鬼の少女と狼メイド②

 どうやら、あのやけに古風な手紙はこの生吹と名乗る鬼が祖母に頼まれて出したものらしい。


 生吹たち妖は月子の友人であり、久遠家および凛月の敵ではないという。そのあたりの細かい事情の説明は、また明日にでもということで落ち着いた。


「とりあえず、屋敷に上がる前にその小汚い格好をなんとかせねばなぁ」

「あ……」


 苦笑いと共に、凛月の全身を舐めるように見る生吹。


 凛月自身はとにかく必死で気にする余裕もなかったが、慣れない山道を走ったり、挙げ句の果てには盛大に転んだりしたせいで、その姿はあまりにもひどい有様だった。


「よっと」


 小さな掛け声とともに生吹がぱちんと指を鳴らす。すると、突然凛月の身体がぼっと青白い炎に包まれた。


「うわぁ?!」


 一瞬の出来事に目をぱちくりさせていると。


「うむ。これでよいじゃろう」

「へ? あ、あれ?」


 凛月の身体に付いていた泥や葉っぱは、驚くほどきれいさっぱり消え去っていた。


「あ、えっと……あの、ありがとうございます」


 一体どういう仕組みなのか。


 妖怪というからには、やはり何か怪しい術でも使えるのだろうか。

 

 そう首をひねりながらも、とりあえずお礼を言う凛月。段々と理解不能なものに対する感覚が麻痺してきているのかもしれない。


「うむ。子供なのにしっかり礼が言えてえらいな。最近の若者は礼儀を知らんらしいからのう。やれやれじゃ」


 目の前の少女は、一体何歳いくつなのだろう。

 

 急に年寄りじみたことを言いだした生吹に、凛月は何とも恐れ知らずな質問をしそうになる。


 だが、すんでのところで生吹の意味深な笑顔に口を封じられた。


「カカッ、良い子じゃ」


 生吹のにんまりと曲がった口元から、きらりと光る牙が覗く。


 凛月は冷や汗を垂らしながら愛想笑い……を作れていたかどうか、だいぶ怪しい。


「ま、とりあえず今宵はこれでお開きじゃな。はな、この子を部屋に」

「はぁい! 喜んで!」

「う、うわあ?!」


 生吹の一声で凛月の正面に突然女性が現れ、危うく腰を抜かしそうになる。


 いや。


 現れたというより、もっと正確に表現するならば。


 糸をほどいたかのように、さっきまで凛月の横に控えていた狼が、黒い振袖ふりそでに真っ赤なはかまをまとった絶世の美女になっていた。


 振袖の袖口そでぐちにはレースが施されていて、腰にはフリフリのエプロンを巻いている。


 ぱっと見、和風なメイドさんのようだ。


 背丈は凛月よりも頭半分ほど高いくらいだろうか。あまりに整った顔立ちが、遠くからやってくる祭りの炎によく映えていた。


「凛月様、先ほどは大変失礼を……。お怪我などはございませんか?」


 そんな彼女が、身をかがめて凛月の全身を確かめるようにぺたぺたと触る。


「は、はい。大丈夫です、けど」


 ぺたぺた。


「本当ですか? 転んだ時にその愛らしいお膝を擦りむいたりなどは?」


 ぺたぺた。


「い、いえ。ちょっとぶつけちゃっただけで、今はもう痛くないので……」


 ぺたぺた。ぺたぺたぺた。


「左様でございますか。それは一安心」


 そう言いながらも、両目が血走っているように見えるのは気のせいだろうか。


 なんだか鼻息も荒い気がする。


 そして何より、一向に凛月の身体から手を離さないのには、何か理由があるのだろうか。


「あの、えっと……。本当に怪我はないですから」

「むむむ、そうですか。まあ凛月様がそうおっしゃるのなら」


 困惑気味の凛月を見て、謎の和風メイドはそれはもう心の底から名残惜しそうに離れていった。


「ではでは、改めてわたくしも自己紹介をば」


 こほん、と仕切りなおすように咳払い。


 そして、華と呼ばれた女性は、エプロンの裾を持ち上げ凛月に向かってぺこりと頭を下げる。


 その姿は、まるで長年貴族に仕えてきた本物のメイドのようだった。


 ただし。


 背まで流れる色の髪。その頭頂部に、ふさふさの狼の耳がなければ。袴から、もふもふの尻尾らしきものがにょきっと毛先を覗かせていなければ。


「お久しぶりでございます、凛月様。本日からあなた様の身の回りの全てを、それこそ頭のてっぺんから足先までお世話させていただきます、華と申します。どうぞ末永くよろしくお願いいたします」


「はい、こ、こちらこそ」


 流暢にとんでもないことを口走っているような気もしたが、凛月にはそれよりも気になった言葉が。


「って、え? お久しぶり?」

「もしや、お、覚えておりませんか?」

「あの、さっきの山道が初対面では……?」

「そ、そんなぁ」


 手を口元に添え、がっくりと膝をつきうなだれる華。


 そんな昼ドラのようなオーバーリアクションの華をみて、生吹が呆れたように口を開いた。


「やれやれ……。こやつはな、おぬしがまだ幼子の時に助けた子犬の成れの果てじゃよ」

「こいぬ?」

「ちょっと生吹! わたくしが今からご説明をと!」

「だっておまえが話すとくそ長いんじゃもん。ぬしさまも疲れておるじゃろうし、今日のところは早よ寝かせてやれ」

「ぐ……そ、それもそうですね」


 生吹の正論拳せいろんぱんちに、華は思わず後ずさってしまう。


「ええ~ごほんっ。それでは凛月様、お部屋へご案内いたしますね」

「あ、はい。よろしくおねがいします」

「……凛月様」


 凛月を先導しようとしていた華が突然振り向き、じっと凛月の瞳を見つめてくる。


 人の目を見て話すのが苦手な凛月でもすっと引きこまれてしまいそうになる漆黒の右瞳みぎめと、彼女が人間ではないことを証明するかのような濃紅の左瞳ひだりめ


 左右で瞳の色が違う。人間で言う虹彩異色症オッドアイというやつだった。


「わたくしに敬語は必要ございません。華は凛月様にお仕えする身。いつでもどこでもご自由に、なんなりとお申し付けください」

「と、突然そんなこと言われても」


 人と敬語なしで喋るのなんて久しぶり過ぎて、なんだか落ち着かない。


 でも、彼女がそう望むなら。


「じゃ、じゃあ華さん……じゃなくて、華。これから、よろしく」


 期待に輝く華の瞳から目を逸らし、顔をほんのり染めながら凛月はぼそぼそ呟く。


「はい……はい! 凛月様!」

「カカッ。華ぁ、嬉しそうじゃのう」

「ええ、それはもう♪」


 生吹のからかいにも、白百合のように美しい満面の笑顔で華はこたえる。


「では、参りましょうか」

「う、うん。わわっ」


 そう言うやいなや、華は凛月の手を取りずんずんと屋敷の奥へ引っ張っていってしまう。


 どうやら、少しマイペースなところがあるらしい。


「ではな。良い夜を」

「あ、はい。その、おやすみなさい。生吹さん」

「うむ」


 柔らかい笑みを浮かべながらそう言うと、自らを妖の長と名乗った少女は月のない夜空を見上げ、美味そうに酒をあおるのだった。




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