第41話 美月とみんなと
「こーすけ君、ちょっと落ち着いたら?」
縁側を往復しながら何度もスマホを見ていると、呆れ顔の美矢に
「あ、すまん。でも、そろそろ美月が実家に着いた頃かなって」
美月が本当の母親のことを知りたいと思うのは、至極当然なことだ。
けれど、五歳の頃に他界した母親を、全く憶えていないというのは気にかかる。
もしかしたら、美月は望まれない子供で、酷い扱いを受けた可能性だってあるのだ。
「いったい朝から何回タマちゃんの名前を口にしたと思ってるの?」
「……」
「美月が、美月は、美月の、もう美月美月って、少しはみゃーみゃー言いなさい!」
美矢がご立腹だ。
「だいたい、こーすけ君は心配性すぎるよ」
「いや、でも、あいつの過去が──」
「過去は過去、大事なのは今とこれから、でしょ?」
「……過去があるから今があるんだ」
「うん。だから、どんな過去があっても、幸せな今に繋がってるんだから大丈夫」
自信満々に言ってのける美矢を、俺は眩しいような思いで見つめた。
美月の今は、幸せな今なのだろうか。
ぽかんと口を開けて、童女みたいに空を見上げている美月。
キラキラ目を輝かせて、虫を観察している美月。
飼っている魚が死ねば一日落ち込んだり、何かを発見すれば、子供のように嬉々として報告してくる。
サバっちを胸に抱いて星を見上げ、
「納得した?」
「え?」
「不安になる要素なんて無いでしょ?」
「うん、まあ……」
「歯切れ悪いなぁ。タマちゃんは、以前よりずっと強くなってるのに」
「強く?」
甘えたで、喜怒哀楽が激しくなって、寧ろ弱くなっているような……?
「こっちに来て、甘やかされて強くなったよ」
「甘やかされて……強くなる?」
「もともとタマちゃんは強い子だけどね。小さい頃から甘えられる人がいなくて、それをじっと堪えてきたんだから。そんな子が甘えられる場所、甘えられる人を手に入れたんだから、どんな辛いことも乗り越えるでしょ?それに……」
「それに?」
バイクが家の前に停まった。
ひょこっと庭を覗き込む少女と目が合う。
あれは確か……
「ツバキちゃん?」
「サツキだよ!」
可愛らしい顔をしているのに、割とドスの利いた声で言い返してくる。
「ちわっす。あの、タマちゃんは?」
ヘルメットを脱いで、いちおうペコッと頭を下げるあたり、ヤンキーっぽいとはいえ、いい子だと思う。
「美月なら実家に」
「いつ帰ってくんの?」
まあ、敬語は使わないけど。
「たぶん明日には帰ってくると思う」
ちょっと残念そうに口を
でも、確か高校二年生で、最初に出会った頃の美矢と美月と同じ年齢だ。
「じゃ、また来る」
「ああ。気を付けて帰れよ」
サツキちゃんはニカッと笑い、ヘルメットを被りなおしてバイクに跨がる。
取っ付きにくそうに見えて、意外と愛嬌のある子だ。
年齢も違えばタイプも全く違うのに、美月と仲良くしているのは面白い。
徐々に遠ざかるバイクの音も、じれったくなるくらい安全運転な様子が
「で、話の途中だったな」
「あー、ちょうどサツキちゃんの話をしようと思ってたんだけど」
「サツキちゃんの?」
「うん、まあサツキちゃんだけじゃなくて──」
家の前に、車が停まる音がした。
何故か美矢が苦笑する。
車の音だけで、誰が来たか判るのだろうか。
「たっだいまー!」
……花凛かよ。
しかも迎えるまでもなく居間に顔を出す。
「あれ? 美月ちゃんは?」
俺もそうだけど、サツキちゃんといい花凛といい、美月美月と──
あ、そういうことか?
美矢を見る。
ニッコリ笑ってこくりと
なるほど、美月には俺と美矢だけじゃなく、コイツらもいるんだ。
甘やかす人がいて、叱ってくれる人がいて、一緒に笑ったり、一緒に泣いてくれる人がいる。
「何よ、二人で笑い合って見つめ合って」
さっきのサツキちゃんみたいに、花凛も唇を尖らせる。
コイツは三十過ぎなのだが。
「いや、ちょうど花凛の話をしてたんだよ」
正確には、話をしようとしていた、なのだけど。
「どんな話?」
「うん、まあ、美月のことで……ていうか、お前、美月の生い立ちとか知ってたっけ?」
「あんまり両親と仲が良くないっていうのは、あなた達の結婚式前に聞いたけど、生い立ちって言われると……」
生い立ちという言葉は、それなりに重いものを感じるかも知れない。
花凛の不安げな目、でも力強い口許。
美月のことが心配だけど、何があっても力になるぞという表情。
……花凛になら、話してもいいだろう。
美月が
花凛は
昔から、冷静なようでいて感情的で、強い正義感は怒りを生むし、相手に寄り添う優しさは、感情移入して涙を生む。
そして──
「行くわよ」
俺も人のことは言えないが、花凛は
「行くって、どこへですか?」
美矢はまだ理解しきれてないようだ。
花凛が、どれだけ直情的であるかを。
「東京に決まってるでしょうが!」
「え? でも、ちょっと、こーすけ君?」
いや、理解出来ないからって俺を見るな。
昔から花凛を知ってる俺だって、まさかそんな答を出すとは思ってなかったのだから。
「バカなの!? 東京からここまでって、凄く遠いのよ?」
俺と美矢がキョトンとしていると、花凛は更に声を大きくする。
「いや、だから、その凄く遠い場所に行こうって言ったのはお前だろうが」
「ここから東京じゃなくて、東京からここまでよ!」
「一緒だろうが」
「一緒なわけ無いでしょう! 過去が辛かった場合、一人でここまで帰ってくるのが、どれだけ長い距離だと思ってるのよ!」
また美矢と顔を見合わせる。
お互い、嬉しいような悔しいような、複雑な表情だ。
「ガソリン満タンにしてきたところだし、三人とも免許を持ってるし、東京なんて楽勝よ!」
立ち上がって拳を突き上げる。
……うん、そうだな。
美月のためなら、三人とも東京なんて楽勝だ。
一緒に心配して、一緒に泣けるのだから、あとは美月を加えて一緒に笑おう。
お前に足りないものなど、何も無いんだ。
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