第22話 百年後と幸せ

鳥の鳴き声で目を覚ます。

百舌鳥もずだろうか?

また庭の木にカエルやバッタなんかを突き刺して、みゃーに悲鳴を上げさせるかも知れない。

百舌鳥の早贄はやにえというやつだ。

冬に備えて捕えた獲物を保存するための行為だが、木々の葉が落ちる頃には干物が出来上がっている。

東京よりずっと寒い、十月下旬の朝。

私より夜遅くまでお酒を飲んでいたみんなは、まだ炬燵こたつに入って眠っている。

孝介さんの姿が見当たらないのは、さすがに女四人と一緒に寝ることに気が引けたからだろうか。

たぶん、二階の自室で眠っているのだろう。

「にゃあ」

サバっちが鳴いた。

声のする方に目を向けると、サバっちは水槽を見上げていた。

近所で捕まえてきた魚達の泳ぐ水槽は、私とサバっちの退屈しのぎの空間だ。

「にゃあ」

もう一度鳴いて、サバっちは私に目を向けた。

私は立ち上がって水槽の前に行く。

……タナコが水面に浮いていた。

タナゴのタナコは、一番最初に捕まえたタナゴだ。

一年以上、ここで暮らしていたけれど、寿命だったのか、環境が悪かったのか。

私はタナコを水槽から取り出し、サンダルを履いて庭に出る。

冷たい空気が寝起きの身体をしゃんとさせ、手のひらに載せたそれを、より冷たく感じさせた。

吐く息は白い。

それは、私が生きていて、温かい証拠だ。

私は手のひらに向け、そっと息を吹きかけた。

ごめんね、もう少し待てば、土の温かさに包まれるから。

庭の片隅にノコンギクが咲いていた。

薄紫色の、いかにも秋を思わせる野草の根元に、私はスコップで小さな穴を掘った。

タナコを、その穴の底に横たえる。

よく、土にかえるとか言うけれど、魚の場合、地面よりも用水路などに放った方がいいのでは、なんて思ったりもする。

……ごめんね。

それでも私は、私の見える場所にお前を置いておきたい。

お前に土をかぶせ、河原で拾ってきた綺麗な小石を置いて、ここにお前が眠っているのだと知っておきたい。

正直なところ、魚が一匹死んだところで、深い悲しみが訪れるわけでもない。

どちらかといえば、罪悪感のようなものが大きい。

生き物の生死に自分が関わってしまうということに、少なからず臆病になってしまう。

……もう、生き物を飼うのはやめようかな。

「にゃあ」

かたわらでサバっちが鳴いた。

いやいや、お前は家族だし、飼うのをやめたりはしないよ?

……でも、そっか。

家族であろうと何であろうと、自分が生きていく以上、誰かと関わり、その生死は付いて回るんだ。

その事実に私は、少し悄然しょうぜんとしてしまう。

「多摩さん」

縁側から庭に出てきたいろはさんが、笑顔で私に声をかける。

素足にサンダルなのは寒々しいけれど、ネイルシールだろうか、足の爪は可愛らしく彩られている。

顔はスッピンだけど。

「幸せそうっすね」

な!?

ペットのお墓を作っている最中に、こやつは何を言っておるのか。

もしかしていろはさんは、サイコパスではあるまいか?

「あれ? あ、いや、誤解っす!」

私の視線から何かを感じ取ったのか、いろはさんは慌てた様子で首を振る。

「その、なんと言えばいいっすかね、最初に高校で出会ったときの多摩さんは、めっさ無表情でしたし」

ああ、そういうことか。

今の私は、喜怒哀楽を知っている。

「それが美矢と仲良くなってからは、少しずつ笑顔が増えて」

「まあ、あの頃は、みんな何が楽しくて笑ってるのかと思ってました」

「それが、孝介サンと出会って、更に笑顔が増えて、今みたいな寂しそうな顔もできて」

確かに、寂しいときに寂しい顔ができるのは、幸せなことなのかも知れない。

「正直、不安はあったんすよ」

「不安?」

「美矢と多摩さんには幸せになってもらいたいし、孝介サンのことも好きっすけど──って、人として好きって意味っす! そんな怖い顔しないでください!」

「続けてください」

「いや、上手くいくことを願いつつ、三人という形に、少しは懐疑的にならざるを得なかったといいますか……勿論、結婚式も参加して、幸せ一杯なのは感じてましたけど、やっぱりほら、ホントにずっと続くのかなって」

私達二人と、年の離れた男性。

その形を、いろはさんは応援してくれたけれど、一方では心配だったのだろう。

そんな風に心配してくれる友人に、私は言おう。

「アホですか?」

「ひどっ!?」

「私達が幸せであり続けるのは、確定事項ですが?」

「いや、そうは言ってもっすね」

「みゃーから聞いてませんか?」

「何をっすか?」

「孝介さんは、結構な額の生命保険を自分にかけていて、受取人は私達です」

「……」

少し、生々しい話だろうか。

いろはさんは返事が出来ずにいる。

「婚姻届なんて、ただの紙切れみたいなものだと言う人もいますが、あれがあってこそ、世間的に夫婦と認められ、配偶者控除とか相続とか色々あるわけですが、私達にはそんな紙切れ程度の保証も無い、口約束みたいな関係です」

何故かいろはさんは唇を噛んでいる。

「そんな心許ない関係性を──孝介さんは、それを私達が自由であると肯定的にとらえているみたいですが、その上で、私達の生活基盤を将来にわたって確保しているのです。万が一のことがあっても」

「……」

「アホな人ですよね」

いろはさんが噛んでいた唇を歪め、小さく鼻をすすった。

「私達は大学生で、在学中はバイトもしないように孝介さんに言われてますし、本当に養われている状態です」

「そ、それはまあ、専業主婦だって収入は無いわけですし、気にしなくてもいいんじゃないっすか?」

「それはそうですが、私は主婦業をサボってばかりだったりします」

泣きそうな顔をしながらも、いろはさんは口許をほころばせた。

「でも、言い訳に聞こえるかも知れませんが、あの人が私達に望むことは、日々を楽しく生きること、そうやって幸せを享受きょうじゅすること、そして──絶対に先に死んではならないこと……たぶん、それだけなのでしょう」

「……そんな」

綻んだ口元が、また歪む。

「そんな、百年後の話は聞きたくないっすよぅ」

うん、確かに私は幸せだ。

悲しいことを無理やり百年後へ押しやり、それでもなお泣いてくれる友人がいる。

そんな友人に、私は言おう。

「こんなに愛されて幸せだという話に、泣くなんてアホですか?」

「アホでもいいっす!」

ポカポカと叩かれる。

胸の奥が、ポカポカと温かくなって、私の幸せがまた増える。

「にゃあ」

ほら、サバっちも、幸せだと言いたげに鳴いた。

見上げれば、日中はポカポカと暖かい日になりそうな、そんな素敵な青空だ。

きっと百年後もこの場所で、誰かが幸せそうに空を見上げているのだろう。

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