中篇
連絡船での道のりは当然ながら長い。
そのため船内の設備は高級船舶に近いものになっている。
ヒナタが選んだのは私が昨日選んだ場所。
昨日来たときに彼女はかなりメニュー選びに迷っていたが、そのときに惜しくも落選してしまったモノが食べたいということだった。
だけどきっとヒナタのことだ。
そこまで高い金額にならない配慮をしてくれたのだろう。
そんなに遠慮しなくても良かったのだけれど、ここはありがたく気持ちを受け取っておくことにした。
お互いのパスタを分け合ったり食後のデザートも注文してみたり、時折入ってくるメッセージに目を通したりしている内に、気が付けばいい頃合いになる。
残っている仕事も作業も無いというのは晴れやかな気分になる――と思っていたのだけれど。
こうして、目の前に迫ってくるような月を見てしまうと、どうしても思うのだ。
ヒナタにとっての私は、いったい何なのだろう、と――。
「……せーんぱい。ココ先輩?」
「……え?」
目の前で手のひらをヒラヒラと振られているのにも気がつかないくらいには、私の気分は月の海あたりにでも沈んでしまっていたらしい。
「どうしたんですか、そんな」
半笑い。
「マヌケな顔して」
――やっぱり。
「あなたね」
「ウソですってば」
そういうと思った。
にっこりと笑ってみせるヒナタのアタマを強引に、ぐちゃぐちゃとなで回す。
あまり派手にやるといつもこの子は怒るけれど、反撃と称すれば良いだろう。
案の定ヒナタは、リスのように頬をぷくっと膨らませた。
「はいはい、ごめんなさーい」
「もうっ」
適当に謝られていると思ったのだろうヒナタは、もう少しだけむすっとした顔を作ってそっぽを向く。
だけど視線だけはこちらに残しているので、機嫌を完全に損ねたわけじゃないのはよくわかった。
「それで、何だっけ?」
「この後もういっこ、行きたいところがあるんです、って言ったんです」
完全に耳に入ってきていなかった。
「もちろん良いわよ」
二つ返事で答える。そう答えるに決まっていた。
○
「まさかここだとは思ってなかったなー」
「意外性を意識してみましたので」
ヒナタが胸を張りながら私を連れてきたのは、先ほどまで働いていたバー。
私たちが出たときよりもまた少し客足が増えてきているようだ。
「何か飲みたくないです?」
「そうねー」
満足できる食事だったけれど、ギリギリ限界まで食べたということでもない。
お酒くらいなら全然問題は無かった。
カウンター席の端の方。
他の人たちからは離れたところに通してもらう。
ヒナタはすぐに私たちの先輩でもあるミズホさんに耳打ちをする。
何を頼んだのかは教えてくれないらしい。
どういう意図があるのだろうかと思いつつヒナタを見つめると、案の定彼女は自信ありげに鼻を鳴らした。
「それにしても。こんな風に、こういうところで、あなたとお酒が飲めるなんて思わなかったわ」
「それは私もですよ」
夢は口にして叶えるモノだと言われて育った私は、ヒナタに対して特にそういう話をし続けていたものの、彼女自身の口からは就きたい仕事やなりたいものの話を聞いたことはなかった。
だからこそ、憧れだったこの仕事に就けるようになったことをヒナタに報告したその一年後、彼女から内定の報告が返ってきたときはさすがに驚いた。
「お客さんとして乗ってきたわけじゃなく、同僚としてだから。余計にね、何か、嬉しくて」
「一緒のときだと、先輩いつもそう言いますよね」
「当然よ」
「何か、もう酔ってます?」
「失礼ね」
フィクションとかだとこういうときに、『アナタの瞳に酔っちゃったみたい』なんて言うのだろうか。
さすがにそんなことは言えない。
恥ずかしすぎる。
――だって、それは事実だから。
だからこそ私は、ほんの少しだけはぐらかす。
「私はてっきり、ヒナタは私のことを追いかけてきてくれたんだと思ってたんだけど」
「……ふっ」
鼻で笑われた。
「笑うことないじゃない?」
「……あ、来ましたよ」
タイミングが良いのか、悪いのか。
私によっては良くないタイミングで、微笑みとともにミズホさんが私に供したのは――。
「……ねえ、ヒナタ」
「何ですか?」
「あなた、『カクテル言葉』って知ってる?」
「え? ……ええ、まぁ、まだ少しだけですけど」
ヒナタは少しだけ動揺したような素振りを見せた。
「だったら、コレ」
私は、カルーアミルクの入ったグラスを指す。
もちろん、ヒナタの目をしっかりと見つめながら。いろいろな衝動に駆られながらも。
「コレのも知ってる?」
「……それは、知ってますよ」
それでも表情を崩さない辺りは、さすがヒナタだった。
伊達に客商売をしていない。
かわいらしい容貌にクールな応対がたまらないという声を何度か聞いたことはあったが、今ははからずもその真意が解る様な気がしてしまった。
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