第28話 母校と先生

「あ、多分あれだ!」

駅前から活気の無い商店街を抜けて、田畑と民家が点在するところに出ると、小山を背にして建つそれが見えた。

「タマちゃん、走らなくていいから」

みゃーにたしなめられて、駆け出そうとした足を止める。

確かに、この道も、ここから見える風景も、もっと味わいながら歩いた方がいい。

ここは、かつて孝介さんが、毎日のように歩いた道なのだから。


今日は日曜日だけど、孝介さんは近所の農家の人達と、昨日から一泊二日の慰安旅行に出掛けている。

昨夜は久し振りにみゃーと二人きりの夜を過ごし、孝介さんの卒業アルバムなんかを見たりして盛り上がった。

そしてその勢いで、今日、こうして孝介さんの母校に来てしまったのである。

どちらが言い出したんだっけ?

二人でお酒を飲み、キャッキャと騒いで有りもしない孝介青春ストーリーを創作したりして、「明日は母校を攻めるぞ!」「おー!」なんて雄叫おたけびを上げた気がする。


正直なところ、お酒を飲んだからといって盛り上がってばかりじゃ無かった。

今より可憐で可愛い、でもちょっと野暮ったいメガネの花凛ちゃん。

大人しそうな子、お調子者、イケメン、根暗、悪ガキ、ビッチ……。

様々なタイプの子がアルバムに写っていたけれど、そんな中で、孝介さんはどこか無気力な、心ここにあらずといった表情をしていた。

それは、私達でなくとも痛々しいと感じられるような、空虚な目だった。

だいたい、卒業アルバム用の写真なんて、三年の二学期以降に撮ることが多い。

体育祭も文化祭も二学期だ。

夏休みにご両親を亡くした孝介さんにとっては、二学期以降は空虚な日々だったのだろう。

ただ、修学旅行は一学期だったらしく、今と共通する優しい笑顔の孝介さんが写っていたりする。

少ないけれど、一、二年生のときの写真もあって、特に一年の写真は幼さが愛くるしく、それ故に卒業間近との対比に胸が痛くなった。

私達の知らない彼の過去に、私達は笑い、私達は泣いて、夜更けまでお酒を飲んだのだ。

……飲んでいたのは主にみゃーだけど。


「あら、あなた達、ここの卒業生?」

校門前で校舎を見つめていた私達に、五十代とおぼしき女性の教師が──

「ああっ! 小川先生だ!?」

私は思わず声を上げてしまう。

「ちょ、タマちゃん!」

再びみゃーに窘められるが、卒業アルバムで見た顔がそこにあるのだから驚いても仕方がない。

孝介さんの、三年のときの担任であり、生物教師でもあった小川先生が目の前にいるのだ。

もっとも、柔和な顔が更に柔和になって、目尻のしわには積み重ねられた教職の重みが刻まれているけれど。

「えっと……ごめんなさいね、私は今年からここに赴任したので、最近の卒業生のことは知らないのだけど……」

そうか、どこかへ転任して、また戻ってきたんだ。

「いえ、あの、私達は卒業生じゃなくて……」

恐縮している初老の女性に、私はなんと説明すればいいのだろう?

「夫が、ここの卒業生でして、夫の母校を見たくて来ました」

みゃーが、ニッコニコの笑顔で答える。

「あら、誰かしら?」

小川先生の、笑顔と皺が深くなる。

「こうす──城塚孝介の、妻です」

みゃーが妻と名乗った!

私はなんと名乗れば!?

「城塚……孝介……君?」

見開かれた目と、震える声。

十四年も前の卒業生を、彼女は憶えているのだろうか。

「あの子は、彼は元気なの!?」

詰め寄るようなその姿を見ると、同じ痛みを、彼女も刻んでいるのだと思える。

「めちゃめちゃ元気です」

みゃーよりも先に私は答え、ニッコニコを真似た。

「えっと……あなたは?」

「何を隠そう、私は孝介さんの肉どれ──あいたっ!」

孝介さんより劣るが、みゃーも頭を叩くのが上手い。

「タマちゃんは黙ってて」

ずるい、と思わないでも無いけれど、この優しそうな先生を驚かすのも良くないし、ここはみゃーに任せた方がいいのかも知れない。

「彼は元気で、今は実家に戻って農作業をしています」

単なる事実、社交辞令と変わらない程度の説明。

けれど、三年生のときに担任だった先生は、無気力なまま東京に出た孝介さんのことを知っている。

結婚も、農作業も、地元に帰ってくるという決断も、無気力では成し得ないことだ。

「……そう、良かった」

彼女の声は上ずって、そしてくぐもった。

その柔和な目を閉じ、他の言葉を忘れたみたいに、「そう、そう」と、繰り返した。

……教師というものは、教え子の人生を抱え込むものなのだろうか。

私達に、その覚悟はあるだろうか。

先生は、「ごめんなさいね」と言いながら、ハンカチで何度も目元をぬぐった。


理科室の隣、教員室とでもいうのだろうか、殺風景な小部屋に通された。

事務机と小さな窓。

机の上の花瓶に生けられた花が、彩りといえばそうだろうか。

でも、棚に並べられた書籍には、手にとって読んでみたいものが幾つもあって、私にはそれが彩りに感じられた。

「あの年、誕生日に花を貰ってね」

私達にお茶を出しながら、小川先生は机の上の花に目をやって、昔を懐かしむように言った。

勿論、貰った花と机の上のそれとは違うのだろうが、それ以来、机の上に花を飾るのが習慣になったような口振りだった。

「委員長と二人でお金を出し合ったみたいで、照れ臭そうな顔が印象的だったわ」

白髪が多くて、たぶん年齢よりも老けているように思えたが、笑みを浮かべると、どこか若やいで見えた。

「委員長って、花凛ちゃんですか?」

「あら、相沢さんのことも知っているの?」

「花凛ちゃんは、暇さえあれば我が家に顔を出しますが」

「へえ、あの子らしいわね。卒業後も毎年のように学校に来てくれたけれど、私が遠くへ移動になってからは疎遠になっちゃって……。彼女も、元気にしてるの?」

「はい。なかなかにツッコミの激しい逸材さんです」

当時を思い出すように先生はクスッと笑う。

「真面目な堅物と思っている生徒も多かったけど、見方を変えれば、元気にビシビシ指摘してくる子だったわね。奥さんを前にこんなこと言うのはアレだけど、あの頃はお似合いの二人だったのよ」

湯呑み茶碗を持つみゃーの手に、力が入ったのを私は察知した。

私以外、誰も知らないだろうけど、みゃーは嫉妬深いのです。

「ところで、さっきも尋ねたけれど、あなたは?」

花凛ちゃんのことまで知っていて、我が家と言った私の立場が気になるのだろう。

「まあなんと言いますか、居候いそうろう的な家政婦的な肉べん──」

私は適当に誤魔化すつもりだった。

またみゃーが頭を叩いてツッコんでくるとも思っていた。

でも──

「三人で、生きていこうって決めたんです」

みゃーは静かな声で、でも、私の声をさえぎる強い口調でそう言った。

……そっか、そうだよね。

私が自分を卑下することをみゃーは許さないし、孝介さんを案じてくれていたこの人に、誤魔化す必要も無いよね。

また素敵な仲間が増える。

そう思った。

この人はきっと、先生になる私達の先生になるんだ。

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