第43話 笑顔と笑顔
写真を見た瞬間、私に似ていると思った。
でも、私よりずっと柔らかで、ずっと素直な笑顔に見えた。
そんな笑顔を見せる人を、私は身近に知っている。
孝介さんとみゃーだ。
私が二人に惹かれるのは、もしかしたらそんなところも影響しているのかも知れない。
写真は笑顔ばかりでは無い。
でも、どんな顔も幸せそうに見えた。
私は母に、私を重ねてみた。
私は母に、涙が出るくらいにそっくりだった。
映像も見てみる。
撮影者は父だろうか。
妻子ある男であるのに、母が撮影者に向ける瞳からは
いや、ほんの一瞬、時おり何かに
その度、父の下らない冗談が聞こえてきた。
「お前がそんな顔をすると、美月がまた泣き出すぞ」
母の腕に抱かれているのは、小さな小さな私。
それはなんと頼りなげで、か弱く、危うい存在であろうか。
けれど、子を抱く母の腕の、なんと力強いことか。
その腕に、全てが込められているように見えた。
画面の向こうから、子守唄が聞こえてくる。
少し音痴で、うろ覚えなのか、どこか
「……ああ」
それは、知らないことを知ったときの驚きではなく、やはり私の中にあったものだった。
深く深く、大切に仕舞われていたものが、弾けるように、
「ああ……」
その声が、その歌が、私の中で甦る。
その温もりが、その笑顔が、私を幼子のようにしてしまう。
涙が、止まらない。
私の心は、過去へと馳せる。
手を繋いで、幼稚園に通った。
狭いアパートの部屋は、いつも暖かかった。
「ママー」
私の声も甦った。
そうだ、ママって呼んでいたんだ。
私はいつだってママに
背景は青空。
太陽は
あの頃は、私もいつも笑顔だった。
あのアパートは何処にあったのだろう?
こんな街中じゃなくて、周囲に畑や
ママと一緒に田圃を覗き込むと、その狭い世界に小さな生き物が溢れていた。
二人で顔を見合わすと、キラキラ光るママの瞳に、キラキラ輝く私の笑顔が映っていた。
「痛いの痛いの飛んでけー」
私はあの頃からドジっ子だった。
よく転んで怪我をした。
泣きじゃくる私に、ママは魔法をかける。
痛みは消えて──
全てが、夢みたいにカラフルな日々。
いつの頃からか、私が魔法使いになった。
「痛いの痛いの飛んでけー」
その言葉を言えば、ママは笑ってくれた。
でも、
やがて魔法の言葉は、ただ虚しいものになっていく。
ママの笑顔は減っていき、カラフルだった日々は色を失っていく。
「痛いの痛いの飛んでけー!」
ありもしない魔法、効きもしない言葉を繰り返す。
「美月は優しい子だねー」
そう言って私の頭をポンポンするママの手は、細く、頼りなく。
もう、私を抱き上げることも出来なくなったけれど、私はママの手が大好きだ。
いや、何よりママの笑顔が大好きだ。
ママが笑えば、私は魔法をかけられたみたいに満たされる。
だからママの笑顔が減ったぶん、私が笑顔でいよう。
魔法みたいなカラフルな日々を、また取り戻すのだ。
だからママ、また笑って。
新しい家、新しい家族。
ママの笑顔を失って、私も笑顔を無くした。
新しいお母さんは笑わない。
何度か私達のアパートに来たことがあった父も、家では気難しい顔をしていることが多い。
閉塞感と疎外感。
淡々と、ただやり過ごすだけの日々。
……そっか。
そうだったよね。
新しい環境に戸惑いながら、私はその境遇に馴染むためにママを忘れたんだった。
ママとの過去に
思い出すと今が余計に辛くなるから、私は記憶を封印したんだ。
最初からママはいなかった。
だからママを失ってなどいないのだ。
最初から楽しい思い出も、悲しい喪失も無かったのだ。
思えば、やっぱり私は薄情な娘だっただろう。
ママがいなくなってから、いったいどれほどママを心配させていたことか。
陰鬱な日々を笑い飛ばせるだけの元気を、私はママから貰っていた
……ああ、孝介さんと散歩がしたいなぁ。
何故、不意にそんなことを思ったのか、自分でもよく判らない。
みゃーと一緒にお料理も作りたい。
花凛ちゃんと釣りもしたいし、サツキちゃんのバイクでどこかに出掛けたい。
そして、みんなにお母さんのことを話したい。
ああ、そうか、私はみんなに、私のお母さんがどんなに素敵な人であったかを話したいんだ。
だって、もう記憶を閉じ込めておく必要なんて無い。
だって私は、もう笑えている。
奇跡みたいな魔法に、私は包まれている。
過去に負けない輝きが、色鮮やかに思い出を照らしてくれる。
ほら──
ママがまた、いつかみたいに笑ってくれた。
窓の外が白み始めるまで、私はノートパソコンの画面を見続けていた。
電源を落として伸びをする。
よし、帰ろう。
黒くなった画面に映る私は、もう幼子の顔では無い。
過去を大切に抱えながら、未来に向かって生きていける。
ただまあ、やっぱり孝介さん達に甘えたくなるのは致し方ないことで……。
「おはようございます」
「おー、美月、早いな。やっぱり田舎暮らしだと早起きに──」
「お父さん、ありがとう。じゃ、帰ります」
「早っ! もう少しゆっくりしていけば──」
「いえ、きっと家族が待っているので」
一分一秒でも早く会いたい。
一分一秒でも長く一緒にいたい。
「あ、別に一分一秒も父親と一緒にいたくないという意味では」
「何の話!?」
言い方が悪かったのか、父が泣きそうな顔をした。
けれど、泣きそうな顔をしながら、父は頷いた。
「……でも、そうだな。帰りを待ってくれる人達がいるのは、幸せなことだよ」
「ええ」
「じゃあ私とお母さんは、またお前が遊びに来るのを待ってるよ」
そうか。
私には帰る場所があって、遊びに来る場所もあるのだ。
そして私には父がいて、母が二人もいるのだ。
いつか私が子供を産んだとき、その子が二人の母を愛してくれますように。
「また来ます」
私は育ててくれた父と母に、初めて素直な笑顔を向けられた気がした。
家を出て、すぐそこに見慣れた車が停まっていた。
いや、色も形も見慣れているけど、珍しい車ではないし、まあ気にすることも──なっ!? 田舎ナンバー!?
サバっちが窓からこっち見てる!
あはは……待ってくれる人達どころか、待つことも出来ない人達がそこにいた。
サバっち以外はまだ私に気付いていないらしく、何やら車内で言い争う声。
「だから計画も無しに行動するから、こんな朝早く着いて時間潰しをしなきゃならんのだ!」
「私が休憩取ろうって言ったのに、いや大丈夫だって運転し続けたのは孝介でしょう!」
「私はタマちゃんに連絡入れたらって言ったんだけど、二人は無視したよね?」
……笑わないでいられようか。
こんなおバカさん達に愛されて。
笑わずにいられようか。
こんな幸せに満たされて。
私は車の窓をコンコンと叩く。
三人が驚いた顔でこちらを見て、それから、とても素敵な笑顔が花火みたいに弾けた。
ああ、きっと私も同じように、素敵な笑顔で笑えているのだろう。
あの頃のママと、瓜二つの笑顔で。
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