第26話 新雪と子供
何となく、目覚めた時に窓が
もうお昼? いや、物音はしないし、太陽が射し込むような鋭い眩しさでもない。
光が散らばっているかのような、静かで賑やかな光の拡散とでも言おうか……。
私は立ち上がって窓の外を見た。
「わあ」
思わず声を漏らす。
朝の淡い光の中で、辺り一面を白く染めた雪が輝いていた。
この地で冬を迎えるのは二度目だけど、私はその雪景色に目を見張り、心を
「孝介さ──」
振り返って呼び起こそうとして、気持ちよさそうな寝顔に言葉を飲み込んだ。
みゃーも、あどけなく可愛らしい顔で眠っている。
昨夜は遅くまで三人で語らっていたが、私がいちばん最初に寝てしまった
その後、二人がいつまで
孝介さんにとっては見慣れた風景だろうし、早起きのみゃーも、降り積もったばかりの雪は私と違って何度も見ているだろう。
私は二人を起こさぬよう、そっと部屋を抜け出すと、服を着替えて外へ飛び出した。
きゅっきゅと、靴底から伝わってくる新雪の感覚。
私が一番乗りだ、と思ったら、既に動物の足跡が点々と庭を横切っていた。
タヌキだろうか?
私はその足跡を
まだタイヤの跡も無く、何の汚れも無い。
白くて、白くて、真っ白だ。
まるで自分の心まで白く染まっていくようで、どうかずっと、こんな風に綺麗であれたらいいのになぁ、なんて
でも同時に、子供のような衝動が沸き上がってくるのも抑えきれない。
私は雪を両手で
舞い上がった雪は、散らばってキラキラと光を反射──せずに、それなりに固まったまま私の顔面にヒットした。
……意外と湿った雪でした。
まあいい。
次はこの真っ白な大地を駆け──ようとして、盛大に滑って転んだ。
……まあ、新雪だから痛くないし? もともと雪の中に飛び込むつもりだったし?
「だっさ!」
む?
私だけの白い世界を邪魔するガキんちょの声。
小生意気で可愛げの無い近所の子であることは、姿を見なくても判る。
「出たな、コタロウ!」
私は演技じみた声で大袈裟に言う。
だいたい、子供は苦手だし、変に気を使わされるのだが、コタロウに関してはもう慣れた。
何せ、私が一人で虫や植物の観察をしていると、度々こやつに出会うのだ。
近所に同学年の子がいないからか、一人でウロチョロしてることが多く、会う度にちょっかいを出してくる。
「雪ではしゃぐとかガキかよ」
ガキんちょにガキとか言われてしまいました……。
「ま、まあ、お子様にはそう見えたかもしれませんね!」
「はあ?」
「雪質や摩擦係数を調べていたのですよ」
「マジか!?」
ちょっと難しい言葉を使えば、子供などチョロいものです。
……それにしても、雪の上に横たわって見上げた空の青さは、なんて清々しいのだろう。
「わぷっ!」
いきなり顔面に雪玉の攻撃。
人がまだ転倒、いや、摩擦係数の調査から立ち上がっていないのに卑怯ナリ!
私はムキになって、子供が握るよりも大きな雪玉で対抗する。
「おい、タマ、大人のくせに卑怯だぞ!」
「どっちが! 男のくせに女性を攻撃するなんて許せません!」
まだ誰も見当たらない朝早くの真っ白な
いや、どっちかというと鬼ごっこか。
コタロウは逃げ、私は追いかける。
「やーい、ヘタクソ!」
コタロウもそれを察すると、逃げながらも挑発してくる。
私は更に雪玉を作ろうとして──
「あ」
「ん?」
自分の足元に、鹿の
当然、鹿の足跡も雪の上についている。
コタロウは、私が鹿の糞を投げつけてくるとでも思ったのか、やや真剣な顔になって身構えたが、勿論そんなことはしない。
鹿の足跡だけでなく、田圃のあちこちに、ノウサギやキツネの足跡も見つけたからだ。
「タマ、どうしたんだ?」
立ち止まり、周囲に目を向ける私を
これが相手を油断させる作戦だったら、今頃コタロウは雪まみれだ。
小生意気であっても、そういった疑念を抱かないところは素直で子供らしい。
「日中、動物たちの姿を見かけることは滅多にありませんが、寒い冬でも、彼らはちゃんと活動してるんですね」
「ふーん、これはウサギ?」
「ええ」
「じゃあこっちの足跡は?」
「それはたぶん、キツネでしょう」
雪合戦だったのが、
「へえ、相変わらずタマは物知りだな!」
呼び捨てにしたり、生意気な口をきいたりするけれど、好奇心旺盛で、やっぱり男の子だと思わされる。
目をキラキラさせながら、足跡の先に動物の姿を思い描いているのだろう。
いつか私が教師になったら、生徒たちの目を、こんな風に輝かせられるだろうか。
「これはヒト科タマの足跡だ」
「そうですね。そしてこっちは、ヒト科コタロウの足跡です」
「……ちっせぇな」
自分の足跡を見て、何故か悔しそうに呟くコタロウ。
確か小学校五年生で、身長も足の大きさも平均的だと思うけれど?
「あ、ヒト科みゃーちゃんだ!」
え?
駆け出したコタロウを目で追うと、田圃の先の農道に、みゃーが立っていた。
「朝御飯できたよー!」
なんと、そんなに時間が経過していたとは。
それにしても……みゃーとコタロウに面識があるのは聞いていたが、随分と
「みゃーちゃん、タマがね……」
嬉々として話しかける様子は、微笑ましいような憎たらしいような?
「コタロウ君、タマじゃなくてタマちゃんでしょ?」
いやいや、そこはタマさんと呼ばせるべきでは?
「だって、タマだってコタロウって呼ぶし」
最初に呼び捨てにしたのはお前だ。
「女性には優しくしないと駄目だぞ?」
いやまあ、ガキんちょに優しくされても困るけれど。
「べ、べつに女とか思ってねーし!」
む?
「タマなんて虫好きのヘンテコ女だし!」
むむ……。
「はいはい。じゃあコタロウ君も家に帰って、朝御飯を食べてらっしゃい」
聞き捨てならないことを言われた気もするが、みゃーは適当にあしらってコタロウを家に帰す。
私だったら、同じレベルでケンカをしていたかも知れない。
やっぱりみゃーは、教師に向いているんだろうなぁ。
「さ、タマちゃんも帰るよ」
家は見えている。
みゃーは踏み跡を辿るように歩くが、私は誰も踏んでいないところを選んで歩く。
みゃーは何度か振り返って、そんな私を微笑ましげに見る。
「みゃーはいい先生になると思う」
私は自分の足元を見ながら、そんなことを言った。
真っ白な雪が、朝陽を浴びてキラキラと輝いていた。
「そうかなぁ、タマちゃんの方がいい先生になると思うけどなぁ」
ニッコニコのみゃーが、私ではなく遠くを見てそう言った。
みゃーが慰めで言ったのか、それとも本気で言ったのかは判らないけれど、その視線の先で、小さくなったコタロウが大きく手を振っていた。
家に帰ると、孝介さんは読んでいた新聞を畳み、「雪は楽しかったか」と言った。
この人はいつも、スマホだろうが新聞だろうが、私達の前では
そんな彼に私は言うのだ。
「孝介さん孝介さん、孝介さんより立派な少年が──」
「そんなガキはおらん!」
その通りだ。
子供だろうが大人だろうが関係なく、私にとっての最上級はあなたしかいない。
だから私は、後でまた、孝介さんと一緒に雪で遊び直すのだ。
何度でも一緒に。
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