第53話 雨の日々には

二日前から雨が降り続いている。

断続的に雨脚は強まり、梅雨の終わりが近いことを思わせる降り方だ。

時おり雷鳴も轟いて、みゃーが「きゃっ」と悲鳴を上げたりする。

それはまあいい。

可愛らしいものだ。

微笑んで放っておけばいい。

だが、我が旦那様の場合はそういうわけにはいかぬ。

「ちょっと田圃たんぼの様子を見てくる」

「こーすけ君!」

「フラグクラッシャー!」

私とみゃーは、二人で孝介さんを阻止せねばならない。

昔から台風や大雨の時に、田畑の様子を見に行って亡くなる人のニュースを耳にしてきた。

その度に、見に行ったところで何が出来るわけでもないし危険なだけなのに、と思っていた。

だが、自分が生産者側の立場になると、その気持ちが解るような気がする。

私はたまに手伝うくらいだが、日々の成長を目にして、更にそれを孝介さんが育ててるのだと思うと、やはり作物の様子は気掛かりだ。

ましてや、毎日面倒を見ている孝介さんにしてみたら、この長雨に居ても立ってもいられなくなるのだろう。

「用水路からの取水口が」

「雨が降り出す前に閉めたでしょ!」

「用水路があふれてるかも」

「溢れてたらどうしようもないでしょ!」

同じようなやり取りを何度か繰り返したが、それでも孝介さんは落ち着きなく庭の水溜まりを眺めている。


雨に閉じ込められたこんな日は、心穏やかになれることをした方がいい。

私はスケッチブックを出して、居間で暇潰しをする。

たわむれにサバっちの絵を描いていると、何故か孝介さんが驚愕した。

「ちょ、おま、マジか!?」

なんて語彙ごいの貧困な旦那様でしょうか。

「お前、運動や音楽は壊滅的だけど、絵の才能は凄いんじゃないか?」

えらい言われようですが、果たして褒められているのでしょうか。

「サバっちは?」

孝介さんがキョロキョロする。

確かサバっちは、みゃーと一緒に二階にいるはず

私が天井を見上げると、孝介さんはサバっちの居所を察したようですが、何故か再び目を見開く。

「見ずに描いたのか!?」

「サバっちなら毎日見ていますが?」

「いや、毎日見ていても、いざ描くとなると記憶だけじゃ無理だろ?」

「べつに本物をそのままに描いているわけではありませんし、昨日、一昨日、一週間前、一ヶ月前、一年前、あらゆるサバっちのごちゃ混ぜですが」

「いや、どこからどう見てもサバっちだろ」

「そりゃあ、サバっちを描きましたので」

何やら会話が嚙み合わないのです。

「ちょっと美矢を描いてくれ」

みゃーならサバっち以上に見てきたので、お安い御用なのです。

「陰毛はどうしますか?」

裸婦らふじゃなくていいから!」

「では、しばしお待ちを」

「ああ。簡単でいいからな」

「……」

「……」

「巨乳にしますか?」

「……そうだな、いや、ありのままで」

「……」

にらむな! 釣られて返事しただけだよ!」

「……」

「……」

「JKみゃーとJDみゃーのどっちがいいですか?」

「じぇ、JKで」

「……」

「睨むくらいなら訊くなよ!」

「……」

「……」

「猫耳を着けま──」

「普通に描けよ!」

「……」

「すげーな、あっという間に美矢になっていく……」

「高校の時は、美術と体育以外はオール五だったのですが」

「これで美術は駄目だったのか!?」

「描きたくないものは描かない主義なので」

「いったい何を描かされたんだ……」

「美術教師が私を描きなさいと言うので」

「嫌いな先生だったのか?」

「嫌いではありませんでしたが、それは美術では無いと思いましたので」

「ひどっ!」

「でしょう? 美術の授業なのに、美術以外のことをさせるなんて酷い先生です」

「お前がヒドイわっ!」

「……?」

「いや、心底意味が解らないみたいに小首をかしげられても」

「その時もみゃーを描いたのですが」

「対象が違ったとはいえ、それなりに評価はしてもらえなかったのか?」

「あら、私はこんなに若くは無いわよ? などと寝言を」

「え? 美術の先生って女性だったのか?」

「ええ」

「ひどっ!」

「……?」

「ま、まあいい。それで、お前はどうしたんだ?」

「改めてその先生を、リアルに小皺こじわたるみを再現して描いたら不機嫌になりました」

「それは先生も良くない……かな」

「でしょう?」

「ていうか、これは、あの路地だな」

「はい。路地の段差のところに腰掛けてるみゃーです」

「ニッコニコだな」

「ニッコニコです」

「凄く温かさが伝わってくるような感じだな」

「ここに画面の隅からお札を差し出してる手を描き加えれば、一気に援交疑惑なのです」

「お金でニッコニコかよ!」

「お金でニッコニコなのです」

「つーか描くなよ?」

「隣に孝介さんも描きましょうか?」

「いや、いい。美術じゃ無くなる」

「援交疑惑が勃発しますね」

「ひどっ!」

「ではこれで完成です」

ラフな感じだけど、みゃーの表情はそれらしく描けている。

狭い路地に上から光が差し込んで、みゃー自身が光輝いているかのよう。

これはきっと、待ち合わせ場所に孝介さんが現れたときのみゃーだ。

「上手いなぁ」

「飯の種にはならんのです」

「でも、心の栄養にはなるなぁ」

「私はこんなにスレンダーですが、孝介さんのせいで心は肥満体なのです」

「そりゃ良かった」

孝介さんは照れ臭そうに笑う。

照れ臭いセリフを言ったのは私なのですが……。

「あ、空が明るくなってきましたね」

「お、じゃあ田圃の様子を──」

「フラグクラッシャー!」

そう言って、私は孝介さんに抱き付く。

大雨は嫌なものですが、こうやって我が家は平穏な時間が流れていくのです。

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