今はもういない魔女の話 ~緋色の魔女~
暗い空と瞬く星空の中、彼女は淡い光を放つ白亜の宮殿にいました。宮殿の眼下には蒼き星があり、その星には無数の人々が暮らしていました。
今彼女が見ているのはその星を写し出す円形の鏡。
そこから彼女は赤い髪と、月の光を移したような銀色の瞳、月の宮殿にたった一人でいる彼女――リューナは、必死で誰かを探している一人の男を見つめて泣きそうになっています。
――自分は二度と貴方に会えない……蒼き星に降りることも叶わないのに、と。
***
城の近くにある、薬師たちが薬草を研究している場所。その薬草を育てている温室内で、数人で話しながら作業をしている時でした。
「リューナ」
そう声をかけられて振り向けば、豪華な衣装を纏った男――この国の第三王子であるボルガがそこにいたのです。
「こんにちは、ボルガ様」
リューナは頭を下げると、ボルガに苦笑されてしまいました。
「少し話があるんだが……いいか?」
そう言われて王子に逆らえる者などいません。同僚たちに断りを入れてその場を離れ、リューナは歩き出したボルガについていきます。
「隣国との戦に行くことになった。その戦に、薬師としてリューナも一緒に来てほしい」
「それは……」
ボルガの言葉に、リューナは瞳を揺らしながら俯きます。
この十年、リューナはボルガに乞われて二度、戦に赴きました。二度目の時、『次は別の方を』と言って承諾させたはずでした。
「今回で最後にする――完全に終わらせる。だからリューナ……」
そう懇願されて、リューナは仕方なく「これで本当に最後ですよ」と頷くと、ボルガは嬉しそうに頷いたあと、リューナを抱き締めました。そのことにリューナの鼓動がトクン、と跳ねます。
「ボルガ様!?」
「父王にも許可はいただいたし、戦が終わったら話したいことがある。……出発は五日後だ。それまでに準備しておけ」
そう言ったボルガは腕を緩めると、リューナの栗色の髪に口づけを落とし、その場をあとにしました。その後ろ姿を見ながら、リューナは哀しく笑います。
「それは恐らく無理ですよ、ボルガ様……」
私は魔女だから……この国では忌み嫌われる存在だから。
心の中でそう呟いたリューナは、踵を返して温室へと戻りました。今は姿変えの魔法を使い、この国の人々にありがちな栗色の髪と青い瞳をしてはいますが、もしもそれが剥がれればすぐにでもわかってしまうのです。
そしてリューナの魔法は、愛する者のためにしか使わない……使えません。だから利用されても困るのです。
この国に降りたって三百年。姿形を変えてずっとこの国に住み着いて来ました。
薬草の知識の酷さに口を出したのが間違いだったのだと、今さら後悔しても遅いと気づきます。ましてや、今回に限って愛する者を見つけてしまったのです。
「これで最後。そのあとは……」
ローブの上から胸元に隠れているペンダントを握れば、リューナの小さな呟きを理解したかのようにペンダントが仄かに温かくなりました。そのことに哀しく思いながら、温室にいた同僚に戦に行くことになったことを伝え、同じ場所で働いている同族の魔女――月の民の人間に、自分が居なくなったあとのことを頼むのでした。
そして戦に行き、彼らは勝利しました。ただし、ボルガの負傷という犠牲を伴って。
戦場でも、城に帰って来てからも、リューナは手厚く看病しました。けれど、一向に熱が下がらないのです。
(このままでは……)
ボルガが居なくなってしまいます。自分自身は居なくなろうとも、この国にはボルガが必要なのです。
「……貴方を愛しているわ」
髪をすき、頬をそっと撫でるとボルガの唇に自身の唇を重ねたリューナは、唇を離したあとで癒しの魔法をボルガにかけました。
すると、みるみるうちにボルガの傷は塞がり、荒かった息も整います。それに安堵したリューナは魔法を止めて「ボルガ様……」と声をかけて一歩下がります。
安らかな寝息に変わったボルガの傍にいたのは、緋色の髪と銀色の目をした、リューナ本来の姿だったのです。
「……お元気になられてよかった。さようなら、ボルガ様」
もう一度口付けを落としてボルガの姿をその目に焼き付けると、哀しみをこらえ、暇を告げてそっと部屋から出ました。
そのまま振り返らず、誰にも見られないように城内を抜けて研究所に戻ると、同じ月の民の魔女が「こっちよ」と言ってある場所に誘導してくれました。
「リューナ……」
「ありがとう。このまま月に帰るわ」
「そんな……! だって、あそこにはもう誰も……!」
「いいの。私の魔法は、愛する者のためにしか使えないってことを……貴女はわかっているでしょう?」
「リューナ……」
「私は、ボルガ様を愛していたの。だからボルガ様のために魔法を使い、ずっと傍にいたかったわ。でも、この姿を見られて嫌われたくないの……」
今にも泣きそうになりながらもそう言ったリューナに、月の民は顔を歪めてギュッと抱き締めたあと、「……伝言は?」と聞きました。それに首を横に振ると、リューナは隠された場所にある転送陣に乗りました。
