう言って彼女は悲しそうな顔をした。


「いや、だって、……だってお前、そんな素振り全然」


「仕方ないじゃない。私、今まで、男の子を好きになったことなんてなかったんだもの。……どう振る舞えばいいかなんて、分かるわけないじゃない」

「そんなこと言われたって、……俺だって困る。そんなこと言われたことないんだから」


 彼女は上目遣いで尋ねてくる。

「私に好かれるのは迷惑?」

「いや! そういう訳じゃない」

「尾張くんは私のこと嫌い?」

「そうじゃない」


「じゃあ私のこと、どう思ってるの?」


「……ごめん、やり直させてもらっていいか?」

「……駄目なら駄目ってはっきりそう言えばいいのに」

「違う! そうじゃないんだ。そうじゃなくて……こういうことはちゃんと俺から言いたい。今言ったんじゃあ、お前にお膳立てされただけで、俺の本気度が伝わらないだろ。古臭いって思われるかもしれないけど、俺にもプライドがあるんだ。だから、ちょっと待っててくれ」

「……そう。じゃあこのことは保留にしておいてあげる」



  *

 

 そんな訳で、彼女からされた告白を俺は保留にしてしまったのだが、しかし俺に確たる作戦があるわけではない。彼女に言ったよう俺もこんなことは初めてなのである。

 さてどうしたものか。


 わからない時は相談するに限るか。

 思い立った俺は、電話を取りこういう相談をするのに相応しい相手に電話をかけた。


「もしもし、俺、尾張だけど」

「尾張くん! いつもねえねえがお世話になってます。どうしましたか? 珍しいですね。尾張くんから電話なんて」

 その声の主、電話をかけた相手は名古屋の妹、名古屋佳代である。


 俺は単刀直入に用件を言うことにした。

「……それがちょっと、……なご……お姉さんに、告白しようと思うんだけど」

 言った途端、はしゃぐ声が電話口から聞こえてきた。

「おぉーー!! とうとう来ましたか! これはめでたい!!」


「いや、最後まで聞いてね」

「あ、ごめんなさい。ついテンションが上がってしまいました」


「それでどうやって告白したらいいかなって。……どうやっても、あいつ文句いいそうだろ?」

「うーん、なるほど。……今度の土曜、会えますか?」


   *


 次の土曜日、俺は佳代ちゃんに言われるがままに、県内のとある場所に来ていた。

 学校の運動場ほどある広場に、車が四、五台は入りそうな小屋が隣に建っている。

 その場所で佳代ちゃんは俺のことを出迎えた。いつもは可愛く着飾っている彼女が、今日は作業着という出で立ちだ。

 俺に相対して佳代ちゃんは言った。

「ねえねえは少し夢見がちなところがあるので、そこをつくと良いかもです!」

「というと?」

「白馬の王子様に憧れてるんですよ!」

「あ〜、そういえばそんなことをうわ言のように呟いていたな」

「でしょ! 尾張くんの前で言っているということは、そうして欲しいってことなんですよ!」

「なるほど」


「というわけでこちら用意しました!」

 佳代ちゃんの声で小屋から、ある動物が人に連れられカパカパと歩いてきた。


 ……。


「これは?」

 俺は思わず尋ねた。

「白馬! ……は用意できなかったので、家で飼ってる白いポニーです! 名前はナタリーです」

「ああ、ポニーね。なるほ……。いや、待って」

 

「なんですか?」

「なんですかって、何? これに乗れとでも?」

 俺ポニーとか生で初めて見たんだけど。ポニーはほんとにあったんだ! ってレベルなんだけど。というかポニーって飼うようなものなの?


「そうですけど?」

「なんで?」

「ですから白馬の王子様作戦ですけど?」

「……俺、馬とか乗れないけど?」

「練習すれば大丈夫です!」

「そもそもこんなんでいいのかよ」

 色々となにかおかしい気が……。


「上手く行きますよ! 馬だけに」

 全然上手く行く気がしねえ。


   *


 一抹の不安を覚えながらも、佳代ちゃんが自信満々に言うので、俺は仕方無しに名古屋家のポニー、ナタリーに跨り、練習に励んだ。

 乗馬練習は一ヶ月に及び、なんとか乗りこなせるようになって、本番の日がやってきた。


 俺は都会の一等地に建つ大きな名古屋家の敷地のすぐそばで待機し、佳代ちゃんが名古屋小町を呼びに行くのを待っていた。

 一ヶ月練習をともにしたナタリーとの絆もでき、この頃は彼女が何を考えているか分かるようになった気がしないでもなくなっていた。


「ナタリー、お前も緊張するのか?」

 いななくナタリーのたてがみに優しく触れ、俺はそう話しかけた。

 ナタリーはブルルと鼻を鳴らす。


 その時、玄関の扉が開いた。


 名古屋が家から出てきたのだ。

 俺は意を決して門から敷地に入り、家の前に立った名古屋の方へと向かった。


 ……のだったが。


「あ、こらナタリー! そっちじゃない! 右だ右! 玄関の方だ!」

「ブルルン」

「何!? 水ならさっきやったろ! なんだ? 腹が減ったのか?」

「ブルルン!」

「分かった! 後でいっぱいやるから! とりあえずお前の主人の方へ向かえ!」

 俺がどうどうと御してようやくナタリーはパカパカと名古屋と佳代ちゃんの方へと向かっていった。


 たどたどしくはあったが、なんとか名古屋の前に立てた。

 よし降りようと思ったところで、いつも使っていた、台がないことに気づく。足が届かなくて降りられない。

「佳代ちゃん、踏み台頂戴!」

「はいはい。ただいま!」

 佳代ちゃんは慌てて、踏み台を取りに行った。

 その間、名古屋が俺に向かって冷ややかな視線を向けてきたので、俺は笑顔で返したのだが、より一層視線は冷たくなった。

 佳代ちゃんが台を持ってきて、悪戦苦闘しながら、ナタリーから降りた。

 ふぅ。なんとか降りられたぜ。それから手綱を佳代ちゃんへと渡す。

 よし、ここからが本番だ。

 と思って、彼女に向き直ったところで

「……ごめんなさい。私があなたに対してした好きだって発言、クーリングオフできるかしら?」

「ちょっと待って。もう一回やり直すから」

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