垢嘗め

「ひぃ?!」

「ひゃあ?!」


 突然のしゃがれた大声に、凛月の身体が飛び上がりながら全力で後退する。


 ちなみに、一緒にあがった悲鳴は鈴のものである。


「あ、垢嘗めのじいちゃんだー」


 2人が仲良く壁際で縮こまる一方、風は1人で声がした浴槽の方へとてとてと走っていく。


「ちょ! 危ないよ!」


 とてもじゃないが、最新のセキュリティなんてありそうもない屋敷なのだ。今はまだ昼前だが、不審者の1人や2人、入りこんでいても不思議ではない。


「なんじゃい。誰かと思えば風と鈴か」


 そう思っていたのだが、聞こえてきたのはさっきよりも棘の抜けた老人のそれだった。


「うん! 今ね、凛月おねえちゃんにお家のアンナイをしてるんだよ!」

「はぁ? 凛月ぃ? 誰じゃそれは」


 そして、お湯の張られていない浴槽からぬるりと姿を現したのは、小柄な老爺。


 汚れた和服の両袖を背中に回したたすきで結んでいる。そこから伸びる頼りない腕はシミだらけで、眉間に寄ったしわと切れ長の目は、それだけで気難しそうな印象を与える。


「わ、私……です」


 無意識に鈴と抱き合っていた凛月が、恐る恐る手を挙げる。


 脱衣所の壁にピッタリ背中をくっつけて、もはや2人して壁と同化しそうなほどである。


「ほぉ」


 値踏みするように、凛月のことを頭のてっぺんからつま先まで眺める謎の老人。


 改めて見ると、彼の身長は風や鈴と大して変わらなかった。異様に曲がった背中が、そう見せるのかもしれない。


「おまえが、月子の孫娘か」

「一応、そう……みたいです」

「はっ。びくびくと怯えおって。月子とは似ても似つかんな」


 憎しみすら感じる目線が、凛月の全身を絡めとる。


「さすが、あの軟弱な小娘の子、といったところか」


 まるで吐き捨てるようにそう言いながら、浴槽から出た老人はこちらへと向かってきた。


「お母さんのこと?! お母さんを知ってるの?!」

「うわっ!」


 老人の言葉に、凛月は抱えていた鈴の身体を放り出し、人が変わったような形相で詰め寄ろうとする。


うるさい」


 そんな凛月を視線で制しながら、老人は倒れこんだ鈴に手を貸す。その腕は水分を抜かれた枯れ枝の様に細く頼りない。だが、その見た目とは裏腹に軽々と鈴を立ち上がらせた。


「ここはお前のような子供ガキがいて良い場所ではない。く去れ」


 ぴちょん。


 そう言い残すと、どこからか響いた水滴の音と共に、老人は凛月の前から霧のように姿を消していた。

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