第49話 恋バナ日和

「そういえば」

ぎわにある小さな溜池。

釣糸を垂れてから三十分ほど経つが、浮きはピクリともしない。

隣の花凛ちゃんも同じで、ただただ静かに時間が流れていた。

「そういえば?」

ずっと会話も無く沈黙が支配していたが、それでいて気兼ね無くボーッと出来て、その時間を共有出来る存在は貴重だと思う。

「そういえば何よ!?」

私が黙っていると、花凛ちゃんはしびれを切らした。

今まで一緒にボーッとしていたのに、短気な一面もあったりする。

「いえ、遠い昔の話で、もはや忘却の彼方かなたかも知れませんが、花凛ちゃんの委員長時代のことを聞いてみたく──」

「昨日のことのようだわ」

「……」

「何よ?」

今日は青空が広がっているが、明日からは雨の予報だ。

きっと梅雨入りするのだろう。

「私の委員長時代っていうより、孝介の高校時代の話を聞きたいんでしょう?」

私が何も言わなくても、花凛ちゃんは私の意図をみ取る。

「そういえば、花凛ちゃんにも孝介さんにも、ちゃんと聞いたことが無かったかなぁと思いまして」

「あなた達は今の幸せを実感して、この先の未来はもっと幸せだと信じてるから、過去に興味が無いんじゃないの?」

風も無く、汗ばむ陽気だ。

「私は、独占欲が強く、嫉妬深いので」

「そんな人が、三人でやっていけるとは思えないけど?」

花凛ちゃんのこめかみから、頬を伝ってあごへと汗が流れる。

なかなかに色っぽいのです。

「みゃーは特別です。花凛ちゃんも、たぶん特別なので」

「……」

花凛ちゃんの顔が赤い。

空を見上げれば、夏の太陽のような眩しさに、思わず目を細めてしまう。

「まだ六月とはいえ、熱中症には気を付けないと」

「照れてるのよ!」

顔が赤い理由の逃げ道を用意したのに、ビックリするくらい素直な人です。

「特別っていうより、孝介が私を恋愛対象として見ないっていう自信があるんじゃないの?」

ちょっとうつむき加減に言う。

「そんな自信は無いですし、花凛ちゃんは魅力的だと思いますが」

「……」

「熱中症には気を付け──」

「うるさいわね!」

最近、若者よりも年増の方がキレやすいのです。

「誰に対して、というわけではありませんが、私の知らない過去に対しては嫉妬してしまうのです」

「……べつに、彼は今とそんなに変わらないと思うけど」

「なんと、孝介さんはそんなにけ顔だったのですか!」

「顔の話じゃ無いわよ!」

最近の年増はキレやすいのです。

「まあ、顔はともかく、意外とモテてたって小川先生から聞いたことが──」

「誰と誰が孝介に好意を寄せてたの!」

「は?」

「だから誰と誰が好意を──」

「花凛ちゃん花凛ちゃん」

「何よ!」

「私よりも過去に対する嫉妬心がメラメラ燃え盛ってますが」

「……ちょっと恋バナに興味を惹かれただけですぅ」

……なんと恥ずか、いや可愛らしい。

「その様子ですと、公になるほどモテていたわけでは無さそうですね」

「……」

「花凛ちゃん?」

「私は堅物委員長として、どちらかと言えば煙たがられていたし、女子も私にはそういう話をしてこなかったから……」

なるほど、誰が誰を好きとか、そういった浮わついた話とは無縁のところにいたのだろう。

「でも多分……」

花凛ちゃんが、きりりと目に力を込める。

凛々しくて可憐だ。

「あの頃、孝介に一番近かった女子は私だから」

なんという負けず嫌い!

遥か昔の噂レベルの話なのに、それに負けじとキッパリ言い放つ。

「ま、その頃どうあろうと、妻は私ですが」

キッパリと言い放つのは私も同じですが。

花凛ちゃんが、ガックリと項垂うなだれる。

私が慰めるのも違う気がするので、取り敢えず放っておきましょうか。

カッコウの鳴き声が聞こえてくる、眠たくなるような昼下がり。

またしばし、動かない浮きをぼんやり眺める。

「……高三のとき、孝介から借りた消しゴム、まだ持ってる」

花凛ちゃんの方は、もう釣りはどうでもよくなったみたいで、視線は浮きよりもずっと遠くにある。

「それは借りパクと言うのでは」

「違うわ」

「……未練のカタマリ」

「断じて違うわ」

「ありきたりなところで、思い出の品?」

「うん、それでいいわ」

メンドクサイ人です。

「クラスの女子に、しょっちゅう孝介からシャーペンを借りている子がいたの」

「孝介さんの隣の席の人ですか?」

「ええ。今思えば、あの子は孝介に好意を寄せていたのね」

その人もまさか、十五年後に委員長にバレるとは思ってもいないだろう。

「で、どうなりましたか?」

「孝介がシャーペンをあげたわ」

「え?」

「その子が一学期の途中で転校することになって、次の学校では忘れないようにって言って」

当時から、鈍感スケコマシ野郎だったようです。

「私、何だか腹が立っちゃって、それでこっそり孝介の消しゴムを持って帰っちゃったのよねぇ」

「借りパクじゃなくてただの泥棒!?」

「違うわ」

カッコウが鳴いている。

風情があるいうより、間抜けな効果音に思えてきました。

「あーっ!」

「な、なんですか?」

「もしかして、次の学校では忘れないようにっていうのは、シャーペンじゃなくて自分のことだったりして!?」

まさか孝介さんも、十五年後に自分のセリフが疑念を生むとは思いもしないだろう。

「その可能性は否定出来ませんが、所詮は過去に擦れ違っただけの女で、妻は私ですから」

花凛ちゃんがガックリと項垂れる。

私が慰めるのも変なので、黙って竿さおの先を眺める。

「結局、孝介は誰にでも優しいのよねぇ」

まあそれも否定はしませんが、やはり妻は特別なので、気にすることもありません。

「でも……まあいっか。初恋の相手は私だろうし」

「ぶっ!」

初恋というパワーワード!

初恋という特別感!

私の初恋は孝介さんなのに、孝介さんの初恋は私ではないという理不尽さ!

ええい! カッコウカッコウやかましいわ!

「美月ちゃん」

「……なんですかー?」

私はちょっと、不貞腐ふてくされ気味です。

過去より今が大事だけど、過去には勝てないと思わされることも少なくはありません。

「恋バナって、楽しいわね」

「え?」

「さっきも言ったように、私はそういう話をする相手がいなかったから」

……みゃーがいなければ、私もそうだっただろう。

孝介さんがいなければ、そもそも恋なんてしてないだろう。

そして孝介さんに恋しなければ、花凛ちゃんには出逢えなかったのだ。

カッコウが鳴く。

浮きはのんびり浮いたままだ。

空は青く、隣には可憐な年増の花凛ちゃん。

今日はどうやら、釣り日和ではなく恋バナ日和のようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る