第37話 捏造と妄想
「……えっと、せっかく来てくれたのに、お茶も出してなかったな」
孝介さんが立ち上がる。
怒りモードから反省モードになっていたが、通常モードに切り替えたようで、見る人を安心させるような笑顔を浮かべる。
「い、いえ、お構い無く……」
いろはさんは、まだ反省モードではありますが。
「突然だろうが思い付きだろうが、こんな遠いところまで来てくれるのは嬉しいことなんだ。遠慮しなくていい」
まあ、ふとした気まぐれで訪れるには遠すぎるし、交通費もかかる。
気力や金銭面での負担を考えて、それでもなお来たいと思ってくれるのは確かに嬉しい。
「お茶でいいか?」
「え、あの、じゃあ、コーヒーを……ブラックで」
む?
「あれ? いろはってコーヒーの味が判る人だったか?」
「わ、判るっていうか、香りと苦味、酸味と渋みの加減で、味わいが変わって奥深いなぁ、みたいな感じっす」
むむ?
「そっか、じゃあ飛びっきり
「飛びっきり旨いコーヒーを」
「え?」
「飛びっきり旨いコーヒーを」
「……砂糖は?」
「飛びっきり旨いコーヒーを」
孝介さんが笑う。
苦笑いとは少し違って、どこかに甘味を
コーヒーの苦味も、そんな風に甘さが隠れていたりするのだろうか。
「よし、判った。二人ともちょっと待ってろ」
何だか嬉しそうに、孝介さんは台所へと向かう。
苦味、苦手、苦笑い、不思議なもので、そういったものが嫌いではないと思える今日この頃だけど、それはきっと、あなたに教えてもらったものなのでしょう。
……。
いろはさんと二人きりになった居間に、沈黙が漂う。
柱時計の針は、二時を指していた。
「いろはさん」
「な、なんすか?」
私が怒っているとでも思ったのか、いろはさんは再び緊張した面持ちになる。
普段はケバくてビッチに見えるグラマー。
それがすっぴんになると、清楚系巨乳になるのは腹立たしくはありますが。
「どうして、黒髪すっぴんなのですか?」
「あ、やっぱりブスっすか? いや、保育士の実習とかあって、厚化粧とか派手な髪色は駄目だって言われるんすよ」
そういえば、保育士専門学校に通ってるんだった。
ケバいのが駄目かどうかはともかく、その豊かな胸には、子供達を安心させるような包容力を感じる。
「ショタコンの夢は叶いそうですか?」
「ショタコンじゃないっす!」
「でも、いまだに彼氏の一人も作らないのは、何か人と違った性癖があるに違いないのです」
「いや、これでも高校を卒業してから、デートの一回や二回は経験したんすよ」
「ほー」
「でも、なんか違うんすよねぇ」
「やっぱりショタ……」
「そうじゃないっす! ただ、なんて言うか、やたら胸とか見てくるから……」
自慢か!
「例えばですが」
「なんすか?」
「孝介さんの股間がやたら盛り上がっていたら目が行きませんか?」
「こ、股間が?」
「そう、ドーン! と」
「……行く、と思うっす」
「それと同じことでは?」
「……大きいと、取り敢えず見てしまう?」
「そうです」
「でも、見てこない人もいるわけですし」
孝介さんのことだろうか?
「そういう人は貧乳が好きなので、いろはさんに脈は無いのでは」
「いや、胸の大きさじゃなくて、中身で選んで欲しいんすよぉ」
「多かれ少なかれ、人は外見から入りますよ」
「でも、男の人って、
そうなのだろうか?
孝介さんは豹変しないしなぁ。
「孝介サンは、どうっすか?」
「豹変というか、真逆のことはよくしますね」
「た、例えば?」
「雨の日なんか、絶対に私を濡らすまいとするのに、お布団の中では私を濡らそうと必死なのです」
「それって……優しい?」
「やらしいだけかも知れませんよ?」
嘘ですが。
「実際のところ、一緒に暮らしだして二年になりますけど、性生活の方はどうっすか?」
「どう? どうとは変な質問ですね。いろはさんはトイレに行った人に、いちいちトイレどうだった? とか聞くんですか? 性の営みなどそのくらい普遍的なことです」
「え、いや、ほら、色々あるじゃないっすか。ご無沙汰だとか、激しいとか、物足りないとか」
「無色透明とか黄色いとか、勢い凄いとか出が悪いとか?」
「そうそう、そんな感じっす」
「良く言えば優しく、悪く言えばネチネチと。ま、私は冷静に観察しながら、一生懸命に尽くす彼も可愛いものだと思っているのですよ」
「ほえー」
「ちなみに、攻守入れ替われば、ちょ、おま、やめ……うっ! という五秒で終わりです」
「カップラーメンより早いっすか!?」
「良く言えば、孝介さんは早撃ち、連射の達人です。悪く言えば、早漏、ヘタレ、役立たずではありますが」
「普段の二人からは想像も出来ないっす」
「まあ、どこの夫婦も澄ました顔して想像もつかないことをやっているものですよ。彼もああ見えて、みちゅきー、ちゅきちゅき!
とか言いますからね。ほっほっほっ──あいたーっ!」
「
コーヒカップの乗ったお盆を手に持っているのに、なんと器用に頭を叩くのか。
だが私は、頭をさすりながら反論するのだ。
「捏造ではありませぬ!」
「はあ?」
「妄想です」
「似たようなもんだろ」
「捏造は策略の匂いがしますが、妄想は夢見る乙女ですが?」
「誇らしげに言うなよ! どっちも嘘に違いはねーよ!」
「みちゅきー、という口調はともかく、似たようなことを孝介さんが脳内で言っていたなら嘘にはならないのでは?」
「そ、それはまあ……」
「え!?」
「じ、自分で言っといて驚くなよ!」
「いえ、あの……脳内を見せてもらってもいいですか?」
「死ぬわ!」
「……ちゅ、ちゅき?」
「……あ、ああ」
「ちゅきちゅき?」
「いや、まあ、好きに決まってるだろ」
うふ、うふふふふふふ。
勝手に顔がニヤけるのです。
普段は言葉で愛を表現することの無い典型的な日本男性ですが、脳内ではちゅきちゅきだったようです。
まあ、言葉足らずでも、ちゃんと行動で表現してくれてるので不満はありませんでしたが、言葉の破壊力はハンパ無いのです。
えへ、えへへへへへへ。
「あのー、あたし、もう帰っていいっすか?」
「どうぞ」
「止めてくださいよ!?」
「止めても聞かないのでは?」
「聞きますよ! 来たところなのに帰りたく無いっすよ!」
「じゃあ……帰らないで?」
「じゃあってなんすか!?疑問形っすか!?」
「冗談です。ゆっくりしていってください」
「だったら、いいんすけど……」
ちょっと
本当はいろはさんのこともちゅきなのですが、やはり言葉にするのは難しいのです。
だから私は、そっと唇だけ動かして、ちゅきの形を作ります。
気付かないいろはさんと、優しく微笑む孝介さん。
いろはさんも私が思うのと同じくらい、私のことがちゅきだったらいいなぁ。
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