鬼の少女と狼メイド③

「あの、華?」

「はい、なんでございましょう」

「さっき生吹さんが言ってた子犬って、どういうこと?」


 外観と同じく時代を感じる木造の廊下を華について歩きながら、凛月は訊ねる。


「ああ、その話ですか」

「うん、本当にごめんね。覚えてなくて」

「いえいえ、いいんですよ。凛月様にとっては取るに足らぬ思い出だったのでしょう」

「そ、そんなことは」

「くふっ。それだけ、凛月様は普段からお優しい方だったということです」


 くすくすと笑いながら、華は人懐っこい笑みを浮かべる。それを見て、凛月は思わず俯いてしまう。


 ──いや、それこそ。そんなことは、ない。


 踊るように軽やかに、凛月の先を進む華。


 その後を、凛月は黙ってついていく。


「ささっ、こちらが凛月様のお部屋になります。急ごしらえですが、必要なものは一通り揃えてありますので、ご自由にお使いください」

「あ、うん。わかった、ありがとう」

「いえいえ。では、込み入った話はまた明日ということで。今夜はゆっくりお休みくださいませ、凛月様」

「うん、おやすみ。えっと……華」

「はい、凛月様♪」


 凛月が名前を呼ぶたびに、ピンととがった華の耳はぴくぴくとせわしなく動き、しっぽはどこかに飛んでいってしまいそうな勢いでぶんぶんと左右に揺れる。


「あ、そうでした。あのあの、凛月様?」

「ん? なに?」


 生吹のもとに戻るつもりだったのか、凛月に背を向けた華が思い出したようにくるりと半回転して向き直る。


「今後はわたくしの前で転んでしまっても、下手な演技は必要ございませんので。くふふっ」


 もうこらえきれないと言うように、口元を袖で覆う華。


「え、それってどういう……。あ」


 凛月の顔が、ぼんっと音を立てて真っ赤に染まった。


「も、もう!」

「きゃっ♪」


 いたずらっ子のようにパーッと駆けていく華の背中。精一杯の恨みを視線に込めて、凛月はそれを見送った。

 

「まったくもう」


 ぶつぶつと文句を言いながら、凛月はこれから自分の部屋となるらしい和室の戸を引く。


 そこにはなぜか凛月が放り投げたはずのスーツケースと、なくしたはずのスマホに帽子。そして、新品らしき寝具一式が用意されていた。


『凛月様へ。誠に勝手ながら回収させていただきました。あなたの華より』


 隅に置かれた簡素な丸机の上には、そんな手紙が。


「本当に気が利く……うんっと、人……? だなぁ。性格はちょっとあれかもだけど」


 苦笑いと共に寝支度を整えて、早々と布団にもぐる。

 

 今日はもう色々とありすぎて疲労困憊ひろうこんぱい。全身がだるくて仕方ない。


 身体の汚れや汗もあの時生吹がまとめてキレイにしてくれたようなので、風呂は明日でいいだろう。


 寝返りをうち、ふかふかの枕に頭を預ける。


 すると、枕もとからふわふわと心地の良い花の香りが。


 きっとこれも、華が仕込んでおいてくれたのだろう。


「なんだか、久しぶりにちゃんと眠れそう……」


 この屋敷に辿り着いてまだ1時間と経っていないのに、なぜだか不思議と懐かしさを覚える。


 まるで、記憶にない幼少期をここで過ごしたかのような。それを身体が覚えているかのような、不思議な錯覚。


 あっという間に睡魔が迫ってきた頭で、どうしてだろうと考えてみる。


 甘いまどろみの中でふと思いだしたのは、両親と妹がまだ生きていた頃の生家のぬくもり。におい。空気。そのあたたかさ。


 そうして古ぼけたアルバムをゆっくりめくっているうちに、凛月は久方ぶりの安らぎの中へ落ちていった。




「あの子は?」


 相変わらず、中庭では魑魅魍魎ちみもうりょうのどんちゃん騒ぎ。


 そんな中でも不思議とよく通る声を、生吹は無造作に放る。


「すぐに眠ってしまわれました。やはり相当お疲れだったようですね……おかわいそうに」


 部屋の外で凛月が寝入ったのをこっそりと確認した華は、よよよと悲痛な声をあげる。


「いや、疲れさせたの主におまえじゃけどな?」


 生吹は隣に座ってきた華をジト目で見やる。


「はて? なんのことやら?」


 本当に心当たりがないようで、むむむと真剣に考え込む華。


「相変わらず歪んでおるのう。おまえの愛は。カカカッ」

「え、そんなことはないと思いますが?」

「その自覚がないところが一番コワいんじゃよ………」

「はぁ……」


 そんなやり取りを交わしながら、生吹は華のために酒をつぐ。


「まあよい。それがおまえの在り方じゃしな……おっとと、ほれ」

「あら、ありがとうございます」

「では、新しい久遠くおんの当主様に乾杯するかの」

「ええ」


 こん、と2つの浅皿のぶつかる音が心地よく響く。


「あら、おいしい」

「じゃろ! カルタに買ってこさせた貴重な地酒じゃからな!」

「あなた、またカルタさんをそんな風に使って……」

「本人がよいと言っておるのだからよいのじゃ」

「ほどほどにしてあげてくださいよ、まったく」

「はぁいはい」


 そんなとりとめもない会話をしながら、新緑の季節が運んできた人間に、人喰い鬼は思いをはせる。


「ま、ひまつぶしになればそれでよい」


 酒も、人間も。


 深紫の鬼のつぶやきは、誰に届くこともなく、ただ桔梗の香りに溶けていった。



 これから始まるのは、とある人間と妖たちの、ちょっぴり不気味で少し不思議な御伽噺ものがたり

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