第36話 侵入者とお説教
「孝介さん孝介さん、起きてください」
時刻は深夜の一時だ。
孝介さんもみゃーも、とっくに眠りに就いていたが、私は一人、ネットでエロい体験談を読み
「んー……どうした?」
「大変です、蔵の方で何やら物音が……えーと、ポルノスター現象?」
「ポルターガイスト現象だろうが!」
こんな時間だから目覚めは悪いかと思いきや、割としっかりした反応が返ってきた。
「で、どんな音だ?」
「最初にズブリと音がして、後はパンパンと──痛っ!」
「本当のことを言え!」
「最初ガタンと大きな音がして、後はゴソゴソとであります」
秋から春先にかけての田舎の深夜は、怖いくらいに静かだ。
ちょっとした物音でも耳につく。
「今は?」
「今はしていないようですが、いつ再びそのポルノガダイスキ現象が起こるかと思うと、おちおち一人で寝られませぬ」
孝介さんが顔を
「……ちょっと見てくるよ」
そう言って立ち上がり、上着を羽織る。
私も
もう四月になるとはいえ、朝晩の冷え込みは厳しい。
「お供いたします」
「いや、美月は縁側から様子を見ていてくれ」
「あいあいさー」
「もし中から争う様子が聞こえたり、俺が出てこない場合は」
「外から鍵をかけて閉じ込めればいいのですね」
「ちげーよ! 警察を呼んでくれよ!」
「了解であります!」
私はいつでも加勢できるように、密かに持ち出していた包丁を握り締め、孝介さんを見送った。
月明かりに孝介さんの姿が浮かぶ。
蔵の扉を開けるのにはコツがあって、慣れた人なら
私は息を殺し、耳を澄ませて様子を
ややあって、再び姿を現した孝介さんは、やはり泥棒のような忍び足で縁側に駆け寄ってきた。
私はホッと胸を撫で下ろす。
「美月、美月」
ひそひそ声だが、戸惑いや
まるで、初めての体験を前にした童貞のようだ。
「慌てないで、ゆっくり、落ち着いて
「
なんと、月明かりに照らされた、美しくもセクシーな私の半纏姿に催さないとは!
「そんなことより、知らない女が寝てた!」
「知らない女?」
「ああ、本を読んだり仮眠したりする、その……つまり二階で」
「確かにあそこには毛布がありますが」
しかし、そのような場所に知らない女とは、断じて許しがたいことだ。
私は立ち上がった。
「おい、美月」
右手には、月の光を鈍く反射する包丁がある。
左手には、キラリと光る結婚指輪。
「さあ、参りましょう」
半纏姿にサンダルを履いた私は、颯爽と蔵へと向かうのだ。
しん、と静まり返った蔵の中に、微かな寝息が響いている。
私はそろりと
寝息が近くなった。
スマホの明かりを灯す。
私達の聖域を侵す不届きな奴め、その醜悪な姿を
というか、どこかで見たような?
って、こ、こやつは!!
十分後、私達は居間で向かい合って座っていた。
すっぴん姿の見慣れない誰かさんは、いつもは洋蘭のようにド派手なのに、今は見る影もなく
髪も黒いし服装も地味だ。
孝介さんもすっぴん顔は見たことがある
「で、計画も立てずに思いつきで出発して、途中で電車が無くなり、タクシーを拾ったらこんな時間になったと」
「……はい」
「タクシーの中では寝てしまい、気が付いたら電話をするにも
「……そうっす」
見つかったところで、ビックリしたー、なんだ、いろはかよ、ってなると思ったのだろうし、私もそうなると思った。
だが孝介さんは、いつになく怒っている。
いろはさんがしおしおなのも、その辺のところが理由なのだが。
「女の子がそんな無鉄砲な行動を取るな!」
「はい……え?」
ただまあ、怒っているのは蔵への無断侵入とかが理由ではなくて、女の子がそんな危ない行動をするな、ということだったりしますが。
「行き当たりばったりで、野宿する羽目にでもなったらどうする! それに、都会ならまだしも、深夜に一人でタクシーに乗るのも感心しない」
まあ、ちょっと過保護な怒りでもありますが。
あとは……
「何時でもいいから連絡くらいしてこい! つまらん遠慮なんかするな!」
……ということだったりします。
「えっと、もしかしてあたし、怒られてるワケじゃない?」
「怒ってるだろうが!」
怒られてる理由が、心配や、水くささによるものだからなぁ。
いろはさんとしても、それは寧ろ嬉しいことかも知れない。
「いや、でも、心配されてます?」
「だからそう言ってるだろうが!」
いろはさんが首を
二十歳やそこらの女性が大人の男性に怒鳴られるのは、理由はともかくやはり怖いものです。
「孝介さん孝介さん、みゃーが起きます」
少しトーンダウンしてもらおう。
「え? あ、そうだな。すまん」
今度は孝介さんが首を竦める。
まるで恐妻家のようだ。
もちろん、恐ろしい鬼嫁は、私ではなくみゃーでしょう。
「えっと、あの、孝介サン」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「何のお礼だよ!?」
我が夫は、理解していない。
ごめんなさいと言うべきか、ありがとうと言うべきか迷うところなのですが、いろはさんとしてはありがとうが勝ったのでしょう。
心配して怒ってくれる人がいるというのは、ありがたいことなのです。
「孝介さん孝介さん」
「ん?」
「こやつめは、怒られて喜ぶドMなのです」
「違うっす!」
「嫌よ嫌よも好きのうち、否定は肯定です。もっと叱ってやってください」
「いや、でも?」
戸惑う孝介さんが可愛らしくて、私もいろはさんも笑ってしまう。
あなたは叱ってくれる両親を喪っているから、誰よりもそのありがたさを知っている筈なのに、叱ってあげる自分の存在価値には気付いてないのですね。
いつか私があなたを叱ってあげたいのですが、あなたは良き夫なので、なかなかその機会は訪れそうにありません。
ここは無理矢理、
「こら、孝介!」
「な、なんだよ!?」
いきなり怒鳴りつけてみるけれど、やはり孝介さんは戸惑うばかりなので、また私といろはさんは笑ってしまう。
「鈍感ニブチンくそ野郎」
叱ると言うよりは、恨み言みたいになってしまいました。
「み、美月……」
あなたは悲しそうな顔をして、叱りすぎたとでも思ったのか、いろはさんより反省してしまう。
我が夫は、叱るよりも抱き締めてあげたくなるのですが、それはちょっと照れ臭いので、私は抱き締めてあげないのです。
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