第44話 繰り返し
「孝介さん孝介さん」
「んー 、どうしたー?」
「呼んでみただけで──いてっ!」
孝介さんは不機嫌そうだ。
寝不足のようで、
「ついに、DVが常態化……」
「ちげーよ! 朝から何度、呼んでみただけを繰り返したと思ってるんだ!」
「朝からと言うか、深夜の二時からですが」
「その通りだよ! 真夜中に寝ているところを起こしてくるから何事かと思えば、呼んでみただけです、ってDVくらい
「ダイスキバイオレンスで
「言ってねー!」
どうもイライラが溜まっているようです。
「余計なお世話かも知れませんが、ここらで一発、抜いておいた方が──あいたっ!」
ダイスキバイオレンスが炸裂。
その絶妙な力加減に私は酔いしれる。
勿論、その時時で叩き方は変わる。
軽くパーンと弾くようなときもあれば、力強くぐいっと押すような感じのときもあり、孝介さんとしてはその強弱で意思表示をしているのだろうが、どちらであっても私のダメージはゼロに等しい。
大事にされてるなぁ、なんて思えて、ヘラヘラ笑ってしまう。
「次からは、用件を言うまで返事しないからな」
なんと、私にとってクリティカルヒットなダメージを与えるつもりだ。
「鬼畜」
「そんなにかよ!」
「孝介さん孝介さん」
「何だよ!」
ちゃんと律儀に返事をしてくれる。
「桜でも見に行きませんか」
「……」
何故か今度は、頭をくしゃくしゃにされる。
「照れ隠し?」
「お前がだよ!」
「はて?」
「散歩じゃなくてデートだよな?」
「……」
「朝早くから弁当作って、呼んでみただけを繰り返して、目的はお花見デートだろ?」
「キモッ! 童貞の妄想キモ──痛っ!」
今のはホントに痛かった。
でも知ってる。
痛くて頭を抱えることで、私は顔を隠せるのだ。
赤鬼のタマちゃんなんて一部からは呼ばれているけれど、これほどの赤さは孝介さん以外、誰も知らないのです。
昨日あたりから、桜がほぼ満開になった。
畑の横にも、神社の前にも、山の斜面にも、微笑むように桜が咲いて、道行く私の頬も、つい緩んでしまう。
「美矢は誘わなくてよかったのか?」
「昨夜、桜が満開だから二人でデートでもしておいで、とみゃーが言ったのです」
「そうか。あいつには何かと気を使わせてしまうなぁ」
確かに、今回の母の件があって、みゃーは私と孝介さんがゆっくり話せる時間をくれたのでしょう。
でも、デートなので、話すだけでなく手くらいは繋ぐべきでしょうか。
「孝介さん孝介さん」
「ん?」
「今日は気持ちのいい天気ですね」
「ああ、そうだな」
「暑くもなく、寒くもなく、そよ風が吹いて、空も晴れ渡っています」
「
孝介さんが目を細め、桜の木を見上げる。
私は孝介さんを見上げる。
あ……。
私はそっと手を伸ばし、彼の頭に乗った花びらを取った。
彼が微笑み、私も笑みを返す。
「アオカン日和ですね──あいたっ!」
張り倒される。
「いった! 今のは痛かった! いたかったぞーーー!!!」
「やかましいわっ! フリーザかよ!」
「やかましいとはなんですか! せっかくロマンチックな雰囲気になったのに!」
「それをぶち壊したのはお前だ!」
「ロマンチックだから遠回しに性交しましょうって言ったのですが!」
「アオカンはロマンチックでも遠回しでもねーよ!」
「判りました。そうまで言うならおてて繋ぎで勘弁してあげましょう」
「……」
呆れ顔から苦笑へ。
そして何故か頭をポンポンされる。
「お前はアオカンより手を繋ごうって言う方が恥ずかしいんだな」
「な、何か誤解しているようですが、差し出された手を
苦笑が笑顔に変わった。
頭の上にあった大きな手がゆっくり下りてきて、手のひらまで笑っているかのように私を誘う。
きゅっと握ると、ぎゅっと握り返された。
手を繋いで、私達は桜の下を歩く。
「さーくーらー、さーくーらー」
別に手を繋いだからといって、ゴキゲンになって歌っているわけではないけれど、私の美声に孝介さんの頬も緩む。
「お前は、声までお母さんにそっくりだな」
自分自身の声は、よく判らない。
ただ、数日前にあのノートパソコンの中身の全てに目を通した孝介さんは、既にタママママスターなのだ。
「声は似ているかも知れませんが、私の母は音痴だったので」
孝介さんが吹き出しそうな顔をする。
ちょっと失礼なのです。
「孝介さん」
「な、なんだ?」
まだ顔は笑っている。
「私の母は、可愛らしい音痴ですが?」
「ぶっ! あ、いや、うん」
「怒りますよ?」
「すまん。ていうか、ほら、そういう可愛らしいところも美月はそっくりだし」
当たり前なのです。
私は母に瓜二つで──あれ? そういう可愛らしいところ?
「……もしかして、私は音痴なのでしょうか?」
「……」
「沈黙は肯定と
「……うん、それでいいよ」
「なっ!? 私が音痴!?」
音痴は自分では判らないと言うけれど、それが事実なら、私は今までどれだけの恥を周りに
……あれ? 孝介さんとみゃーの前でしか、歌ったことが無いような。
だったら、別にいいか。
いつだって二人とも、ただ優しく微笑んでいただけのような気がするし。
孝介さんが言うように、可愛らしい音痴であるならば、それは母と同じでもあることだし。
今だって、孝介さんは微笑みを絶やさない。
「美月のお母さんが子守唄を歌っている映像を見たとき、俺は泣いたよ」
「え?」
「この人は、今の俺より若くして美月を産み、今の俺より若くして亡くなったんだな、って」
「……」
「その可愛らしい歌声も、笑顔も強さも美月は瓜二つだけど、一つだけ似てないところがあって、それはお前が、健康で長生きすることなんだと思った」
希望を確定事項のように言うあなたがいるだけで、既に私は母とは違うのです。
「先のことは判りませんが、きっと私は、母より幸せでしょう」
「ああ。俺もお前も親孝行だ」
より幸せになることが、親に対しての孝行であるなら、私達は間違いなく孝行者だ。
桜が舞い、花が散り、葉が繁って、それもやがて散り、息をひそめながら
繰り返し繰り返し、私達はそれを見て共に生きていく。
繰り返し繰り返し。
「孝介さん孝介さん」
「ん?」
「呼んでみただけです」
繰り返し繰り返し。
何故か孝介さんは私の頭を叩かずに、握った手に力を込めた。
そうして、春の陽射しみたいに笑って、眩しそうに目を細めるのです。
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