第52話 みゃーの味

みゃーは私と違って努力家だ。

何事も地道にコツコツと積み上げていく。

テスト勉強なんかも私は一夜漬けで済ますタイプだが、みゃーは日々の予習復習をおこたらない。

家事もまたしかり。

ご飯ごしらえが日課であっても、惰性や適当になることはないし、日々、工夫を重ねて、より美味しくしようという意識がうかがえる。

そうやって、掃除、洗濯、料理、つまりは生活の質自体を向上させていくのだ。

「ねえ、みゃー」

「ん?」

「お味噌汁の味が変わった」

ご飯拵えをしているみゃーの邪魔をしながら、いつものように私は、味見役を兼ねたまみ食いをする。

「へへー、判る?」

今日は注意されない。

みゃーは嬉しそうに笑顔を見せるだけだ。

いつも少しずつ向上させていくということは、一日の変化はわずかである。

一気に技術が上がったり要領が良くなったりするものではない。

時には試行錯誤の末に、一歩後退してしまうこともあるだろう。

だから、私も孝介さんも、その変化に気付かないことがほとんどだ。

なのに今日は、味に明らかな変化がある。

単純に以前より美味しくなったというわけではなくて、味の個性が違うといった感じだ。

お味噌汁だけなら味噌を変えたのかとも思うけど、卵焼きも、サバの煮付けも、今までのみゃーの味付けではない。

「どうかな?」

少女みたいにはにかみながら、母親みたいにたおやかな風情。

みゃーのまとう雰囲気は、いつだって日溜まりみたいにポカポカしてる。

「おいしいけど」

「けど?」

「どこか懐かしい感じがする」

「だよね! なんでかなぁ」

「何かでレシピを参考にしたの?」

母親の味、とかで検索すれば、こういう味付けのレシピが出てくるのではないだろうか。

もっとも、レシピがあったとしても、基本となる知識や技量があってこそ再現出来るのだろうけど。

「蔵にね」

「蔵?」

「うん。こーすけ君のお母さんが書いたらしいレシピのメモ帳があったんだ」

悪戯いたずらっぽく秘め事を話すような口許と、どこか悲しげな目許。

宝物を見つけたときめき。

孝介さんの喜ぶ顔。

でも、その文字を記した人はもういない。

みゃーの表情には、そういったものが入り交じっていた。

大袈裟に言えば、喜びも悲しみも、私達は共にある。

「レシピだけじゃなくってね、所々にメモ書きがあって、こうすれば孝介は喜ぶとか、これは孝介の好物とか書かれていてね、愛されてたんだなぁ、って」

「孝介さんが小さい頃のレシピ?」

「うん、そうなんだろうね。だから、今と好みが違うかも知れないけど」

「たぶん、みゃーの味に染まってると思う」

「そうかなぁ」

「私は、みゃーの味の方が好き」

それは本心で、孝介さんもそうなのだと思う。

懐かしくても美味しくても、きっと孝介さんは、みゃーの味が好きだと言うだろう。

母の愛を、妻の愛が凌駕りょうが……はしないかも知れないけど、決して負けてはいないのだ。

みゃーがニッコリ笑う。

今でもニッコニコであることは多いけど、最近は笑顔に慈愛が混ざることが増えた。

妻でありながら、母のような愛をも持ち合わせている。

「あ、そろそろ出来上がるから、こーすけ君を迎えに行ってきてくれる?」

「あいあいさー」

「このことは、こーすけ君には内緒ね」

「……あい」

私は曖昧に返事をして家を出た。


孝介さんは、今日は家から近い畑でお仕事中。

歩いて五分、帰りはリヤカーを引きながら、ゆっくり歩いて七分。

でもきっと、虫を見たりお話したりするから十分くらい。

日はまだ暮れていない。

最も日の長い季節は、最も孝介さんが長く働く季節だ。

雨の降りだしそうな湿度の高い空気に、稲の緑の匂いが混じって辺りの風景を柔らかくする。

その柔らかな風景に、孝介さんの姿はよく似合っていた。

「孝介さん孝介さん」

私が駆け寄ると、日焼けした顔に白い歯がこぼれる。

「迎えに来てくれたのか」

「お迎えが来ました」

「殺すなよ!」

「リヤカーに乗りに」

「乗るのかよ!」

「はい。そして孝介さんが引くのです」

「ったく……」

不満げな口調なのに、口許は笑っている。

労働の後の労働を喜ぶとは、恐らくドMなのです。

「ほら、早く乗れ」

シャベルやバケツを片隅に押しやり、私が座る場所を作ってくれる。

「お姫様が座るには、ちょっと汚いぞ」

「なぁに、構いはせぬ」

私のおふざけに付き合って、孝介さんは甲斐甲斐しくタオルを荷台に敷いた。

そこにちょこんと腰掛け、足をブラブラさせる。

「出発進行」

私の声に合わせて、リヤカーは動き出した。


舗装されていないでこぼこ道を、揺られながらのんびり進む。

シャベルやバケツがガタゴト音を立てる。

「みゃーがですね」

「うん」

「蔵で孝介ママさんのレシピ帳を見つけたのですが」

「へぇ。そんなのが残ってたのか」

カラスが鳴く。

日が暮れてきて、オケラの声も辺りに響き出す。

「今日の晩御飯は、そのレシピを参考に作ってまして、味がいつもと違うのです」

「それは楽しみだな」

「そんな悠長なことを言っている場合ではありませぬ」

「ん? どういうことだ?」

「期せずして母の味に接した孝介さんは、驚き喜び懐かしむでしょう」

「まあ、そりゃそうだな。お前がバラしたから期せずしてではないが」

「みゃーは喜ぶ孝介さんを見て嬉しく思うでしょうが、それとは裏腹な感情を胸に宿すのです」

「なぜ?」

「妻として孝介ママさんを慕いつつも、どうしてもかなわないのかという悲嘆ひたんです」

「……考えすぎでは?」

「何をおっしゃいますか! 嫁としゅうとめ軋轢あつれきは、優柔不断な夫の態度から始まるのです!」

「いや、オカンはもう死んでるし」

「今は亡き幻影だからこそ、敵わないと思うこともあるのです。ましてや料理はみゃーにとって自信と誇りを持つ分野」

「……お前は、どうなんだ?」

「私は楽が出来て美味しければ何でも構いませんが」

「少しは構えよ!」

私は足をブラブラさせながら、暗くなってきた空を見上げる。

「私は、みゃーの料理が好きなので」

「……で、俺にどうしろと」

「みゃーの期待に応えて驚きつつ懐かしみつつ、それでいてやはりお前の料理が一番だ的なことを自然にサラリと伝えてみゃーの期待と頑張りと自尊心を満たしていただければ」

「難しいなオイ!」

「案ずることはありません。上手くいかなければ押し倒してお前が食べたいと言えばいいのです」

「それも難しいわ!」

アスファルトの道になった。

ガタゴト鳴っていたシャベルやバケツが静かになる。

代わりに虫の音が賑やかになった。

色んな虫の声に紛れ込ますように、「俺も美矢の味が好きだよ」と孝介さんは言った。

大好きな我が家が見えてきた。


孝介さんの演技はともかく、次の日から、またいつものみゃーの味になった。

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