「ただいま」

 あれから日が傾くまで、凛月様とたくさんの事をお話ししました。


 花があの小さな駄菓子屋の老人に、飼い犬としてどれだけ大切にされていたか。


 身寄りのない凛月様が、親戚の家を転々としていたこと。そのせいで、あれから花と会うことができなかったということ。


 そして、凛月様が1人きりで生きていこうと決めた理由。


 実は妖の身になってから何回か、こっそりと凛月様に会いに行っていたので大体のところは知っていたのですが。


 改めて本人の口から聞くと、胸が締め付けられるように痛みました。今まで、このようなことはなかったのに。


 この気持ちをどう言葉にすればいいのか、人の言葉を得て日の浅いわたくしにはまだわかりません。


「んん~っと。それじゃあ、そろそろ帰る?」


 ぐっと背伸びをしながらそう言った凛月様のお顔は、ここに来てから初めて見るもの。


 その表情だけで、わたくしの胸はあたたかいもので満たされます。


「あっ……ええ、はい」


 そして、無意識なのかもしれませんが、凛月様が「帰る」と言ってくださった。


 それだけのことで、思わず尻尾も揺れてしまいます。


「夕ご飯の支度もしないとですしね」


 この数時間で、凛月様との距離がグッと近づいたような気がします。


 そんな2人っきりの蜜月にもっと浸っていたいのは山々なのですが、腰を上げないと。今のわたくし達には、帰りを待つ人々がいるのですから。


「あ、私も手伝うよ。なんだかお世話になりっぱなしで悪いし」

「あら、そんなこと気にしなくてもよろしいのに」


 ずっと見てきてわかったことなのですが、彼女はどうにも他人を頼ることが苦手のようです。


「わたくしは、あなたの従者なのですから」


 だから、決めたのです。わたくしはこのお方の僕となり、絶対に裏切らない道具になろうと。


「いやでも」

「いいんです。それに、あなたはあの家の家主様なのですよ? もっと堂々としていてもらわないと困ります」

「や、家主……なんだか実感ないなぁ……」


 緩やかな山道を並んで歩きながら、わたくし達は家へと帰ります。


「と、とにかく! 何かして欲しいことがあったら言ってね! 家事なら大体できると思うし。あ、料理はあんまりだけど……」

「……ふぅむ。して欲しいこと、ですか」


 こうして凛月様と暮らす日々を待ち望んでいたわけですので、これ以上の望みと言われても大変難しい。


(ねえ、華)

(おや?)

 

 まるで身体の中で鈴の音が鳴るような、不思議な感覚。


 それは、わたくしだけに聞こえる声。


(あなたから声をかけてくるなんて珍しいですね、花)


 この子はとにかく出不精で、昨晩もわたくしが背中を押してようやく凛月様のお迎えに行ったというのに。


(べ、別にいいでしょ)


 やれやれ。相変わらずツンケンしてますねえ。


(ふふっ。何か凛月様にして欲しいことでも?)

(……うん)


 おや。珍しく素直。

 

 身体と、ある程度の記憶は共有しているものの、お互い何を考えているかまでは把握できません。


 ですが、きっと悪いことではないでしょう。


(ま、わたくしばかりが独り占めするのも気が引けますからね。どうぞ)

(ありがと)


 一瞬、両目を閉じる。


 それが、合図。


「……凛月」

「え?」


 突然変わった雰囲気に、凛月様は少し驚かれているご様子。ああ、そんな凛月様もとても愛らしい……。


「あ、あの……えっと」


 あー、彼女が口ベタなのをすっかり忘れてました。大丈夫でしょうか。


「華、目が両方とも赤く……」


 さすが凛月様! 気づいてくれました!


「う、うん。今は、あたしだから」


 ああ、このモジモジとした感じ……。 見守ることしかできないのが歯がゆい……!


「もしかして、あなたが……花?」


 花はコクリと頷きます。


「そ、そっか。えーっと、久しぶ──」

「し、して欲しいこと、が! あるんだけど!」


 ちょっ、ちょっと!? 会話の流れ!


「へ……? あ、うん! 私にできることなら何でも言って?」

「あ、うぅ……」


 いやいや、さっきまでの勢いはどこにいったんですか。ちょっと目があったくらいで。


 というか。


 花さん? なんか顔火照ってないです? 夕陽のせいですかね?