「ごめんなさい、姉さん。他の姉さんたちや月の民の皆にも、ごめんなさいと伝えてね? ……さようなら」
別れの言葉を口にしたあとで魔法を発動すると、リューナの姿はその場から消えました。そして一瞬のうちに、リューナの視界は何もない岩肌を映し出したのです。
そこは、むかし月の民が住んでいた場所であり、捨てた場所でもあります。
リューナはそこに唯一人、戻ってきたのです。
懐かしさに目を細めながらも魔法を使って岩を組上げ、そこそこの大きさの宮殿を作ったリューナは、中に入って確かめます。そしてある一室に入るとベッドが見えました。
それは、リューナのことを聞いた月の民の誰かが送ってくれたものだったのです。
それに感謝してベッドに寝転がると、リューナは枕に顔を伏せました。
「ボルガ様……」
今は……今だけはと、リューナはそっと涙を溢しました。
***
リューナが立ち去ってしばらくあとのこと。リューナと同じ薬草の匂いに擽られたボルガは、そっと目を開けました。
「……ここは……」
確か戦場にいて、リューナに傷の手当てをしてもらったことを覚えています。キョロキョロと辺りを見回せば、城の自室であることに驚きつつも、ボルガがホッと息を吐いた時でした。
「お目覚めになりましたか……?」
そう声をかけられて横を向けば、初老の宮廷医師がボルガを見ていました。
「あれからどれくらいたった?」
医師にそう聞いたボルガは、
「リューナは……? 寝ている時、リューナの声を聞いた気がするのだが……」
「リューナはもう居りません。十日ほど前に薬草園を辞めたあと、行方がわからないと聞いております」
「な……! どういうことだ!」
「それは儂にもわかりかねます」
困ったようにそう言った医師に、ボルガは身体を起こしてベッドから出ると、医師は慌ててそれを止めました。ボルガは
ですが、目覚めたばかりだというのに、不思議と身体の痛みや怠さがないことに、ボルガは驚きます。
「動くのはまだ無理でございます!」
「煩い!」
心配する医師に怒鳴ると、ボルガは部屋から飛び出し、走り始めました。
(何でこんなに嫌な予感がするんだ……!)
『……貴方を愛しているわ』
『……お元気になられてよかった。さようなら、ボルガ様』
夢現で聞いたリューナの声は酷く哀しげだったと、ボルガは考えます。
必死に走りながら、リューナがそこら辺を歩いていないかキョロキョロと見回し、薬草園に行けばリューナの後ろ姿に良く似た人物がそこにいました。
「リューナ!」
そう声をかければその人物が振り返ります。ですが、どんなにその人物が似ていようとも、リューナではないことは一目瞭然だったので、ボルガはがっかりしました。
「そなたは……」
「リューナの姉でございます、ボルガ様。……リューナはもうここには居りません。仕事を辞め、他の国へと行きました」
「なぜだ……どうして……!」
リューナの姉と名乗った女性に詰め寄れば、女性はなぜか一歩下がりました。ボルガはそれを不思議に思い、首を傾げます。
「ボルガ様。この国に於いて、魔女は忌み嫌われるものでしたわね?」
「そうだ」
「もしリューナが魔女だったら、ボルガ様はどうなさいますか?」
そう聞いて来たリューナの姉に、ボルガはビクリと肩を揺らします。それを見たリューナの姉は哀しく笑い、また一歩下がったのです。
「……リューナのことをきっかけに、私たちは魔女を忌み嫌わない国へと行くことにしました。私以外の同族は既に仕事を辞め、リューナと同じように他の国へ向かう準備をしております。私も明日にはここを出て行きますので、ご安心ください」
「あ……」
頭を下げた女性は、踵を返してボルガの前から立ち去りました。
突然の告白に、ボルガはただそれを呆然と見送るしかなかったのです。
「リューナ……私、は……」
ギュッと手を握ったボルガは、立ち去ったリューナの姉のあとを追って彼女からいろいろと話を聞き、父王に王族を返上したボルガは、リューナのあとを追って、国を出ました。
――そしてその次の日の早朝、ボルガの行方がわからなくなりました。
ボルガの行方がわからなくなった直後にリューナの姉も、他の月の民と一緒にこの国から旅立ったのです。
「リューナ!」
「ボルガ、様……?」
「リューナ、きみを愛している。魔女だろうと関係ない」
「ボルガ様……わ、私も愛しております」
どうして月にいるのかわからず、そしてボルガの告白にリューナは呆然としました。
ボルガに抱きしめられていることも驚いたのです。
そしてボルガの言葉に涙を溢したリューナも、同じように告白したのです。
それから二人は月で末永く、幸せに暮らしました。
彼女は魔女だった。彼女の髪はガーネットの光の色。瞳は溶け始めの雪の色。月に巨大な宮殿を築いて、たったひとりで暮らしていた。彼女の魔法は愛する人のためにあった。
――今はもう魔女はいない。
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