第2話 助手席のアン
アメリカは車社会というイメージがあるのは、僕の住んでいるのが田舎街だからだろうか。アメリカはまさに『合衆国』であり、その地域ごとに全く様相が違ってくるのだ。
僕のところは市内に電車がなく、休日になるとバスの本数も激減。だから自家用車がないと買い物にも困る、という有様だ。
渡米して最初の半年間、車を購入してアメリカの免許を取るまでは、不自由も多い生活だった。
当時、世話になった方々に礼を述べると、
「こういうのは持ち回りだからね。ケンが車を手に入れた後、今度は誰かを助ける側になればいいんだよ」
と言われたものだ。
そして実際、僕の一年後に研究所へ来たアンを、僕が世話する形になっていた。
小柄で童顔のアンを初めて見た時、僕は素直に「可愛らしい」と感じたものだ。
といっても、特に胸の内に熱い想いや衝撃が生まれたわけではない。一目惚れとか恋に落ちたとか、そういう話ではなかった。ぬいぐるみや小動物に対する「可愛らしい」と同じだったのだろう。
そんなアンと僕が休日の買い物を同行するようになったのは、たまたま同じ職場であり、たまたま同じアジア系だったからに過ぎない。離れた大都市にあるアジア人向けスーパーまで行く場合はもちろんのこと、
特に大都市まで出向くとなると、一つではなく複数の店を回る形になるので、午前中に出発して、街に帰り着くのは夕方の遅い時間。一日がかりの買い物だった。
往復の高速道路は、日本のような渋滞とは無縁で景色も良い。助手席に女の子を乗せてドライブするのは快適で、もう「買い物に行く」というより「遊びに行く」という感覚だった。
とはいえ、最初のうちは、あくまでも買い物だけだったのだが……。
仕事の忙しかった、ある日のこと。
いつもは何人かの同僚たちと一緒の昼食が、その日はアンと僕だけだった。購買部前にある食堂スペースで、二人それぞれ弁当を広げて、少し遅い時間のランチだ。
職場のお昼だけあって、なんとなく研究の話になり、
「思うようなデータが得られず、なんだか落ち込んじゃってねえ」
ため息をつく彼女は、慰めの言葉をかけたくなるような、独特の空気を醸し出していた。
でも僕は、気の利いたセリフを言えるほど大人ではない。かろうじて口から出たのは、
「じゃあ今日の仕事の後、気分転換にドライブにでも行こうか。ちょうど、行ってみたい場所があってさ」
という提案だった。
もともと僕は、平日の夕方1時間か2時間くらい、適当に車を走らせることがあった。特に、免許を取ったばかりの頃だ。
目的もなく隣街まで行ってみるとか、あるいは、近隣の川や池を見に行くとか。
カーナビを使わず地図だけで知らない土地をドライブするのは、まるでRPGのダンジョン探索のようなワクワク感があったのだ。それこそダンジョン内で迷子になるのと同じように、道を間違えて最初の目的地に辿り着かない場合もあったが、それはそれで一人ドライブの楽しみだと思っていた。
「そんな感じで、州境の川まで行こうとして、行きそびれてたからさ。いつか行ってみよう、って思ってたんだ。水辺の景色、いい気分転換になると思うんだけど……。どうだろう?」
今になって考えてみると、これはアンのリフレッシュというより、ただ僕の一人遊びに彼女を付き合わせるだけだった気もするが、
「州境の川か……。うん、面白そうだね」
とアンは受け入れてくれて……。
その日の仕事が終わってから、僕たちは二人で、ちょっとしたドライブへ出かけたのだった。
「前に来た時は、この辺りで道を間違えたみたいなんだけど……」
「ねえ、ケン。少し前に、斜めに交差してる道があったけど、それじゃないかしら?」
「あれ? それじゃ、どっかでUターンしないと……」
前回と同じミスを繰り返しそうになったが、アンに助けられる。研究所を出て1時間くらいの
「うわあ!」
とりあえず、アンは喜んでくれたようだ。
実際に着いてみると、僕が思っていた以上に大きな川だった。さすがアメリカ、スケールが違う。川というより、湖のイメージだった。
橋のたもとに車を停められる場所があったので、少し歩いて橋の上から
「凄いわね。大自然の雄大さって、それだけで目の保養になるわ」
「うん」
徒歩で渡ったら大変そうな、長い長い橋。それほどの川幅であり、ゆったりと流れているため、どちらが上流でどちらが下流なのか、わからないくらいだった。
上流だか下流だかの遠くへ目を向けると、川の中に島が点在している箇所もある。
「風が心地いいわ」
そう言うアンの髪は、確かに風でそよいでいた。
この時の彼女の横顔は「可愛らしい」ではなく「美しい」ものとして、僕の心にハッキリと残った。
この平日夕方のドライブが、一つのきっかけだったに違いない。
以降の休日には、買い物の他にも二人で出かけるようになった。車で1時間か2時間くらいの距離にある池や湖、自然公園などへ行き、そこでブラブラと散歩して一日を過ごすのだ。
大自然の中で心安らぐのと、彼女と一緒という居心地の良さと、いくらかゴッチャになっていたかもしれないが……。
この頃になると、僕の中には「友人よりもさらに親密な間柄になりたい」という気持ちが生まれていた。
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