「そ、その……手、繋いでほしい。一緒に、家まで……」


 ………………。


 えー。


(こ、子供ですかあなたは?!)


 いけない、思わず声に出してツッコミを入れてしまいました……。


 ていうか、凛月様も若干面食らってるじゃないですか!


(う、うるさい! ずっと凛月とお散歩したかったの! わるい?!)

(お散歩って……もうあなたはただの飼い犬じゃないんですよ?)

(そ、それは、わかってるけど……)


 というか手をつないで家まで帰るとかなんですかそれ? わたくしもやりたいのですが。


「なんだ。それくらいなら、全然いいよ」

「へ?」


 え?


 そのあまりにも軽い返事に、思わずわたくしも驚いてしまいます。


「はい」


 そう言いながら、優しく手を差し出す凛月様。


「い、いいの?」

「全然いいよ? 妹とも、よくこうやって歩いてたし」

「そ、そっか。じゃあ……」


 おずおずと、その手を握り返す花。


「じゃ、帰ろうか」

「う、うん」


 そうして、凛月様がゆっくり手を引いてくれます。


 そのまま数分、2人は無言で歩き続けました。


 でもそれは、決して嫌な沈黙ではなく。


「そういえば、華からあなたのこと聞いたよ」

「う、うん。あたしも、華の中で聞いてた」


 付かず離れず。並んで歩く2つの影は、まるで姉妹のよう。


 あまりにも穏やかなその空気に、わたくしの嫉妬の炎もいつの間にやら消えていました。


「会えて、良かった」

「はぅぅ」


 あー、凛月様の笑顔が眩しい。夕陽よりも眩しい。このままでは浄化されて消えてしまいそうです。


 わたくしが凛月様のご尊顔にクラクラしていると、花が意を決したかのように深く息を吸い込みました。


「あ、あの。あたしも、ずっと凛月に……」


 ちょっと、何もじもじしてるんですか、花! あなたもずっと会いたかったんでしょうが! というかなんですかこの甘い雰囲気?!


「……ああー! やっぱムリ! 華! こ、交代!」

「ええ?!」


 ええ?!


 あと一歩だったというのに。花のあまりのヘタレっぷりに、わたくしも思わず叫んでしまいます。


(……何をやってるんですか、あなたは)

(だ、だってえ……)

(はぁ。ま、いいですけどね)


 恥ずかしがりでヘタレで臆病で。まるで出来の悪い妹みたい。まったく、手がかかる子ですねえ。


(じゃあ、代わりますよ)

(ん)


 まあ、そういうところも可愛らしいのですけれど。


「よっと」

「あ、あれ。今度は……華、で合ってる?」

「はい、大正解です♪」


 そう言いながら、繋いだままの凛月様の手を引き寄せ、腕を抱きます。


「うわ! ちょっ急に!」

「いいではありませんか〜。散々花とイチャイチャしてたんですから」

「ええ?! イチャイチャなんてしてたかなぁ……?」

「してました! なんだかあっっまい空気出まくりでした!」


 さあさあ、胸もさりげなく当てていきましょう。どうやら凛月様は肉体的接触にめっぽう弱いみたいですから。


「……華、わざとやってる?」

「はて、なんのことやら」


 やれやれ。生吹だけでなく、まさか花からもとは……。ライバルが多くて嫌になりますねえ。


 ま、生吹の場合は純粋な好意ではありませんが。


「ほらほら、もう着きますよ〜」


 そんなことを考えていると、少しずつあの茅葺き屋根が見えてきました。


「あ! 華おねえちゃんだー!」


 そこから、とてとてと風と鈴の姿が。きっと迎えにきてくれたのでしょう。


「ただいま戻りました。いい子にお留守番できましたか?」

「うん! 鈴もいい子にしてたよ!」

「お、おかえりなさい。華おねえちゃん」

「はい。ただいま」


 凛月様は、どこか所在なさげにこちらを見ています。


「風、鈴。凛月様にも」


 やれやれ。こちらはこちらで手のかかるご主人様です。


「うん! おかえり! 凛月おねえちゃん!」

「お、おかえりなさい……」

「凛月様、おかえりなさい」


 繋いだままの手に、力を込めます。


「……ただいま」


 夕陽に照らされたその表情が一体どんな意味を持つのか、わたくしには分かりません。


 でも、この日見た凛月様の笑顔を、わたくしは一生忘れることはないでしょう。

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